「せんせ、野球をせいへんか」
トウジの何気ない一言が、それからのボク達を大きく変えた。とんとん拍子で集まるメンバー、一中野球部は訳の分からないうちに旗揚げした。顧問の先生の専任、部室の確保、なぜだか問題と思われていたことはすんなりと解決して行った。
野球部発足へ向けての雑事の中、ボクは、ほんの少し前に起こったサードインパクトのことを思い起こした。人々の記憶からは消えてしまった事件、ボクの心には鮮明に残っている...
サードインパクトの中、人の中で生きることを選んだボクは、アスカとともにこの世界に再生した。赤い波がうち寄せる浜辺でボクはアスカと向かい合った。アスカは一言「気持ち悪い」と言ったあと、何もしゃべってくれなかった。だからボクは必死になって説明し、病院でのことも含めてアスカに謝った。口先ではなく、心から。一通りボクの説明を聞き終わった後、アスカがようやく口をきいてくれた。
「もういいわよ。こうやって生きているんだし」
「ごめ...ありがとう」
「お礼を言われる事じゃないわ。それでこれからどうするつもりなの」
「どうするって...」
確かにアスカの復活を願ったけど、その後どうするか考えていなかった。まあどうにかなるかと思っていたのだがつくづくその考えは甘かったようだ。
「考えてなかったの?」
「....うん」
ボクはうなずくしかなかった。
「あんたバカ〜〜!あたしたち二人だけでどうするつもりなのよ。食べ物だって、
住むとこだって、いろ〜んな物がいるのよ」
「....うん」
「『うん』じゃないわよ。どうしてくれるのよ、どうして!」
「え〜っと....どうしよう」
初めはアスカの許しを得られてうれしかったボクだけど、だんだん先行きの不安が大きくなってきた。それが顔に出たのだろうか、アスカは本当にボクに何も答えがないのを分かったのかあきらめたような口振りで言った。大きなため息とともに。
「ハァー、アンタに期待した私がバカだったわよ。
とりあえずどこか休める場所にいきましょ。
いつまでもこんなところに居ても仕方ないから。
いろいろと考えるのはそれから!」
「うん、分かった」
ボクにはとても他の案が見つかりそうもなかったので、アスカの提案に従うことにした。ボクはさっさと立ち上がると、座っているアスカの手を取って引っ張りあげた。アスカは「きゃっ」と言う小さな悲鳴を上げて立ち上がり、文句をぶつけてきた。
「ちょっと〜、レディの体は繊細なんだから、もっと気をつけて扱んなさいよ」
どう考えてもアスカと繊細、その二つの言葉の間のつながりが見つからなかったが、ここでそれを口に出すことが愚かな行為であること、それぐらいボクにも分かったのでとりあえず(これがいけないのだが)謝ることにした。
「ご、ごめん」
「ナンカ誠意が感じられないのよね。ホントに悪いと思っている?」
「う、うん」
アスカはボクの事をしばらくじっとにらんだが「まあいいわ」と言って許してくれた。それからボクはアスカの「私は体が弱ってるんだから、アンタが肩を貸しなさい」というお願い(命令?)に従ってアスカに肩を貸して歩き出した。でも「へんなとこ触ったらコロスわよ」はよけいだよ、さわんなきゃ歩けないじゃないか。ボク達二人はミサトさんのマンションへ向かった。あそこなら郊外にあるから被害を免れているだろうし、何よりも僕たちの荷物があるから落ち着けるという理由だった。
小一時間も歩いたところで、ようやくミサトさんのマンションについた。ボクははっきり言って疲れ切っていた。それは「感謝しなさい。アンタにアタシをおんぶする名誉を与えてあげるわ。まあアタシが病み上がりじゃなかったらとてもこんなことはできないわよ」というありがたくて涙が出そうなお願い(命令だよな?)で結局ほとんどの部分アスカをおぶって歩いた事に原因があるのだが。確かに病室でのアスカを知っているボクは逆らえるわけもなく、ただ黙って従うしかなかった。病院でのアスカ...思い出してしまったアスカの白い胸と、背中に当たる感触...いけない膨張してしまう...あのときアスカにしてしまったことと、今自分がおかれているそれなりにうれしい状況に、自己嫌悪と訳の分からない浮かれた気分の中、ボクはアスカをおぶって歩いた...とっても歩きづらかった。でも歩きながらふと疑問に思った...そういえばアスカの包帯って誰がまいたんだろう。
マンションについて僕たちが最初にしたことは食料の確保と、電気・水道・ガスの供給状況の確認だった。予想通りというか電気はまったく駄目だった。ガスは少しは配管の中に残っているのか火をつけることはできるが、時々消えたりするので危なくて使えない状況だった。幸い、物置をあさったら懐中電灯と、カセットコンロが出てきたので当面それで我慢することにした。水の方はそれなりに高層マンションだったおかげで、屋上のタンクにまだ水が残っており、いつまで持つかは分からないが何とか使える状況にあった。食料はミサトさんの買い置きのレトルトやインスタント食品があったのでとりあえずは大丈夫そうだった。この時ばかりはミサトさんの食生活に感謝した。
「アスカ、とりあえず食事にする?」
「なにがあんのよ」
「カップメンとかレトルトのカレー。ご飯はこれからじゃ大変だからカップメンと缶詰かな。
缶詰は魚の缶詰と、ウインナー、桃の缶詰、牛肉の大和煮...」
「まあ、あんまり贅沢は言えないわね。食べるものがあるだけでも感謝しなくちゃね」
「うん、明日はもう少しまともな物が食べられるようにするから」
そうして僕たちはカセットコンロで沸かしたお湯を使って、カップラーメンを作り懐中電灯の下で粗末な食事をした。何の変哲もないカップラーメンだったけど、熱いスープが思いっきりお腹のすいているボク達にはとってもおいしく感じた。スープの最後の一滴まで飲み干すと、デザート代わりに桃の缶詰を食べた。冷えていない桃の缶詰はやたらと甘く感じたが、その甘さも疲れた体には心地よかった。
食事をして人心地ついたので、ボク達は他に帰ってきてる人がいないか確認してみることにした。といっても携帯ラジオを使って何か放送しているところがないかと探してみるだけだったけど。ラジオは偶にノイズ以外の音声を出してくれたけど、アスカが言うには(一体何カ国語が分かるんだろう)機械が勝手にテープを流している代物だそうだ。ワイドバンドの受信機だったので短波からアマチュア無線まで調べてみた。でも結局人が発している通信は捕まえることが出来なかった。電話も調べてみたけど、携帯もマンションのもうんともすんとも言わなかった。
「本当に誰もいないのね」
「ごめん」
「何でアンタが謝るのよ」
「ここにアスカとボクが再生したのはボクが願ったからなんだ」
「...」
「でも、これだけは信じて欲しいんだ。
他の人がいらないとか、邪魔だとかそんなことは少しも思わなかったんだ。
ただアスカと一緒に居たい...それだけを願ったんだ」
「そう...」
アスカは少し考えてから「ありがとう」と言ってくれた。何にありがとうなのかは聞けなかったけど。ボクは「うん」とだけ答えた。アスカはまた何か考えていたようだ、いや何か迷っていたのかな?しばらくしてボクの顔を見つめて甘えた声で「シンジ、お願いがあるの」といってアスカはボクの方に寄りかかってきた。いつもと違って汗の臭いのするアスカが何故かリアルに感じて、胸がどきどきと高鳴り口の中が乾いてくるのを感じた。
「なっなに」
心の中の焦りが現れたように声が少し裏返っていた。アスカはボクの目をじっと見詰めて言った。
「お風呂に入りたい」
そういった後、アスカはプイッとボクから顔を逸らし恥ずかしそうに下を向いていた。
「へっ?」
僕は瞬間分けが分からず間抜けな返事をした。
「だーかーら、お風呂に入りたいのよ。
だって、体も髪もべたべたで気持ち悪いんだもん。それに....」
アスカが顔を上げずに小さな声で言うから、最後の方はよく聞こえなかった。確かにボクも汗まみれで気持ち悪いことは確かだけど。だけどガスも電気も使えない状況でどうやってお風呂を沸かすのか見当がつかなかった。
「でも、ガスが使えないからお湯が沸かせないよ」
「ほんとにバカね。時間がかかるけどカセットコンロでお湯を沸かせばいいじゃない」
アスカはそんなことも分からないのかという顔でボクを見た。確かにカセットコンロを使えばお湯は沸かせるけど...一体どれだけ時間がかかるのだろう。ふと不安にはなったがアスカのお願い(強〜い命令!)もあったし、ボク自身お風呂に入りたかったのでお湯を沸かすことにした。
2時間ほどかけてようやく浴槽にお湯を満たし、浴室に懐中電灯を点けたボクは、アスカに一番風呂に入って貰おうとアスカを呼んだ。
「アスカー、お風呂入ったよ」
アスカがタオルをもって浴室に来たので、ボクは居間へと行こうとした。さっさと行かないとアスカにまた怒鳴られそうな気がしたから...そうしたらいきなりアスカに呼び止められた。
「ちょっと、どこへ行くつもりなの」
「どこへって、ここにいるわけにはいかないから、アスカがお風呂から出るまで居間でまってようかと...」
「あんたバカー、アタシにこの手でどうやってお風呂に入れって言うのよ。
けがはないみたいだけど痛くて動かせないのよ」
「そんな事言ったって、どうすればいいのさ」
「あんたも!一緒に!入るの!」
多分ボクの顔は真っ赤だったろう。アスカの顔は残念だけど明かりが暗くてよく分からなかった。ボクの答えは言葉にならなかった。
「えっえっえ」
「今更何を恥ずかしがっているの。
この世界にはアタシたちしか居ないのよ。
これから二人で生きて行かなくちゃいけないんだから...
それともアタシとお風呂に入るのはイヤなの?」
アスカが不安そうな顔でボクの方を見た。
「そっそんなことないよ。でもいいのホントに」
「...うん」
僕たちはお互い黙って来ている物を脱ぎだした。アスカは手がうまく使えないようだったけど、プラグスーツの機能が生きていたのか、簡単に脱ぐことが出来たようだ。服を脱ぐとアスカは「あんまり見ないで...」といってお風呂の中に入っていった。
「見ないと洗えないだろ...」
と僕はつぶやいたが、やっぱりアスカの方を見るのは恥ずかしかったから、アスカの方を見ないようにしてお風呂に入っていった。そうしたら案の定浴槽に足をぶつけた。痛みにひざを抱えてうずくまっているボクに、アスカはあきれたように声を掛けてきた。
「あんたバカ〜、なにやってんのよ」
「だってアスカが見るなっていっただろ」
「それにしたって、そんなに勢いよく入って来なくたっていいじゃない」
「それはそうだけど」
少し僕は顔を膨らました。
「はいはい、すねないすねない。
こぼれるとお湯がもったいないからアンタが湯船につかるのはアタシが出るまで待っててね。
先に体でも洗ってなさいよ」
アスカの方を向くと気持ちよさそうにお湯に浸かっていた。長くなると思ったボクは先に頭と体を洗うことにした。頭を洗っていると何か視線を感じたので、顔を上げてみるとボクを見つめているアスカと視線があった。
「どうしたの?」
「べっべつに、アンタのことを見つめてた訳じゃないわよ、
ただ男の人の体ってこうなのかなって思っただけで...いや、だから、生物学的に..その...」
だんだんアスカがしどろもどろになってくるのがおかしかったけど、ここでからかうと後が怖いのでからかうのは止めた。
「アスカって、男の人の裸、見たことないの?」
「どっどうしてそんな事言うのよ、私はまだよ...それにキスだってあれが初めてだし...」
アスカは焦っていたのか言わなくてもいいことまで口にしていたようだ。ボクも舞い上がっていたので細かい内容にまで気が回らなかったけど。
「お父さんとお風呂に入ったことないの?」
「あっ、そっそれね、うち...ちょっと色々とあってね...」
そういうとアスカは俯いてしまった。ボクは悪いことを聞いてしまったと思い自分の事を話すことにした。
「ごめん、変なこと聞いちゃって。実はボクも父さんとお風呂に入った記憶がないんだ」
「そうなの...」
そう言うとアスカはずいっと音が聞こえるかの勢いで顔を上げニタッと笑って聞いてきた。
「な〜んか、やけにシンジは落ち着いてるわね。
アンタは女の子の体を見たことあるんじゃない。
誰のを見たのかな〜。
まさか私のを覗いたんじゃないでしょうね」
いきなりそんなことを聞かれたので、ボクはかなりあわててしまった。でも綾波のを見たなんて言えるわけがないので嘘をつくことにした。うまくいったかどうだか分からないけど。
「かっ母さんのだよ、小さいときは一緒にお風呂に入っていたから...」
「ふ〜ん...まあ、そういうことにしておいてあげるわ」
うっ、アスカの目が疑ってる。まあ、信じてもらえるとは思っていなかったけど。ここは無理矢理でも話題を変えることにしよう。
「そ、そうだよ。それで、アスカは洗わなくてもいいの?ボクはもう洗いおわったけど」
シュンと音を立ててアスカの顔が真っ赤になった(ような気がしたけど明かりが暗くてよく分からなかった)。
「そっそうね、じゃあ、出るからお願いね。ぜーったいに変なとこさわっちゃだめだからね」
一体触らないでどうやって洗えばいいんだ。そう思ったが口に出すとさらにややこしくなるのから「ハイハイ」とだけ答えて、石鹸でアスカの背中を洗い出した。後ろから見える範囲で差し支えなさそうな場所(当然お尻なんか洗えるわけがない)を洗い終えてしまい、この後どうしようかと考えていたらじっとしていたアスカから声がかかった。
「...どうしたの」
「あっあの、背中とか手とか洗っちゃったから、
その、残ってるのが前だから...どうしようかと」
言ってる端から自分が真っ赤になってるのが分かる。アスカもようやくそのことに気がついたのか慌てて僕の手から石鹸の付いたタオルを奪い取った。
「あ、後はアタシがやるからアンタはお湯にでも浸かって暖まってきなさいよ」
「うっうん、目をつぶっているから。終わったら言って、お湯を流すから」
「うん」
アスカが小さく肯いた。僕は湯船に浸かると洗っているアスカの事を見ないように目をじっと閉じた。しかし目を閉じると聴覚が研ぎ澄まされる。それに余計変なことを想像してしまう。そこでボクは変な妄想にとりつかれないように最悪の選択だが父さんの顔を思い浮かべることにした...でもやってみて思いっきり後悔した。
「シンジ...終わったよ。シンジ...」
しばらく反応がなかった僕をいぶかしげにアスカが覗き込んだ。
「アンタどうしたのよ、なんか顔が怖いわよ」
僕はどう答えていいのかわからなかった。でも変なことを考えていると思われるのも自分の努力に対して癪だったので。
「目をつぶってると変なことが思い浮かんでくるんで...
ちょっと鎮静剤代わりに父さんの顔を思い浮かべたんだけど...ききすぎた...」
アスカは何のことか分からないという顔をしていたが、すぐに気を取り直した。
「終わったから、お湯を流してくれる。それからお願い頭を洗って...」
ボクは「うん」といってお湯からあがって背中からお湯を掛けてあげた。洗っているときにも思ったけど、アスカの体って色白で華奢で細くて、筋肉だってあんまりついてない。こんな体にみんなは全人類への責任を背負わせてきたのか。ボクはこんなか弱い体に「助けて」とすがり付いてしまったのかと。そう思っていたら、なぜかアスカにとっても申し訳なくて、いとおしくて...気がついたら後ろからアスカを抱きしめていた。アスカは一瞬びくっとしたがやさしくボクの手に手を重ねてくれた。
「...アスカ...」
「...何?」
「...アスカが無事でよかった」
「...ボクはあの時、アスカが助けられなくて...
もう逢えないのかと思ったら...
もうどうなってもいいと思っていた。
だから、だからこうしてアスカが目の前にいてくれて、夢じゃなくて...
本当にいてくれて...
本当によかった」
「シンジ...」
「そして分かったんだ...ボクがアスカを好きだということに」
「シンジ...」
アスカはそういってボクの方に顔を向け、おとがいを上に上げて目をつぶった。ボク達の唇は自然に重なり合った。初めての時とは違う、大人のキス(ミサトさんありがとう)。端からみればお風呂場の中で裸でキスをしているなんてとんでもないことだろうけど、その時のボクはただアスカがいとおしくて、ただ心が通じた気がしてうれしくてそれ以上のことは考えられなかった。長いキスが終わったあと、ボク達はしばらくの間そのままの姿でお互いを見詰め合っていた。しばらくしてアスカはボクから目をそらし「頭...洗ってくれる」と小さく言った。ボクはその言葉でようやく動きを取り戻した。
見つめあうような格好でアスカの頭を洗っている間、お互い一言もなかった。だけどボクにはそれは気持ちのいい沈黙だった。頭を洗い終わった後は二人で湯船に浸かってからお風呂を上がった。結局アスカは自分の体を拭くことができなかったのでボクがタオルでアスカの全身をふいてパジャマを着せた。
「生き返った気持ちね」
アスカがそういった。ボクもまったく同じ気持ちだった。二人とも疲れていたので、いろいろとしなくてはいけないことはあったけどボク達は寝ることにした。「お休み」といって自分の部屋に入っていこうとしたボクをアスカは呼び止めて言った。
「一緒に寝ていい?」
「どうして」って言おうと、アスカの目を見たボクは、理由を聞いちゃいけないと思い「うん」とだけ答えた。
ボク達は背中合わせでベッドの中に入り眠ることにした。背中越しに感じるアスカのぬくもりのせいでボクは目が冴えてしまった。それでもアスカを起こさないように目をつぶってじっとしているとアスカの声が聞こえた。
「シンジ...起きてる?...」
「ごめん...アスカ...起こしちゃった?」
ボクはアスカを起こしてしまったのかと思って謝った。
「...眠れなかったの...」
「やっぱり狭いよね。ボクが下で寝ようか」
「...チガウノ...」
アスカの声は小さくつぶやくようだった。
「えっ?」
「...どうして、何もしないの...」
「どうしてって...」
「お風呂の中の事...うれしかったんだ...
私の事好きだって言ってくれて。
初めてなんだ
そんな風に言われたの。
私シンジに酷いこといっぱい言ってたから
ファーストにも酷いことをたくさん言ってたから
シンジ、ファーストのこと好きだから...
だからシンジに嫌われてると思っていた
うれしかったの...抱きしめてくれて...キスしてくれて...
だから...」
アスカの声がだんだん小さくなってきた。アスカの気持ちが、ふれた背中から伝わって来る気がした。アスカが欲しい、それは確かに自分の中に膨れ上がっている気持ち。だけども二人だけで生きて行くにはあまりにもボクたちは物事を知らない。だから自分の心に流されてはいけない。ボクはそう思った。
「...アスカ...」
アスカが一瞬びくっとしたのを感じた。
「アスカが欲しいんだ...
でもまだボク達には早すぎる。ボクはそう思う...
まだまだ生きて行くには乗り越えなくちゃ行けないことがたくさんあるんだ。
それを乗り越えて、ボクに自信がついたら...
その時はアスカ、君を抱いてもいいかい」
アスカは少しさびそうな顔をしたが肯いてくれた。
「だけど...アスカのことを抱きしめてもいい?」
何も言わずアスカはボクの胸に縋りついてきた。ボクたちは抱き合ったまま眠りに落ちていった。
翌朝目覚めた時、ボクの目に映ったアスカの寝顔はとても素敵だった。もう少しアスカの暖かさを感じていたいと思ったけれど、朝食の用意もあったのでボクはベッドから出た。安心して眠り続けるアスカの顔...ボクはそっとアスカに口付けをした
今日は少し時間に余裕があるのでお鍋を使ってご飯を炊くことにした。後は見つけておいたインスタントのみそ汁と干物、海苔をおかずにした。冷蔵庫に卵があったけど、さすがに食中毒が怖かったのでこれは使わずに捨てることにした。
お鍋でご飯を炊くのは初めてだったけど、ケンスケに教えて貰った飯盒の要領で炊いてみたらうまくいった。炊きあがったご飯を蒸らしながらケンスケと食べたご飯の事を思い出した。
「ケンスケ、トウジ...委員長...ごめん」
ネルフの人たちやクラスの友達の顔が浮かんでは消えた。結局ボクは何も守れなかった。あの時ボクがしっかりしていれば...少なくともこんな事にはならなかったはずだ。その思いがボクを苦しめた。
「おはよう...シンジ」
自分の考えに没入していたせいか、そのときまでアスカが起きてきたことに気がつかなかった。ボクは振り向きアスカに「おはよう」と言って、干物を焼き、おみそ汁の準備をした。
「ごめん、こんな物しかないんだ」
ボクの言葉にアスカは少し顔を険しくした。
「お願い、自分のことを責めないで。
シンジが自分の事を責めてるのを見るのは辛いの。
これはアタシたちの手の届かないところで起きたのよ。
シンジのせいじゃないわ」
「うん、でも...」
そう言ったとき、ボクは頬に痛みを感じた。目の前には涙を浮かべたアスカの顔があった。
「お願いだから、私を見て。今私たちはここに居るのよ。
私たちにはしなくちゃいけないことがたくさんあるはずよ。
だから...だから、終わってしまったことで自分を責めないで。
これからの事を考えて」
ボクにはアスカの気持ちが痛いほど分かった。だから「うん」とだけ言って、朝食を並べた。ご飯は少し軟らかかった気がしたけど、おいしかった。
食事が終わった後、ボクは後かたづけをしながらアスカに聞いた。
「お湯...使う?」
アスカは「何のこと?」という顔で少し考えていたが、急に顔が赤くなったかと思うと小さな声で言った。
「いいわ、贅沢は言ってられないもの
それにお風呂は夜だけでいいわ」
***
「今日の事なんだけど...」
アスカにボクは話を切りだした。
「食料と燃料を探しに行こうと思うんだ。
それにタオルや下着なんかも探そうかと思うんだけど...アスカはどうする?一緒に行く?」
アスカはいつもの両手を腰に当てた格好で「アンタバカァ、きまってんじゃない」という顔をしてボクに言った。
「ついてくわよ」
いつものアスカの仕草、いつものアスカの言葉だったけれどもボクにはその言葉が優しく感じられた。
「じゃあ、一緒に行こう」
そう言ってボクはアスカと一緒に出かけた。目的地に向かう途中も、壊れかけた商店で物を探しているときも、ボク達はずっと一緒だった。
ボク達は水や食料、衣類、燃料を集めると台車に乗せてマンションまで運んだ。節約すれば1週間程度暮らせるほどの量があった。
その夜もボク達は一つのベッドで眠った。
ボク達は毎日明るいときは、二人で生活に必要な物を探して歩き、夜はお互いの存在を確認するかのようにぴったりとくっついて眠った。いつも、何をするにも二人は一緒だった。
ボクは左腕にアスカの重みを感じながらベッドの中で一人思った。どこを歩いていても遠くにLCLに浸かった綾波の顔が見える。なぜか恐怖は感じなかったが、やはりボク達二人しかこの世の中にいないのだと思い知らされるような気がして、綾波の顔を見るのは悲しかった。
「綾波...」
アスカはボクが願えばみんなが帰ってくるんじゃないかと言った。でもボクにはどうすればいいのかわからなかった。戻ってきて以来、綾波もカヲル君も感じることができなくなっていたから。
「綾波、カヲル君。ボクはどうしたらいいんだ...」
ボクはアスカを抱き寄せ目を閉じた。
***
『.....ジ君、..ンジ君、シンジ君』
『...り君、...かり君、..碇君』
いつしか眠りに落ちてしまったボクは誰かに呼ばれる声に気がついた。誰だろう?アスカと呼び方が違う..でも他に誰もいないはずなのに...ボクは顔をあげて声のする方を見てみた。そこには思いがけない二人がいた。
『綾波、それにカヲル君。どうしてここに』
『やあ、シンジ君久しぶりだね。僕たちはシンジ君が呼んだから来たんだよ』
『本当に綾波とカヲル君なんだね...うれしいよ』
『まだ僕たちのことを受け入れてくれるんだね。ありがとうシンジ君』
『そんな...ボク達は友達じゃないか...
それにボクだってカヲル君のことを...
取り返しのつかないことをしてしまったのに...』
『そのことはもう忘れてくれないかい。
それより、僕たちがここに現れた理由を聞かなくていいのかい』
カヲル君はニッコリと笑って言ってくれた。あの時と笑顔そのままに。
『ありがとうカヲル君。そうだねどうしてボクのところに来てくれたの』
『シンジ君が、世界をもとに戻したいと願ったろ。だから僕たちが来たんだ』
『そうなんだ。じゃあ、アスカも呼んでこなくちゃ』
ボクがそういうと、綾波は少し困った顔をした。
『弐号機パイロットはここに来られないわ』
『どうして?』
『ここは碇君の心の中の世界。碇君のATFを通り抜けた者しか現れることができないのよ』
『じゃあ、これは夢なの?』
カヲル君は困ったものだという顔をして綾波を見詰めたあと、ボクに教えてくれた。
『シンジ君が寝ているという事実は夢と似ているけど、これは夢ではないよ。
僕たちはシンジ君が寝ることによって外部からの干渉を受けやすくなったATFに干渉してシンジ君の心の中に入ってきたんだ。
だから、これはシンジ君の心が作り出した夢ではなく、現実なんだ』
『だから、アスカが出てこれないんだ...』
『そういうことでもないんだけど...』
カヲル君は少し曖昧な言い方をした。「何だろう」とは思ったが綾波がアスカは来ないと言ったからボクはそれを信じることにした。
『それで、どうしたら世界をもとに戻せるの?』
『それはシンジ君が強く願えばいいんだ。
そうすれば僕たちが少しお手伝いをするだけで世界は元の姿を取り戻すよ』
『碇君はそれでいいの?そのまま元の世界に戻っていいの?』
『何か問題があるの?』
『レイ、ちゃんと説明してあげないとシンジ君に分からないよ』
そう言うとカヲル君はボクに教えてくれた。
『実は、シンジ君と僕たちが協力すれば世界を少しいじることが出来るんだよ。
世の中に使徒もエヴァも存在しない世界。当然人類補完計画なんかも存在しない世界。
それを作ることも可能なんだよ』
『じゃあ、ぜひそんな世界を作ろうよ。あんな世界はあってはいけないんだ』
ボクがそう言った時綾波とカヲル君が少し悲しそうな顔をしたのに気がついた。
『綾波、カヲル君どうかしたの』
『実は、その世界には僕たちの居場所がないんだ』
『どうして...』
『僕たちは使徒だからね』
『そんな...なんとかならないの?もう綾波も、カヲル君もいなくなるのはいやなんだ』
綾波とカヲル君は顔を見合わせ、少し何か話し合ってからボクに教えてくれた。
『手はないことはない。僕たちもリリンになればいいんだ...でも...』
『どうしたの、カヲル君』
『僕たちの落ち着き先がないんだ』
『どういうこと?』
『リリンの世界で生きていくためには何らかの経済的基盤を持たなくてはいけないんだけど、
僕たちにはそれがない。何しろ僕たちには親も兄弟もいないからね』
ボクは少し拍子抜けした。
『そんな事だったら、ボクのところにおいでよ。
綾波は母さんの遺伝子を受け継いでいるんだろ。
それならボクと兄弟じゃないか。
カヲル君はちょっと兄弟というのは問題あるかもしれないけど一緒に住むことくらい何とでもなるよ。
戸籍ぐらいリツコさんに頼めばどうにでもなるから
それで、カヲル君...お願いがあるんだ』
『分かってるよシンジ君。惣流さんのお母さんのことだろ』
『どうしてそれを...』
『僕たちはシンジ君のATFの中に居るからね。
惣流さんのお母さんは弐号機に心が残っていたから何とかなるよ』
『そうなんだ』
『加持さんも大丈夫だよ』
『ありがとう』
ボクはミサトさんに恩返しが出来る事がうれしかった。でも、僕にはもう一つ心にひっかかっていることがあった。
『父さんと母さんはどうなの?』
綾波が教えてくれた。
『碇司令とユイさんはLCLに溶けずに、初号機の中に残ってしまったわ。だからここにいないの』
『そうなのか...』
ボクは補完世界の中から二人が消えてしまったので半分あきらめていたが、はっきりと言われるとやはり辛かった。
『シンジ君、方法はないことはないんだよ。
お二人の意志には反するけど、僕とレイが力を合わせれば無理矢理この世界に引戻すことは可能なんだよ』
『でも、父さんと母さんは望んでいないんじゃ...』
ボクは父さんと母さんが二人だけの世界を望んだということが悲しかった。やはりボクはいらない子なのかと。ボクが沈んでいると突然アスカが割って入ってきた。
『そんなの気にすることはないわよ。
シンジはこれまで苦しんできたんだから、親に好き勝手にさせておく必要はないわ。
そこのアンタ、ファースト気にしないで二人を引きずり戻しちゃいなさいよ』
『アスカどうしてここに、それにそんなこと言ったって...』
『どうしてかって言われても知らないわよ。気がついたらここにいたんだから。
それよりアンタは人に気を使いすぎなのよ。
あの二人はアンタの親なのよ。アンタと暮らすのは親として当然の義務よ』
ボクはアスカにそういってもらって心が楽になったような気がした。
『そうだよね、ありがとうアスカ...』
『そういうことだからファースト、そこのアンタ遠慮なく連れ戻して』
『分かったよ惣流さん。それから僕の事はカヲルと呼んでくれないかい』
『いいわよ。ファーストは』
『...わかったわ』
『他に何か希望はないかい?』
『アタシはママと加持さんが帰ってくるなら後はいいわ、
エヴァはなくなるんでしょ?これから、う〜んと楽しんでやるんだから、いいわねシンジ』
『ボクも母さん達が帰ってきてくれるんならそれでいいよ。もう戦いもないし。
綾波やカヲル君もそれでいいの』
『...私は碇君がいいと思うのならそれでいいわ』
『僕にも異存はないよ、シンジ君』
ボクとアスカがこれからどうすればいいのか聞いてみた。
『新しい世界が出来るまでボク達は何をすればいいの』
『ここから先は僕たちの仕事だよ。
シンジ君たちはただ願っていてくれればいいんだ。
明日の朝には仕事は終わっていると思うからそれまで寝て待っててくれないか』
『うん、わかったよ綾波、カヲル君。ありがとう、そしてこれからもよろしく』
『よろしく、カヲル、ファースト...』
『惣流さん。もうエヴァは無くなるんだからファーストは止めてくれない?』
『そうねぇ..シンジの兄弟になるんだから、苗字ってわけにもいかないわね。
じゃあこれからレイって呼ぶけどいいわね。
その替わりアタシのこともアスカって呼ぶのよ。いいわね』
『分かったわアスカさん、これからもよろしく。それからい..お兄ちゃんよろしく』
『そうだね、レイ..ボクからもよろしく』
『シンジ君、惣流さんよろしくお願いするよ。
じゃあ、君たちは寝て待っててくれないかい。起きたら終わっているから』
『分かったよカヲル君...お休み』
みんなの姿がボクの前から消えた。いつしかボクはまた眠りに落ちていった。
周りが明るくなったのを感じてボクは目が覚めた。カヲル君達に会ったのは夢の中の出来事なのかとぼんやり考えていた。でも、いくら考えても分からないので、ボクは朝食の用意をするために起きることにした。隣で眠っているアスカを起こさないように気をつけてはいたけど結局アスカを起こしてしまった。アスカはしばらくぼんやりしていたが、そのうちボクの顔が分かったのかニッコリと微笑んで「おはよう」と言ってくれた。その笑顔があまりにもきれいだったので思わずボクはアスカに口づけをしてしまった。唇が離れたあと、しばらく顔を見合わせた後、
「「ねえ」」
ボク達は同時に声を上げた。
「何?アスカ」
「アンタこそなによ」
「いっいや、昨日レイやカヲル君が夢の中に出てきたんだ」
「アンタもそうなの」
「えっアスカもそうなの」
ボク達は顔を見合わせるとベランダに飛んでいった。あの出来事が夢でないのなら今ごろ世界は再生されているはずだからだ。ベランダから見えた景色にはもうLCLに沈んだ綾波の顔はなかった。どこからか小鳥のさえずりも聞こえてきた。昨日は電気すら通っていなかったのに今日はテレビのスイッチを入れてみたらちゃんと電源が入り、朝のニュースを伝えるアナウンサーの声が聞こえてきた。ボク達は思わず「夢じゃなかったんだ」といって抱き合った。これで、平穏な日常の日々が始まるんだと...
このすぐ後ミサトさんが帰ってきて何が起こったかは...ボクの口からは言えない...
こうしてボク達の新しい日常生活は始まったんだ。
「第壱話 いけいけ一中野球部」へ続く
トータスさんのメールアドレスはここ
NAG02410@nifty.ne.jp
中昭のコメント(感想として・・・)
トータスさん入魂の新連載『たっち』!!
ぬぁうんとこのページ初の野球漫画じゃなくて小説
しかもカウンターhit記念連載です。
題名がたっちという事は双子の弟が登場するんでしょうか。
南ちゃん役はアスカ?もしかしてミサトかな
序章ではボールもバットもでてきませんが(オヤジギャグを思いついたけど下ネタだからやめときます)、
AFTER夏映画を堪能できました。
美少女の入浴シーンを目の当たりにしながら、思い浮かべるは親父の顔
うーリアルすぎる。
新世界では、アスカやミサトと同居してるんでしょうか。なんか最後の方でミサトが帰ってきてしまいましたが
先の展開が楽しみです
次の記念作品は6萬HIT。その時に大公開!!
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