か・げ・ろ・う

第十二話 絶望への階段
 
 
 
 
 
 

 難敵の第壱拾六使徒を退けたにもかかわらず、ネルフトップの表情は晴れることはなかった。死海文書に記された使徒は後1体、本当ならゴールが見えたにも関わらずである。ネルフは零号機のコアを失うと言う損害を負ったが、これは新たなコアを換装することで乗り切る見通しが立っている。使徒迎撃体制が整うのも時間の問題だった。

 もう一つの懸念は、すべての使徒を倒した後に実行される人類補完計画である。だがこれにしたところで、アダム/リリスを手中にしている以上、主導権はネルフに有ると考えられていた。しかも肝心のロンギヌスの槍は、誰の手も届かない宇宙にある。槍が無い時の補完計画を起動するための初号機は、完全にネルフの制圧下にあるのだ。しかも初号機を起動するには、ただ一人のパイロットを活用するしか方法は残されていない。

 唯一の懸念は、ネルフ施設の直接占拠なのだが、これも日本政府に対して内々に協力を取り付けている。すなわち全ての容易は万全であるはずだった。

 当然彼らの耳にも、各支部で建造されている量産型エヴァンゲリオンの話は届いていた。だがその事自体は驚く事ではない。もとより、補完計画には13体のエヴァンゲリオンが必要とされていたのだ。残りの使徒が1体となった以上、計画に必要なエヴァをそろえることは自然な流れである。そしてたとえ数では押されていても、パイロットのスキルでは遥かに上回っていると言う事実があったのだ。

 だが、それだけの事実を並べ立てても、ゲンドウの懸念は晴れることはなかった。なによりも彼の不安をかき立てていたのは、これまでうるさく騒ぎ立ていたゼーレが、ここに来ていきなりなりを潜めている。定例となっていた会議も催されず、使徒のとった死海文書にない行動に対してのレイへの尋問もない。各支部へのコンタクトは、間接的に確認されている。エヴァンゲリオンに対して並々ならぬ興味を示しているのも確かである。だが肝心の補完計画に関して言えば、まるで興味を失ってしまったかのようにも思われるのだ。そこにどんな謀略があるのか、それが読めない故にゲンドウは落ち着かなかった。

 ゼーレの関与を知っているのは、一部のネルフの上位メンバーだけである。人を敵とする可能性が有ることは、当然のごとくチルドレンには知らされていない。結果的に、子供達は久しぶりの平和を謳歌する機会を得た。もちろん使徒襲来の危機が去ったわけではない事は知っていた。しかし、使徒の影に脅えるほど、彼らは臆病ではなかった。それは、これまでの使徒を撃退してきた自信から来る物だった。

 もっとも平和を謳歌しているとは言え、相変わらず碇シンジはネルフ本部から出る事は出来ないし、惣流アスカは、シンジのための研究に一日の大半を費やしている。変わった事と言えば、それまでレイに遠慮していたアスカが、堂々とレイと張り合うことになった事だろう。シンジも、最初のうちはその変化に戸惑っていたが、すぐにその状況に適応した。そして、アスカに張り合うように自分を出すようになったレイの変化を、シンジは誰よりも喜んでいた。

 渚カヲルの存在は、重苦しい雰囲気に包まれていた彼らの関係を転換する役目を果たした。確かに彼との出会いは、シンジにとって緊張を伴ったものには違いない。だがそのおかげで、シンジはこれまで認めることから逃げてきた、二人の少女への思いを認めることが出来たのだ。

『アスカをくれないか』

 渚カヲルにそう言われたのを、シンジははっきりと覚えていた。そう言ったカヲルに対して、あの時は強い反発を感じていた。だが、今ではそのときの反発は感じていない。カヲルと一緒に居るアスカの姿に、彼女にとっても彼の存在が大きくなっている事を感じ取ったのだ。時折見せるアスカの甘えたようなしぐさは、その現れだとシンジは思っていた。アスカを受け止めることの出来るカヲルに、シンジは嫉妬ではなく羨望を感じるようになっていた。

「シンジッ!良いニュースと悪いニュース。
 どっちから聞きたい?」

 そんな4人の関係が続いていたある日、あわただしくアスカが飛び込んできた。レイと二人ぼんやりと外を眺めていたシンジは、何かいいことがあったのかと、アスカの表情にそう想像した。

「じゃあ、良い方から……」

 シンジの答えに満足したのか、アスカはうんうんと肯きながら身体を寄せてきた。アスカの髪から漂う、少し汗の匂いの混じった甘い香りに、シンジの心臓は早鐘のような脈動を始めた。現象から言えば、少し顔面の血流が多くなったことだろうか。もちろんアスカは、自分のして居ることの効果を知らないはずがない。シンジに見えないように、意地悪な笑みをレイに向けていた。
 そのため、レイの期限は急降下した。その怒りの矛先は、シンジに張り付いたアスカではなく、鼻の下を伸ばしているシンジに向けられた。そこで、以前のレイならば、悲しそうにシンジを見つめるだけだったのだが、アスカの影響を大きく受けたおかげで、シンジの手を取って、自分の方へと引き寄せる行動に出た。

 レイの取った態度に対し、アスカは明らかに不満げな態度を示した。だが、時間が惜しいのか、レイへ対抗するような真似はしなかった。後ろでカヲルが苦笑いしているのを見ると、どうやら話したくてうずうずしているというのが真相だろう。

「いい、実験が成功したの。
 豚のレベルまで、コールドスリープが成功したのよ!」
「豚ぁ?」

 多少の疑問を含んだシンジの言葉を、アスカは完全に誤解していた。そう、今のアスカには、全ての言葉が彼女の賛辞と感じられた。

「そうなのよぉ。
 大変だったのよぉ」

 誉めて誉めてとばかりに、アスカは頭をシンジへと差し出した。それに答えるようにシンジが頭を撫でると、まるで猫のようにアスカは喉をならす真似をした。

「前世紀に行われていた乱暴な方法とは違うのよ。
 ちゃんと蘇生実験まで行って、90%以上の成功率が得れるようになったわ。
 本当ならもっと保存期間をおいて、経時劣化まで検証しなくちゃいけないんだけどね。
 それは追々行って行くと言うことで、とりあえずシンジへは成功の報告よ!」

 もう一度頭を差し出したアスカに、シンジを押しのけてレイがその頭を撫でていた。もちろんアスカの見えないところから手を伸ばしているので、アスカはシンジが頭を撫でていると思っている。その姿をシンジは呆然と見やり、カヲルは懸命に笑いを堪えていた。

「ね、ねえアスカ、それが良いことなの?
 じゃあ悪いことは?」

 そのシンジの言葉に、アスカの頭を撫でていたレイの手が止まった…だけなら良かったのだが、レイは不安からそのまま手をぎゅっと握りしめてしまった。

「イッタァ〜イッ!ってレイ、アンタがやっていたの!?
 髪の毛が抜けちゃったらどうしてくれるのよぉ」

 先ほどまでのご機嫌の表情から一変して、アスカは頬を膨らませてレイに抗議した。さすがに悪いと思ったのか、レイは申し訳ないとばかりに身を小さくしていた。

「ったく、シンジもシンジよ。
 どうして手を抜くのよ!
 私の事が好きじゃないの?」

 矛先が自分に向いたのと、さすがにレイに責任をかぶせるわけにはいかないので、シンジは「ごめん」と言ってアスカに頭を下げた。包帯をぐるぐる巻きにしたその姿は、分かっていても痛々しいものだった。

「ごめんってどういう意味よ。
 やっぱり私じゃ駄目だって言いたいの?」
「……あ、そう言う意味じゃ……
 あの、アスカの頭を綾波に撫でさせたことで、
 決してアスカが好きじゃないって事じゃ……」
「じゃあやっぱり私の事が好きなの?」

 そう言ってアスカはニヤリと笑った。そのときシンジは、アスカのお尻に黒い尻尾が見えた気がして、思わず鼻梁を押さえていた。

「何よ、そのリアクションは……
 良いわよ、私はレイみたいに大人しくないから……」
「……そう言うことを問題にして居るんじゃないんだけどね……
 で、悪い方の話を聞きたいんだけど……」
「ふ〜ん、シンジにしちゃあ前向きね」
「これ以上悪い事って考えられないからね。
 と言うか、気にしなくてもいい悪いことなら聞かないけどね。
 でも、聞いておかなくちゃいけないことなんだろ?」

 そのシンジの言葉に、アスカは急に真面目な表情をした。

「そう、これはシンジが聞いておかなくちゃいけないことよ。
 シンジが眠りに入るスケジュールが決定したわ」
「そう……」

 シンジの答えの後、四人の間を静寂が包み込んだ。失敗成功を問わず、シンジが眠りについた時から、彼女達三人はシンジと違う時間を過ごすことになる。

「……アスカは、僕が悪い方から聞きたいって言ったらどうするつもりだったの?」
「無理矢理良い方から聞かせるわよ……」

 ふうっと息を吐き出し、シンジは全員の顔を見渡した。

「で、いつ始めるの……」
「三日後から……
 本当はもっとコールドスリープの成功率が上がってからしたかったんだけど……」

 アスカの言葉には、シンジに残された時間が短いと言う意味が含まれていた。

「そんなに悪いの?」
「でも、今なら間に合うわ」

 心配したシンジに、アスカはまだ大丈夫だと言い切った。

「で、どうやるの?」
「初めは食事の制限から……
 固形物は止めて液体栄養だけにするの。
 汚い話だけど、腸の中まで綺麗にするわ。
 三日間掛けて投薬と食事で準備を整えたら、六日目に仮睡眠に入って貰うの。
 シンジの体を低温下に置くことで、心拍呼吸その他の代謝を小さくしていくの。
 そして最後の七日目にLCLに入って、体液が結晶化しないように一気に冷却……」
「僕はいつまでみんなと居られるの?」
「五日目まで……六日目には麻酔を掛けるから、それから先は蘇生するまで意識は戻らないわ」
「後五日か……そしたら少しだけお別れだね」

 しんみりとした空気を吹き飛ばすように、ことさらアスカは明るく振舞った。

「そうね、次にシンジが目を覚ますときにはびっくりするわよ……」
「僕がどうびっくりするの?」
「そりゃあ、アンタを待っているのが絶世の美女揃いだからよ。
 あたしもレイも、これから女を磨くわよ……
 エヴァなんかなくなるんだから、私たち二人はそっちに力を入れるの。
 いい、私は言うまでもないけどレイも素材は良いのよ。
 二人で競争するんだから、誰にも負けないわよ」
「それじゃあ僕では釣り合わないよ……」
「情けないことを言うんじゃないの。
 アンタが目を覚ましたら、あたし達で男を磨いてあげる。
 何年掛かろうと、必ずあたし達に見合う男にね」
「でも、素材が悪いんじゃないかなぁ」
「アンタで駄目なら、他の奴じゃもっと駄目よ。
 いいこと、アンタはもっと自信を持たなきゃ駄目なの。
 私にここまでさせる男はこの世界でアンタだけなのよ」
「何かくすぐったいね……」
「事実よ、レイもそう思うでしょう?」

 アスカの問いかけに、レイはしっかりと頷くことでそれに答えた。

「ありがとう……でも……」
「でも、何よ」
「まだ終わった訳じゃないだろう?
 使徒はまだ来るし、父さん達は他にも心配が有るみたいだし……」
「それはアンタが心配しなくても良いことよ。
 私とレイに任せておけば、使徒なんてちょちょいのちょいよ。
 いい、その後に何が来るのか知らないけど、
 私たちのエヴァに勝てる奴なんて居ないわよ。
 アンタは大船に乗ったつもりで寝ていなさい!」

 これがアスカである。この自信にあふれた姿が、シンジの好きなアスカの姿だった。胸を反らし気味の格好でアスカがシンジを見下ろしている横では、レイもまたアスカの言うとおりだとコクコクと頷いていた。この辺の説得はアスカに任せた方が早いとレイは判断したのだろう。レイはシンジとアスカの会話に邪魔をしなかった。

「ありがとう……
 アスカの言う通り、黙って見ていることにするよ…」
「ちっち、家宝は寝て待てって言うでしょう?
 あんたは寝て待っているの。
 寝ている間は時間の感覚はないはずだから、あっと言う間よ」
「家宝は寝て待てね……
 僕の待っている家宝ってなんだろうね……」

 そりゃあね……と、アスカは自分を指差した。その横ではレイが自分を指差し、カヲルもまた自分を指差していた。

「ちちょっとカヲル君……」
「……だめなのかい?」
「あったりまえよ!
 こんな美女がついているのに、男に走るわけが無いじゃない!」
「そうかい?
 僕にとって、男も女も等価値なんだけどね?」
「そう?じゃあ私じゃなくてもいいんだ……」
「いや、そう言うのとはちょっと違うんだけどねぇ」

 アスカの突っ込みに、少し汗をかきながらカヲルは弁解した。もちろんシンジも含め、お互いじゃれ有っているのは良く分かっていた。ようやく築けたこの関係がシンジには心地よかった。

「僕にとってはカヲル君も大切な友達だよ。
 目が覚めた時、そこに立ち会ってくれたらやっぱり嬉しいと思う」
「さすがシンジ君、よく分かっているねぇ」
「まあ、シンジを助けるにはこいつの助けが要るわけだから……
 居てくれないと困ることは困るんだけど」
「……本当にそれだけ……?」

 そう言ってレイは、少し意地の悪い笑みを浮かべてアスカを見た。

「……何が言いたいの……レイ?」
「……私は聞いてみただけ。
 あなたには心当たりがあるの?」
「……無いわよ」
「……ならいいわ」

 アスカの目には、にやりと口の端を歪めて笑うレイに、かみ殺した笑いを浮かべるカヲルとシンジが映っている。一瞬爆発しそうになったアスカだったが、それが墓穴を掘る行為だと思い直し何とか平静を取り繕った。それでも、レイがやりにくくなったと不平を言うことだけは忘れなかった。

 そんなアスカの様子に、誰からともなく押し殺した笑い声がもれ出てきた。そしてそれにつられるようにアスカも吹き出し、病室の中は子供達4人の明るい笑い声に包まれることになった。シンジは、この楽しい時が続くことを願わないではいられなかった。
 
 



***






 しかし、ネルフでチルドレン4人が楽しく笑っている頃。そして、大人たちが万全の準備を整えようとしているその頃、中国、ドイツ、ロシア、アメリカ、各地のネルフ支部では量産型エヴァンゲリオンが今まさにロールアウトしようとしていた。戦いがまさに佳境を迎えた今、新たに投入される13体のエヴァンゲリオンは、人類の勝利を約束するはずのものだった。

 だが現場で、最終調整に追われていた作業員達は、起動試験のために現場に運び込まれたプラグを見て顔色を変えた。物々しい計器が取り付けられたそれは、明らかにチルドレンが乗る物とは一線を画していたのだ。どこがどう違うかは、違いをあげていけばいくつも指摘できるのだが、それ以上に作業員達を怯えさせたのは、そのプラグが放っている禍々しいまでの瘴気だった。そしてそのプラグと一緒に現れた技術者達は、彼らが一度も顔を合わせたことの無いものたちばかりなのだ。言い知れぬ不安が彼らの間に広まるのは無理の無いことだった。だがそれでも、彼らは新しいエヴァンゲリオンが、苦労して使徒を撃退している子供達の助けになってくれるものと期待していた。

 だが一週間後、世界4箇所同時に行われた起動試験は、そんな彼らの期待を燃え盛る業火の中へと飲み込んだ。起動したエヴァンゲリオンは、ネルフ支部を消滅させ、その13体全てが極東の地へ向かって飛び立った。
 
 



***






 支部消滅の情報は、リアルタイムでネルフ本部へと伝えられた。当然、そこを飛び立った13体の量産型エヴァンゲリオンの情報もまた彼らの目にするところと成った。

「日向君、状況は!」
「各支部、完全に消滅しています!」
「ディラックの海に飲み込まれたの?」
「いえ、徹底的に破壊されたようです」
「量産型の状況は?」
「ゆっくりと日本に向かっています。
 先陣が到着するのは、後5時間後です!」
「パターンはどうなの?」

 ミサトは、これが最後の使徒かと想像した。使徒の数が死海文書どおりなら、支部を破壊した量産型エヴァンゲリオンは第十七使徒で無ければ成らない。

「パターンは赤を示しています。
 MAGIは使徒である可能性を否定しています!!」
「どういうことなの……」

 使徒ではないとするのなら、支部を破壊することの説明がつかなかった。

「ゼーレが動いたのか?」

 冬月は、傍らに座るゲンドウにそう耳打ちをした。彼にしても、使徒を全て殲滅していない時点でゼーレが動き出すとは考えても居なかったのだ。

「ああっ、それ以外に説明がつくまい」

 納得がいかなくても、事態は動いている。ゲンドウは立ち上がると、忙しく状況を確認しているミサトに指示を飛ばした。

「葛城君、第一種戦闘配置の指示を。
 住民の避難命令も出してくれたまえ」
「はいっ、日本政府には?」
「私が話をつける。
 彼らの力を借りなくては、この事態への対処は出来まい」

 戦自に期待しているのは、敵の殲滅ではない。それが出来ないことなど、これまでの使徒との戦いで分かっていることだった。期待するところはただ一つ、敵の足止めである。本部の戦力を考えれば、一度に相手をする相手は少ないほど好ましいのだ。

「了解しました!
 日向君、住民に避難命令を!
 それから、アスカ達をここに呼び出して!!」

 ミサトの指示でマイクを手にした日向を、ミサトは少し待ってと押しとどめた。

「マヤちゃん、病室への放送は切れる?」
「はい、可能ですが……」
「だったらそうして。
 それから、アスカ達には誰かを呼びにやって」

 それは、すでにコールドスリープの過程に入ったシンジを戦力として見ないと言うことを意味している。13体のエヴァを相手にすると言う危機的状況下にも関わらず、ミサトのその断に異論を唱えるものは居なかった。もちろん投入できるものなら投入したいと言う気持ちはあった。だが、薬で症状を押さえてはいるが、すでにシンジの身体は戦闘に耐えうるものではない。エヴァに乗せた途端、死にも匹敵する苦痛がシンジを襲うのだ。そんな状態では、とても戦力とはなりえない。

「リツコ!エヴァの状況は?」
「悪いわね。
 零号機は、コアの換装が終わったばかり。
 ようやくレイとのシンクロが出来たところよ。
 普通なら戦闘なんてとんでもないと言うところよ」
「フィフスと初号機は?」
「まったくダメ。
 どこをどういじっても動こうとはしてくれないの。
 これはレイとも同じ。
 まるで初号機が、シンジ君以外の全てを拒絶しているみたい」

 そのとき、リツコの心はゲンドウにあった。彼はどんな思いでこの報告を聞いているのかと。きっと自分の妻が信じられなくなっているのだろうと。

「アスカだけが頼りか……限りなく状況は悪いわね」

 そういいながらも、葛城ミサトの顔は希望を捨てては居なかった。相手は急ごしらえのエヴァ、それに対するのは絶好調のアスカである。その事実がミサトを強気で居させてくれた。

「負けるわけには行かないのよ」

 自分のため、そして子供達のため、ミサトはそう言って自分の心を叱咤した。
 
 



***






 一通りの説明を受けた時、一番の困惑を顔に浮かべたのは渚カヲルだった。それに気づいたアスカは、大人が居なくなってからその理由を尋ねた。

「正直に言おう。
 ゼーレのこの動きは、僕の想像しているものとは違っていると言うことだよ」
「どういうこと?」

 出撃を控えて、部屋にはレイを含めて三人しか居ない。普段ならモニタされることを心配するのだが、この緊急時にはそれも無いだろうと彼らは警戒しなかった。

「彼らは、最後の使徒を倒すまで動かないと思っていたんだよ。
 補完計画については、君達も碇司令から聞いているね。
 その計画のためには、全ての使徒の殲滅が必要なんだよ」
「ゼーレの意図がわからないということ?」

 うんと、カヲルは頷いた。

「……補完計画を破棄したと言うことは?」
「それは考えられない。
 狂信的、と言っていいぐらい彼らは計画に固執していたからね。
 それがここに来て急に考え方を変えたとは思えない。
 それに、今回のことは、周到に計画された行動にしか思えないんだ」

 レイの疑問に、カヲルはそう答えた。

「……碇司令も騙されていたと言うこと?」
「結果から行けばそう言うことになる。
 お互い、相手の裏切りを予想していたと言うことだね」
「カヲルは、一応量産型のスペックは知っているのよね?」

 計画についてこだわったレイとは違い、アスカはこれからの戦いを重視した。動き出してしまった以上、
敵のエヴァを殲滅すればそれで済むと考えていたのだ。

「スペックだけをあげれば、状況は最悪とも言えるね。
 ボディスペックは、弐号機の3割増しだと思ってくれればいい。
 しかも飛行能力、それに気づいているとは思うけど奴らには時間の制限が無い」
「確かに逃げ出したくなる状況ね。
 で、誰が動かしているの?」

 機体性能イコール戦闘力ではない。アスカは勝機がそこに見出そうとしていた。

「それは……」
「……あなたのダミーなの?」

 一瞬言葉に詰まったカヲルに、レイは気遣うようにそう尋ねた。それはカヲルもまた、自分と同じなのかと言う確認でもあった。

「間違いなくそうだろう」

 カヲルが認めたことに、アスカは掛ける言葉に詰まってしまった。レイと同じと言うことが示す重さは、アスカもまた知るところだったのだ。そしてもう一つ、第壱拾参使徒の時に初号機に搭載されたダミーシステムが示した圧倒的な暴力は、絶好調のアスカをして恐怖に感じさせるものだった。

「戦いを長引かせると不利だと言うことね……」

 敢えてカヲルの正体には触れず、アスカは淡々と事実だけを口にした。13対2、その実一人で戦わなくては成らない重圧が、アスカの肩に重くのしかかっていた。そしてその重圧は、その場に居るレイとカヲルにも伝染した。そのため、三人は発する言葉も無く、重たい空気を背負い込むことになってしまった。。

 そしてその沈黙を破ったのはレイだった。少しでも新零号機との調整をしたいと、レイは二人を残して部屋を出て行った。アスカは、そそと出て行くレイの後姿を見送って、小さくため息を吐き出した。

「どうしたんだい?」
「レイの奴、余計な気を使って……」
「どういうことだい?」

 アスカはもう一度ため息を吐くと、カヲルの顔をじっと見つめた。

「さっき、あんたがシンジのためにあんたも居てくれないと困るって言ったとき、
 すぐにレイが突っ込んだでしょう?」

 ああ、とカヲルは頷いた。

「そのことは出来るだけ考えないようにしていたんだ。
 考えたらどうしても自分の気持ちに向かい合わなければならなくなる」
「どういうことだい?」

 訳が分からないと言う顔をしたカヲルに、アスカは正面から向き合った。照れるでもなく、真剣な眼差しで自分を見つめる青い瞳に、カヲルは吸い込まれるような錯覚を感じていた。

「たぶん……ううん、間違いなくあたしはあんたのことが好きよ」
「それは……何と言うか、ありがとうと言えばいいのかな?」
「ば、馬鹿、そこで赤くなるんじゃないわよ」

 思いがけない告白に、カヲルは思わず赤面していた。そして赤くなったカヲルにつられるように、アスカの顔も真っ赤に染まっていた。

「そ、それで、最初の話しに戻るんだけど、レイの奴、気を利かせて席を外したのよ」
「そう言うことなのかい?」

 ならばと、カヲルはアスカの身体を引き寄せた。

「……勘違いしないで……あたしはシンジの方が好きなのよ」

 息が掛かるほど近づいたカヲルに、アスカは自分の心をそう打ち明けた。

「なら拒めばいい」

 だがカヲルは怯むことなく、そのまま少し震えるアスカの唇に自分の唇を重ねた。アスカはカヲルを拒まなかった。

 舌を絡めるでもない、ただ唇を重ねるだけの幼い口づけ。カヲルは、そんな口づけでも満足していた。

「ん……」

 唇が離れたとき、それに併せてアスカの口からは熱い吐息が漏れだしてきた。頬を朱に染め、瞳を潤ませたアスカはたとえようもなく美しく思われた。

 このまま求めたとしても、拒まれることはないだろうとカヲルは想像していた。そして、カヲルの中にも、アスカのすべてを手にしたいという欲望が渦を巻いていた。それでも、カヲルは自分の欲望をねじ伏せてアスカから身体を離した。これ以上は、フェアではないと。

「……いざとなったら、何も出来ないものだね」

 何のことかと自分を見つめるアスカに、少しもどかしそうにカヲルは言葉を続けた。

「この日が来たら、何をしようと想像したことも有ったんだよ。
 でも、いざとなったらキスをするのが精一杯だった」
「それ以上の事がしたかったの?」

 ああと、カヲルは頷いた。

「アスカにはルドルフの話をしたことがあるだろう?
 正直に言うと、実際に何人かの女性にお相手して貰ったこともある。
 確かに相手のことはよくわかったし、それなりに気持ちも良かった」
「だから?」

 アスカの眉は、少しだけつり上がっていた。それに気づかないのか、それとも気づかない振りをしているのか、カヲルはさらに心情を吐露した。

「でも、アスカの告白を聞いたときほどの感動は感じなかった」
「だったら!」

 どうしてキス以上の事をしようとしないのかとアスカは訴えた。

「でも、キスをして分かったよ。
 アスカの言うとおりだと言うことにね」
「どういうこと?」

 ますますアスカはカヲルの言うことが分からなくなった。求められても拒むつもりではいたのだが、アスカにしても拒みきれる自信はなかったのだ。アスカ自身、カヲルの温もりを求めていたことも確かなのだ。

「アスカは、僕よりシンジ君のことが好きなんだよ。
 だからキスしても、告白されたときほどの感動はしなかった」
「それは……」
「そして、今アスカのすべてを手に入れるのは卑怯だからね。
 アスカは、今心が弱くなっている」
「私の心が?」
「そう、新零号機があまり期待できない今、戦いはすべて君の肩に掛かっている。
 その重圧を感じて、君の心が弱くなって居るんだ」
「確かにそうね……
 誰かに抱きしめて貰って、大丈夫だと言って貰いたいと思っている。
 だからなの?」

 そうだよと、カヲルは肯定した。

「つまらない拘りだけどね。
 シンジ君より僕を好きにさせてからと言う拘りだよ」
「つまんないプライドね……後悔するわよ。
 今なら、抱かせてあげたかも知れないのに」
「そうしていたら、間違いなくアスカは拒んでいたよ」
「拒みきれないことも分かって居るんでしょう?」
「本当かい!?」

 そう言ったアスカに、カヲルは驚いた顔を見せた。

「なら、アスカ……今から仮眠所のベッドで」
「冗談!!
 逃した魚の大きかったことを思い知りなさい」
「そうなのかい?」
「そうよ!」

 カヲルの手の甲をつねりながら、アスカはいぃーっと舌を出した。

「プライドに拘って損をしたのかな?」

 赤くなった手の甲をさすりながら、少し惜しそうにカヲルは呟いた。アスカは、そんなカヲルの頭を飛びつくようにして捕まえると、カヲルの唇に先ほどよりも強く唇を押し当てた。

「でも、そう言うプライドは嫌いじゃないわ!」

 そして、ぱっと身体を離すと、アスカはそう言い残して部屋を飛び出ていった。

「まったく……眩しくなるほどの豊かな感情だね……」

「僕に欠けている物を埋めてくれるのは彼女のようだね。
 ちょうど、綾波レイにシンジ君が居るように」

 アスカが出ていった扉を見つめながら、カヲルはそう漏らしていた。その顔は、今まで無いほど優しい笑みを浮かべていた。
 
 
 
 
 
 
 
 

続く
 


トータスさんのメールアドレスはここ
tortoise2k@anet.ne.jp


中昭のコメント(感想として・・・)

  かげろう 第十二話。トータスさんから頂きました。

>パイロットのスキルでは遥かに上回っていると言う事実があったのだ。
ふみん?
そりゃまぁこんばっとぶろーくんしてんのは、シンジ達だけでしが

>まるで興味を失ってしまったかのようにも思われるのだ。そこにどんな謀略があるのか、それが読めない故にゲンドウは落ち着かなかった。
茅の外に置かれてしまったのでしな。
これが放置プレイならともかく、ゼーレがそんな生やさしい手段を取るはずがありません。

> 渚カヲルの存在は、重苦しい雰囲気に包まれていた彼らの関係を転換する役目を果たした。
イイヒト?

>レイと二人ぼんやりと外を眺めていたシンジは、
なんかこの二人だとほんわかぁとした雰囲気が似合いそうな

>シンジの手を取って、自分の方へと引き寄せる行動に出た。
おおおお

> もう一度頭を差し出したアスカに、シンジを押しのけてレイがその頭を撫でていた。もちろんアスカの見えないところから手を伸ばしているので、アスカはシンジが頭を撫でていると思っている。
あはははは

>失敗成功を問わず、シンジが眠りについた時から、彼女達三人はシンジと違う時間を過ごすことになる。
…うむううう
哀しひ

>「ゼーレが動いたのか?」
早っ

> 冬月は、傍らに座るゲンドウにそう耳打ちをした。彼にしても、使徒を全て殲滅していない時点でゼーレが動き出すとは考えても居なかったのだ。
こくこく

>まるで初号機が、シンジ君以外の全てを拒絶しているみたい」
乗れば確実に命を亡くすのに…ユイさんはそれに気が付いているのか…

>「拒みきれないことも分かって居るんでしょう?」 「本当かい!?」
> そう言ったアスカに、カヲルは驚いた顔を見せた。
カヲルくんミスったぁあ



  みなさん、是非トータスさんに感想を書いて下さい。
  メールアドレスをお持ちでない方は、掲示板に書いて下さい。


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