当然、この時代の個人情報伝達手段の主流は電話や電子メールであり、20世紀にあった公営郵便制度はセカンドインパクト後に廃止された。しかし、古風な趣を大事にする人々は民間の業者を通じて依然封書のやりとりを続けていた。 そして、手紙を書く、あるいは文通をする、という行為はマヤの趣味であり、マヤが結婚してアスカが伊吹家から独立したとき以来、二人の間で定期的にやりとりが行われてきた。
まあ、それはそうだろう。周囲の人間からはそれは時間の問題だと思われていたのだから。周囲の関心としては、彼女がキレるよりも早く彼がプロポーズできるかどうか、という点に絞られていた。どうやら彼の決断は間に合ったようだ。
今、その男は上田にある刑務所に入所していた。公式の罪状は公文書偽造罪。
ユイも今は上田に移り住んでいる。小さなアパートを借りて、そこにレイと二人で住んでいる。男が帰ってくる日を待ちながら。
少女は今、少年と二人で生活している。いわゆる同棲というやつである。住居は第二東京市の郊外。実際にはその家の持ち主はユイである。
現在マヤは京都に引っ越しし、京都大学理学部生物学教室において教鞭を取る夫と暮らしている。彼女自身は旧ネルフから分離した国連所属の研究機関「先端技術研究所」の生体情報研究室においてマギシステムを更に進化させた、通称マギ3の開発に従事している。同時に二児の母親でもあり、双子の美沙都と遼次は順調に育っている。
旧ネルフ作戦部所属日向二尉は現在三佐に昇進し、国連軍極東方面支部参謀本部に所属し、第二作戦部課長補佐の役職を持っている。 とはいえ、使徒がもう来ない今の世界においては軍隊などは無用の長物、一応の補完が行われたことにより国家間の戦争もなくなり、というか国家という枠組みすらもはや過去のものとなりつつある。そんな中で彼らの仕事といえば、各国の軍隊の武装解除と武器の管理、依然として残る地方レベルの小規模な紛争への対応、といった程度であり、ほとんど旧軍人のための職業安定所と化しているのが実情である。
ただ極東方面支部には重要な仕事が一つ残されており、それが旧ネルフの解体であり、その遺産の管理なのである。人類が作りだした究極の汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンそのものはあのときにすべて消滅してしまっていたが、それを作ったネルフの技術、情報は悪用されれば人類を再び滅ぼしかねないものである。一方でそれを利用しさらに発展させていくことで科学の、そして人類の文明の発展に大きく貢献することもできるだろう。 それを各国の研究者達と連絡をとりつつ、情報の秘匿と公開のバランスをうまくコントロールしていくのが現在の第二作戦部の使命であり、ちなみに課長の名前は青葉シゲルという。 日向マコトはあのあと、LCLの海の中で目を覚ました。 その後しばらく続いた混乱の日々のあとも国連軍−ネルフの上部組織−に籍を残したのは、冬月司令の頼みがあったからである。 「EVAは、そしてネルフの技術は、それを使いその恐ろしさを知るものによってこそ、 管理され、処分されるべきなのだ。 人類は確かに補完された。しかしその補完は完全なものではない。 まさにそれこそが彼の意志でもあるのだろうがな。 そしてだからこそ神の技術は封印されなくてはならない。 我々の手で未来を築き上げるためにな。 フォースインパクトはもういらん。 どうだ、この仕事、引き受けてくれないだろうか」 彼の同僚でもあった青葉シゲルの場合もほぼ同様である。 二人の大きな違いと言えば、青葉シゲルは相変わらず独身貴族をつづけているのに対し、日向マコトが移籍直後に結婚したことだろう。 相手は元第三新東京市の女子大生であり、一時期ウグイス嬢のアルバイトをやっていたこともある。二人が初めて会ったのはちょうどそのバイトの最中におきた非常事態の時であった。 その後、何回かデートを重ねていたが、彼女の方が第三新東京市から疎開して出て行かざるを得なかったため、二人の間は一時疎遠になった。 それが、日向がいざ国連軍に異動して見ると、部下として最初に配属されたのが彼女であった。青葉に手をつけられる前に、と日向が焦ったのかどうかは知らないが、あっという間に途中をすっ飛ばして二人は結婚した。そして結婚から二年半して子供が産まれ、今がかわいい真っ盛りである。 青葉シゲルの方は現在も複数の女性を相手に交際を続けているようだが、本人は今のところ結婚する気はない様である。ちなみに課長という役職にありながらロン毛のままである。 旧ネルフにおいて情報部に籍を置きオペレータとして司令部に出向していたこの男は、 かつて冬月副司令に見いだされたその実力を如何なく発揮し、作戦部を見事に仕切っていた。 日向マコトの結婚式はとてもつつましやかなものだった。出席者も二人の両親の他は上司の冬月と親友の青葉だけであった。サードインパクト直後の混乱がまだおさまっていなかったという理由もあるが、二人の性格があらわれている、そんな式だった。 式の前日、明日の新郎はその悪友ととあるバーで飲み明かした。 「なあ、おい」「なんだ」 「よく結婚なんかする気になったな」 「どういう意味だ。愛しているなら当然じゃないか」 「縛るだけが愛じゃない」 「お前はそうかもな。だが、愛する人に縛られるのもいいもんだと思うな」 「お前...。そういう趣味なのか?」 「な、何言ってんだ」 「冗談だよ、冗談」 「お前はどうなんだ? アレだけ女の子と付き合っていて、結婚したいって思ったことはないのか」 その質問に対し、青葉は即答する。 「ないな。オレはそんな柄じゃないしな」 「柄じゃないって...」 「別に結婚なんて形式ふまないでも、一緒に居たければ居られるし、愛も語れる。 それで十分じゃないか。 別れたくなれば気軽に離れることだってできる。その方が気楽でいいさ」 「子供は? 欲しい、とか思わないのか?」 「子供、ね。オレには親になる資格はないからな」 「資格って。そういうもんじゃないだろ」 「......」 「親父さんとのこと気にしてるのか?」 「いや、それは関係無いさ。別にあんな....」 「あ、スマン。これは言うべきじゃなかった」 「いや、いいさ」 「......」 高校時代から付き合いのある二人である。互いの事情は良く知っていた。 自分が触れられたくないキズに触られたから、と言うわけではないが、 青葉はずっと気になっている事を旧友に訊ねた。 「それよりお前、ミサトさんのことはもういいのか?」 「相変わらず言いにくいことをサラっと口にする奴だな」 「ふっ。だけど未練を残したまんまじゃ、彼女に失礼じゃないか」 「お前に言われたくは無いわ。この二股男」 「お生憎様。今は三股だ」 「なおさらだ」 「で、どうなんだ?」 「ああ、今はもうミサトさんのことはふっ切れてるよ。 当然じゃないか。だから結婚に踏み切れたんだ。 おれはお前と違って同時に二人も愛せるほど器用じゃないしな」 「いくらオレだって同時に二人はやったことはないぞ。 やってみたいとは思わないでもないけどな」 「意味が違う、意味が」 「わかってるって。でもアレだけ思い詰めていたのに良くふっ切れたな。 一時期は加持さんを殺しちゃうんじゃないかって思ったぞ」 「加持さんか。あの人はオトナだったな。 あの人がネルフに来た時に、こりゃかなわないってわかってたよ。 それにあの人が姿を消した時、おれではミサトさんの力にはなれなかったしな。 できたのはせいぜい仕事の上でフォローするぐらいで」 「結構やばい事もやってたじゃないか」 マギをハックして、フィフスチルドレンに関する情報を集めたするなど、 一歩間違えて監査部にでも見つかれば、命の保証はない行為である。 「知ってたのか?」 「もちろん。オレの頭越しにあんなことできると思ってたのか?」 「結構気を付けてたのにな」 「多分、司令も気付いていたぞ」 「ああ、それは知っている。というか、あの時わかったけどね」 「これだから、作戦部の連中は。諜報の基本がなってないんだから」 「ああ。命があったのは幸運だったのかも知れないな。 今だったらとてもあんなことはできないよ」 「ああ。そう願うよ」(お前まで殺したくはないからな。) 「今のオレにはエミがいるからな。 彼女の為にもあんな冒険はできないよ。 彼女がいたからミサトさんを忘れることができた。 今は彼女がすべてなんだ。 だから明日結婚する。 俺と彼女の幸せを手に入れるために」 「はいはい、ご馳走様。せいぜい幸せになってくれよ」 冷やかされてばかりでは面白くない。 明日の花婿は、なんとか一矢報いようと反撃を試みた。 「そういうお前は最近誰と付き合ってるんだ。 マヤちゃんはまだ落とせないのか?」 「ああ。マヤちゃんは何故か異様にガードが固いんだ。 まあ、そこがいいんだけどな、燃えさせてくれる獲物だから」 「お前、今の発言でネルフの未婚男性の8割を敵に回したぞ」 「今は国連軍の人事と経理と作戦部の娘だな。 情報部の女の子も粒ぞろいでなかなかいいんだが、後が恐いからな」 「お前、それって...」 「いや、別にそんなこと考えてはいないさ。 まあ、結果としてオマケが付けばもっといいけどね。 それを期待して寝るようじゃ、男として失格さ」 「加持さんみたいな事を言うようになったな、お前」 「加持さんか。あの人はいい人だったし尊敬できる人だった。 仕事もできたしな」 「そうだな。ほんとに、死んじゃったのかな。 まだ信じられないんだ。 ミサトさんと二人でどっかに幸せに暮らしていて、 いつかひょっこり現れるんじゃないかって気がしてしょうがないんだ」 「それはないよ。死んだのは、確かだ」 「ああ、あの時にも二人の意識は感じなかったからな」 「......」 加持リョウジの死の真相は公表されていない。死体も見つかっていない。 死体が見つからなかったのは葛城ミサト、赤木リツコも同様である。 「今頃は、ミサトさんと二人で天国で仲良くやってるんじゃないか」 「ああ、ビール片手にな」 「それでかわいい女の子に手を出してミサトさんに引っぱたかれてたりしてな」 「かもな。そんで赤木博士がそれを見ていて言うんだろ」 「「不様ね!」」 杯を重ねるに従って、話はどーでも良いような昔話に移っていく。 「ところでおまえと加持さんって、どっちがネルフ一のスケコマシだったんだ?」 「俺に決まっているだろ」 「はっきり言うなー。加持さんの人気も高かったんだぞ、マヤちゃんの話だと」 「それだ。そこが納得いかないんだ」 「なんのことだ?」 「なんであの人がそこまで人気があったんだ。 あの人は派手に声をかけまくってはいたけれど、全部断られていたんだぞ」 「そうなのか?よくわかるな、そんなこと」 「簡単だよ。俺はあんなにヘマはしないよ。成功率は100%に近いんだぞ」 「そ、それもすごいな。いったいどうやるんだ」 「企業秘密、さ。とにかく、比べるまでもない。 だいたいあの人の場合いつもミサトさんの存在が頭から離れないから、 女の子に本気にはなれないし、だから成功しないんだ。 あの人のは、実際、ただのポーズだよ」 「だから安心できたんじゃないのか、みんなも」 「うーん。そういう面もあるかもしれないな。迂闊だった」 「じゃあ、そう言うお前は本気だっていうのか? あんなにコロコロと相手を変えているくせに」 「ああ、当たり前だろ。いつでも口説く時は本気だし、 寝る時もその娘のことだけを考えてるよ。 俺はつきあってる間はその娘以外の女のことなど考えたりもしないよ。 ただすぐ忘れることもできるだけでね」 「とことん鬼畜なやつだな、お前って」 「そうか?」 「そうだよ。いつか後ろから刺されるぞ」 そのまま二人は朝まで飲み続けた。 こうして日向マコト、独身最後の夜は明けたのだった。 ちなみにこの約1年後にマヤの結婚が決まった時、青葉はショックで二日ほど眠れなかったらしい。実際、彼だけが特別だった訳ではなく、伊吹マヤ(現在は姓を改めて、冬月マヤ)の結婚は、当時解体が進められていた旧ネルフの職員達の間に一大センセーションを巻き起こした。 隠れマヤファンはネルフにおいて一大勢力を誇っており、その人気は、ダイナマイトボディと持前の明るさで根強い人気の作戦課長葛城ミサトや、知性あふれる顔立ちと白衣の下に秘められたしなやかな肢体でマニアックな人々を魅了した技術部長赤木リツコ博士をはるかにしのぎ、もし人気投票をすれば全職員の半分(すなわち男性職員の80%)は票が集まると噂されていたものだ(ちなみに女性票はほとんどシンジ君に集まっただろう)。 なんといってもあの顔立ちであり、スタイルだって中々のものだ。それに加え、何と言ってもあの二人に比べこれといって目立った欠点が無いという点が非常に大きい。あえて挙げれば極端なまでの少女趣味とあの潔癖性であろうが、これも多くの男性にとってはむしろ好ましいとさえ映るものである。 その彼女の結婚のきっかけは、いささか顔を赤らめながら言った冬月司令の一言であった。 「あー、コホン。そのー、伊吹君は結婚とかは考えてはいないのかね」施設解体&移設にともなうマギシステムのシャットダウン作業が一段落した時に、発令所にいた人々を凍り付かせることになったその爆弾は放たれた。 「あー、いや、別に深い意味は無いんだが、まあ、あの、日向君も結婚したことだし、 あー、いや、今つきあっている男性とかはいるのかね」 その場にいた者は皆、耳をダンボにしてマヤの返事を待っていた。 「え、いえ、あの、全然考えていないって訳ではないんですが、身近にいい人がいなくって....」 彼女は顔を少し赤らめながら小さな声で返事をした。彼女の同僚である青葉シゲルはそのときその場にいたが、いい人とは見なされてはいなかったようである。 彼はマヤに何度もモーションを掛けていたが、その都度丁重に断られていた。それもそのはず、本人はうまく隠していたつもりでもここネルフ本部施設内においてマギの目を、これは取りも直さずそれを管理している赤木博士の目をということを意味するが、盗むことなどできようはずがない。そしてそれを警告されていたマヤにとっては、そんな『不潔』なシゲルなど最初から眼中に入るはずもない。 かくして彼女は『青葉シゲルが狙って落とせなかった女第1号』になった。 「どんな人が君の好みなんだね。年上の男性、はだめかな。まあ、あまり年が離れすぎていては、相手にされないのもしょうがないか」 「いえ、そんな。私はあんまり男性の年齢を気にしたりはしないと思います。 むしろ少し年上の人の方が包容力がありそうでいいかも、なんて。 優しくて、まじめで、誠実で、私を愛してくれる人なら、 年の差なんて全然気にならないと思います」 「そうか、そう言ってくれるか。 実は君に折り入って話そうと思っていた事があるんだが、 ちょっと私の部屋まで来てくれないか」 そして冬月と二人して司令室に消えていったのである。そのあと、二人の間にどんな会話がかわされたのかは誰も知らない。この1年半後、マヤは「六月の花嫁」となり、京都に嫁いでいった。同時にネルフを退職し、新しく新宇治市にできた研究所に赴任した。
洞木ヒカリ。 かつてチルドレンが通っていた中学校のクラスメイトであり、アスカの親友でもあった学級委員の少女。通称いいんちょ。 少女から大人の女性へと変身を遂げつつあるその娘は、眼鏡をコンタクトにかえ、おさげもやめて今は肩のところで切りそろえている。もうその顔にはそばかすは見られない。第二東京市立第7高等学校を昨年度卒業し、今は料理の専門学校に通っている。
鈴原トウジ、通称ジャージ男。 彼らも、当然のように同じ高校に入学し、そして卒業した。ジャージ男はとある体育大学において、将来体育の教師になるべく日夜励んでいる。メガネ君の方は私立の大学に入ったものの、大学にはほとんど顔を出すことは無い。本人も本気で卒業する気はないのかもしれない。 そんな彼らの高校時代も決して平穏無事だった、という訳ではない。ただ第三者がそれを壊すには固すぎるほど、あの時代にあそこに共に在った彼らの結び付きは強かっただけである。 ヒカリやトウジに言い寄ってくる男の子、女の子は何人かいたし、ケンスケは女の子に声をかけまくっていた。でも三人はいつも一緒だった。そして友達以上、恋人未満のトライアングルは均衡が保たれていた。 高校を卒業するまでは。
いつぞや夕方の公園で、ヒカリはアスカに告白した。 その話は、アスカの派手な身振り手振り付きで、マヤも何度も聞かされていた。
ケンスケのやさしさ。それは決して表立って現れることのなかった気配りと思いやりであり、心に余裕がなかったあの頃のアスカにはわかった筈もない。長い付き合いのあったトウジは気付いていたであろう。そしておそらくシンジも。 それはあの頃のヒカリがトウジに感じていたやさしさとは違う、大人の「やさしさ」に近いものが含まれていた。ただあの頃は彼もまだ少年であったし、それを上手く表現し伝えるすべを持ち合わせていなかっただけである。 一方あの頃のトウジの「やさしさ」とはそれとは異なり「男はオトコ(漢)らしく」、「女のコはやさしくいたわるのが真のオトコ」という彼の信念に基づいて発せられたやさしさであって、結果的にヒカリに対して向けられたやさしさはそういうものであった。 だから「いつもスマンなあ、いいんちょー」であって、いつも学級委員の仕事を黙々とこなすヒカリ、弁当を作って来てくれるヒカリ、自分を看病してくれたヒカリに、その「やさしさ」はあらわれたのだが、それは決して洞木ヒカリというパーソナリティに対して発せられたものではなかった筈である。少なくとも最初は。
あの人類の未来を賭けた戦いから5年。 人々の心の補完はまだ終わっていない。 (つづく)
|