(なんだよ、これは。いきなり) 久しぶりに大学の男友達と飲んで帰ってきた朝、 彼がアパートのテーブルの上に見つけた一枚の書き置き。 (また葛城のやつ、俺をかついでるのか?) その内容は、信じられないものであった。 男には、到底受け入れがたいものであった。 (どうせ、リッちゃんの所にでも遊びに行ってるんだろ) (そのうちひょこっと現れるんじゃないか) だが、夕方になっても女は帰ってこなかった。 二日間、男は待ち続けた。 鳴らない電話を前にして。 しかし彼女は帰ってはこなかった。 しびれをきらし、頼みの綱に望みを託す。 彼女の親友に電話をかけた。 「もしもし、赤木リツコさんのお宅でしょうか?」 「ええ。加持君?」 「ああ、僕だ。加持だ。リッちゃん、そっちに葛城、行ってないか?」 「ミサト?来てないわよ」 「そうか」 「どうしたの、加持君。元気無いわね」 「ああ、葛城が消えたんだ。書き置き一枚残して」 「そう」 「リッちゃん。葛城から、その、何か、聞いてないか?」 「いえ、私は知らないわ」 (ゴメンね、加持君。ミサトから口止めされてるのよ) 「他に、好きな男ができた、とか」 「あの子に限って、それは無いわ。 どこに行ってもあの子はアナタを忘れないでしょうよ。 私が保証するわ」 「リッちゃん。何か、知っているんだろ。教えてくれ、頼む!」 (鋭いわね、加持君) 「ゴメンね、加持君。これ以上は言えないわ」 「そうか。わかった。じゃあ、もし、もしでいい。 葛城に会ったら伝えて欲しい。君を、愛していると。 俺はいつまでも、お前を待っていると」 「わかったわ。もし、ミサトに会ったら、伝えておく」 「ありがとう、リッちゃん。じゃ」 (ゴメンなさい、加持君) (加持君、あなたは本当にミサトを愛しているのね) (ミサト、あなたは本当にこれでいいの?彼から逃げて。自分から逃げて) 彼女は知っていた。 女が何故、男の元を去らねばならなかったのか。 女が今、どこで何をしているのか。 だが、彼に教えることはできなかった。 女はその時、機上の人であった。 ルフトハンザ航空、小松(新第二東京国際空港)−ベルリン第742便である。 今、彼女は夢を見ていた。彼女が愛した男の夢を。 「ねえ、加持君」 「なんだ、葛城」 「愛してるって言って。私のこと愛してるって」 「好きだよ、葛城。君のことが大好きだ」 「好きじゃ、ダメ。愛してるって言ってよ」 「おれは決めているんだ。それを口にするのは一生に一度だけだと」 「じゃあ、私のこと愛してないっていうの?」 「それも違うな。男は軽々しく『愛』なんて口にするものじゃないんだよ」 「なに、それ。わかんないわよ。女のわたしには」 「かわりにこれをあげるから、勘弁してくれよ」 キスをする思い出の中の男。夢の中で二人は一つに重なる。 気が付くと、男はいつのまにか彼女の父親へとかわっている。 そして彼女に覆い被さるようにして、 「愛しているよ、ミサト。お前だけは生き延びてくれ」 優しく額にキスをした後、扉は閉じられた。 ふたたび扉が開いた時彼女がそこに見たものは、 地獄と化した南極と、そこにそびえ立つ悪夢の巨人であった。 「はっ」 ガバっとはねおきる。 相当うなされていたようだ。 冷たい汗が全身に流れ落ちている。 「お客様。大丈夫ですか?うなされていたようですが」 「えっ、ああ。どうも。大丈夫ですわ」 「もし、なにかお体の具合が悪いようでしたら遠慮なくお申しつけ下さい」 「平気です。ちょっと悪い夢を見ただけですから」 「そうですか。ならよろしいのですが。何かお飲み物でもお召しになられますか?」 「いえ、結構です。お心遣い、ありがとうございます」 「どういたしまして」 「あとどのくらいで着きますか?」 「ええ、4時間程ですね。その前に、2時間もしたら朝食のサービスが始まります」 「そう。じゃ、もう一眠りするわ。幸いうなされても他に迷惑する人はいなさそうだしね」 今彼女が乗っているファーストクラスに他に乗客はいない。 事実上、彼女の貸し切り状態であった。 (だめ、もう眠れそうにないわ) (だめね、私は。いつもいつも逃げ出してばかり) (ごめんね、加持君。弱い私を許して) (そして誰か素敵な女性と幸せになって) 彼女は寝たふりをして、次にCAが起こしにくるまで時間を過ごした。 (CA=キャビン・アテンダント、俗に言うスッチー) まもなく飛行機がベルリン第二国際空港に着陸した。 到着ロビーで彼女を待っていたのは一人の男性。 金髪、碧眼。40才くらいの背の高い男であった。 「お待ちしていましたよ、葛城博士のお嬢さんですね」 「ええ、よくわかりましたね。では、あなたがドクター・クラウザーですか」 「はじめまして、お嬢さん。ハインツ・クラウザーです」 「父の親友であったとか。今回のお招き、感謝にたえませんわ。 わざわざ飛行機のチケットまで送っていただいて」 「いえいえ、どういたしまして。 レディに窮屈な旅をさせる訳にはいきませんからね。 しかし、なかなか返事がこないものだから、 半分あきらめていたところだったんですよ」 男は意外にも、日本語でミサトと話していた。 「すいません。いろいろと事情があったもので」 「ああ、気にしないで下さい。こうして来ていただけた訳ですし」 「そう言ってもらえると助かりますわ。それにしても日本語がお上手ですね」 「ポスドクで二年ほど日本に留学した時に覚えたんですよ。 お父さんと知り合ったのもその時です。 それに、最初の妻が日系ドイツ人でしたから。 彼女にも随分と鍛えられました」 「最初の...。お亡くなりになったんですか?」 「ええ、三年程前に、実験中の事故でね。彼女も優秀な研究者だったんですが」 「お気の毒です。すいません、こんな話をさせてしまって」 「いや、いいんですよ。 それより、こんな所で立ち話をしていないで、私の家に行きませんか?」 「すいません。何から何までお世話になってしまって」 彼女の荷物をハインツが受け取って、二人はコンコースを歩きだす。 「いえ、お構いなく。 なんならドイツ滞在中ずっといて下さっても構いませんよ。 わざわざアパートなんか借りなくても。 娘も近い年齢の女性がいたほうが、なにかと楽しんでくれるでしょうし」 「あら、娘さんがいらっしゃるんですか」 「ええ、アスカといってね。最初の妻との間にできた子です。 8才なんですが、なかなか今の妻と打ち解けてくれんのですよ」 駐車場に着いた二人は、ハインツの運転するベンツに乗って家に向かう。 話題はベルリン観光名所など、当たり障りのない話に変わっていった。 2年間のベルリン大学への留学の予定だったのが、結局彼女はドイツに4年以上もいることになった。ベルリンで大学院を修了した後、ハインツの勧めもあって彼女はゲヒルンという研究所に勤めることが決まった。 その4年半の間、彼女が日本に帰ったのは1回だけ。ビザの更新に必要な書類を取るために帰った時の事だ。彼女は久しぶりに旧友と飲んだ。 そして、ずっと気になっていた男の消息を尋ねたが、返事はそっけ無いものだった。 「知らないわ、あんな男。 大学を卒業したらかき消すようにいなくなったわ」 彼女は嘘を言ったわけではなかった。 本当に居場所は知らなかったのだから。 何をしているのか、とは聞かれなかったのだから。 彼との間にあった事も尋ねられなかったのだから。 彼女はいつもそうだった。親友に嘘はつかなかった。 ただ、すべてを言わないだけで。 「それにあなた。知ってどうするつもりなの。よりを戻そうっていうの」 「へへっ、ちょっちね。あのままじゃ、やっぱまずいでしょ」 「謝って済む問題じゃないでしょ」 「うん。それもわかってるんだけどさー」 「まだ忘れられないんでしょ、彼のこと」 「そ、そんなんじゃないってば」 「いい加減、素直になったらどう。全部認めてしまえば楽になるわよ」 「だから違うって言ってるでしょ。リツコもしつこいわね」 「そう。ならいいんだけど。無理はしないほうがいいわよ」 「無理してるわけじゃないの。ただ...」 「ただ?」 「いえ、何でもないわ」 「そう。なら私ももう言わないわ。でもね、最後に一つだけ。 いつまでも逃げていちゃだめよ。 つらいことでも、正面から見つめて受け入れようとしないと、永久に変わらないわ」 「リツコ。あんたいいカウンセラーになれるわ。科学者なんかやめちゃったら」 「何言ってんの。よしてよ。柄じゃないわ」 「そう?結構いい線いってると思うんだけどなー」 大学に入った時からの親友、赤木リツコ。 彼女もやはりゲヒルンに入っていた、2年前に。 天才科学者の娘と周囲から色眼鏡で見られる事の多かった彼女は、周囲の圧力にも負けず、4年目にいきなり大学に博士論文を提出した。だれもが「蛙の子は蛙」と思ったのは間違いない。そして引く手あまたの色々な研究所や大学からのオファーに目もくれず、母の所属する研究所ゲヒルンを選んだのだった。 友人が去っていった翌朝、彼女に悲報が訪れた。 母の事故死。 悲嘆にくれる彼女を支えてくれた男がいた。 彼女は母の死を乗り越えた。 そして母の残したプロジェクトを遂行した。 彼女の研究所はいつのまにかその名前を変えていた。 そしてその組織も次第に変わっていった、軍隊のように。 だが、彼女のすることに変わりはなかった。 そして彼女は技術部門のトップになった。 国連の特務機関となった組織「ネルフ」において。 再びドイツに戻った葛城ミサト。 彼女もそこで組織の変化を目の当たりにした。 ゲヒルンに研究者として採用されていた彼女は決心した。 軍隊へと変貌をとげていく組織を見て。 その目的、倒すべき敵の正体を聞いて。 そして作戦部に志願した。 アメリカ、ネルフ第ニ支部に異動が許可された。 戦士になる訓練を受けるために。 女と別れてから三年後、男はドイツにいた。 それまでの年月を、男がどこで過ごしていたのかは誰も知らない。 大学を卒業すると同時に、かき消すように居なくなった。 誰にも行方を知らせずに。 1ヶ月程、男は女を忘れようと努力した。 酒を飲んだ。他の女も抱いた。 女の親友も彼を慰めてくれた。 だが、だめだった。 そして行動を起こした。 会って、心に決着をつけるために。 卒業の直前に、男は女の行き先を突き止めていた。 大学の事務局、旅行代理店、航空会社、大使館...。 彼女は半年早く卒業論文を提出して、ドイツに渡っていた。 それだけ調べるのに、1ヶ月かかった。 違法な手口も使わざるを得なかった。 そしてそれが彼らの目に止まり、男はリクルートされた。 (結局、なぜ君が俺の元から去ったのか、それはわからなかった) (所詮、男と女。その間にはどうやっても埋められぬ広くて深い溝がある) (だけど、俺は信じてる。君のことを) (今はもう、君に会いに行くわけにはいかなくなった) (いつかまた会えたなら、その時こそ言うよ、あの言葉を) 今、男は夢中になっていた。 「真実」を追い求める、命を賭けたゲームに。 それに、それだけの価値を見いだす事ができた。 そのためになら、危険を犯す事も辞さなかった。 人を手にかけた事も何度かあった。殆どは自らを守るためではあったが。 「セカンドインパクト」「謎の巨人」「E計画」「S2機関」 そして「人類補完計画」 錯綜した闇の世界を渡り歩き、今ドイツにやってきた。 「国連高等弁務官付き武官」 ボンに駐在する国連大使の護衛兼メッセンジャーボーイ。 それが彼に与えられた肩書き。 国連の研究機関ゲヒルン・ドイツ支部の監査。 それが彼の表向きの仕事。 その裏で、 ヨーロッパ連邦の各政府への浸透工作。 新兵器の情報収集と技術開発の妨害。 各情報機関に対する情報操作と撹乱。 地域紛争への介入と要人の暗殺。 およそ、ゼーレが力を維持するために必要と考えられることはなんでもやった。 そのかたわら、ひたすら情報を集めまわった。 真実に近づくために。 ベルリンの街中で彼女を見掛けたのは全くの偶然だった。 だが、声はかけられなかった。 今出て行くと、彼女が危険だから。 彼にはマークが付いていた。 ただ遠くから見ているだけの日々が続き、 半年後、彼女は再び姿を消した。 今度の行き先は、容易に調べる事ができた。 しばらくドイツで仕事を続けていたが、やがて男もアメリカに渡った。 今度はアメリカ政府に雇われて。 国内にある治外法権地帯、ネルフ第一・第二支部の調査である。 連邦政府特務監察官、これが彼の新たな肩書き。 この仕事の間、ゼーレとは完全に手を切っていた。 金で動く一匹狼。それが世間の彼への評価だった。 そこで再び女と会った。 今度は敵、として。 気軽に声をかけられる立場ではなかった。お互いに。 男は女の事など忘れたかの様に振る舞った。 昼間は仕事。男は書類の山に埋もれ、女はハードな訓練の毎日。 夜、同僚の訓練生と一緒に女が酒場に繰り出すと、 そこには必ずと言っていいほどいつも男がいた。 その横には常にだれかが存在していた。 いつも隣は女だった。 ピアスをして、ハイヒールを履く奇麗な女性。 そのほとんどは支部の女性職員だった。 時にはそれが街の女だったりもした。 女はそれを横目で見ながら仲間と騒いだ。 男を忘れるために。 別の男に抱きついて、抱き返された。 ただ男に見せつけるために。 男も女に気付いていた。 だがいつもの表情は崩さなかった。 崩せなかった。 仕事のために。 女のために。 そして真実への道のために。 やがて男は町を去った。 それだけの収穫はあった。 歯車は回り始めている。運命の日は近い。 止まっていた時間が一気に動き出した様に男は感じた。 男は自分から接触を開始した。 「冬月コウゾウさん、ですね」 「なんだね、君は。いきなり失礼じゃないか」 「これは失礼いたしました。自分は加持リョウジと申します」 「ふーん、加持君か。それで?」 (加持リョウジ。国籍日本。一匹狼の特A級エージェントじゃないか。 コードネームは、たしか『チェシャキャット』。 こんな奴が何でこんな所にいるんだ) 「自分のことは、もうおそらくご存じだと思いますが?冬月副司令」 「ああ、知っている。政府の犬だろ。いや、猫か」 「ははっ。非道い言われ様ですね。せめて狼とか言えませんか」 「ふん。まあ、そんなことはどうでもいい。 私が暇な身分ではないことぐらい君も知っている筈だ。 わざわざ日本になんの用でやってきたのだ。 この間までデンバーに居たことはわかっているんだ」 「単刀直入に言いましょう。碇司令に会わせていただきたいのです」 「碇にか。会ってどうする?」 「話をしてみたい。それだけです。 まあ、その上で雇っていただければ上々ですな」 「売り込みかね。それが目的か。どうしてネルフに。 知っているんだぞ、君がまだゼーレとは完全に切れていない事ぐらい。 まさか本気で信じてもらえるとは思っていないだろうね」 「いや、あなたにならわかって頂けると思ってますよ、冬月先生」 そう言って、男は相手の瞳を真っ直ぐに見つめた。 そこに何かを読み取ったのか、相手の反応に変化が現われた。 言葉の中に隠されていた棘が消えた。 「どういうことかね」 「自分はあなたがた、ネルフのお役に立てる、ということです。 来たるべき決別の日のために」 「そこまで知っているのか。 その上で二重スパイに志願するというのか、君は。 ゼーレはそこまで甘くはないぞ」 「そしてネルフも、ですか。わかっています。 ただ自分は真実を知りたいだけなんですよ。 本当の真実をね」 「真実、か。 だが人には、それがわかってもどうしようもない、という事だってある。 知らない方が良かった、ということもな」 「それはあなたのことですか、冬月先生」 「ああ。そうかも知れんな」 「ですが、たとえそうであっても、僕は求めずにはいられない。 たとえ無駄に終わるのだとしても少しでも前に進みたいのです」 「いいのかね。命を落とす事になるかも知れんぞ」 「悔いはありませんよ、そうなっても。 真実には、それだけの価値があると信じてますから」 2年あまりの訓練期間で優秀な成績を修めた女は、 ネルフ本部、作戦課長の地位に大抜擢された。 彼女が日本に戻ってきた一週間後、少年が第3新東京市を訪れた。 時を同じくするように、15年の沈黙を破って使徒が現われた。 彼女の最初の仕事が始まった。 もう男のことを考えている時間はなかった。 三度、男とめぐり合う日が訪れるまで。 男は再びドイツに帰った。 今度はネルフに直接雇われる形になった。 ゼーレとの繋がりもまた復活した。 特務機関ネルフという猫につけられた鈴として。 「国連特殊監査官」という肩書きの元で。 その少女に会ったのも仕組まれたものだった。 エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット。 セカンドチルドレン、惣流アスカ・ラングレー。 13才にして大学卒業を目前に控えた早熟な少女。 少女にとって、男は違った存在だった。 だらしのないスタイル。軽薄そうに浮かべた笑み。 それは余裕の裏返しだった。今の少女にそれはなかった。 エスプリのきいた会話。完璧なエスコート。 それは大人の証だった。少女を対等の大人として扱った。 時々見せる謎めいた表情。隠しきれない暗い影。 それがますます彼女を惹きつけた。 (パパは嫌い。ママを裏切ったから) (今のママも嫌い。本当のママじゃない) (大学のみんなも嫌い。本当のアタシは見てくれない) (ネルフの人もみんな嫌い。アタシは実験動物なんかじゃない) (嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。みーんな嫌い) (でも....) (でも加持さんは違う) (ほんとのアタシを見てくれる) (アタシはもう子供じゃない) (自分で考え、自分で決めるの) (アタシはもう大人だもの) (加持さんだけがわかってくれる) 少女は男の背中に、理想の父親を、兄を、恋人の姿を重ねていた。 男はそれを理解していた。 それが少女の幻想にしか過ぎないということも。 だが、それに付き合った。できうる限り。 大人の男として、少女の心を傷つけることはできなかった。 それでなくとも、少女は十分に傷ついていたのだから。 やがて少女が幻想から覚める時がくるのだとわかっていても。 いつか彼女に本当のナイトが現れる事を祈りながら。 (すまんな、アスカ。俺は君の恋人にはなれないんだ) (もう心に誓った女性がいるから) (まだ忘れられない女性がいるから) (俺は君の父親にもなれない) (お父さんが、君は怖いだけなんだ) (家族として心を触れ合わせる事が) (父親から逃げてばかりじゃだめなんだ) (自分から一歩を踏み出さないと、何も変わらないんだぞ、アスカ) (その時まで、優しい兄貴を演じることならできる) (せめて、君の心を支える手助けをさせてくれ) (君が変われる、その日が来るまで) (父親、か) (そういえば...) 今は女の心が、少し、少しだけわかったような気がした。 (言っちまったな、葛城に) 『おれは君の親父なんかじゃない!』 (あれはあの少し前のことだったっけ) (彼女の事はわかっていた筈なのに) (いや、ちがうな。わかった気がしていただけか) (そういう自分自身だって怪しいものだしな) (あの頃のおれに、こんな生活なんて想像もできなかったろうな) (所詮、人を100%理解するのは不可能だということさ) (だからおもしろいのかな、人生って奴は) 1年後、日本に15年ぶりに使徒が現われた。 そして人類補完計画、シナリオは動きだした。 少女は日本に呼び出された。 赤い巨人、エヴァンゲリオン弐号機と共に。 男も日本に帰ってきた。 最初の人間、アダムのコア細胞と共に。 少女の護衛。公式の命令は国連から出されていた。 ゼーレの指示に従って。ネルフの要請に基づいて。 まだ両者の蜜月の時は続いていた。 そして二人は船上で3度目の再会を果たした。 男は女を見守り続けた。 時に優しく、時に強引に、女の心を溶かしはじめた。 女は男に気が付いていた。 だがそれに素直に従うことはできなかった。 甘えることを許さないプライド。 男にアメリカで無視された時に感じた怒り。 男が他の女と話している時の心のざわめき。 かつて逃げ出した時に負った心の傷。 整理しきれぬ父への思いと、男への想い。 色々な感情が彼女の心の中で交錯していた。 ある夜、それらが一気に爆発した。 たしかに、酒のせいであったかもしれない。 でも女は知っていた。 いつかはこうなるであろう事を。 自分をさらけ出さねばならない事を。 女は男に話しはじめた。 自分の心を。 自分の弱さを。 自分が逃げたものを。 そして自分を責めはじめた。 その時、 男は、女の言葉を止める手段を一つしか持っていなかった。 二人は、欠けていたものを取り戻した。 「やあ、二日酔いの調子はどうだ?」 「おかげでやっと醒めたわ」 「そりゃ良かった」 「これがあなたの本当の仕事?それともアルバイトかしら」 「どっちかな」 「特務機関ネルフの特殊監査部所属、加持リョウジ。 そして同時に日本政府内務省調査部所属、加持リョウジでもある訳ね」 「バレバレか」 「ネルフを甘く見ないで」 「ただ、司令やリッちゃんも君に隠し事をしている。それが、これさ」 「たしかに、ネルフは私が考えているほど甘くないわね」 (碇司令。リツコ。何をあなた達は隠しているの) (エヴァ。それに人類補完計画。私達の知らない何がそこにあるというの) 「リツコは今頃、いやらしい女だって軽蔑してるわね、きっと」 「情欲に溺れている方が人間としてリアルだ。少しは欺けるさ」 「うちの諜報部を?それとも碇司令やリツコ?それともわたし?」 「いや、自分を」 「他人を、でしょ。アナタ他人の事には興味がないもの。 そのくせ淋しがる。ほんとお父さんと同じね」 「で、人類補完計画。どこまで進んでいるの? 人を滅ぼすアダム。何故地下に保護されているの?」 「それが知りたくて、俺と会ってる?」 「それもあるわ。正直ね」 「ご婦人に利用されるのも光栄の至りだが、こんな所じゃしゃべれないよ」 「今は私の希望が伝わればいいの。ネルフ、そして碇司令の本当の目的は何?」 「こっちが知りたいさ」 「やだ、こんな時に。何?」 「プレゼントさ。8年ぶりの。これが最後かも知れないがな」 ついにネルフとゼーレの決裂の日がやってきた。 「君か」 「ご無沙汰です。外の見張りにはしばらく眠ってもらいました」 「この行動は君の命取りになるぞ」 「真実に近づきたいだけなんです。僕の中のね」
(どこかから、マギにハッキングが仕掛けられている) (明らかに、内部の者の犯行だ。まさか、彼か?) それに気がついたのは発令所に今いる中で彼一人だった。 普通なら彼と同じくらい早くに気が付いてもおかしくない女性は、半分失敗に終わったサルベージ計画の後始末にきりきり舞している。完全な成功では無いとはいえ、そこからは膨大なデータが新たに得られていた。 (終わったか。逆探は?そうか、不成功か。さすがだね) もう一人のオペレーターは、のんびりと漫画を読んでいた。 (なんだ、今度は。無線?いや、携帯か。彼にしては不用心だな) (「見つけしだい殺せ」という命令がでている事を知らない筈はあるまい) (相手は、と。この番号は、葛城三佐の自宅か) (これで決まりだな。あとは、発信源の探知は、と。成功?バカな) (ケイジの第4排気ダクト、か。なんでこんな所にいるんですか) (まるで殺して下さい、と言ってるようなもんですよ) (どうする?) 彼は少し迷った後、すぐに心を決める。それは訓練された男の決断だった。 (お願いです。俺が行く前に逃げていて下さいよ) だが、彼の願望はすぐに裏切られた。 「よう、遅かったじゃないか」 彼は、無言でその男を見返した。銃を片手に持ちながら。 (なぜいつまでもこんな所にいたんです?さっさと逃げれば良かったのに) (なぜ武器を持っていないんです?俺を撃って逃げないんですか?) (加持さん。俺はあなたを尊敬してました。撃ちたくないんです) 彼の無言の問いかけに、男は笑みを浮かべて見つめ返した。 (さあ、撃ちたまえ。それが君の仕事だろう) (最後の仕事も今終わった。やり残した事はない) (ミサト、許してくれ。結局、あの言葉は言えなかったな) (リッちゃん、後は頼んだよ) ズキューン。 拳銃の音が鳴り響いた。 「ああ、すべて片付いた。あとで誰か始末によこしてくれ」 (許して下さい、加持さん) 彼は後ろを向いて、振り向きもせずその場を後にした。 長い通路を泣きながら歩いていった。 声もたてず、涙も流さず。 発令所に戻った時、もう普段の彼に戻っていた。 「どこに行ってたんだよ」 「あ、ああ。ちょっとトイレにな」 「随分と長かったじゃないか」 「そうか?いいだろ、別に」 「そんなこと言って、ナンパでもしてたんだろ」 「おい、声が大きい。マヤちゃんに聞こえちゃうよ」 「で、どうだったんだ?」 「だめだったよ」 「おや、めずらしい。じゃあ今夜は一人か。どうだ、一杯やってくか?」 「いや、いい。やめとくよ。今日は一人で飲みたい気分なんだ」 「そうか。ま、いいけどね」 「ああ、また今度、お願いするよ」
「鳴らない電話を気にして苛つくのは、もうやめるわ。 あなたの心、受け取ったもの」 (外伝2、了) |