碇家の朝、家人はまだ眠りの途から覚めやらない中、一人少年は起き出した、ほっそりとした体つき、一見女性的に見える優しい顔立ち、憂いを秘めた漆黒の相貌、10人中4人ぐらいが美少年と認める容姿を持った彼は(残りの6人は美少女と間違える)朝のユニフォームとも言える中学の制服の上にエプロンを纏い、一人ごちた。

「おかしい」

彼は思った。確かにボクの願い通り、全ての人たちは現世界に戻ってきた。そして、両親とも同居を果たした。両親、それに妹、同居人...望み通り、狙い通りじゃないか。なのにどうして満たされない思いがあるのだろう...
 
 
 
 
 
 
 


たっち


 
 
第壱話 いけいけ一中野球部
 
 
 
 
 

そうだ...どうしてボクはこんなに早く起きて朝食の用意をしなくてはいけないんだ。おかしい。これじゃ、ちっともミサトさんのところに居るのと変わらないじゃないか。

彼の口を溜息がついて出る。

「はぁ〜」

いったいどこの誰が母さんが料理の達人なんて甘い幻想をボクに吹き込んだんだ。母さんは京都の旧家でお嬢さん育ちをした関係で自分では何もしなかったそうだ。大学に入っては研究一筋、大学を出ても研究一筋。その関係で家事はさっぱり、そのくせ食べることにはうるさい。よっぽど苦学生だった父さんの方が家事に長けている。だけど一度だけとうさんが朝食を作っているのを見たことがあるけれど、あれははっきり言って不気味だった。あのとうさんがピンクのエプロンを着けて鼻歌を歌いながら楽しそうに準備をしている姿...ボクは二度としないようにお願いした。

あや...レイは言うまでもない。一人住まいのレイを知っているボクは、レイに家事を任せるなんて恐ろしいまねはできない。基本的に物の少ないところに住んでいたレイだから、ほおっておいてもミサトさんみたいに家がゴミの山に埋もれることはないと思うけど、部屋が埃の海に沈むことは大いにあり得る。食事だってほおっておいたら毎日パンと栄養剤なんて事になりかねない。

カヲル君...カヲル君はもっと不可解だ。彼に味覚はあるのだろうか??一度カヲル君とミサトさんの手料理を食べる機会があったのだけど、その場にいた全員(当然ミサトさんは平然としていた)が失神する中、カヲル君は平然とミサトさんの料理を平らげるばかりか、おかわりまでしていた。さすがのミサトさんの料理も使徒...もとい元使徒には通用しなかったようだ。それにカヲル君の食べる量は半端じゃない。トウジとアスカを足して2でかけたぐらい食べる。いったいあの細い体のどこにあれだけの量が入っていくのか不思議でたまらない。きっと胃袋の中にディラックの海があるに違いない。まあ、普段は遠慮しているのか人並みの量しか食べないのが救いだけど。

「はぁ〜」

いけない、いけない。いくら考えたところで朝食の用意をしないわけにはいかない。でも、これだったらミサトさんの家でミサトさんとアスカの相手をしている方が仕事の量的には楽だった。

「はぁ〜」

そう言えばアスカはどうしてるのかな。みんなが戻ってきてからしばらくの間は一緒に楽しくやっていたんだけど、お母さんの結婚を機に国籍やら渡航手続きの関係やらの整理と言うことでドイツに帰ってしまった。ついでに何かのドクターをとってくると言ってたっけ。かなりのことはリツコさんがMAGIを使って改竄してくれたけど、日本のお役所主義というかハンコのいるものはどうにもならなかった。まあアスカの養育権の問題とかは、あちらにはあちらで後妻さんとの子供もいるということで特に問題にはならなかった。お金の方は慰謝料と言うことでネルフからがっちりと搾り取ったから問題ない。

そう言えばアスカのお母さんキョウコさんはとってもきれいな人だった。エヴァに心を取り込まれた時の年齢で復活したのでミサトさん達と同じ年だった。でも、お約束通りに家事はまったくだめだった。どうしてボクの周りの女性たちは家庭的なことはすべてだめなのだろうか。きっと何か星の巡り合わせが悪いのに違いない。ウン

カヲル君の言っていた通り、加持さんも戻ってきた。ボクはてっきりミサトさんと結婚するものだと思っていたけど、惣流親子の猛烈なアタックの前にもろくも陥落し(背後には色々と権謀術策が乱れていたという噂もあった)、キョウコさんと結婚してしまった。

はっきり言ってあの時ボクは、ミサトさんと同居していなくてよかったと心から神様に感謝した。加持さんは「8年前に言えなかった言葉を言う」とか言っていたけど、一度言えなかった言葉は2度と言う機会はないのだということはボクにもよく理解できた。

でも、一つだけはっきりとさせておきたい。この大逆転劇にボクはまったく関係していないんだ。そりゃあ仕事の関係で誰を出張させるについて父さんにミサトさんを推薦したのはボクだ(だってアスカが怖かったから仕方ないじゃないか)。そりゃ加持さんとのデートの日の朝食に睡眠薬を入れたこともある。加持さんからの電話を黙って切ったこともある。キョウコさんの代わりに加持さんのお弁当を作ったこともある。でもたったそれだけ...決してミサトさんと加持さんの間を邪魔しようなんて思っていなかったんだ。だからリツコさん、日向さん。加持さんの結婚式でボクの肩をたたいて、

「あなたは人にほめられる立派なことをしたのよ」

とか

「ボクはシンジ君に感謝する」

とか言わないで欲しい。ボクを睨んだミサトさんの刺すような視線に生きた心地がしなかったんだから...

アスカお願いだからミサトさんに向かってVサインを出すのはやめて...
 
 

あっ、もうこんな時間か。みんなを起こさなきゃ。とりあえずカヲルくんから起こそう...カヲル君は寝起きが良いから安心だ...ただ時々だけどもう一人一緒に寝ていることがある。この前は知らない女の子が出てきてびっくりした。今日は玄関に余分な靴がないから大丈夫だろう...。まあ、カヲル君がアスカに手を出さない限り、誰を連れ込んでもボクは文句を言うつもりはないが...

ボクは2階に上がっていきカヲル君の部屋をノックする。

「カヲル君〜、起きて〜」

中から返事はない...仕方がないのでおそるおそるボクはカヲル君の部屋に入っていき、ベッドに近づいていった。ほっ、今日は一人のようだ...ボクはカヲル君の体を揺さぶった。

「カヲル君、朝だよ...起きて」

そのときカヲル君はとんでもないことを口走った...

「あっ、アスカ君ダメだよそんなこと...」

ボクは黙って部屋に戻りバットを持ってきた。そして思いっきりカヲル君に向けて振り下ろした。バットは鈍い音を立ててベッドにめり込んだ...残念ながらカヲル君はすんでのところでかわしてしまったけれど...チッ!

「いやだなーシンジ君、冗談だよ、冗談...軽い冗談はリリンの生んだ文化じゃないか」

カヲル君は額に冷や汗を浮かべて言った。知ってるよカヲル君、もしそうじゃなかったら今頃カヲル君の首は胴体とさようならをしているよ。

「冗談もネタを選ばないと身を滅ぼすよ...
 さあ馬鹿なことしてないでとうさん達を起こしてきてくれないか
 ボクはレイを起こしてくるから...」

「いやどちらかと言うとレイを起こしに...」

ボクはすかさずバットを振りかざした。

「じゃあ、おじさん達を起こしてくるよ。はははは」

そう言って、カヲル君は階段を下りていった。

まったく毎日がこれじゃ、体の休まる暇がない。
 

***
 

野球をしないかというトウジの誘いにカヲル君は二つ返事で飛びついた。

「野球かい...野球はいいねぇ〜
 野球はリリンの生んだ文化の極みだよ。
 そうおもわないかい、碇シンジ君」

また始まった。カヲル君は時々こうした訳の分からないことを言う。

「カヲル君、ボクは君が何を言っているのかわからないよ」

いけない、つい乗ってしまった。

「ラブコメだよシンジ君」

だめだついて行けない。そう言えば最近カヲル君は、20年前のコミックを読み漁っていたけどその影響だろうか。そんな馬鹿なことを考えていたら、トウジがボクに声をかけた。

「ほな、カヲルはOKと...
 せんせはどうする。せんせのとこの妹も誘ってほしいんやけどな」

レイも?レイに野球をさせるつもりだろうか。

「どうせボクも暇だからいいけど。
 レイにも野球をやらせるの?試合に出られないんじゃないの」

ぱしん!いきなりトウジにハリセンでたたかれた。いったいどこからそんなものを出してきたんだ。

「ほんなわけ、あるかいな。
 おまえんとこの妹にはマネージャーをやってもらうんや。
 あいつファンが多いから、部員が集まるで〜」

何だ、マネージャーか。しかし、あのレイにマネージャーなんてできるんだろうか。たしかに包帯を巻くのはうまそうだけど...まあいいか、犠牲者はボクだけじゃない。これを機会にレイにも多少女の子らしいことを覚えてもらおう。そう思ったボクは一つの提案をすることにした。

「トウジ。一つ提案だけど洞木さんも誘ってみてはどうかな。
 レイ一人じゃ大変だし。洞木さんがいた方が何かと心強いよ」

トウジは一瞬ためらったがすぐにボクの意見を肯定した。

「せんせ、そらええ考えや...」

そこでトウジは声をひそめた。

「相談なんやが、せんせが誘ってくれへんか」

「どうして、野球部のいいだしっぺはトウジだろ。
 それにトウジが誘えば洞木さんはいやとはいわないよ」

「女に声をかけるんは、硬派のすることやない!」

おいおい、トウジそんなこと胸張って言わないでよ。硬派はミサトさんを見てよだれを垂らさないよ。ボクは心の中でそう思ったが、どうせそう言っても再びハリセンが炸裂するだけなので言わないでおいた。

「とりあえず、せんせもおっけーやなっと。
 これでせんせにカヲル、せんせとこの妹と役者がそろうたな
 これで部員は問題ないっと」

「どうしてだよ、トウジをあわせても3人じゃないか」

ボクは素直に疑問を口にした。

「こんだけ餌がそろうとったら、後は獲物がかかるのを待つだけや」

「レイだけじゃ足りないんじゃないの?」

トウジは人差し指を口の前で「チッチ」と言いながら横に振って見せた。

「せんせは自分の置かれた立場っちゅうものをわかっとらんようやな。
 せんせがやるっちゅうたらぎょうさんあつまるでぇ...オ・ト・コが」

にたりと笑ったトウジの顔が不気味だった。

「何を言ってるんだトウジは」
「シンジ君は渡さないよ」

ボクの抗議をカヲル君の声がかき消した。

「シンジ君はね、ボクと一つになるんだよ」

ボクは思わず引いてしまった。

「カ、カヲル君は女の子を連れ込んでいるじゃないか」

カヲル君はにっこりと笑った。見る人によっては天使の微笑みに映っただろう、でもボクは背筋が凍る思いがした。

「それがボクの趣味だからだよ
 でもねボクは男の子もまた好きなんだよ
 男も女も等価値だからね
 美しいもの、それだけがボクにとっての絶対的価値なんだ」

「カヲル君ボクはキミが何を言っているのか分からないよ」

ボクは興奮のあまり、再び突っ込んでしまった。

「お約束だよ、シンジ君」

      ・
      ・
      ・

「カヲルゥ〜もーえーかー」

突然トウジがニヤニヤ笑いながら割って入ってきた。ボクはトウジを無視してカヲル君に言った。

「また、だましたんだね。
 裏切ったんだ、ボクの心を裏切ったんだ
 とうさんと一緒で、また裏切ったんだ」

「おーい」

「傷ついたのかい...
 ガラスのように繊細だねキミの心は
 行為に値するよ」

「おーい」

「好意?」

「おーい」

「するってことさ」

パシッ、ペシッ軽やかなハリセンチョップがボク達の頭に炸裂した。

「おまえらええ加減にせいよ。いつまでやっとるつもりや
 はよういくで〜」

トウジは引っぱり出したハリセンをズボンの中にしまいながら言った。

「行くってどこにさ」

「きまっとるやろ...勧誘や」

トウジは3年A組に寄ってレイを連れ出すとケンスケの元へと向かった。なんだケンスケもぐるか。ケンスケはボク達をグラウンドに連れ出すとバットを持たせ、写真を撮った。部員勧誘用のポスターにするそうだ...だったら何故ぼくがカヲル君と抱き合わなくちゃいけないんだ。お願いだからカヲル君、お尻をなでるのは止めてくれないか。

次はレイのアップの写真だそうだ...やけに沢山写真を撮るね...別の目的に使うんじゃないだろうね。

ケンスケはレイの撮影をボーっと見ているボクの所へ来ると、いきなりレイの前に連れていった。

「ケンスケ、どうしたの」

ケンスケは頭をポリポリと掻きながら言った。

「いや〜、無表情の碇(妹)もいいんだけど、やっぱりもうちょっと表情が欲しいんだ...
 シンジ何とかしてくれないか...」

何とかと言われたってボクだって困る。ボク達が頭を抱えているとレイはボクに済まなさそうに謝った。

「ごめんなさい、こんな時どんな顔をすればいいか分からないの」

ボクはすかさず言った。

「笑えばいいと思うよ」

ぼくの言葉にレイは「こうすればいいの」と言って、口元を歪め「ニヤリ」と笑った。お願いだからレイ、父さんの真似をするのは止めて...さすがのケンスケもカメラを抱えたまま固まっていた。しばらく現世に復帰するには時間がかかるだろう...

ボク達はグラウンドを後にすると職員室へと向かった。やはり野球部には顧問が必要だからだ。これも思いのほか簡単にいった。やたらとマニアな先生がいて二つ返事で引き受けてくれたからだ。これから数学の時間の昔話のネタが変わるのだろう。
 

***
 

部員集めは順調に進んだ、貼られたポスターも順調に(?)盗まれた...ケンスケがこれに目を付け、未掲載写真と共にセット販売を始めたことで盗られることは収まったけど。しかしたくさん集まったものだ...ほとんどがマネージャー希望の女子というのは余分だけど...しかもその半分ぐらいが朝方家で見かけたことがあるのがもっと問題だけど。

「どうすんだよトウジ...こんなに集めちゃって」

男子の方は20人くらい集まっただろうか。人数的にはちょうどいい。でも問題は女子だ...マネージャーは50人も要らない。

「そんなことゆうてもなぁ〜、どないしよ渚」

トウジがそう言ってカヲル君の方を振り返ったとき、すでにカヲル君はそこにはいなかった。一体どこにと見渡してみるとマネージャー志望の女の子に端から声をかけていた。ボクは目眩を感じた。

「仕方ないなぁ、くじ引いて貰おう」

「まあ、仕方ないね」

トウジ案にボクも同意した。

「それで何人にするの」

「各学年3人というとこやな」

委員長とレイはデフォルトなので3年からは一人、2年、1年からは3人ずつ選ぶこととなった。外れた女の子からの報復が怖いので、くじ引きはカヲル君に任せることにした。カヲル君がいちいち名前と電話番号を聞いていたから時間がかかってしょうがなかったけど。

こうして部員も集まり、部長も決まった。ようやく一中野球部が動き出した。
 

「第弐話 熱血の価値は」に続く。
 


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中昭のコメント(感想として・・・)

  トータスさんの『たっち』第1話頂きました。
  前回よりパワーアップした、かるっぽいノリ。いいですよ。
  たっちはたっちでも、あのタッチとは無関係。双子の弟や南ちゃんは出番なし。
  ちょっと残念ですかね。
  まぁ、個性的な野球部員が頑張るでしょう。



  家族と同居してもシンジが家事。結婚しても(相手がアスカであれば)家事担当は確定でしょうか
  まぁ、加持さんと交代でやる事になるだろうけど。
  加持とキョウコの結婚に暗躍するシンジ。もっとつっこんで欲しかったぁ。面白そうなのにぃ。

  しかしカヲル君がリビドー全開ですね。女の子が趣味ならシンジ君はなんなんでしょうか。

  今回はレイが出ませんでしたが、次回は出るでしょう。楽しみです。
  次の記念作品は7萬HIT。




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