「なあ、シゲル。聞いたか」 「何を?」 「新しいオペレータがくるんだってさ、4月から」 「ああ、その話か。聞いてるよ」 「どんなやつかな。MAGIの管制をするんだろ。女の子かな」 「ああ。そうらしいよ」 「そうか。うっはー。可愛い子だといいな。 赤木博士も美人なんだけどさ、キツメじゃないか。 近寄り難いところがあるからな。 どんな子かな? これから毎日一緒に仕事をするんだろ。 やっぱ、可愛い子を期待しちゃうよな〜」 「あ、ああ。 ま、結構かわいい子だよ。いい線いってる。 写真もあるぞ、ほら」 「お、さっすがー。 へー、なかなか可愛いじゃん。 しかしお前、いったいどこからこんなもの手に入れるんだ?」 「それは企業秘密ってやつさ。先んずれば人を制すってね。 なんなら、趣味、特技、その他プロフィール一覧もつけようか?」 「あ、欲しい。くれくれ」 「5千円でどうだ」 「なんだよ、けち。友達だろ。ただにしとけよ」 「悪いが元手もそれなりにかかるんでね。 それにこの件では友達というよりライバルだしな」 「まいったな。お前も狙ってるのか」 「当然だろ。今年の入所組ではNo.1だからな」 「えーと、名前は、と。伊吹マヤ。マヤちゃんか。 どっちが落とすか競争だな」 「ま、お前が俺に勝てるとは思えんけどな」 日向マコト。青葉シゲル。 2年前の同期入所である。 高校時代、二人は仲の良い友人であった。 優等生タイプのボンボンとスポーツ万能の軟派学生の間に友情など滅多なことでは成立しそうに無いものだが、この場合はそれがあり得た。それは二人が遭遇したある事件がきっかけだった。 それまでは、同じ学年にこんな奴もいたな、という程度にしかお互いに思っていなかったのだが、事件の解決に協力していく間に深く知り合うようになった。青葉シゲルの情報力と日向マコトの行動力のコンビネーションは絶妙だった。 それ以降、二人は親友とも呼べる存在になった。 高校卒業後の進路は、別々だった。 マコトは地元の国立大学へ、シゲルは第2東京の私立大学へ、それぞれ進学した。 青葉シゲル。大学での彼の専攻は政治学。成績はトータルでBマイナスと言うところ。まあ、普通の私立大学の普通の大学生、といった印象が適当だろう。が、ゼミで彼が発言する時はその状勢分析は常に的確でセンスを感じさせた。 各地の大学を回っていたスカウトに教授が彼を推薦したことでネルフへの採用が決まった。戦略・戦術シミュレーションで彼が示した卓越した分析能力が買われ、基礎訓練課程を1年間北海道でみっちりこなした後に、情報部情報分析課に配属された。半年後、彼の書いた分析報告が副司令の目に留まり、発令所に出向が決まった。 情報分析担当オペレーター。 そこで、彼は旧友との思わぬ再会を果たした。 ネルフは、一般の人間が希望してもそうたやすくは入れない組織である。日向マコトはその狭き門を突破した数少ない一般採用出身の幹部であった。 国際公務員資格試験、国連上級職採用試験などで優秀な成績を納め、最終関門である幹部面接を見事にこなしてネルフに採用が決まった。後日、どうしてそんなにまでしてネルフに入ったのか、と友人に聞かれてこう答えたという。 「だって、かっこいいじゃん、そういうの。 地球の未来を守る為の組織でしょ、ネルフってさ」 彼は、漫画やアニメで活躍するヒーローに小さい頃から憧れていた。 やはり彼も基礎訓練を一年間受けたが、場所は阿蘇だった。昨年、司令部作戦課所属主任オペレータとして配属された。直属の上司、すなわち作戦課長の座はまだ決まっていない。今の所、冬月副司令が唯一の上司である。 半年程の間、司令部は彼ら2人と、副司令、赤木博士の4人で運営された。 その間、一度たりとも実戦はなく、 訓練とメンテナンスの日々が続いていた。 そして、4月。 3人目のオペレーターはやってきた。 4月1日、朝9時、始業時間直前。 真新しい制服を着たその娘はやってきた。 「こんにちわー」 「え、こ、こんにちわ」 「あ、ああ。こんにちわ」 「伊吹マヤと言います。今度、こちらに配属が決まりました。 ふつつか者ですが、ヨロシクおねがいしまーす」 「あ、いえ、こちらこそ」 「あ、どうも。青葉シゲルです。ヨロシク」 「あ、ああ。僕は日向マコト。ヨロシクね」 「青葉さんに日向さんですね。 あのー、ところで私の席は〜?」 「あ、ああ。たぶんここになると思うけど...」 おもむろに持っていたバックから座布団を取り出す。 「ここですね。うわー。発令所ってかっこいいですねー。 なんか宇宙戦艦のブリッジみたいですねー」 「あ、ああ。あのー、伊吹さん?」 「あ、何でしょうか。あ、それと伊吹じゃなくってマヤって呼んで下さい」 「あ、それじゃあ、マヤちゃん。今、9時過ぎたとこなんだけど、 新所員は全員司令室に集合する筈じゃあ...」 「えー。そうなんですかー」 「そうだよ、マヤちゃん。こんな所で油を売っている場合じゃないよ。 司令も赤木博士も怒らせると怖いからね」 そこに入ってきたのは白衣の女性。 「あら、怖いってどういうことかしら。説明してくれる?日向君」 「う、うあっ。あ、赤木博士」 「おはようございます、赤木博士」 「おはようございます、先輩」 「おはよう、青葉君。おはよう、マヤ」 「あのー、先輩。私、司令室に集合なんて聞いていないんですけど、 行かないといけないんでしょうか」 「ああ、アナタはいいのよ、マヤ。 司令は前に紹介したでしょ。 その時に辞令も渡した筈よ。 日向君、青葉君。改めて紹介するわね。 今度新しく技術部に入った、伊吹マヤさん。 あなた達と同じ、2尉よ」 「えっ、2尉って、ひょっとして、私も軍人さんだったのですか?」 「そうよ、マヤ。あなた、もしかして知らなかったの?」 伊吹マヤ。この3月に第二東京大学の修士課程を修了したばかり。 工学部電子情報学科でサイバネティックスを専攻する天才少女の評判を聞きつけた赤木博士自らが第2東京に飛んで、即採用が決定した。博士課程進学を考えていたマヤだったが、この話を断ろうはずがない。赤木リツコという名前にはそれだけの重みがあった。大学時代に数々の伝説を残し卒業していった天才科学者であり、マヤにとっては憧れと尊敬の対象かつ、科学者としての一大目標でもあった。 技術部長、実質的なネルフNo.3の御墨付きとあって、他の新規採用者とは扱いも異なっていた。一般的な事前研修のたぐいは一切無かった。何回かネルフを訪れていたが、常に赤木博士が付き添った。まさにVIP待遇だった。 「迂闊だったわね。確かに公式資料にはそんな事、書いてやしないわね」 何しろ、ネルフと言えば国連の秘密特務機関である。『ようこそネルフ江』などと言うふざけたパンフは、存在していない。ふざけた作戦部長が赴任してくる前の、この時点では。 「だけどマヤ。今までホントに気付かなかったの?」 「え、ええ。確かに軍人風の人が妙に多いな、とは...。 それに制服も言われて見れば軍隊風だし...。 でも、先輩は制服着てないですし、そんな話、一度も...」 「じゃあ、やめる?マヤ。今ならまだ間に合うわよ」 「いえ、そんなことは言ってません。 ここにいれば、先輩と一緒に研究できるわけだし。 それに軍隊と言っても、今更戦争なんかおきたりしませんよね」 どこまでも明るいマヤに、リツコは返事をはぐらかした。 「さあ、どうかしら。保証はしかねるわね。 何が起こるかわからないのが世の常だから」 「大丈夫だよ。ネルフの目的は、人類の平和を守ることだからね。 セカンドインパクトを引き起こした『使徒』と呼ばれる物を倒す。 俺達はそのために...」 「えっ、使徒って。それにセカンドインパクトは南極の隕石が...」 「日向君!あなた、ちょっと口が軽すぎるわよ。 まあ、マヤはいずれ全てを知る立場になるわけだから今回は構わないけど。 でも、少し考えてから、話すなり行動するなりした方が身のためよ。 マヤ、そのあたりの話はおいおい教えてあげるわ。それでいいわね」 「はい。でも...」 今聞いた初めての情報が、マヤはちょっとだけ引っかかった。 リツコはそれを聞き咎めた。 「イヤ?言っておくけど、これが最後のチャンスよ。 すべてを聞いてしまってからでは、後には引けないわ」 「いえ、私は先輩を信じてますから。どこまでもついて行きます」 「信じるのはアナタの勝手だけど...」 ある程度、裏を知っているリツコはそれ以上言えずに、言葉を濁した。 「まあ、それでもいいか...」 一応、これでマヤの意志は再確認する事ができたわけだし、 優秀な人材は一人でも多く欲しいと言うのも正直な所だった。 「ところで、赤木博士。 新規採用者は全員、基礎訓練を受ける規則だったと記憶しておりますが...」 青葉が問う。実際、彼は旭川に、日向は阿蘇に行って1年間鍛えられた。 「ああ、そう言えば、そんな規則もあったわね。 私もここが軍隊だなんてすっかり忘れていたから...」 「いきなり配属という事ですと、彼女の基礎訓練は無し、ですか?」 「そう簡単には行かないでしょうね。 形式だけでも整えておかないと」 フッとため息をつく。 「何だかんだいっても、ネルフも一応お役所ですからね。 でもそんな物に一年も時間を取られたくはないわね。どうしようかしら」 しばし、目をつむって思案するリツコ。 「そうだわ」 「なんでしょう、先輩」 「確か、特例があったわよね、新規配属時の訓練に関しては。 試験をパスすれば訓練課程は免除される筈よ」 「特例、ですか?」 マヤが聞き返す。 青葉や日向も、そういう規則があったことは思い出した。 「ですがそれは、軍隊経験のある中途採用組のためのもので...」 「そうですよ。保安部要員なんかの、各国のエリート部隊から引き抜いてきた、 いわば精鋭達を対象にして...」 だが、リツコは聞く耳も持たない。 「筆記試験はいいわね。マヤなら半日もあれば解答を丸暗記できるわ。 口頭試問も私が担当すれば問題は全く無いわね。 問題は実技試験の方ね。 日向君。銃器の扱い方を仕事の合間に簡単に指導してくれるかしら」 「いいんですか、僕なんかの指導で? 僕にできるのはせいぜい銃の構え方とか弾の交換の仕方程度ですから、 実戦で使えるような本格的指導はできませんよ」 「あら、いいのよ。実戦なんて考えたくも無いわ。 発令所勤務で銃を使うなんてよっぽどの事、 そんな事態になるのなら、ネルフももうお終いよ」 「まあ、それはそうですが。でも、それじゃあ実技試験も通りませんよ」 「マヤはね、こういう事にまるで向いてないの。 採用に当たって、過去の経歴は全て調べましたからね。 いわゆる運痴ってヤツかしら。 時間をかけて教えてもらっても、試験を通るわけはないわ。 基礎訓練過程にしたって、無事クリアできるか怪しいものよ」 本人の前で、ズケズケと言う。 「ただね、定期的に銃技の訓練とかはあるわけでしょ。 その時、何も知りませんじゃあすまされないのよ。 これは、いわばアリバイ工作ね」 「わかりました。引き受けます。でもそれじゃあ、実技試験は...」 「だから、頼んだわよ、青葉君」 「はあ、それってまさか...」 「そう、そういうこと。 大丈夫。アナタの成績なら、充分通用するわ」 「はあ....」 と言うわけで、長髪がこんなところで災いした彼は、女装して一週間の特別教程を受けるはめになった。化粧をして出す所を出せば、確かに長身な女性に見えなくもない、か。書類や顔写真などはMAGIを操作してうまくごまかした。 試験は順調にクリアされていった。 唯一誤算だったのは、最終課題。障害コースのタイムトライアル。 司令と副司令が直々に、国連軍のお偉いさんを連れ視察にきた。 さすがの赤木博士も、この日程をずらせる程の権限は持っていなかった。 「ほう、これがネルフの訓練施設ですか。 我々のところと変わりありませんな」 「当然です。ネルフも軍ですから。使徒と戦うための」 「ほっ、ほう。ま、その使徒が一向に出てこないようですな。 いい加減、飽きてくるんじゃないですかな、あなたたちも」 「使徒が再び現われなければそれに越したことはありませんよ。 ネルフは万が一のための保険のようなものです」 「ほう、保険ですか。 しかし、近頃の保険料の値上がりにはまいりますなー」 「そうですなー。はははははは」 (く、この。国連軍の役立たず共が。貴様らこそ自分達の存在意義を理解してるのか? 国民の税金を使って何をしてるというんだ、お前達は) (まあ、そう言うな、冬月。言いたい奴には言わせておけばいい) 「お、あそこで誰か、何かやっていますな」 「おお、そうだ。あれは女性かな。あの制服は女性士官のものだろう。 ネルフはあんな女性にまで銃を持たせているのかね」 「それに、髪が随分長いようだがいざという時に支障はないのかね」 「は、はあ。おい、今日の訓練はどうなっている?」 「はい、今は技術部の伊吹2尉の特別試験を行っています」 「皆さん、お聞きの通りです。 あの女性は技術部ですので、普段、銃を持つ事は有り得ません。 ただ、万が一の場合に備えて訓練をしているわけです」 「おい、だれか。双眼鏡を貸してくれ。 ネルフの女性士官は美人ばかりと聞いてるからな。 これは司令の趣味ですかな?」 「ほおー。遠くてはっきりはわからないが、中々の美人のようですなあ。 訓練が終わったら、是非近くで見て見たいものだ」 「そうですな。現場士官の声を聞く、ということで名目も立ちますな。 どうです、碇司令。そのように取り計らって頂けますか?」 「問題ありません。では、そのように」 そのとき、同じく双眼鏡を受取り、何気なく覗いた冬月は気付いた。 (はう!) 一瞬だが、頭はパニックになる。 (おい、碇。まずい) (どうした、冬月。落ち着け) (まずいんだ、碇。あれはやばい) (どうしたんだ。いったい何がまずいんだ) (あ、あれは、伊吹君ではない) (そうか。だからどうした。書類を間違えたんだろう) (いや、あ、あれは、青葉だ。伊吹君ではなく青葉だ) (そうか、青葉というのか。よく名前を知ってるな。 さすが冬月。ネルフの女性職員は全員チェック済みか) (バカな。そんなことする訳ないだろう) (すまない。冗談だ) (お前でも冗談を言うことがあるのか。だが、そのセンスはいただけないな。 あ、いや。そんな事を言っている場合じゃない。 あれは、男だ。青葉は男だ) (何!だが、あの制服は女のものだぞ) (だからまずい。青葉が女装しているんだ) (何だと、どういうことだ) (理由など私が知るか! だが、とにかくこれがばれたらまずい。どうする、碇) (わかった、冬月。後はまかせた) (はう。どこに行くんだ、碇。待て) (ダメだ。レイが呼んでいる) (おい、何を言っている。おい、待て、碇) その頃、青葉は、 「ふー、よっこらしょっと。 しかし、何で俺がこんな目に。 こんなパットなんか邪魔で邪魔でしょうがないな。 まったく。 どっこいしょっと。 マヤちゃんのためでなかったら、こんなことするもんか。 マヤちゃーん、もうすぐだから、待っててねー」 「あっ」 どぼん。と音をたてて、水の溜まった塹壕に落ちる。 「くっそー。 いけね、パットがずれちゃったよ。 まあいいか、だれも見てないし」 (いかん) 「さあ、それでは皆さん、次の場所に移動しましょう」 あわてて皆を誘導する冬月。 幸い、誰も気付かなかったようだ。 (おい) 小声で近くの下士官を呼ぶ。 (技術部の赤木博士に至急連絡を。 髪の長い女性職員に士官の格好をさせて待機させるように。 それと、髪をあらかじめ濡らしておくように。 まるで塹壕にはまって抜け出た様に見えるようにな) 下士官は訳もわからず役目を果たした。 幸いにして、赤木博士はすぐに意味を理解した。 かろうじて、失態を演じることだけはまぬがれた。 後で赤木博士を筆頭に、青葉、日向、伊吹の4名が 冬月副司令直々にお小言をくらったのは言うまでもないだろう。 「まったく、あやうく恥をかく所だった」 ネルフの職員には、月に5時間以上射撃訓練を行なうことが義務づけられている。 そして毎週一枚ずつ、練習用の直径50cmある標的が配布される。 だからマヤも定期的に訓練場に通っていた。 マヤに銃火器の扱い方をコーチした日向マコトは、彼女の射撃の腕前に関しては、黙して何も語らなかった。 マヤの部屋には、穴の空いていない丸い板が大量に積み重ねられていると言う。 「不様ね」 最初の2ヶ月は、彼らの仕事もそんなに忙しくなかった。 仕事と言っても、敵がいない以上、日向も青葉もすることがない。マヤも忙しいのは零号機の起動試験の日だけである。が、かろうじてシンクロする程度では得られるデータは多くはなかった。かくいう訳で、マヤもほとんどの日は定時に仕事を終えることができた。 伊吹マヤ、芳紀24才、独身。 美人揃いと言われるネルフ女性スタッフの中でも一際目立っていた。たちまちのうちに男性スタッフのアイドルに昇り詰めていた。独身のスタッフがたいした用でも無いのに頻繁に発令所に顔を出すようになった。大抵は赤木博士と一緒にいるから気軽に声を掛けたりはできなかったが。 青葉と日向は、同じ発令所を仕事場としているため、毎日顔を会わせている。 ここで、マヤを他の部署の男に落とされでもしたら、メンツが立たない。 機会があるごとに、青葉も日向も盛んにアプローチを続けていた。 青葉は自分の行きつけのライブハウスに誘ってみた。 「ごめんなさい。青葉さんの趣味をとやかく言うつもりはないんですが、 私、あまり騒がしいのはちょっと...」 日向は懐かしのアニメ映画に誘って玉砕した。 「ごめんなさい。日向さんの趣味をとやかく言うつもりはないんですが、 私、こういうのはちょっと...」 (そう言えば、彼女、カラオケが好きだとか言ってたな) <−日向 「ねえ、マヤちゃん。今晩どう、カラオケ行かない?」 「あ、いいですね。行きます」 (よしよし、ラッキー) 「ねえ、先輩。先輩もどうですか?」 「そうね。たまにはいいかしら」 (えっ。そ、そんな〜) 「あ、副司令。副司令も一緒にいかがです?」 (うわー。やめてくれよー、もう) 「ああ、カラオケかね。私のような年寄りが若い者に混じってもいいのかね」 「あら、副司令。まだお若いですわ」 「そうですよ。副司令。行きましょう」 誘われた冬月副司令も口で言うほど嫌そうではない。 かくして、2人で仲良くカラオケボックスに行くもくろみは破れ、いつのまにか、ネルフカラオケ大会と化すのであった。まあ、碇司令を誘わないのが、せめてもの救いと言えなくもないが。 (甘いな。カラオケは大勢で歌う方が楽しいんだよ。 彼女ならみんなを誘うだろうと、予測できるさ、マコト。 やはり、デートの王道といえば、映画。これに決まりだよ) (お、俺だって映画には誘ったよ。でも、断られたぞ) (バカ。アニメに誘ってどうする。恋愛物に決まってるだろ。 熱いラブシーンが二人の心に愛の灯火を点けるのさ) 「どう、マヤちゃん。明日、午後は非番だろ。映画、見に行かない?」 「えー。何の映画ですか?」 「昨日封切りした『時が、走り出す』ってやつ。 マヤちゃん好きでしょ、こういうの。ちょうどチケットが二枚手に入ったんだ」 「あー、それ、前から見たかったんです」 (よーし。今度はうまくいったぞ) 見え見えの下心をなんとか隠して、映画に一緒に行くことは成功した。 だが....。 「ヒック、ヒック。か、かわいそう。グスッ」 物語に過剰に感情移入して、途中から泣き出してしまうマヤ。 上映が終わっても、マヤは腰を上げようとはしない。 青葉が「どうしたの?」と尋ねると、 「とっても良かった。もう一度」 結局、映画館が閉まるまで、三回も同じ映画をマヤは見続けた。 (しょうがないな。食事もホテルもキャンセルだな、今日は。 せっかく湖畔の眺めのいいホテルのディナーを予約してあったのに) 食事は休憩中に青葉が軽食を買ってきて座席で食べた。 帰りも家まで送ってハイサヨウナラ、である。 マヤは帰路の間中、映画の世界にどっぷりとはまり込んでいて、 さすがの青葉も打つ手が無かった。 (うん。あれは話が感動的過ぎたから失敗したんだ。 もっとハッピーエンドなやつにしとけば良かったんだな。 今度は『これから始まる....第一部』で再トライだ。 封切りは、っと。来月だな。よし今度こそ) そんなこんなで最初の2ヶ月があっという間に過ぎていった。 だが、誰もマヤを落とすことはできなかった。 そのうちに、日向マコトは脱落した。 いや、転んだ。 新任の上司に。 その名を、葛城ミサト、と言う。 その新任の作戦課長は、さっそうと発令所に現われた。 始業時刻を2時間も遅刻して。 保安部の者の道案内付きで。 「まったく、ネルフはじまって以来だわね。 こんな簡単な道を迷うなんて」 「へ、へーん。メンゴ、メンゴ。 ちょっと変なのよ、ここ。ずーっと地下深くにあるんでしょ。 アタシ昔っから地下鉄って苦手でさー。 お日さまが出てないと方向感覚がなくなるのよねー」 「そういう問題?」 まあ、その辺は人にもよるのかもしれないが。 「で、アレが、そうなの」 「そう、見たのね、アレを。 その通りよ。人造人間エヴァンゲリオン初号機。 人が造り出した究極の汎用人型決戦兵器、そのプロトタイプ。 人類の最後の切り札よ」
「そう。で、パイロットの方は?」 「ここには今、一人しかいないわ。 綾波レイ。マルドゥックが選びだしたファーストチルドレン」 「いつ紹介してくれるの、彼女に」 「そのうちね。今、彼女は入院中よ」 「ちょ、ちょっと、リツコ。入院って何? それじゃ、今、使徒が現われたらどうすんの?」 「そうね。どうしようも無いわね。 だから今、サードチルドレンを呼ぼうと考えている所よ」 「え、サードって?セカンドは?」 「あなたも知っている筈よ。彼女は今、ドイツにいるわ。 エヴァ弐号機とともにね」 「そうだったわね。惣流アスカ・ラングレー。 彼女が弐号機の専属パイロットだったわね」 ドイツ・ネルフにもいた事があるミサトは、もちろんアスカを知っていた。 「たぶん、彼女もじきにこちらに呼ぶ事になると思うわ。 でもその前に、彼が先ね」 「彼?男の子なの?」 「そう、碇シンジ。14才よ」 「碇って、司令の関係者?」 「息子さんよ。訳あって、今は別居中だけど」 「まあいいわ。じゃ、急いで呼ぶ事ね。 訓練だって必要なんでしょ。 それにパイロットを見なくちゃ、作戦も立てようがないわ」 「ええ。迎えには、あなたに行ってもらうけど、いい?」 「いいわ。どんな子か、一刻も早く掴んどきたいからね」 かくして、それから一週間としない内に、少年はやってきた。 その日、時を同じくして、第3新東京市に使徒が現われた。 「15年ぶりか」 「ああ、間違いない。使徒だ」 ネルフの初仕事がこうして始められた。 いざ、実戦が始まってみると、彼ら3人のオペレーターに遊んでいる時間はほとんどなかった。はっきり言って、家に帰っている暇もないくらいの日々が続いた。 彼らネルフのオペレータには土曜、日曜というものはない。当直を、彼ら3人と、それに6人の副オペレーターが交互に行なう。彼らの休日は当直表に従って決められる。ただし何かことがある時には、彼ら3人が必ず担当する。だから正オペレータの彼らが確実に休みをとれる保証はない。 使徒は彼らの当直勤務表などお構い無しにやってくる。だから常に居場所は明確にしておく必要が有り、非常時にすぐに発令所に行ける態勢が要求された。暗黙のうちに。 その上、当直時間外には本来の職務もこなさなければならない。日向マコトは作戦立案、青葉シゲルは情報分析。マヤに至っては、赤木博士の助手というハードワークが待っていた。 彼らの仕事量は第3、第4の使徒が現れて以来、増加の一途をたどった。 むしろ、平穏無事な当直時間の方が、彼らにとって束の間の休息だった。 オペレーター3人衆はネルフの官舎に住んでいる。 青葉と日向は1DK。部屋は隣り合っている。マヤは別棟(女性棟)の1LDK。 ネルフは職員の待遇がなかなか良いのである。1部屋といっても12畳はある大きな部屋だ。 その日の夜直は日向マコトだった。 上司である葛城ミサトも未消化の始末書のおかげで泊りこみ。 午前直は青葉シゲルである。 早朝、家をでるとばったりマヤと鉢合わせした。 「あれ、マヤちゃん。今日は早いねえ」 「あ、おはようございます、青葉さん」 「ええ、今日は第二次稼働延長試験をやるんです。 ちょっと時間がかかりそうだから早く準備をはじめましょう、って先輩が。 それに、その前に洗濯物を...」 「あ、俺も洗濯物あるんだ。 そこのランドリーでいいんだろ。一緒に行こうよ」 (ラッキー。よし、今度こそ...) と、一瞬青葉は思ったが、出勤途中に寄ったランドリーで赤木博士と鉢合わせ。 (ちっ。ついていないぜ) と思いつつも、表情はつとめて明るく、 「おはようございます、赤木博士」 「先輩、おはようございます」 「あら、青葉君。それにマヤも。一緒にご出勤?仲が良いわね」 「はは、そこで偶然会ったんですよ」 (ナイスです、赤木博士。さてマヤちゃんはどう反応するかな?) 「あら、先輩。からかわないでください」 (うーん。難しいな。けど脈がまったく無いわけでもないか) 「マヤ、青葉君には気をつけた方がいいわよ。 彼、ネルフ随一の女ったらしなんだから」 「はは、そんなことナイっすよ。加持さんがいるじゃないですか」 (それに司令も。おっと、これは口にはできないな) 「あら、ご謙遜ね。こないだも夜直のときにラウンジで...」 「ちょ、ちょっと。赤木博士...」 (見られてたのか。まずい) 「そうなんですか、先輩」 (いかん。口説くどころじゃなくなってきた) 「ほら、洗濯、洗濯。急がないと実験に遅れますよ」 女性の洗濯物を覗くことはできないから気を使って、自分の分を手早くセットするとすぐに表に出た。そして、缶コーヒーを飲んで二人を待つ。二人が終わった頃を見計らって自分のを取りに入る。 「これじゃ、毎回のクリーニング台もばかにならないわね」 「せめて、自分でお洗濯できる時間ぐらい欲しいですね」 「うちに帰れるだけ、まだマシっすよ」 さりげなく、また会話に加わる。ほんとにこういう所、ソツのない男である。 その頃、日向マコトはというと、もうすこしで夜直が開けるところだった。後は青葉達が来るのをまって、引き継ぎをすませればOKである。明日の朝まで仕事はない。 よし、ミサトさんを朝飯に、と考えたちょうどその時、向こうの方からやってきた。 「はーい、日向君。おっはよー。 あのさ、ちょっち頼みがあるんだけど、いいかな?」 (この言い方は、あまりいい話じゃないな) とは思いながら、ついつい良い返事をしてしまうのは彼の性(さが)か。 「なんですか、葛城一尉。僕にできることでしたら...」 「あのさあ、あとでうちに寄って、洗濯物を持ってきてくれない? 今日もちょっち帰れそうになくってね。 シンちゃんには電話しておいたから、全部まとめておいてくれるって」 「わかりました。持ってくるのは午後でもいいですね」 「悪いわね、日向君」 (いいですよ、あなたのためなら) 最後の言葉を口にする勇気はまだ彼にはなかった。 結局、マコトはミサトのマンションまで着替えを取りに行かされた。 「ほんっとずぼらな人だなー、葛城さんも。 自分の洗濯物ぐらい自分で取りに行きゃいいのに」 すでに日向マコト、下僕と化している。 ぶつぶつ文句は言うものの、上司の命令には絶対服従。 ちなみに、まだ加持とミサトの本当の関係を彼は知らない。 けなげにも、ミサトの「何よ、あーんな奴」発言を信じている。 この日、彼は運命の出会いをした。 これもミサトのおかげと言えるのかもしれない。 「こちらは第三管区航空自衛隊です。 ただいま正体不明の物体が本地点に対し移動中です。 住民の皆様はすみやかに指定のシェルターに......」 「はあぁ。やばい。急いで本部に知らせなきゃ。 あ、ああ。でも、どうやって」 「こういった非常事態にも動じない、 だかはし、だかはしノゾクをよろしくお願い致します」 「ああ、ラッキー!」 車の前に両手を広げて彼は飛びだした。 「おい、なんだ。危ないじゃないか」 「俺はネルフの士官だ。非常事態につき、この車を徴発する」 「なにぃ?」 「いいから早くのせてくれ」 「わ、わかった。ほら」 ガチャ。ドアがあく。 「悪い、ちょっと詰めてくれ」 「きゃー。エッチ。どこ触ってるの」 「あ、ごめん。何せ非常時だからな。ほら、ちょっとマイク、マイク」 「私はどこに向かって走らせればいいんですか?」 「ああ、取り敢えず3号線を東に向かって。 後はこっちで指示するよ。 目的地はネルフ本部だ」 「でもいいんですか、民間人ですよ、私等は」 「いいんだよ。何せ、非常時だからな」 「当管区内における非常事態宣言発令に伴い、緊急車両が通ります、って、 あのー、行き止まりですよー」 「いいから突っ込めー。 何せ、非常時だからな」 「了解ー」 「イヤー。もう止めてー」 もうご存じかもしれないが、このときの女性こそ、大隅エミ。 後に日向マコトと結婚する事になる女性である。 後日、彼の第一印象を聞かれた時、 「さあ、何せ非常時でしたからね(笑)。 あの時はちょっと強引な人だなーって感じでした。 でも、後でわざわざ謝りに来てくれて、 実は優しい人なんだなってわかったんです」 と答えている。 ミサトが加持とよりを戻した頃に、三回ほどデートをした。 当時はただそれだけの関係だった。 日向はまだミサトに未練をたっぷり残していたし、 エミにとっても日向はまだ大勢の男友達の中の一人に過ぎなかった。 しばらくしてエミは第三新東京を去っていった。 ネルフの非常事態宣言A−00に基づき、市民が強制疎開した時に。 彼女の一家は親類を頼り、第二東京に戦火を逃れた。 彼らの再会は、およそ1年後になる。 まだ、この頃は幸せだった。彼らも、少年たちも。 日々、戦いとテストのくり返しで忙しかったが、彼らは笑うことができた。 心の中にそれだけの余裕があった。 これは、そんな頃の、彼らの出会いのエピソード。 大人になり始めた彼らの最後の青春の時。 (外伝5に続く) |