昼下がりの空は薄気味悪い色をして降りてきた。
 少し夏の香りを漂わせた風が髪をなでる。

 放課後、3時過ぎの校舎――その屋上。

 帰宅するもの、部活へ行くもの、教室の掃除をするもの……
 そのいずれもが遠い世界の住人のように見える。

 人は……どこから来て、どこへ行くのだろう……
 彼らは……そして、俺は……

(感傷……?)

 別にそんな風景を見てなにも思うことはなかったが、抑えられないこの孤独感はいったいなんだろう。一人でも生きていけるはずなのに、いったいこの感情は何なのだろう。

 嘘も、真実も、事実も、なにも必要はなかった。
 ただ、ここにある、そう思う俺の心だけ……それだけが唯一絶対のものであるように思う。



 バタン



 吹き抜ける風によって、粗っぽく閉められた屋上の扉。
 曖昧な、言葉にもならない俺の思考はそこで消えた。

 振り向くと、扉の前に一人の少年が立っていた。
 ゆっくりと、こちらに向かって歩き出す。

 何となく、じっと見ている気になれなくて、また手すりにもたれながら帰路につく生徒たちを眺めはじめる。
 近づく足音は、曖昧な未来を現実的なものへと形づくる。


 止まる足音と、振り向く俺。
 いったい、どっちが先だったのだろう。

 視線の先にはもちろん少年が立っていた。
 5月の風は分け隔てなく、この少年にも吹いているようだった。

 印象的なのは、風に揺れる少し長めの髪と
 退廃的なその瞳。

 そののぞけない瞳の奥には、なにが隠されているのだろう。
 その輝かない瞳の理由は何なのだろう。
 その虚無の瞳はどこで手に入れたのだろう。

 その瞳の前に、万人は為すすべもなく立ちつくす。
 裁きを待つ罪人のように、死神が鎌を振り下ろすのを待つように――





 たった一言発せられた言葉は、予想を裏切ることなく、
 しかし今の俺にはなぜか残酷な響きに聞こえた。





「仕事だ。」





Lake DEATH
Episode 2: 少女
 




「へぇ?殺しか……久しぶりだな。」

 学校の屋上でこんな会話をする高校生もおそらく珍しいだろう。
 それでも違和感なく時間が過ぎてゆくところが俺たちの世界だ。

「目標は、植谷工業取締役社長・植谷健三。
 依頼主は敵対する会社の経理部長ということだ。」

「経理部長?なんだ?それ……」

「不正に自社の資金を悪用された、ということらしい。法的にそれが証明できなかったから、その部長、今月中に解雇されるんだそうだ。」

「それって、ただの私怨じゃないのか?そんなんで殺しを請け負うのはいまいち俺としてはいただけないな……だいたい、金……払えるのか?」

 世の中他人に恨みを持って殺してやりたいと思ってる奴なんて山のようにいる。
 そんな奴らの願い事をいちいち聞いているようでは身が持たない。
 正直なところ、それが秋人の本音だった。
 殺りたいなら、自分で殺ればいい――俺のように。

「3000万――会社の資金を使うそうだ。」

「おい……ばれたらその会社、敵にまわるぞ……」

「社長さんとも話はついてるんだそうだ。グルなんだよ……」


「罪をかぶるのは経理部長……金を払うのは社長さん……罪を犯すのは俺たち……やっぱりこの社会のシステムって、好きになれねぇよなあ……俺」

 そう言った俺に無言で答えながら拓也は街を眺めてる。
 2人して、5月の風に吹かれながら――

 結局、俺たちがどんな疑問を持とうが大筋ではほとんど解決されている。
 末端の俺たちに仕事の話がまわってくるのは決行するだけになってからだ。
 だからなにも考えなくてもいいといえばいいのだが、何となく、言われたとおり処理していくのが嫌いでたまらなかった。
 何でも自分で理解して、納得した上でしか行動したくなかった。

 しかし、どうやら拓也はそうではないらしい。
 指令には忠実に従い、黙々と仕事をこなす。
 疑問を持たない……というわけではないだろうが、そんな素振りを見せない。
 ただ、与えられた仕事を最高のレベルでこなしてゆく――

 俺が思うに、この少年は疑問を持つ必要すらないのではないだろうか。
 知識的に、技術的に常人を遙かに逸したその能力は、初期に与えられた曖昧な条件だけでも目標を達成させることができる――だから、細かいことを気にする必要すらないのではないだろうか。


 そんな思いで拓也を眺めていると、こちらの視線に気づいたのか、それともはじめから気づいていたのか――横目で俺をみる。

「なにも悩む必要はない。俺たちは結果を得るための端末だ。結果との接点であり、原因たる意志との接点だ。ただそれをつなげばいい。つなげることを考えるだけでいい。」

 いつもいつも、この少年の言葉は隙がなく、完成されている。
 きわめて論理的で感情の入り込む余地がない。

 この少年の会話はたとえるなら、1足す1は2だ、と言われているようなものでなにも言い返すことができない。違う意見を述べるということを許さない。精神的な意見がないのだ。常に真実、事実だけを突きつける――万人に心があるというのなら、この少年の心はロジックだ。論理的な思考だけがその心だといえる――


「仕事は今日だ、準備しておけよ。」

 拓也はそう言って、やはり事実だけを告げ去ろうとした。そのとき――


 バタン


 不意に扉が閉まる音がして、人の気配がふくれ上がった。







「あーっ!いたいた!探したわよ、拓也君!もう帰っちゃったのかと思ったわ。」

 そう言って1人の女子生徒がこの世界に割り込んだ――いや、もう1人、その後ろから続く――

 やたら声の通る、うるさい女だなと思ってよく見ると――実はよく見なくてもわかったが――同じクラスの、それも中学から俺のことを知っている女子生徒だった。

「屋上でたそがれたりしちゃって、すっごく似合うわよ。」

 俺の気もしらんで、1人わけのわからんことを言いつつ盛り上がってる。
 薮間舞――中学からの腐れ縁だ。
 もっとも俺はほとんど学校に行ってなかったが。

「なんの用だ?――やぶま。」

「ソ・ウ・ゲ・ンよ!いつになったら覚えんの?このバカ!」

 そう言って、いきなり俺にくってかかってくる。
 実は初めて会ったときに珍しくてすぐに覚たが、面白がってそう呼んでいる。
 初対面で正しく姓を呼んでもらったことがないらしい。
 いつも悔しがってる。
 自己主張が強いのはそのせいか?

「ところで、秋人?なんであんたが一緒にいるのよ?まさか、早速連れ出して喧嘩しようってんじゃないでしょうね?あたしの拓也君に傷でもつけたら承知しないからね!」

(なんでそうなるんだ?それにいつの間に拓也はおまえのものになったんだ?すでに名前で呼んでるし……)

「な、なんじゃそりゃ。おまえ……俺をなんだと思ってるんだ?男とみれば血がたぎって殴り合い始めたくなるようなストリートファイターだとでも思ってんのか?」

「あら、違うっての?昔からそうじゃない。あんたが男といるときなんて喧嘩してるときしか見たことないわ。」

「ばか言え。こんな紳士を捕まえてなんてこと言いやがる。」

「よく言うわよ。そのひねくれた面構えからどうやったら『紳士』なんて言葉がでてくるのよ。一欠片も見あたらないわ、そんなもの。」



 5月の寒空を頭上に、屋上でこんな口論をしてるのもなんだと思うが、やたら白熱してる俺たち――
 それに水を差したのは2カ所からの笑い声だった。

 1カ所は俺のすぐ後ろから――間違いなく拓也だ(なに笑ってやがる)。
 そしてもう1カ所は薮間の近くから――なんだか、しょうがないわねぇといった顔で俺たちを見つめている少女。

 名を――確か、椎名洋子と言った。
 同じクラスで、しかも薮間と同じく中学から一緒ときてる。ただ、中学の時はクラスが違ったらしく(このあたりが曖昧なのが我ながら恥ずかしいが)たまに薮間と一緒にいるのを見たことがあるくらいだった。
 薮間とは違い、物静かで翳りのある少女だが、そこがまた魅力的でクラスの男子生徒からはかなり好意を持たれているという。線の細い日本的な少女だが、顔立ちは少し彫りが深く、髪も少し茶色がかかっている。
 何となく、危うげな、保護欲をそそる少女――と言ったところか。


 そして――

「あなたたち……」
「おまえら……」

 2人して言ってくる。

「……なによ」
「……なんだよ」

 2人して答える。


「「いつ見ても、おもしろいな(わ)」」

「「へ?」」


 見事なユニゾンができあがり、たっぷり数秒ほど時間がたったような気がした頃、薮間が矛先を変えて椎名に喰ってかかっていった。

「な、なによ、失礼ね!どういう意味よ?」

「だって、ねぇ?」

 『ねぇ』は拓也の方を見て言ったようだった。

「おまえら……いつもいつも、会うたびに今みたいなことやってるぞ……小学生か?こりん奴らだ。」

(……!……そうなのか?……)


 こいつもまた、しょうがねぇなあといった顔を作っている。

 間が持たなくなって(いつも場を取り繕うのは俺のような気がするが)たずねる。

「で……いったいなんの用なんだ?まさか、もう愛の告白でもするつもりか?」

「へっ、言ってなさいよ。このお馬鹿。」

「ちょっと、舞?いいがげん懲りたらどうなの?」

 早速、繰り返しに入ってしまうところの俺たちに椎名がくぎをさす。
 いいキャラだなぁ。

「実はね、先生に頼まれて藤木君をさがしてたの。職員室に来るようにって。担任の木村先生よ。だから――決して高村君と口論しにきたわけじゃないの。」

 なかなかいやみなキャラでもある。

「学校に来るのも迷ったくらいだから……きっと職員室も知らないんでしょう?案内するわ。」

(それは違うぞ……)

 しかし拓也は、『ははっ、そりゃ、どうも。』と言って、例の恥ずかしそうな笑みを作る。

(つきあいのいい奴……)


 そうして、俺たちは扉に向かって歩き出す――立ちつくす薮間を残して――

(……どうした?)

「……舞?」

「……あ!洋子……先、行っててくれる?ち、ちょっと……秋人?」

 そう言って、俺に向かって、『来い、来い、』と手招きする。
 なんだよ、いったい……

「?いいわよ?べつに……」

 椎名も一瞬訝しげな表情を見せたが、そう言って扉をくぐった。

「じゃあな、がんばれよ。」

 そう冷やかして消えたのは、もちろん拓也だ。

 そして、屋上に残ったのは――







 バタァン



 相変わらず、乱暴な音をたてて閉まる扉。
 それがよりいっそう静けさを際だたせる。


「ねぇ……秋人?」

 薮間は2人が去ったのを気にするように尋ねてきた。

「あんた……拓也君と、友達なの?」


「……はぁ?」

 残念ながらその質問にはどう答えるべきか、なにも用意していなかった。
 よくわからない、と言った言葉を返すと薮間は少し間をおいて言ってきた。

「あたしさぁ……なんだか、拓也君と会ったことあるような気がするのよね……だから、あんたの友達じゃないかと思ってさ……」

 そんなことで悩んでたのか……

「まぁ、友達というほどでもないけど……知り合い程度、かなぁ……」

 正直に、俺はあいつとの位置関係に明確な言葉が思い浮かばず、言葉を濁した。友達というのでは絶対ないだろう。同僚?仕事仲間?どれもしっくりこない。

(なんなんだろう……実際……)

「あ、やっぱり、そうなんだ。」

「ん?あぁ……2年くらい前からね。椎名も拓也のこと、知ってたみたいだし……おまえも見たことあんじゃないの?」

「そうよねぇ……あんなかっこいい人、見たら忘れないもんねぇ……」

「かっこいい……か?拓也が?」

「うーん。ちょっと違うかなぁ。なんていうか……そつのない人?遅刻してきたりするけど……それも愛嬌でカバーしてて……全体としては完成されてる人?『高校生』的に完璧っていうのかな?……うまく言えないけど……」

(それは……限りなく正解に近いよ……)

 必死に、自分のもてる言葉で拓也を表現しようとしている薮間に秋人は正直に驚いた。そして秋人にとってそれは称賛に値するものだった。

「へぇ?ずいぶん難しいこと言うんだな、おまえ……」

「なによ……それ……」

 そう言って、薮間はにがそうな顔をする。
 少し強くなった風は、椎名とは違った、日本人らしい艶のある黒髪もなでていく。
 その髪を掻き上げる仕草は――何となく昔見た母の面影が重なって――秋人は目をそらした。

「結構……人間の細かいところ、見てんだなってことさ……」

「あんた……馬鹿にしてるわね……」

 そう言って、少し目をつり上げる。
 そんな仕草もかわいくあったが、残念ながら目をそらしていた秋人は見ることはできなかった。
 そして――今度は正面に向き合い――

「いや……逆だよ……誉めてるんだよ、心底ね……そんなに真剣に考えて生きてるとは思ってなかったからさ……」

「なによ、結局、馬鹿にしてんじゃない……で、あたしの言ったこと、間違ってた?」

 そう言いつつも、表情は少し和らいでいるようだった。
 そして、そのもっとも難しい質問にどう答えるか、秋人は考えを巡らした。

「うーん。そうだなぁ……あえて言うなら、99点てところかなぁ……言いようによっちゃあ100点なんだがなぁ……」

「なにぶつぶつ言ってんのよ……全然意味わかんないわよ?」

「いや、おまえが言ったので間違いないよ……拓也はつまりはそういうやつさ……おまえらから見える拓也はそれで正解だよ。でも……俺から見た拓也はもうちょっと色々いるってことさ。」

「?……つきあいが長くないとわからないってこと?」

「まぁ……そんなところかな……」

 最後だけは、嘘だった。
 決して理解できるわけがない。
 たとえどれだけ時間を費やしても、どれだけ観察しても、藤木拓也の本質を見抜くことなどできない――それが、秋人の正直な気持ちだった。
 あえて言えるとすれば人間的本質のない人間――それが藤木拓也。本人が言うように、他の人間の意志と、期待しうる結果を結ぶだけの存在なのかもしれない。

 そう、まるで――自我のない、機械のような――


 5月の風はどこまでも吹いてゆく――身体も、心も吹き抜けてゆく。
 妙な孤独感に駆られてじっと、じっと薮間の顔を見続ける秋人だった――



To be continued.
 



 いかがでしょうか?なんとか……多少は明るくなりましたか?
 レギュラー女性陣を紹介だけで終わらせるところを引っ張りました。
 
Written on 8/4/1999
By Hujiki

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