転校生は午後の授業が始まってすぐ紹介されるはずだった。
しかし5限目の日本史の授業にはその姿を見せることはなく、ついに6限目に入ってしまった。 6限目の英文法――この眠くなってどうしようもないというのに、いやらしい時間割だ――の時間は生徒たちの間でひそひそと転校生の身の上がささやかれていた。 すなわち、転校前から特殊性が感じられること―― 入学して1ヶ月ほどだというのに転校してくるのはなぜか? 転校初日から遅刻(あるいは欠席)してくるのはなぜか? そして名前も性別も一切知らされていないのはなぜか? 実は最後の疑問はただ単に担任が連絡を忘れただけだったりするのだが。 そんな理由で英文法の時間はかなりざわついていた。 科目担当の教師はどうしているかというと、 「困ったわねぇ……どうして来ないのかしら?」 などと言いつつ、ろくに授業もせずに生徒たちと転校生の話をしていた。 まだ20代の後半に入ったばかりの若い女性だ。授業の上手下手ではなく、敵を作らないその性格が生徒たちから好感を得ていた。別に生徒をしからないというのではない。ただ、この先生なら怒られてもそれはそれでいいかも、と思うからだ。 年下を扱う才能――というべきだろうか? 特に意識してやっているのではないのだろうが、彼女の言動は愛嬌が含まれており相対する者に不快感を与えない。 生徒と対等にあるようなスタンスも、いやらしさを感じさせない皮肉もすべて天然のものだろう。結構きついことを言うのにこの先生はほとんどの生徒から好かれている―― 「まったく、転校初日から欠席するつもりなのかしら?これはもうお仕置きするしかないわね。」 冗談とも本気ともつかないせりふを言いつつ、英文法の教科書を丸めてググッといわせている。 この先生も含めてクラス全体が授業などどうでもいい状態になりつつあるようだ。 もちろん俺もどうでもよかったが―― 「この時期転校なんて、いじめられて逃げてきたんだぜ、きっと。」 前の方から馬鹿にしたような声が聞こえる。 「田中!あんたもお仕置きよ!なんてこと言うの。」 いちばん前の田中が本音を吐いて矛先を向けられている――馬鹿か? 「でも先生、この時期転校して欠席じゃどう考えても『不登校』以上『いじめ』以下しか考えられませんよ?」 これは田中の隣の遠藤。 眼鏡をギラッとさせた容赦のないつっこみをする奴。 「うーん。でも本人も努力するつもりで転校したんだからそんなこと言わないの―― って、勝手に決めつけないの! 先入観を持って生徒に接してはだめよ? いつでも目の前にいる本人をみてあげなくちゃ。」 「って、それは先生、自分のことでしょ。」 そんなこんなで和やかなぼけとつっこみが繰り返される中、何となく俺は予感できた。 (そろそろ……来るな……) 異常な環境下で育った成果――とでも言うべきだろうか。 リアルな感覚がそう告げる。 これは気配という感覚だと昔教わった。 そしてその感覚が色あせないうちに予感は現実化する。 ガラッ その音とともに、盛り上がっていた教室は一気に温度を下げ、音のした方に視線が集中した。 予想どおりの登場と、予想どおりの教室の反応に俺は妙な満足感を覚えた。 生き物として正常な感覚が働いていることを、 殺し屋として必要な感覚が機能していることを確認して―― 教室の前の扉――黒板のある方の扉を開けて1人の少年が顔をのぞかせた。 数瞬後、また生徒たちの間でざわつきが始まる。 はたたして教室に足を踏み入れたのは、生徒たちが噂するようないじめの対象となりうる少年ではなかった。 そこに立つのはきわめて死の色が濃い、退廃的な瞳を持った暗殺者だった――
Lake DEATH
Episode 1: 少年U
「遅れてすみません。ご迷惑をおかけしました。」 入室して初めて発した言葉がこれだった。 先生に向かってしっかりとした口調で告げる。 「い、いえ。いいのよ。でもどうしたの?初日から遅刻なんて……」 高校生らしからぬ、そのはっきりした礼儀正しい言葉に先生は少々居心地が悪そうに聞き返した。どうやらこういった丁寧なのは苦手のようだ。むろんこの少年から感じる本能的な違和感も手伝っているのだろうが―― 「実は……道に迷ってしまって……まだこの街になれてないんで……」 そう言いながら少年は、困ったような、恥ずかしがっているような表情を作った。 空いている手で頭を押さえても見せる。 その瞬間からだった。この教室の空気が明るく変わったのは。 悪いイメージしか持たれていなかった『転校生』が『クラスメイト』に変化した瞬間だった。 恥ずかしそうな笑顔も、その仕草も、整った顔立ちも――すべてが魅力的に写っているはずだろう。 160後半の身長と、無駄なく鍛えられた体格。 端正な中にも野性味の感じられる顔立ち、髪型。 利発そうな態度。 愛嬌のある仕草―― どれも完璧だった。まさに理想の高校生――絵に描いたような存在だった。 女子生徒からはすでに好意以上の対象となりつつあり、男子生徒からは同姓としての好感を得ていた。一部、女子生徒の反応から、いけ好かない奴という逆恨み的な反感を持った男子生徒もいたが。 (相変わらず……こいつは完璧だよ……) そんな感想を持っているのは間違いなく俺だけだろう。 初めて接触したときにはこの少年の本質は絶対にわからない。 この少年は自らを作ることができるのだ。 どんな環境下におかれても適応する能力、それは高校生活にも活かされているようだった。 初めて会ったのは14の時。 そのときは死神のように見えた。 2年たった今でも理解することのできない存在。 本質の見抜けない存在。 2年間、この少年のすごさをいやというほど見せつけられた。 だからこそわかる。 今そこにいる少年は『偽物』だと。 決して本質を表さない少年の幻像だと。 赤みを帯びた周りの空気にくらべ、やたら俺の周りは寒々とした空気が取り巻いていた。 まるで俺の心のように―― 「藤木拓也です。 初日からご迷惑をおかけしましたが……よろしくお願いします。」 壇上に促された少年が丁寧に自己紹介をする。 (フジキタクヤ……この名前だけは初めて会った時から変わらないな……) 拓也は自己紹介の後、転校ではなく遅延入学であることを告げた。 また、知らなかったと驚いたときの先生は魅力的だとも―― 丁寧に自らを名乗り、時間に遅れたことの非を認め謝罪する。 男の子らしい愛嬌も見せたりする。 ここではそうやって生きていくらしい。 そういう人間を作っていくらしい。 わずか登場から数分の間で好感の持てる人格を作り上げた。 もはや誰もが信じて疑わないだろう、これがこの少年の本質だと。 (まるで、悪魔のような才能……) それは他人によく見せるという意味ではない。 いかなる状況にも適応する能力。 それは人智を遙かに越えていると言える。 たとえ初めてのことでも、そつなく――どころか完璧にこなす。 状況判断と、それに対応する速度。 (神の領域……人間では絶対に到達できないエリア……あいつは……拓也は常にそこにいる。) 拓也が自分と同じ死を司る人間でなければ、本当に神としてあがめ、奉ったかもしれない。 限界を知らない才能。 それを活かすための肉体というハードウェア。 いずれも有無を言わせぬ完璧さだ。 人間ならば畏怖の感情を抑えられはしない。 だからこそ秋人は死神として拓也をおそれた。 (死を司り……神の領域にあるもの……其の名は死神。) 2年前から反芻してきた言葉が決して間違っていないことを、この教室すべてが証明しているようだった。 「私は英語全般を担当している舘川操よ。よろしく。 それで今は英文法の時間……なんだけど……もう、終わっちゃいそうね。」 拓也の自己紹介でからかわれて少し赤くなっていたが、今日は全然授業をやっていない事実に気づきまた赤くなっているようだった。 言葉のとおりもう残り10分を切っている。 「せんせー、10分じゃろくな授業できないんだから終わっちゃおうよー。」 どこからか生徒が声をかける。 「だめよ。10分もあれば問題の一つや二つは解けるわ。さぁ、きりきり教科書出しなさい。」 変なところでまじめな館川先生だった。 「あ、藤木君。君の席なんだけどね。あの一番後ろの窓側の席、とりあえずあそこに座ってくれる?担任の先生から指示もらってないんだけど、たぶんずっと空いてるからあそこでいいと思うわ。」 そう言って言葉どおりの空席を指さした。 俺のすぐ左隣の席を、だ。 そしてわずかに視線を俺の方にずらし言ってくる。 「高村!あんた、わかってるわね!いきなり喧嘩しちゃだめよ?お隣さんなんだから、仲良く、親切にしてあげなさい。」 なぜかこの学校では無愛想で喧嘩っ早い奴だと思われている俺だった。 そりゃあ、無愛想なのは認めるが。 別に喧嘩はしたくてしてるわけじゃない。 勝手に絡まれて仕方なく相手しただけのことだ。 それも入学式以来たった1回のことなのに、だ。 それなのにこの認識はいったいどうだ? 割に合わない館川先生の視線を感じながら俺は心の中で激しく毒づいた。 (そこの藤木拓也の方が俺なんかよりよっぽど危ない奴なんだぞ……) それは誰にも聞こえない魂の叫びたったが。 ゆっくり、ゆっくりと時が刻まれる。 止まっているわけでも、動いているわけでもない。 流されていくような感覚。 最近はこんな高校生活に若干の心の安らぎを感じるようになったと思う。 思い出せば、殺し合い、傷つけあうことばかりしていたこの数年間。 この安定はいつまで保つのだろうか。 この幸せはいつまで続くのだろうか。 この不幸はいつまで続くのだろうか。 きっと、答えなんて見つからない。 見つからなくていい。 今ここにあるこの心だけがすべてだと信じて―― ゆっくりと、幻のように拓也が近づいてくる。 周りの女子生徒たちに笑顔を返しながら。 まるで幻想をみているみたいな感覚。 そしてその次に頭がぐらぐらと揺れるような感覚。 時間に遅れてきたことから考えて、予想できるものがあった。 俺のすぐ横まで来る。 「仕事、か?」 拓也はなにも答えず席に着いた。 そして沈黙は肯定の証だと知った。 To be continued.
おかしいなぁ。こんなに重くするつもりはなかったのに。
今度こそ明るくするぞ。(次回はネタ的に絶対無理だったりするが……) |