〜ル・フ・ラ・ン〜
第三十話 終わらない苦痛……
 
 
 
 
 
 

 10号機と使徒の戦いは、まさに圧倒的なものであった。遠距離からの精神攻撃しか出来ない新第壱拾伍使徒は完全に無視をし、10号機は先に進行してくる新第壱拾四使徒へと突進して行った。

「お前はアスカをいじめた!」

 シンジの叫びとともに10号機は疾風となり、刃物のような両腕をかいくぐった。そしてATフィールドを無効化すると、渾身の力を込めて使徒の顔面を殴り付けた。あまりの威力に使徒の顔面は体の中にめり込み、その反動で使徒の体は浮き上がった。たった一撃で、絶大な破壊力を持つ使徒の攻撃の一つは無効化された。使徒に残された攻撃手段は両腕代わりの鋭い刃だけだった。

「お前はアスカの頭と両腕を奪ったぁ!」

 だがシンジはそれも見逃すことは無かった。10号機を攻撃するため延びきっていた両腕を掴むと、それを力任せに引きちぎったのである。これで使徒は攻撃方法のすべの全てを失った事になる。しかし10号機に乗ったシンジは容赦する事はなかった。引きちぎった使徒の腕を捨てると、10号機の拳を使徒の顔面に叩き込みつづけたのである。その苛烈な攻撃に、すでに使徒の顔だったものはその原型をとどめず、拳が振るわれるたびにあたりには使徒の体液が飛び散った。

「あれがシンジ君なの……」

 発令所で戦いを見守っていたミサトは、鬼気迫るシンジの戦いぶりに思わず漏らしていた。いつものシンジは強い事には強いのだが、その戦いぶりは人を魅了するものが有ったのだ。だが今日の戦いぶりは、見る者に対して恐怖しか植え付けなかった。そしてその恐怖は、遅れて到着した新第壱拾六使徒が10号機に取り付けない事で最高潮に達した。

「なんで……」

 光の帯となった新第壱拾六使徒は、10号機の背面から取りつこうともがいていた。だがいくらもがいても、新第壱拾六使徒は行く手を遮るATフィールドを超える事は出来なかった。

「ATフィールドは心の壁……
 シンジ君は使徒に対する絶対的な拒絶をしているのよ。
 中和も侵食も出来ないほどのね」

 誰に向けたものでないつぶやきに、リツコが答えた。その答えにミサトは驚き、思わず隣に立つ親友へと振り返った。リツコもまた、10号機の戦い様に憂慮の表情を浮かべていた。

「あの戦い方……10号機が暴走しているんじゃないの?」
「そうだったら良かったわね。
 シンジ君の心理グラフは正常とは言いにくいけど、はっきりとしているわ。
 10号機からは何の影響も受けていない……全てシンジ君の意志よ」
「でも……あんなのって」

 いかにもシンジらしくない戦い方だった。ミサトはその理由を10号機の暴走に求めたのである。だがリツコは、そんなミサトの思いをはっきりと否定した。

「心の暴走……あえて言うのならそんな物かしら……」

 青い顔をしたままリツコはミサトの疑問に答えた。リツコにしても、シンジの見せる戦い方が信じれら無いのだ。

「シンジの奴……我を失っている……」
「兄さん……」

 ムサシ、マナ、レイコの一行が発令所に到着した時、スクリーンに映る10号機の戦いぶりにムサシは思わずそう漏らした。その横ではマナが青い顔をしてスクリーンに見入っていた。

「兄さん……悲しんでいるんだ……」
「どういう事?マナちゃん」

 マナが漏らした言葉に、ミサトはそう聞き返した。怒っているのなら分かるが、悲しんでいるというのは理解できなかった。ミサトの質問に、マナはムサシの顔を見た。そしてムサシが肯くのを見て、ゆっくりとその理由を話し出した。

「兄さんって、喧嘩をした事が無いんです……
 初めの頃は手を出さなかったし、示現流を習ってからは後からは一目を置かれていたから……
 でも、一度だけ……したんです」
「喧嘩を?」
「そんな可愛いものじゃ有りませんでした。
 私、中二の時兄さんを逆恨みした奴等にレイプされ掛けたんです。
 彼女が冷たくなったのは、兄さんのせいだって。
 どうやらその女の子、別れる時兄さんの名前を使ったみたいなんです」
「だからと言って、マナちゃんを襲って仕返しなんて……短絡的な」
「元々兄さんが気に入らなかっただけなんです。
 だから理由は何でも良かったんです。
 それに、そいつ等はもともとチームで女の子を襲っていたんです。
 そいつ等は、学校帰りに私を待ち伏せして……
 私、ナイフで脅されて何も出来なかった。
 私を林の中に連れていって、私をいやらしい目で見るんです。
 お前の兄貴がもうすぐ来るから初めようかって……
 制服を破られ、暴れたら顔を殴られて……
 でも、その時私は兄さんの事が好きじゃなかったから……
 ぼんやりとしながら、全部兄さんが悪いんだと思っていた。
 兄さんのせいで、私がこんな目に会うんだって…
 それにそいつ等、兄さんが来るって言ったけど、私はそうは思わなかった。
 いじめられても黙ってる兄さんが、助けに来てくれるなんて信じられなかった。
 だから目の前に居る奴等全員にやられちゃうんだってあきらめていた。
 暴れても押さえつけられて、殴られて……
 いやらしい目でじろじろ見られて……」

 マナが過去を振り返っている時、目の前のスクリーンでは新第壱拾参使徒が完全にその活動を停止していた。10号機は、使徒を完全にばらばらに解体した上で、コアを踏みつぶしていた。その上で、狂暴なまなざしを新第壱拾六使徒へと向けていた。

「でも、それ以上は私何もされませんでした。
 何か獣の叫び声のようなものが聞こえたと思ったら、急に体が軽くなったんです。
 そしたら目の前に兄さんが居ました。
 たった一人、素手で……私にのしかかっていた奴を殴り飛ばしたんです。
 ……でも、7対1ですよ……
 いじめられても歯向かいもしない弱虫の癖に。
 刺されるんじゃないかって思っていました。
 どこかでいい気味だと思っていたんです」

 スクリーンには、新第壱拾六使徒の体を素手で握りつぶす10号機の姿が映し出されていた。その余りも圧倒的な戦い方と、そして残酷な戦いぶりに誰もが息を潜めて成り行きを見守っていた。

「お前はアスカの心に、絶望をもたらした!」

 シンジはそう叫ぶと、次々と使徒の体を引きちぎっていった。10号機を侵食する事の出来ない使徒は、ただ身をくねらせ10号機の腕から逃れようとするだけだった。だがそれも、無駄なあがきでしかなかった。10号機はしっかりと使徒を掴まえたまま使徒を解体していった。その動きは人と言うより、猛獣と言った方が良いものだった。

「7対1なんて関係無かったんです。
 みんな恐怖で動く事が出来なかったんです。
 兄さんは、私を襲った奴等を一人一人動けなくなるまで殴っていきました。
 警察の事情聴取では、恐くて逃げる事も出来なかったって言っていました」

「レイコの知らせで駆け付けた時、すでにシンジは暴れまわっていました。
 本当なら、俺が助けに入らなくちゃ行けなかったんですが……
 俺も足がすくんでしまったんです。
 多分奴等もそうでしょう……それほどまで、シンジの発する殺気はすさまじかった。
 もしあの時マナが止めなければ、死人が出て居たかも知れないぐらいに……」

 ムサシの話が終わった時には、すでに地上には10号機のほかには動くものは無かった。かつて脅威でしかなかった2体の使徒は、ただの肉片となってその足元に散らばっていた。

「兄さんは、私の体を抱き締めて泣いていました。
 ごめん……僕のせいでって……
 その時分かったんです……やっぱり兄さんは臆病なんだって……
 人が傷つく事、傷つけられる事に……
 だから兄さんは自分が傷つく事を選んだんだって。
 そしてもう一つ……兄さんの心には大きな傷があることが……
 自分の臆病さのせいで、大切なものを守る事が出来なかったって……」

 見た訳ではないが、ミサトにはその光景が目に浮かぶようだった。そして何にシンジが嘆き悲しんだのかも。おそらく陵辱を受ける妹の姿が、あの時の光景に重なったのだろう。そして何も出来なかったと言う後悔、自分が臆病でなかったならと言う思いを。

 心の底から欲して止まないアスカへの思いと、何も出来ずに流されていた自分自身。近くに居る事が傷つけるだけと気付いた時、側に居るだけでもと言う思いを絶ち切ってでもアスカの元を離れるしかなかった悲しい心。

 そして再び繰り返された惨劇がシンジの心を責めたてたのだと。

「シンジ君は自分自身に怒っていたのね」

 リツコがシンジの心を理解した時、10号機は遥か上空を見つめ再び咆哮を上げた。
 
 



***






 2体の使徒を血祭りに上げたシンジは、遥か上空に浮かぶ新第壱拾四使徒へと視線を向けた。相変わらず使徒からは光が降り注ぎ、シンジの心を犯そうとしていた。だがそれも、怒りに染まった今のシンジに対してはまったく無駄な攻撃だった。一方シンジの側も、使徒との間にある1万キロの距離を超える方法を持っていなかった。ATフィールドを貫くロンギヌスの槍も無ければ、ネルフの持つ武器は厚い空気の壁を超える力も無かった。だがそんな事はシンジにとって問題ではなかった。

「お前だけは絶対に許さない……」

 ぎりっと奥歯を噛み締め、モニタに映る使徒の姿をにらみ付けた。全身を覆っていた激痛も、今のシンジには心地好かった。なぜならその苦痛は不甲斐ない自分への罰なのだから。

「お前はアスカの心を汚した……
 アスカの心を悲しみと絶望に染め上げた……
 羽をもぎ、地に引きずり下ろしてやる……
 楽には殺してやらない、この手で引き割いてやる……」

 そのシンジの激しい思いに、10号機はその心に答えた。

「10号機の周りの重力場が変動しています!」

 じっとMAGIの観測データを見つめていた青葉から、その異変が報告された。肉眼でも、明らかに10号機の周りで景色が捻じ曲がっているのが見ることができた。

「シンクロ率が更に上昇します……85……90……」

 別のオペレータからは、シンジの示すシンクロ率が上昇を始めた事が報告された。何が起きるのかと全員が凝視する中、スクリーンの上では10号機が自分自身を抱き締めるようにして震えていた。

「……一体……何が起きるの……」

 ミサトのつぶやきへの答えは、10号機の機能をモニタしていたマヤからもたらされた。

「10号機、背面装甲盤変形……
 つ、翼です!翼を展開しようとしています!!」

 マヤが叫んだ瞬間、全員は思い出した。目の前に居る量産機は、空からネルフ本部を強襲した事を。

「飛ぼうと言うの……シンジ君は……
 無茶よ!テストもした事が無いのよ!!
 止めなさい!シンジ君!!」

 新第壱拾伍使徒は、ここに直接攻撃を仕掛ける事が出来ないのだ。ならば槍が届くまで待てば、危険を犯す事無く繊滅が可能であると。だが、そう訴えるリツコの制止の声にも、シンジは何も答えなかった。そして全員が見守る中、10号機は純白の翼の展開を終えていた。

「マヤ、すぐに10号機のシンクロをカットして!!
 このままじゃシンジ君の体が保たないわ!!」

 眼前の危機は去ったのである。今シンジが危険を犯す必要は無いのだと。初めて経験する飛行が、シンジの体にどんな影響を及ぼすのか、それこそリツコにも想像の着かない事だった。10号機を止める事で、これ以上のシンジの暴走を止めようとしたリツコだったが、続いて上がってきたマヤの報告に、それが無駄な努力である事を知らされた。

「だめです!!10号機、停止信号を受け付けません!!」
「そんな……安全策は万全なのよ!!
 マヤ!続けなさい!!」

 どんな条件下でも量産機は停止できること。それが、国連がネルフに対して課したエヴァンゲリオン再配備の条件だった。そのためネルフは、国連の重鎮達を満足させる為、二重三重の停止措置を施したのだ。だが、今目の前に居る10号機は、そんな努力をあざ笑うかのようにネルフの手を離れていた。

「裏コードを使ってでも10号機を止めるのよ!!
 無駄な戦いをさせる訳には行かないわ!!」

 いつもは冷静なリツコが上げる大声も、発令所を包んだざわめきの中かき消された。スクリーンに映る10号機は、すでにその純白の翼をはためかせ宙に浮かんでいた。

「待っていろ……」

 シンジのつぶやきとともに、10号機は白い光の矢となって遥か上空へと飛び去っていった。その姿を呆然と見送ったミサトは、我に返ると同じように呆然としている日向に声を掛けた。

「日向君、7号機の再出撃……出来る?」

 ミサトの声に我に返った日向は、慌てて7号機の状態をモニタした。

「だめです、パイロットの意識が回復していません!!」

 モニタの上には、丸くなって眠っているアスカの姿が映し出されていた。それを横目で見たミサトは、インカムのマイクを持ってパイロットルームへの回線を開いた。

「パイロットの変更は……鈴原君は準備できている?」

 事態は一刻を争うのだ。だが、そのミサトの焦りを横からリツコが窘めた。

「無理よ、彼ではミサトの考えている事は出来ないわ」
「だったらアスカを起こしなさいよ!!」

 ミサトは、分かっているのならなぜそうしないのだと、リツコを怒鳴り付けた。リツコは激昂する親友を前に、努めて冷静に答えを返した。

「さっきからやっているわよ。
 でもね、アスカはまだ使徒の影響から抜け出て居ないの。
 夢の世界から目覚めてくれないのよ!」
「どうしてよ、もう使徒の攻撃は受けていないのに……」

 モニタ上では丸くなって眠っているアスカの姿が映し出されていた。その表情はあまりに穏やかで、使徒の攻撃に晒されていたとは思えないものだった。

「アスカ……幸せそうに見えるでしょう?」

 その様子を見たリツコは、隣に立っているミサトに向かってそう言った。一方のミサトは、すぐにはリツコの言った意味がわからなかったのか、怪訝そうな視線をリツコに向けた。

「……それがいけないことなの?」
「ええ、今回はね。
 分かる?現実はアスカにとって辛いものなのよ。
 そこに幸せな夢を見させられたとしたら、どうなるかしら。
 それに、ねえミサト、夢と現実の区別って何?
 夢を見ているアスカが、それが夢だとわかるのかしら?
 もし分かったとしても、夢の中にしか自分の幸せがないとしたら、夢から醒めようだなんて思うかしら?」
「でも、私たちはどんないい夢からでも目が醒めるわ!!」
「それは私たちの心の中に、ちゃんと安全装置があるからよ。
 脳内物質の刺激によって、ちゃんと覚醒のプロセスに入るようにね」
「だったらそうしなさいよ!!」
「それもやっているわ。
 でも……だめ、見事にブロックされているわよ。
 これ以上脳に干渉したら、逆に一生目が覚めないことになりかねないわ」

 苦渋に満ちた顔で言うリツコに、ミサトはそれ以上の文句をぶつけることはできなかった。彼女の親友が手を抜いているわけではない。彼女なりにベストを尽くした結果がこれなのだ。これ以上文句をぶつけることは、単なる八つ当たりとなってしまう。

「なら……BIACは……」
「誰がオペレートするというの?
 BIACの危険性は説明を受けたでしょ?
 それに、それがうまくいくとしても……」

 ミサトの案を否定したリツコは、そう言って10号機の消えた大空を見上げた。

「オペレートできる可能性を持った人間はあそこに居るのよ…」

 指を指した先に有ったのは、翼を広げた10号機の姿だった。
 
 



***






 大空の上では、すでにエヴァと使徒の戦いが始まっていた。いや、それを戦いと呼ぶのは相応しくないかもしれない。何しろ攻撃するのは一方的にエヴァの方なのだ。その姿に似合わず、機動性に欠ける新第壱拾六使徒は、攻撃に使っていたATフィールドのすべてを守りに向け、必死にエヴァの攻撃から身を守っていた。一方の10号機の方も、空を飛ぶためにATフィールドの多くを使い、使徒の張るフィールドを完全に中和することが出来なかった。そのため使徒の張るATフィールドに行く手をはばまれ、使徒にとりつくことが出来なかった。

「どうして10号機は使徒に取り付けないの?」

 ミサトは、隣でスクリーンを凝視しているリツコに声を掛けた。10号機が飛び立ってしまった以上、緊急停止も行うことは出来ない。しかもアスカが目覚めないため、7号機を動かすことも出来ないのだ。使徒と10号機が接近している為、地上からの援護も行えない。彼女達は傍観者にならざるを得なかったのだ。

「飛ぶ為にATフィールドを使っているから……同調できないのよ。
 だから互いに反発し合うATフィールドの為、近寄ることが出来ない」
「じゃああの使徒には手が出せないと言うの?」
「今のままじゃね。
 でも方法は有るわ、シンジ君に言う訳にはいかないけど」

 シンジに言えない方法と聞いて、ミサトは首をひねった。もはや手出しが出来ない以上、最善の状況はシンジが早く使徒を倒して帰還することのはずだ。それなのに、その為の方法をシンジに教えられないとはどういう事なのかと。

「なんでシンジ君に教えられないのよ?」

 リツコはミサトの質問に答えず、使徒の張るATフィールドにぶつかっている10号機の映像を見た。

「ようはATフィールドを同調させれば良いのよ。
 でも、ATフィールドが消えたらどうなる?
 彼らはATフィールドのおかげで空を飛んでいるのよ。
 そのATフィールドが無くなれば、地球の引力に逆らうことは出来なくなるわ」

 分かるでしょう?とリツコはミサトの顔を見た。

「でも、このままじゃ……」
「分かっているわ。
 決してシンジ君はあきらめない。
 そして……気付いてしまったようね」

 彼女達の視線は、使徒を超えて飛びあがる10号機の姿に向けられた。
 
 



***






 10号機で戦っているシンジには、怒りと焦りが有った。元々空を飛ぶ訓練などしたことはなかったのである。こうしてぶっつけ本番で飛びあがることは出来たのだが、肝心の使徒を倒すことが出来ないのだ。何とかバランスをとりながら、使徒のATフィールドを中和しようとしているのだが、その度に姿勢が崩れて失敗していた。手の届く所に居る使徒をどうにも出来ない、怒りに染められたシンジの心は更なる狂気を引き出そうとしていた。

「……自分の身が可愛いのか……
 飛ぼうとするから中和できないのなら、飛ばなければ良い……」

 インダクションレバーを握り締め、シンジは使徒より更に高い所を見つめた。

「こいつを許す訳にはいかないんだ……」

 シンジの意志を受け、10号機は使徒を超えて飛びあがった。そして十分な高度をとると、そこから自由落下を始めた。

「……飛ぼうと思わなければこの程度のフィールドは中和できる……」

 落下を始めた10号機に遅れて、使徒もまた落下を始めた。シンジの思い通りに、使徒のATフィールドが消失したせいである。落下速度が上がってくるに連れ、使徒の周りの空気が灼熱してきた。陽電子の渦を遮った空気の壁が、今度は使徒の体を燃やし尽くそうとしていたのだ。しかし空気の壁は、その矛先を等しく10号機にも向けた。ATフィールドの無い今、空気の摩擦は10号機の装甲板をも燃やし尽くそうとしていたのだ。その爆発的な熱量は、高いシンクロ率を示しているシンジに、直接フィードバックされていた。

「これぐらい……」

 苦痛からやせ我慢のことばが漏れ出てくる。すでに全身にやけどを負っていうシンジにとって、新たな苦痛は本当なら耐えられるものではないはずなのだ。ただ目の前に近づいてくる使徒の姿だけが、シンジの意識を支えていた。

「焼かれるのが苦しいか……だけど……そんなものは本当の苦しみじゃない」

 空気の抵抗が大きくなるにつれ、両者の間の距離は急接近してきた。だがそれは、10号機により大きな摩擦熱が発生していることを示している。白い機体の10号機は、まるで真紅の姿をした弐号機の様に赤い色に染まっていた。そして最後には、馬乗りになる形で10号機は使徒に取り付いた。

「捕まえたよ……」

 シンジはにやりと口をゆがめると、そのまま使徒の片方の羽を引きちぎった。

「痛いだろう……でも、こんな痛みは絶望に比べたらたいした事はないんだ……」

 そう言ってシンジは、もう一方の羽も同様に引きちぎった。灼熱する空気のため、モニタに映る景色も赤く変色していた。そして分厚い空気の壁を突き切っているため、10号機の機体は激しい振動に見舞われていた。それが使徒の感じた苦痛のように感じられ、その振動がシンジには気持ちよかった。

「やめて欲しいかい、苦しいかい……でも、アスカもそうだったんだ。
 でもお前はそんなアスカの心を踏みにじった、汚した……だから簡単には殺してやらない。
 手足を引きちぎり、体を切り刻んでから殺してやる……」

 言葉の通り、シンジは使徒の体を解体していった。そこには慈悲の欠片もなく、またシンジをとめられるものも居なかった。10号機は、わざわざ手間隙かけて使徒の体を千切っていった。
 発令所のスクリーンには、灼熱した使徒と10号機の姿が映し出され、シンジの吐く呪詛の言葉だけが響いていた。
 だがその狂乱は、何時までも続くことはなかった。分厚い空気の壁に、一方的に10号機に弄られていた使徒が耐え切れなくなったのだ。まるで砂でできたオブジェが壊れていくように、分厚い空気の壁に焼かれた使徒の体が崩れだしたのだ。

「だめだ……まだ、だめなんだよ……まだ足りないんだ……」

 手のひらから零れ落ちていく使徒に、シンジはそう叫んでいた。だが使徒の崩壊は止めようも無く、使徒だったものは輝く光の粒となって10号機の手のひらから消えていった。後に残ったのは、地球の大気に焼かれる10号機の機体だけだった。

「あああっ……」

 全身を包む狂気のせいか、それとも地球が燃やす業火のせいか、すでにシンジからは正気が失われていた。そしてその正気を失った瞳に地球の青が映ったとき、シンジはすべての苦痛から開放された。

「アスカ……今行くから……」

 今シンジの瞳に映っているのは、両手を広げて微笑みかけえくるアスカの姿だった。
 
 



***






 手の届かないところで繰り広げられる戦いを、ネルフの全員は歯がゆい思いで見つめていた。だが事態は刻一刻と変化していった。望遠で映し出されたスクリーンには、灼熱した10号機の姿が映し出されていた。

「新第壱拾伍使徒消滅!完全に燃え尽きたものと思われます!」
「10号機の落下速度上昇!生命維持に問題が出ます!」
「シンクロ率低下!!起動水準を下回ります!!」

 矢継ぎ早にあげられる報告は、どれ一つとって状況の好転を伝えなかった。確かに使徒は殲滅された、だが、その代償があまりにも大きすぎるのだ。10号機が停止してしまえば、その身を守るATフィールドを張ることもできない。ましてや翼を広げて飛行するなど望み得ないのだ。

「リツコ!何とかならないの」

 ミサとは、何とか助けてほしいと隣に立つ親友に懇願した。だがリツコから返ってきたのはすべての希望を否定したものだった。

「何とかできるものならしてるわよ。でもどうすればいいの?残された5号機は起動できない。シンジ君は限界を超えている。何をどうすればいいのか……」
「じゃあこのまま手を拱いて見ていろと言うの!!」
「やってるわよ!だからあの子達にも呼びかけてもらっているんじゃない。でも、これ以上はどうしようもないのよ。どうしようも……」

 いつもは冷静のはずのリツコも叫んでいた。彼女としてもできるだけのことは続けている。だが、それでも及ばないことは有るのだ。だがその間にも、10号機は大気に焼きつづけられた。オペレータ達からの報告は、さらに状況の悪化を伝えるだけだった。

「……生命維持装置……停止」
「10号機……システム異常発生……MAGIから外れます……」

 大気の摩擦熱は、素体レベルにまで影響を及ぼしていた。その前には軍事規格以上のスペックを持つ、10号機の制御系も耐え切ることはできなかった。高温に加熱されたシステムは、その限界を超え次々と壊れていった。スクリーンに映るのは、巨大な隕石と変わらない10号機の姿だった。

「これでお終いなの……」

 力なく呟かれたミサトの言葉に、誰も答えることはできなかった。
 10号機の戦いを見守っていた子供達も、震える体をどうすることもできなかった。かろうじてムサシが、マナとレイコの二人を支えていると言う状態だった。
 エヴァは起動しない。地上からも何の手の打ちようもない。すべてが終わってしまったと全員が諦めようとした時、灼熱するスクリーンを凝視していたムサシが、10号機の小さな変化を見つけていた。
 相変わらず10号機は、MAGIから完全に切り離された状態に居た。そしてそれをコントロールするための電子機器は、すでに高熱によって機能しなくなっていた。そうなってはパイロットが自力で出来ることは何もないはずなのだ。だがムサシの目には、10号機が両手を広げようとしているように見えたのだ。

「レイコ…マナ…見てみろ…」

 ムサシの言葉に、二人は恐る恐るスクリーンに視線を戻した。だが彼女達に見えたのは、相変わらず真っ赤に燃える10号機の姿だけだった。

「お兄ちゃん、何が……」

 何を言いたいのかと言い掛けたレイコだったが、そこにわずかな変化を見つけ思わず息を呑んでいた。明らかに10号機が動き出そうとしていたのだ。
 それは発令所の中に歓喜と動揺を引き起こしていた。もしかしたら助かるかもしれないと言う喜びと、なぜあの状態から動くことが出来るのかと言う恐怖。その二つが急速に広がっていった。

「10号機の落下速度が低下していきます……ATフィールドの展開を確認!!」

 オペレータからは、目の前の出来事が決して錯覚ではないことを知らせる報告があがってきた。だが報告を待つまでも無く、彼らの目の前で明らかな動きを10号機は見せた。

「翼が……」

 誰の呟きかは分からない。だがそれはどうでもいいことであった。彼らの目の前で、10号機ははっきりと翼を広げて見せたのだ。その様子に、発令所の中は歓声に包まれた。

「助かるのね…シンちゃんは!」

 そう言って涙を拭うミサトの姿に、リツコは単純には喜んでいない自分が居るのを感じていた。あの状態からシンジが10号機を動かすのは“ありえない”ことなのだ。だが現実に10号機は翼を広げ、滑空を始めている。ならばどうして10号機は起動したのか……

「この世は謎ばかりというけど……今はシンジ君が助かることを喜ばなくちゃ……」

 リツコは気持ちを切り替え、すぐにシンジの回収の指示を飛ばした。いくら10号機が飛んでいるからとは言え、出撃前からシンジは危険な状態にあったのだ。それがこの戦闘で悪化している可能性もある。一刻も早い処置が必要とされるのだ。
 そのリツコの指示に、オペレータ達は満点の対応を見せた。彼らはすぐさま各方面に連絡をとり、10号機の回収ならびに、パイロット保護の依頼を完了させたのだ。後は10号機が地上に降りるのを待つだけである。
 全員が見守る中、10号機はゆっくりと空を滑り、地上に接近してきた。機体を襲った高熱のため、すでに装甲盤の大半は熔け落ち、その下の素体も無残に焼け焦げていた。それでも10号機は飛び上がったときと同様に、何事も無かったように地表に降り立つとゆっくりと活動を停止した。すでに計器と言う計器は役に立たなくなったため、内部の状況は推し量ることは出来ない。だが少なくとも、現状において10号機がおかしな挙動を示すことは無いと推測することは出来た。

「あとはシンジ君を収容するだけね……」

 リツコがほっと一息吐いたとき、発令所にあわただしく飛び込んでくる人影が有った。

「あら、ダンチェッカー博士……どうなされました?」

 このときになって、リツコはダンチェッカー達がこの場に居なかったことを思い出した。そしてリツコは、シンジの無事を知ったので慌ててダンチェッカーがここにやってきたのかと推測した。だが次の瞬間、リツコは自分の考えが甘かったことを思い知らされた。戦いはまだ終わっていなかったのである……
 息を切らせて掛けこんできたダンチェッカーは、リツコが今まで自分達のを忘れていたことを気にすることは無かった。彼にとって、そしてネルフにとって大切なことを一刻も早く知らせる必要があったのである。ダンチェッカーは乱れた息を整えながら、これからの彼らの運命を決定付ける重大なことをリツコに告げた。

「MSIのラボと連絡が取れなくなった……
 タイタンもBIACも応答しない……
 今ジョンが確認しているが、電話を含むすべての通信手段が途絶している……」
「ちょ、ちょっと待ってください……それはいったいどういう……」
「最悪の場合、MSIの所有しているすべてが失われたことになる……
 2体エヴァンゲリオン、そしてダミープラグ……渚カヲルが……」

 ダンチェッカーから語られた最後の名前に、リツコもミサトも今まで重要なことを忘れていたことに気が付いた。使徒達が以前に倣って出現するのなら、最後に現れるのはまた彼らでなければならなかったのである。
 

渚カヲル、そして綾波レイ
 

 その二人の意味は、誰よりもシンジにとって大きく、そして過酷なものだった。
 
 
 
 
 
 
 

続く
 


トータスさんのメールアドレスはここ
tortoise@mtb.biglobe.ne.jp



中昭のコメント(感想として・・・)

  トータスさんのルフラン第30話、投稿して頂きました。

 >たった一撃で、絶大な破壊力を持つ使徒の攻撃の一つは無効化された。
 顔から出る光線ですな、このまま放っておけば別の所に顔ができそうですけど

 >使徒に残された攻撃手段は両腕代わりの鋭い刃だけだった。
 割と攻撃のタイミングは測れそうな武器でしたな。

 >その苛烈な攻撃に、すでに使徒の顔だったものはその原型をとどめず、拳が振るわれるたびにあたりには使徒の体液が飛び散った。
 巧いこと各個撃破できそうですね。

 >遅れて到着した新第壱拾六使徒が10号機に取り付けない事で最高潮に達した。
 お?
 ATフィールド

 >「心の暴走……あえて言うのならそんな物かしら……」
 勝っているけど、あまりいい状況とは思えないって所ですね。

 >どこかでいい気味だと思っていたんです」
 へびぃ
 でも、昔のこととはいえ正直に言う所がマナらしい

 >かつて脅威でしかなかった2体の使徒は、ただの肉片となってその足元に散らばっていた。
 うむぅうう
 私、三体が合体して巨大使徒になるとか、仮面の忍者赤影的な期待をちょっぴり持ってたのですが
 …復活しないかしら

 >「10号機、背面装甲盤変形……
 >つ、翼です!翼を展開しようとしています!!」
 初号機クラスの力を発揮する?!

 >マヤが叫んだ瞬間、全員は思い出した。目の前に居る量産機は、空からネルフ本部を強襲した事を。
 あ、そっか。元々翼があったのでした。

 >でも……だめ、見事にブロックされているわよ。
 >これ以上脳に干渉したら、逆に一生目が覚めないことになりかねないわ」
 抜かりはないですな…
 これではシンジの怒りはとけそうもない

 >「オペレートできる可能性を持った人間はあそこに居るのよ…」
 全てはシンジにかかってるわけですな。

 >「アスカ……今行くから……」
 >今シンジの瞳に映っているのは、両手を広げて微笑みかけえくるアスカの姿だった。
 って、なんか気を失ってるぅ

 >「最悪の場合、MSIの所有しているすべてが失われたことになる……
 >2体エヴァンゲリオン、そしてダミープラグ……渚カヲルが……」

 >最後に現れるのはまた彼らでなければならなかったのである。
 >渚カヲル、そして綾波レイ
 ぬぅううおお盛り上がり

 前回は本人はほとんど戦ってなかったカヲル君。
 人間に近づいた為に殆ど力を失ってしまった使徒って説もありますが、どれほどの実力を持ってるのでせぅか

 そもそも、闘う手段をほとんど失ってしまったNERVに打つ手はあるのか

 
  次回もお楽しみです



  みなさん、是非トータスさんに感想を書いて下さい。
  メールアドレスをお持ちでない方は、掲示板に書いて下さい。


前へ    次へ

Back    Home inserted by FC2 system