京都行きの列車に乗るため、シンジはホームにいた。見送りは加持ただ一人。誰にも惜しまれることも、誰にも祝福されることのない旅立ち。京都行きの列車にのった瞬間、「碇シンジ」はこの夜から消え去ることになる。もう何が起きたとしても、彼が第三新東京市に足を踏み入れることはないのだから。

加持は、シンジに書類と当座の生活費が振り込まれたカードを渡すと、その中身を簡単に説明した。シンジには他に荷物はない。それは「碇シンジ」の持ち物だから。

「シンジ君、キミはここを離れた瞬間から『井上』シンジ君になる。
 ここに必要な書類一式が入っている。これがキミを受け入れてくれる井上さんの住所だ。
 それからこれが当座の費用...多分キミが一人で生きていくには十分な金額が入っている」

加持は、シンジになんと声をかければいいのか考えた。目の前の少年は可哀相なほど打ちひしがれている。

『無理もないか、今度こそ完全に父親に捨てられたのだから』

この場を立ち去ったと同時に、シンジとゲンドウとのつながりは綺麗に消されてしまう。シンジは唯一の肉親から完全に捨てられたことになる。

『キミはあの碇ゲンドウに愛されているのだ』

一言そう言ってあげられれば、どれだけこの少年の心が癒されるのだろう。しかし、それはゲンドウの決意を思うと、決して口に出してはいけないことであるのも加持は理解していた。ゲンドウは息子に恨まれることで、その存在を消そうと考えていた。

加持はシンジに書ける言葉も思いつかないまま、左腕の時計に目をやった。京都行きの特急列車まであと少し。これにシンジを乗せてしまえば、もうシンジは一生ネルフと関係のない生活を送る。それはそれで幸せなことだろう。

時間が迫ったことで、加持はシンジに別れの言葉をかけるため、口を開こうとした。しかしそれよりも早く、シンジが加持に話しかけた。

「加持さん」

シンジの声は重くひびく。

「何だい、シンジ君」

加持は、シンジから恨み言を言われるのかと思った。『それも仕方有るまい』加持はそれを甘んじて受けようと思っていた。それだけが最後にシンジにしてあげられることだと。

「父さんは何に苦しんでいるんですか」

予想外のシンジの言葉に、加持としては珍しく驚きを顔に出してしまった。恨み言でなければ、ミサトやアスカことだろうとは思っていた。それがよりにもよって自分を捨てた父親に対する心配が、その口をついて出るとは加持にも想像できなかった。

「どうしてそう思うんだい」

「何となく...
 いえ、昨日見た父が何かとても小さく見えたから。
 いつも感じる、圧倒的な威圧感が昨日は感じられなかったんです。
 ボクには父さんは何かに悩んでいるように見えたんです。
 やっぱりボクがいけないんですか」

加持は真剣に父親を心配するシンジに、ある種の感動を覚えた。ちゃんと周りが見えるようになっている。つい最近泊まりに行ったときとは大違いだと。

加持は、何がシンジをこんなに変えたのだろうかと考えた。やはりこの前の戦いだろうかと。

加持は逆に安心もした。今のシンジ君ならここを離れても大丈夫だと。しっかりと周りのことを見えるようになってきている。それに京都に行けばあの子もいる。きっとシンジ君を助けてくれるだろうと。

「指令の考えていることは俺には分からない。
 シンジ君がそう言うなら多分指令は何かに悩んでいるんだろう、だがそれが何であるかは俺には分からない」

加持には碇ゲンドウが苦しんでいる理由は、分かりすぎるほど分かっていた。息子を愛していながら、その不器用さのために子供に理解されなかった悲しい父親。そして今度は、その息子のために、永遠に家族の契りを捨てなくてはならなくなったその悲しい運命。加持リョウジは、この時この親子をはじめて哀れと思った。

「そうですか」

シンジは加持の言葉に俯くとしばらく黙り込んでいた。そして顔を上げると加持に言った。

「お願いします。加持さん。父の力になってあげて下さい。
 父さんは助けなんて要らないと言うかもしれませんが、それでもお願いします。
 ボクはもう父の近くにいることも叶いませんから。
 それからもう一つ、ミサトさんとアスカのことをお願いします。
 ミサトさんもアスカも強がってはいますがとっても弱い人なんです。
 誰かが支えていないと壊れてしまいます。
 最近ミサトさんとアスカ、張りつめているから...
 お願いです加持さん。二人を支えてあげて下さい」

加持は純粋にシンジの心に感動した。この少年はこんな時でも他人のことを心配できるのかと。加持は無意識のうちにシンジの腕を取って、

「俺に出来ることなら何でもする」

と答えている自分に気がついた。『似合わないことをしている』そんな思いもあったが、それも良いかと加持は考えていた。

そんな加持にシンジは深々と頭を下げた。

「お願いします」

その時、列車を待っている二人の耳に非常事態を告げるサイレンの音が聞こえてきた。そのサイレンにシンジのつぶやきが重なる。

「使徒...」

加持はこの少年を絡め取った運命を呪った。
 
 
 
 
 
 
 
 

か・げ・ろ・う
第二話 運命の輪
 
 
 
 
 
 
 

実験棟ではレイによる初号機の起動試験が繰り返されていた。

予想を裏切るようにレイによる起動は成功しなかった。5度目の試験も失敗に終わるころには、すでにレイもリツコのスタッフも限界を迎えていた。特にレイは起動の失敗によるフィードバックを直接受けたことにより肉体的な疲労も極限に達していた。

「レイ、今日の所はここまでにしましょう」

リツコの目には、フィードバックから来る嘔吐感に、口を押さえてこらえているレイの姿が捉えられていた。

一方レイは、リツコのその言葉にきっとモニタを睨み付けてテストの中止を拒否した。

「大丈夫です。まだいけます」

レイの顔色が悪いのは一目瞭然である。それにこれは気力だけで解決できる問題でもない。試験を続けろと言うレイにリツコは首を横に振ってそれに応えた。

「これ以上いくらやっても無駄よ。
 ダミーの起動試験に切り替えるから、あなたは休みなさい。
 これは命令よ」

命令の言葉にレイはしかたなく頷いた。

リツコはスタッフに支えながら去っていくレイを見つめながら、ダミーでのテストの失敗も確信していた。

「本当に運のない人」

そのつぶやきは誰に向けられた物なのか、それはリツコ自身にも分からなかった。
 

***
 

晴れた青空の下、一体の使徒が風船のように浮かび上がりネルフ本部を目指していた。

「駒ヶ岳上空に使徒発見。まもなく強羅絶対防衛戦を突破されます」

その一言が発令所に喧噪を招く。

「観測班は何やってたの」

ミサトの怒鳴り声。

「突然現れたとしか言いようがありません」

喧噪の中、青葉も負けずに怒鳴り返す。

その瞬間使徒の目が光り、第三新東京市に十字の火柱があがる。

「すごい、一撃で18層もの特殊装甲を貫くなんて」

使徒の攻撃のすさまじさに水を打ったように静まり返る中、日向の呆然としたつぶやきが響く。

「エヴァの準備は」

ミサトは素早く気を取り直すと、青葉に状況の報告を求めた。

「零号機は片腕の修理が済んでいません。
 弐号機はパイロット待機中。すぐにでも出られます。
 初号機は起動が出来ていません」

その報告にミサトは爪をかむ。

「戦えるのは弐号機だけか...
 地上での迎撃は間に合わないわね。
 弐号機はジオフロント内に配備。
 アスカ聞こえる?使徒が進入したところを叩いて」

「了解ミサト」

ミサトの指示にモニタからアスカの返事が返る。

「葛城三佐。零号機も出撃させろ」

ゲンドウから出された指示にミサトが反論する。片腕のないエヴァでは戦力にならない。

「しかし」

「かまいません、出ます」

モニタ越しに伺えるレイの毅然とした姿。

「わかったわ、エヴァンゲリオン零号機リフトオフ」

メインスクリーンに映し出された零号機の姿に、発令所の全員が息をのんだ。
零号機の小脇にはN2爆雷が抱えられていた。

「何をするつもりなのレイ」

レイは怒鳴りつけるミサトの声を無視するかのように、弐号機への通信ウインドを開いた。

「援護を頼める?弐号機パイロット」

アスカは零号機の手にしている物を見るとニヤリと笑った。

「いい度胸しているじゃない。気に入ったわファースト。
 援護の方は任しておきなさい」

「勝手なことはやめなさい」

モニタから聞こえてくるミサトの声を無視し、2体のエヴァンゲリオンは作戦を開始する。

ジオフロントの天井を突き破り進入する使徒へ、弐号機がライフルの制射を行う。その隙に使徒に零号機は接近した。後一歩、使徒へ手が届きそうなところで零号機の行く手を赤い壁が阻んだ。

「ATフィールド全開」

レイは全てのATフィールドを、使徒の張るATフィールドの中和に向ける。使徒との間に、心の力比べが始まる。その甲斐あってか、右手に持ったN2爆雷はじわりじわりと使徒へと近づいていく。

零号機のATフィールドが、使徒のATフィールドに小さな穴を開けた。その瞬間を逃さず、N2爆雷が使徒のコアにたたきつけられた。その瞬間、零号機と使徒をN2爆雷の爆発が包んだ。

N2爆雷の巻き起こす爆煙の中、映し出される2つのシルエット。最初に動いたのは攻撃を受けた使徒だった。

使徒はその腕を、まるで蛇腹のように延ばすと零号機の頭を貫いた。なすすべもなくその場に崩れ落ちる零号機の姿に、発令所は静寂に包まれた。

「零号機大破、パイロットの生命反応確認できません」

静寂に包まれた発令所に、絶望的な報告が響く。

「そんな...」

その報告を聞き碇ゲンドウは、後を冬月副指令に託し初号機のケイジへと降りていく。

「こんちくしょお〜」

メインスクリーンには、両脇にライフルを抱え乱射する弐号機が映し出された。しかし、弐号機からの攻撃も至近距離のN2爆雷の爆発に耐えられる使徒には何の効果ももたらさなかった。弾が続く限りに撃ち出されるライフルの制射も使徒の進行を止めることが出来なかった。

ならばとアスカは武器をスマッシュホークに武器を持ち替え、使徒へと突進した。その時、再び使徒の目が光った。

特殊装甲をも突き破る使徒の攻撃は、ATフィールドを中和された弐号機の右肩を簡単に吹き飛ばした。

「...っ!」

悲鳴さえも押さえ込んでしまう激痛。とぎれてしまいそうな意識。それをも押さえ込み、アスカは最後の突撃をかけた。

「負けられないのよぉ。あたしはぁ」

アスカの心の叫び。もう無様に負けるわけには行かない。自分はエースなのだと。

アスカは死を覚悟した突撃を敢行した。

『弐号機のシンクロをカット』

その言葉をミサトは飲み込んだ。ここでアスカが助かったとしても、このまま使徒がアダムと接触すればすべてが終わってしまう。ならば...起死回生に賭けてみるしかない。

「アスカ...」

ミサトは祈るようにスクリーンを見詰めた。しかし奇跡は起きなかった。

スクリーンに大きく映し出される使徒の姿。そして再び光る使徒の目...

頭を吹き飛ばされ、崩れ落ちていく弐号機の姿は絶望を映し出していた。

「に、弐号機大破、パイロットの生命は確認不能」

そんなことは言わなくたってわかる。そんな報告しか出来ない自分を青葉は呪った。

「そう...」

終わった、最早ネルフには使徒を止める方法はない。
自分は使徒に勝てなかった。父親の敵に...すべてを犠牲にしたのに...

ミサトはぎゅっと胸の十字架を握りしめ、スクリーンに映し出された使徒の姿を睨み付けた。
再び光る使徒の目...その攻撃で、セントラルドグマを隠す装甲の全てが消し飛ばされた。

「今の攻撃でメインシャフトが露呈しました」

ミサトはスタッフに撤退を勧告した。心の中で『どこに逃げろというのよ』と自嘲しながら。そう、最早どこにも逃げ場はないのだ。

その時、MAGIのスクリーンを見つめていたマヤから、信じられない報告が上げられた。

「しょ、初号機、射出されます」

その言葉と同時に、使徒の目の前にエヴァンゲリオン初号機が射出された姿が映し出された。

誰もが唖然とする中、ミサトがようやく口を開いた。

「ダミープラグなの」

ミサトの問いをマヤが否定する。

「いえ、ダミープラグは起動していません。
 人が乗っています」

シンジ君なの?その考えが一瞬ミサトの頭をかすめる。そんなはずはない、シンジは処刑されたはずだ...ならばと。

「プラグの映像を出して」

確認しなくては...

「ダメです、回線つながりません」

「パーソナルパターンとかでパイロットを特定できないの」

「ダメです、ほとんどモニタ出来ません。ただ」

「ただ、何よ」

「パイロットのシンクロ率が90%を越えています」

「シンジ君を越えるパイロットが居たとでも言うの...」

その疑問にだれも答えを持ち合わせていなかった。副指令の冬月すら、呆然としてスクリーンを見つめているだけだった。
 

***
 

ジオフロント内に射出された初号機は、使徒に視線を向ける前に破壊された零号機、弐号機を見詰めた。そしておもむろに使徒に向き直ると使徒へと突進した。いきなり音速を超えた初号機の突進は、使徒の攻撃を押さえ込んだ。

初号機と衝突する寸前、使徒の前に浮かび上がる赤い壁。初号機はまるでその壁がないかのように使徒へ体当たりをした。初号機の力で弾き飛ばされる使徒。コアを覆っていた堅い殻にもひびが入った。

いける!

圧倒的な初号機の力はネルフに希望を与えた。

しかし、使徒と初号機の間隔があいた瞬間使徒の目が光った。吹き飛ぶ初号機の左腕。しかし初号機はそれをまったく気にしないように使徒へと突進した。再び激突する使徒と初号機。先ほどの衝突と異なったのは使徒が弾き飛ばされなかった事だった。

初号機は残っている右腕で、使徒が自分から離れるのを引き付けた。そして使徒の左腕を引き千切ると使徒を組み伏せ、その右腕でコアの部分を殴り付けた。

一発、二発...

初号機は、使徒が最後の力を振り絞り光線を放とうとするのを察知すると、振り上げた腕をその顔にあたる部分に振り下ろした。

グシャリという肉がつぶれるような鈍い音とともにつぶされる使徒の顔。初号機はそれを確認すると、再び赤く光るコアを殴り付けた。

一発、二発...

絶対の強度を誇ったそのコアも、初号機の攻撃に耐えきれずガラスが割れるような音を立て砕け散った。圧倒的な力、圧倒的な勝利。しかし発令所には勝利に対する高揚はなかった。

ダミープラグでなければ誰が...

レイとアスカは無事か...

発令所は重苦しい静寂に包まれていた。

「信じられない...」

その沈黙を破るように、観測データを確認していたマヤが呟いた。

「どうしたの」

それを聞きとがめるように、ミサトはマヤにその理由を尋ねた。

「初号機のシンクロ率なんですが最大で150%を示しているんです。
 しかも暴走していないんですよ。
 こんなことありえません」

「現実にそれは起ったのよ。
 現実をちゃんと受け止めなさい」

マヤはそんなミサトの言葉に頷く事しか出来なかった。

スクリーンの向こうでは戦いを終えた初号機が、零号機と弐号機の回収を行っていた。
 

***
 

零号機と弐号機の回収に気づいたミサトはケージへと急いだ。そしてその場所に赤木リツコの姿があるのを見つけた。

「遅いわね、ミサト」

「二人の様子はどうなの」

リツコの言葉に関係なくミサトはまくしたてた。その姿に少し頬を引き攣らせリツコは答えた。

「幸い無事よ二人とも。
 外傷は軽傷ってとこね。
 ただ、かなり神経への負荷がかかっているので、しばらくは目を覚まさないわよ」

二人が無事と言う知らせに、ミサトは身体の力が抜けたようにその場に座り込んだ。

「ミサト大丈夫?」

「あはっ、ちょっち気が抜けちゃって」

ばつの悪そうに立ち上がったミサトの視界をかすめた紫色の巨人。その姿を見た瞬間ミサトの顔は強ばった。そして説明を求めるかのような視線をリツコへと向けた。リツコは表情も変えずミサトに聞いた。

「知りたいんでしょ、初号機の事」

当然とばかりミサトは肯いた。

「待ってなさい。
 もうすぐ彼が現れるから」

ミサトはリツコの表情に違和感を感じた。何も表情を表さないそれは、能面といった方がいいような物だった。しかしミサトには何かリツコが大きな悲しみを抱えているように感じられた。

『何?』

ミサトがその疑問を口にする前に背後の扉が開きパイロットが現れた。そしてその姿に、ミサトは今度こそ本当に言葉を失った。

二人の前に現れたのは、死んだとされていたシンジだった。
 
 

to be continue...
 


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中昭のコメント(感想として・・・)

  かげろう 早くも第二話です。

  精神的に成長の兆しを見せるシンジ
  そしてシンジを引き留めるかのように現れる使徒
  この時加持はどうしたのかな。
  乗るように説得する事なんかできっこないし。
  シンジが決めるまで待ってたかな。黙って。


  シンクロ率150%での使徒撃破。
  初号機の覚醒はなし?
  そうすっと補完計画に支障は・・・
  そんな事よりもアスカとレイはシンジを受け入れる事ができるのか
  シンジの病気を知ったとしたら?

  今後の展開が気になります。




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