か・げ・ろ・う

第十一話 終わりが始まるとき(後)
 
 
 
 
 

 ネルフ本部が使徒に苦戦をしている頃、他のネルフ支部では一つの作業に追われていた。

 新しいアーキテクチャとS2機関を搭載した量産型エヴァの最終調整。

 それは使徒との戦いに苦戦している人類にとっての福音となるべき存在の筈であった。少なくとも作業をしている者達は、そのつもりで働いて居た。予定通りの性能が発揮されれば、初号機を上回るパワーに飛行性能と自己再生機能、そして無限の稼働時間というまさに究極の兵器の誕生である。残りの使徒が数少ないとは言え、四苦八苦の上、何とか使徒を使徒を撃退している本部には頼もしい戦力となるはずだった。

 すでにダミーでの起動試験も行われ、所期の性能の一部は確認できている。この最終調整のあと、パイロットが搭乗することで、ここまで寝食を忘れて作業してきた彼らの苦労も報われる。最後の局面を迎え、疲労の浮き出た顔の上にも、作業者達には満足の笑みが浮かんでいた。

 しかし、そんな彼らにも小さな疑念は有った。本部への支援のわりには、いささかその数が多いのだ。

 彼らの知る限りに於いて、選定されているチルドレンの数は4名。その他に候補が居ることは想像に難くないが、それにしても満足な戦力となるまで相当な時間が掛かることだろう。しかし、自分の支部で新たなチルドレンの訓練がおこわなわれている形跡が全くないのだ。単なるスペアの機体としては数が大すぎるし、数量を絞ればもっと早く実践投入が出来たのだ。それが彼らの上に疑念を抱かせる原因となるのは仕方のないことであった。

 各支部で建造中のエヴァは、その総数13...

 その数の持つ不気味な響きに、彼らは本能的な恐怖を感じていた。
 
 



***






 アスカをくれないかと言う、カヲルの言葉をシンジはにわかには信じられなかった。そのほうけた表情から、それを知ったのだろう。渚カヲルはくっくとくぐもった笑いをしながら、確認するようにシンジに言った。

「アスカを僕にくれないかと言ったんだ。
 いいだろう、君には綾波レイが居る。
 一人で二人の女性を独占するのは不公平と言うものじゃないかい」
「馬鹿な、アスカ達は物じゃない。
 あげるとか貰うとかそんな対象じゃないんだ」
「優等生の答えだね。
 でも、そんな答えじゃ僕は納得できない。
 君は僕がアスカの話をした時、嫉妬しただろう。
 君は、あの二人が君の事を思っている今が心地よいんだ。
 でもそれは贅沢な事だと思わないかい。
 人も羨む美少女二人を独占しているなんて」
「僕はそんなつもりは無い……だって僕は……」
「もうすぐ死ぬから…かい?
 君はアスカの努力を知らないのかい。
 君を助ける為に寝食を忘れて研究に打ち込んでいるんだよ。
 アスカはまだ諦めていない。
 それなのに君は諦めて、彼女の気持ちを無駄にするのかい」
「アスカが……僕のために……?」
「そうだよ、妬ましいのは僕の方さ。
 君はあんな素晴らしい女性達に思われている。
 それなのに君はその価値に気付いていない。
 こんな妬ましい事があると思うかい?」

 すでにカヲルの表情は笑っていなかった。彼の赤い瞳は、その赤さを増したように輝き、シンジの瞳を射抜いていた。

「でも、僕には...」
「僕にはなんだい。
 その言葉次第では、僕は君をただでは置かないよ。
 分からないかい?
 彼女は君を助けたいんだ。
 その為には君にエヴァに乗って欲しくない。
 だから僕のつけた理不尽な条件すら飲んで、後を僕に托したんだ。
 その気持ちにどう答えるんだい」

 すでに攻守は逆転していた。カヲルから伝えられたアスカの気持ちは、自分の価値を認めていない今のシンジには重すぎた。

「僕にはそんな価値なんて無いんだ。
 僕にもあの二人はまぶしすぎるんだ...」
「シンジ君、君は一つ考え違いをしているよ。
 人の価値には二種類ある。
 一つは自分自身が認める物。
 そしてもう一つは他人が認める物。
 君という存在は、彼女達にとっては何ものにも代え難い存在なんだよ。
 それを否定するのは、彼女達自身を否定することだとは思わないかい?」

 カヲルの言うことは頭では理解は出来た。それでも、その言葉をそのまま受け入れるには、これまで辿ってきたシンジの境遇は辛すぎた。

「……分からないよ……
 僕にはどうしたらいいのか分からないんだ……
 綾波もアスカも失いたくない……
 でも、このままだと二人とも情けない僕に失望する。
 僕はエヴァに乗ることでしか、価値は示せないんだ!」
「それが君の恐怖なのかい?
 君にとって、それが死よりも恐ろしい物なのかい?
 まだ君は分かっていないようだね。
 彼女達にとっては、エヴァなど何の価値も持たないんだよ。
 君には聞こえないのかい?
 彼女達の心の叫びが……」
「えっ?」

 カヲルはそう言うと、シンジの体を抱きかかえるようにした。その瞬間、シンジは自分の心の中に何かが流れ込んできたのを感じた。甘い香りに包まれたそれは、シンジの良く知る二人の少女を形作った。

「綾波...それにアスカ...」

 一糸纏わぬ姿で現れた二人の少女は、それぞれが一人の少年をその胸に抱きしめていた。シンジは少女達の慈愛に満ちた表情に、かすかに記憶に残る母の姿を重ねていた。

 自分の心が温かい物に包まれていくのが分かる。それと同時に、少女達の痛いほどの願いも伝わってきた。

『あなたを守りたい……
 あなたを苦しめるすべての物から……』

 その思いがシンジに届いたとき、渚カヲルの腕の中でシンジは気を失っていた。

 カヲルは、シンジの体を軽々と抱き上げると、病室の方へ歩き出した。その顔に浮かんだ笑みは、いつものように張り付いた物ではない。

「君はもっとわがままを言うべきなんだよ。
 大丈夫、あの二人ならそれを受け止めてくれる。
 君があの二人を受け止めたようにね」

 シンジに言い聞かせるかのように、カヲルの言葉は誰もいない廊下に響いた。しかしカヲルは、シンジの病室の前で来ると急に立ち止まり、そして何か悩みごとがあるかのように考え込んだ。

「約束を盾に……と言うのはスマートじゃないね。
 それに彼を止めたのは、僕の力じゃない……」

 カヲルはそうつぶやくと、病室のドアを開けた。そしてベッドの上にシンジを寝かせると、じっと自分の右手を見つめた。

「なんとも間抜けな行為だね」

 そう言ってカヲルは拳を作ると、それを自分の顔に向かって思いっきり叩き付けた。二回も痛い思いをするのはいやだと考えたカヲルは、いささかの手加減も無く自分自信を殴り付けていた。

「つっ、火花が散るというのはこういうことかい……」

 そう言いながらも、病室の鏡に映った自分の顔にカヲルは満足した。彼の右の頬には期待通りの痣が作られていたのだった。
 
 



***






 相変わらず戦況はネルフに取って不利な物だった。ソニックグレイブを持って、突入を試みた弐号機だったが、やはり武器の長さが仇となり、有効な打撃を加えることが出来ずにいた。その間にも使徒の浸食は進んでいく。じりじりとした焦燥感だけが、アスカの中で高まっていった。

 今のところミサトからは初号機を出すという話は出てきていない。しかしこの膠着状態が長引けば、しびれを切らしたシンジが出撃すると言い出すだろう。何より時間が掛かれば掛かるほど、レイが危険にさらされることになるのだから。そのために打った手が役に立つことをアスカは願っていた。

 何度目かの突撃が失敗に終わったとき、アスカは思いがけない通信を受け取ることになった。その相手は零号機にいる綾波レイ。彼女は、苦悩に顔を歪めながら、絞り出すような声でアスカに撤退して欲しいと告げた。

「何言ってるのよ、あたしが何とかするからもう少し頑張りなさい!」

 何か良くないことが起こる。今まで感じていた焦りとは別の感覚がアスカの背中を駆け上っていった。

「二人で頑張れば何とかなるんだからぁ!」

 そう大声を上げるアスカを、レイはまぶしい物を見るような目で見ていた。

「……使徒の……倒し方が分かったの……」

 融合が進んだせいで、レイには使徒の性質が分かってきた。この使徒は見た目こそ違うが、第壱拾参使徒に似ていると。実体を持たない使徒を倒すためには、一度実体を持たせればいい。そのためには零号機を捨てて、そのコアに使徒を取り込めばいいのだ。

「……この使徒は……実体を…持たないの……
 だから……倒すためには……実体を持たせる……必要が…ある」
「苦しいのなら喋らなくてもいいの。
 待っていなさいレイ、私が今何とかするから!」
「……だめ……零号機は……手遅れなの……
 こんなに……融合が…進んで……しまったら……
 もう…引き離せない……」
「馬鹿なことを言っているんじゃないの。
 あんたが諦めたらシンジはどうなるの。
 アイツにはあなたしか居ないのよ!」

 ディスプレーには本当に怒っているアスカの顔が映し出されていた。レイは自分に対して真剣に怒ってくれたアスカの顔を嬉しそうに見つめた。

「……うそつき……」
「何が嘘なのよ」
「私が居なくなっても……あなたが…居るわ」

 レイにまで自分の気持ちを指摘されたことに、思わずアスカは息を呑んだ。

「あなたが……居てくれれば……大丈夫……」

 だからと言って、レイの言うことを受け入れるわけにはいかない。カヲルには認めたとは言え、シンジへの思いをここで認めるわけにはいかないのだ。

「馬鹿なことを言っているんじゃないわ。
 私はあんな奴のことは何とも思っていない。
 人に勝手に押しつけるんじゃないわよ」

 怒鳴り付けるようなアスカに対して、レイはもう一度微笑みを浮かべた。そのすきとおるような美しさに、アスカは心を奪われかけた。

「あなたは……やっぱり……うそつき……
 もっと早く……あなたとは……お話したかった…」

 アスカにそう告げると、レイは一方的に通信を遮断した。そしてシートとの固定を解くと、シートの横に有る赤いパネルを叩き破った。そしてその奥に隠されたレバーを引き、運命のコードを入力した。その入力が終わったとき、プラグ内のインテリアは赤い光に照らし出され、MODE−Dの表示が浮かび上がった。その表示を確認し、レイは再びシートに座り直すと、静かに指令を出した。

「……ATフィールド反転……
 ……私が……護るもの……」

 その言葉と同時に、使徒を拒み続けていたATフィールドは消失した。その代わりに、レイのフィールドは使徒を引き込むような働きをするようになった。それまでは少しずつ進んでいく浸食であったが、その瞬間から一気に浸食の度合いが進んでいった。その様子は神経接続を通して、レイに伝わってくる。その耐え難い苦痛を伴う浸食も、今のレイには気にならないことになっていた。

「……あなたを……逃がしはしない……」

 死の予感を感じ取ったのであろうか、使徒は逆に浸食を止め逃げ出そうとしていた。しかしすでに時は遅く、使徒を取り巻くATフィールドは、レイの意思によって使徒との融合を進めようとしていた。

 すでに通信は遮断してあるので、弐号機や発令所が何をしようとしているのかは分からない。ここで爆発しても、フィールドを中和していないので、弐号機に及ぶ被害は微々たる物だろう。自分の心の中では、シンジの形を模した使徒が脅えた目で自分を見ている。その姿を、レイは年に似合わぬ妖艶な瞳で見つめ、その頭を自分の胸に掻き抱いた。

「望み通りに一つになって上げるわ……
 ……でも、それでおしまい……」

 次の瞬間、レイの意識は大きな衝撃の前に消え失せていた。
 
 



***






 レイの通信が途絶した瞬間、アスカはこれまで以上の焦りを感じていた。ディスプレーから消える前のレイの瞳は、明らかな覚悟の色を示していたのだ。その意味するところを考えると、答えは一つしかない。アスカは背中に嫌な汗が流れるのを感じていた。

 そして発令所からは、それを決定づけるように零号機が自爆シーケンスを起動したことが告げられた。レイが解除しない限り、残された時間は30秒。ミサトからは待避の指示が出ているが、アスカはその場を動かず必死で打開策を考えていた。しかしいくら考えたところで、レイに自爆を思いとどまらせ、且つ使徒を倒す方法など思いつくことが出来ない。

「自分を犠牲にして...そんなことをされても嬉しくないよ...」

 すでにレイは通信を切っている。そんなことを今更言ったところで、事態に影響を与えることが出来ないことぐらいアスカも分かっていた。それでも言葉は止められなかった。

「後に残る方のことを考えてよ...
 そんなことをされても苦しいだけじゃない...
 自分の心を殺さないでよ...」

 アスカの呟きは、程度こそ違え自分にも当てはまることだった。シンジの為と言って、自分の心に反することをしようとしている。それはアスカ自身も同じだった。

『なら君はどうするんだい?』

 突然聞こえた渚カヲルの声に、アスカははっと顔を上げた。本部との通信にそんなものが混じってくるはずがない。その証拠に、モニタの向こうにいるミサトは相変わらず大声を上げている。

『変えようと努力をするから、運命も変える事が出来るんだよ』

 聞こえてきたカヲルの声が、自分の生み出した幻かどうかなどどうでも良かった。それ以上に今すぐ確認しなくてはいけない事があったのだ。

「赤木博士、聞こえてる?
 爆発前に零号機のコアを壊せばどうなるの?」
「臨界条件に達する前なら爆発する事は無いわ。
 でも、そうなるとあそこまで融合した使徒がどうなるのかは分からない」
「ありがとう、弐号機に爆発までのカウントを廻してね」

 こういう時に、何も聞かずに行動を起こしてくれるリツコの存在がありがたかった。アスカは刻一刻と数字を減らして行く数字を睨み付け、使徒を取り込みつつある零号機との間合いを詰めた。

 アスカの目には、使徒が零号機から逃れようとしている風にも見えた。使徒にも自己保存の本能でもあるのだろうか?ふとアスカはそう考えていた。いずれにしても零号機をこのまま自爆させる分けにはいかない。アスカは使徒ごと、零号機のコアを叩きつぶす覚悟を決めた。弐号機は、力を貯めるように少し腰を落として半身に構えた。狙いは零号機の腹部にあるコアである。外部装甲からいきなり融合している使徒は別として、弐号機は装甲ごと一撃で打ち抜かなければならない。そのためには生半可な気持ちでの攻撃では失敗の可能性が高くなる。

 すでに爆発までのカウントは10を切っている。躊躇している余裕など残されていない。

『失敗した時は、弐号機を使うのかい?』

 確認するように聞こえてくるカヲルの声、その声もアスカの決心を鈍らせる事はなかった。

「ぎりぎりまで待つ……」

 そうすれば使徒の融合も進み、それだけ倒せる確率も上がる事になる。

1秒が1時間にも感じられる緊張の中、カウントが5を切った。その瞬間、弐号機は一陣の風となって、零号機の元へと殺到した。

「でえええぇぃっ!」

 思いっきりの殺気を拳に乗せ、弐号機の拳はアスカの拳と一体となって零号機の腹部に叩き込まれた。そのあまりのスピードに、空気は悲鳴を上げ受け止めた零号機の背部装甲板は弾け飛んでいた。弐号機の拳は、零号機の腹部にめり込んだまま動きを止め、零号機もまた体をかがめるようにして動きを止めていた。

 すべての物が凍り付き、そしてすべての者が息を潜めて見守っている中、MAGIだけが正確に時を刻んでいった。すでに爆発予定時刻を5秒も過ぎていた。それを最初に気づいたのは伊吹マヤだった。

「零号機爆発予定時刻からプラス10!」

 その声には、零号機が無事でいることへの喜びが混じっていた。そしてマヤの言葉に止まっていたネルフの時が再び動き出した。

「パターン青……確認できません!
 MAGIは95%の確率で使徒の殲滅を示しています」

 青葉の声にも安堵の響きが有る。しかしまだ完全に終わったわけではない。

「レイの様子はどう?」

 リツコの声にいち早く反応したのは、やはりマヤだった。どちらかと言えば、リツコの指示以前にマヤはレイの安否の確認へと動いていた。

「パイロットの心音確認!
 レイは!レイは生きています!」

 使徒と融合した影響が何処まで出ているのかは不明である。しかし、第一段階はクリアしたのだ。後はエントリープラグの回収を待って、精密検査をすればいい。緊張から解放された心地よい脱力感の中、葛城ミサトは弐号機のアスカに任務達成のねぎらいの言葉を掛けた。

「アスカ聞こえる?アンタやったわよ!
 レイも助かったし、使徒も殲滅したわ。
 本当に良くやってくれたわ!」
「レイ……無事だったの?」

 こちらもまた酷い脱力感を感じながら、自分のとった行動を思い返していた。

 我ながら改心の一撃だった……

 達人の打ち込みは、打った部分ではなく背中を破壊するとも言われている。今回弐号機が放った一撃は、見事に衝撃が零号機の背中に抜けていた。まさにとぎすまされたアスカの集中が産んだ結果と言えるだろう。しかし、アスカの顔は思ったほど喜んでいなかった。その表情を訝りながらも、ミサトは零号機のエントリープラグ回収して帰るように指示を出した。

「早くレイを収容したいから、申し訳無いけどアスカ、レイを回収して」
「了〜解っ!」

 そう言ってアスカは零号機の腹にめり込んでいた右の拳を引いた。その瞬間、右手に走った痛みに、顔をしかめた。

『弐号機……私……それとも両方?』

 予想以上のフィードバックに、アスカは自分の行為に恐怖を感じていた。自分がフィードバックで拳をつぶしていたのなら、腹を打ち抜かれたレイはどうなるのだろうかと。レイのシンクロ率が自分よりかなり低い事は分かっている。しかし、使徒と融合していた事実で、それがどう働いているのか分からない。

 急がないと……

 あせった所でどうにかなる物ではない。それが分かっていても、アスカは自分の気持ちがはやるのを押さえる事が出来なかった。慣れない左手での作業にもどかしさを感じながら、アスカは何とか零号機からエントリープラグを引き出す事に成功した。

「あんたが無事じゃないと、意味が無いじゃないの……」

 レイの乗ったエントリープラグを大事そうに抱えながら、弐号機はリフトの中に消えていった。
 
 



***






 焦る気持ちでアスカが弐号機を降りたときには、すでにレイは診療室に運ばれた後だった。すぐに病室に行こうとしたアスカの視界を、LCLの冷却漕に佇む初号機の姿がよぎった。その姿が出撃前にアスカがかわした約束を思い出させた。

「シンジは……出撃しなかった……」

 どういう経緯が有ったのかは知らない。それでも渚カヲルの仕業だろうことをアスカは確信していた。なぜなら今回の戦いは、いつシンジが飛び出してきてもおかしくない戦いであったのだ。それなのにシンジの出撃どころか、その準備をした様子もない。

「私が約束を守る番……か…」

 おそらくレイの所にはシンジが駆けつけているはずである。今の気持ちのまま、そして今の姿でシンジには合いたくなかった。アスカは踵を返すと、行き先を更衣室へと変えた……
 
 



***






 しかしアスカの予想に反して、彼女が着替えを済ませて綾波レイの病室を訪れたとき、そこにはシンジの姿は無かった。軽い失望と安堵、その両方を感じながら唯一人病室の外に居たミサトに声を掛けた。

「ミサト……ファースト、レイの様子はどうなの?」
「んっ、アスカ……?
 今リツコが入った所……
 生命維持には問題は無いらしいけど、それ以上は目を覚ましてくれないと分からないらしいわ」

 恐る恐ると言ったアスカの雰囲気に、ミサトは努めて平静に事実だけを告げた。使徒との接触・融合、そしてその影響による精神汚染がどのように現れるのか。それはネルフにとっても未知の領域であった。それでも、ミサトの言葉の中にアスカは一つの救いを見つけていた。自分が零号機のコアを打ち抜いた影響は、少なくとも肉体の上には現れていないのだ。自分が弐号機からフィードバックを受けたような怪我はしていないのだと。

 明らかに安堵の表情を浮かべているアスカに向かって、ミサトは少し表情を険しくした。

「アスカ…レイを、みんなを助けてくれたことには感謝するわ。
 でも、指揮官としては聞いておかなくてはいけないことがあるの。
 レイのとった行動は許せる物ではないことは分かっているわ。
 でも、彼女なりに考え得る最善の方法であったのも確かなの。
 アスカ……もしあなたの行動のせいで、使徒が生き残っていたらどうするつもりだったの?」
「結果オーライ……で、済ませてくれそうにはない剣幕ね」

 アスカはミサトの表情を見て、そう言った。確かに自分でも倒せるかどうか自信が有ったわけではない。ミサトがそう思うのは当然のこととしてアスカも思っていた。

「簡単よ、その時には弐号機を使うだけのことだから」

 何事もないように言い切ったアスカに、ミサトは驚きを隠せなかった。そして自分を射抜く、蒼の瞳に何も言葉を返すことは出来なかった。零号機の自爆無しに、使徒を倒せたのは本当に偶然・紙一重の出来事に違いない。しかしその紙一重のことにしても、それを為そうとした強い意志があってのことなのだ。

 その強い意志を示したアスカに、ミサトは純粋に敬意を覚えていた。

「分かったわアスカ……
 私にはもう言うことはないわ。
 ありがとう……それだけよ」

そう言って頭を下げるミサトに、照れからアスカは慌てて言った。

「ば、ばか…当たり前のことをしただけよ。
 指揮官が軽々しく頭を下げるもんじゃないわ」
「指揮官と言ったって、なにも有効な策も打てなかったわ。
 この使徒を撃退できたのはすべてアスカとレイのおかげよ。
 この事実は曲げようもないわ」

そう言うミサトの態度に、仕方がないかとアスカは人差し指で頬を掻いた。まあ誉めてくれているのだから悪い気はしない。

「ところでミサト……
 シンジは……どうしていたの」

 アスカにとってのもう一つの気がかり。それはシンジの様子だった。しかし聞かれたミサトは、今初めて気がついたように、少し惚けた顔をしてアスカの顔を見つめていた。

「……その顔は忘れていたようね……」

 三白眼でにらむアスカに、申し訳ないとミサトは手を合わせた。レイが自爆するかという状況で、シンジのことに注意を払えと言うのも酷かと、アスカはため息を一つ吐いた。全員が全員、シンジのことだけを考えているわけではないのだ。

「まあ、いいわ。
 シンジは出撃しなかったんでしょう。
 それだけは確かなことだから」

 ちょっと確かめてみてと言うアスカの言葉に、ミサトは電話を取り出して病棟と連絡を取った。その結果、一度シンジは病室を出ているが、その後渚カヲルに抱きかかえられて帰ってきたと言うことだった。

 カヲルの名前が出た瞬間、アスカの肩が震えたのにミサトは気づかなかった。

「あいつがシンジの面倒を見てくれたのかしら……
 後でお礼でも言って置かなくちゃね……」

 事情を知らないミサトは、そのわざとらしいアスカのつぶやきに気づくことはなかった。

 結局レイの容態が分かるまでと、病室の前で粘っていたアスカだったが、『目覚めるまでは分からない』と言う何とも頼りの無いリツコの言葉に脱力してその場を後にした。次の行き先は渚カヲルの部屋。それも約束だとアスカは自分に言い聞かせていた。
 
 



***






「それで具体的にはどうしたいの?」

 カヲルの部屋を訪れたアスカの第一声がそれである。カヲルでなくとも、ため息の一つも吐きたくなるものだろう。しかしそれをアスカが見逃すはずもなかった。

「なによ、そのため息は。
 折角約束通り来てやったのに、帰るわよ」
「……全く君という人は……
 君は愛しい男性にもそう言う態度をとるのかい?」

 カヲルはもう一度深々とため息を吐いた。

「気に入らなかったら変えてみることね。
 女を変えるのは男の役目でしょう?」
「確かにそれは正論だね。
 全く碇シンジ君には同情するよ。
 君は一筋縄ではいきそうにもないね」
「……シンジは関係ないでしょ」

 約束を果たしに来た自分を追いつめるのか?アスカの瞳はそうカヲルに訴えていた。

「……まったく……
 綾波レイが側に居ることができない今。
 シンジ君に着いていてあげられるのは君だけじゃないのかい?
 全く君たち二人は、僕を惨めにしてくれる……」
「はっ?なにを言っているのよ」
「僕の顔を見て気づかないのかい?
 シンジ君に『君を渡さない!』と大見得を切られてね。
 止めようとしたらこの体たらくだよ。
 結果的に、シンジ君はエヴァにはいけなかったけど。
 それは僕の功績じゃない。
 よってあの約束はご破算と言うことだよ」

 そう言ったカヲルの右頬には、はっきりとした青痣ができていた。

「……じゃあ……」
「そう、残念だが君がここにいる理由は無いということだよ」

 少しも残念さを感じさせないカヲルの言葉に、少し力が抜けながらもアスカは安堵を感じていた。別にこの男が嫌いという訳ではないが、好きかと言われればまだ分からないと言うのが正直な所だった。この先どう転んでいくのか分からないが、今は少し時間ができたことがアスカにはありがたかった。

「そう……残念だったわね……」

 そう言って、部屋を去ろうとしたときアスカは気づかされた。シンジに殴られたというカヲルは、右頬に痣をつけているのだ。もう一度カヲルの顔に目をやって、アスカはすべてのことに納得が言った。

「なによ偉そうなことを言って置いて……
 これは報いを受けて貰う必要があるわね。
 黙って歯を食いしばって目を閉じなさい!」

 そこまでしなくてはいけないのかという言うカヲルの抗議の視線は、アスカの刺すような視線に退けられた。カヲルはしかたないとばかり、渋々その目を閉じた。

「この程度で許してやるわよ……」

 そのアスカの言葉と同時に、カヲルは右頬への柔らかな感触を味わっていた。アスカは右手をカヲルの左頬に当て、カヲルの青痣の上にキスをしていた。

「どうせなら唇の方が……」
「却下!
 感謝の気持ちよ。
 勘違いしないこと!」

 そう言い残して、アスカはどすどすと音を立ててカヲルの部屋を出ていった。後に残されたカヲルは、まだ柔らな感触の残る頬に手を当て、アスカの出ていった後を呆然と見送っていた。

「どうして分かったんだろう……」

意外とカヲルにも迂闊なところがあったようだ...
 
 
 
 
 
 
 

続く
 


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NAG02410@nifty.ne.jp


中昭のコメント(感想として・・・)

  かげろう 第十一話。トータスさんから頂きました。


  >あげるとか貰うとかそんな対象じゃないんだ」
  >「優等生の答えだね。
  むっ、確かに

  >「……分からないよ……
  >僕にはどうしたらいいのか分からないんだ……
  むむっ、確かに。

  >綾波もアスカも失いたくない……
  >でも、このままだと二人とも情けない僕に失望する。
  >僕はエヴァに乗ることでしか、価値は示せないんだ!」
  自信がないんですな。

  >君にとって、それが死よりも恐ろしい物なのかい?
  失望され失う事が死よりも恐ろしい・・・シンジらしいですな。

  >「君はもっとわがままを言うべきなんだよ。
  >大丈夫、あの二人ならそれを受け止めてくれる。
  >君があの二人を受け止めたようにね」
  いい人?

  >「なんとも間抜けな行為だね」
  ?

  >だから……倒すためには……実体を持たせる……必要が…ある」
  そういや子宮のアルミサエルがコアを取り入れる事で第17使徒になるって設定を
  どっかで読みましたっす。
  TV放映時はなんとなく、弱点を取り込まないでそのままNERVへ侵攻してた方がいいって気もしてたけど、
  そのままだと進入手段がないんかな

  >「パターン青……確認できません!
  >MAGIは95%の確率で使徒の殲滅を示しています」
  こう倒したですか。なるほど

  >結果的に、シンジ君はエヴァにはいけなかったけど。
  >それは僕の功績じゃない。
  うっ、やっぱりいい人。
  でも使徒・・・ですよね。


  みなさん、是非トータスさんに感想を書いて下さい。
  メールアドレスをお持ちでない方は、掲示板に書いて下さい。


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