こおろぎ chapter 5

こおろぎ

by しのぱ


第伍章

真司は居間のソファに寝そべりテレビを見るとも無く、眺めていた。
窓には遮光性の厚手のカーテンがかかっている。家具・調度は、殆どすべて明日香の
趣味だ。蛍光燈を避け、全体に暖色系の照明をあちこちに分散して配置している為、
この部屋は、落ち着いた暖かな雰囲気に仕上がっている。
確かに明日香が自画自賛するだけあって、こんな気分の時に、この部屋の雰囲気は有
り難かった。
午後7時。今日は明日香の帰りは9時頃になる筈だった。食事は食べてくるので、何
もする必要は無かった。

昼間の玲からの電話を想い返していた。
会社の帰りに足を伸ばせば見舞いに行けたかもしれない。
まだ7時だ。こんなことなら明日香が帰る頃には戻れただろう。
気後れしているのだ。
だから真司は見舞うのを明日以降と決め込んでしまった。
行かなければ、それだけ悪い事態も引き延ばされる、そんな子供じみた考えに縋りた
くなっていた。

『・・・続いて、N証券の利益供与疑惑に関して、今日午後、当時の担当課長が中橋
代議士への利益供与の事実をほぼ認める供述を行ったことを地検特捜部が明らかに
致しました。問題の元課長は現在、病気療養中の為、氏名初め一切は非公開とされて
いますが、これにより今回の事件は・・・』

テレビのニュースは、N証券の不祥事について報道していた。馨の勤める証券会社だ。
何となく憂鬱になって真司はテレビのスイッチを消した。
立ちあがって食器棚から自分のカップを出す。
確か高校の卒業記念に貰ったカップである。こんなものを相変わらず、と思いつつも
今の今迄結局使い続けている。明日香が見兼ねて新しいカップを買ったりしたことも
あるのだが、結局、これを使ってしまう。
『もう、捨てるわよ!』
一度は明日香も堪り兼ねてそう、宣言したことがあったが、やはり真司の情け無さそ
うな眼を見ると、さすがに実行に移す気には離れなかったようだ。
テーブルの上でカップにインスタントコーヒーを2匙、それからポットの湯を注ぐ。
そのまま立った姿勢で一口啜ってから椅子に腰を降ろした。

このところのニュースは真司を滅入らせる。
結局、仕事だと割り切ることで否応無く巻き込まれ、そして自己の大事なものを売り
渡す。それは幾ら気を付けようとも、ひとたび巻き込まれてしまえば、自分自身を偽
るしか無いところまで追いつめられるのだから。

夕刊を手にするが、景気の良い話は1つとして無い。相変わらずの愚行の陳列棚の如
き見出しの群れ。
だが、最早嘆息しているだけでは済まされない歳になっている。愚行の行状の背後に
見え隠れする人間模様が、真司には他人事とは思えなくなっている。

大きな食器棚の一部を飾り棚のように小物で埋めているのは明日香の趣味だった。真
司には一向に興味は湧かないのだが、明日香の楽しそうな顔を見ることが出来るのだ
から、悪い事ではない。
フォトスタンドには娘の沙耶香の写真。
生きていれば、14歳になっていた筈だ。
明日香も真司も、充分に痛手を乗り越えた、つもりではあったけれど、悲嘆の感情は
決して尽きることは無い。これからの一生も二人は沙耶香の喪失の痛みをゆっくりと
消費し続けるに違いない。
この家は沙耶香との思い出を貯え過ぎている。
間取りも部屋の中の調度にも全て彼女の匂いが染み付いている。
その思い出は決して真司を許しはしないだろう。
だが二人にはどうしても、ここを離れる気には、ならなかったのだ。

立ち上がって伸びをする。こうしていても益体もない事が沸々と浮かぶだけだ。
それ以外に心の向かう先が無いのだ。
先ほど消したばかりのテレビのスイッチをもう一度入れる。
既にニュースは終わり、バラエティー番組が始まっていた。
真司は、ソファに寝転び、テレビのブラウン管をぼんやりと眺めている。持て余す心。
持て余す時間。
焦燥感だけが空振りしている。


第六章に続く。


・・・・く、暗い(--;)。


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