第十二話 動き出す世界−3
アメリカ合衆国東南部、アパラチア山脈南部に作られた大深度施設に、それは収められていた。
「地下2000m、4立方キロの空間か」
アメリカ人としては小柄なその男は、小高い丘から山腹に設けられた小さな建物を見ていた。
「完全に隠蔽できるとは思えんが、ないよりはましだろう。
それにしてもえらく高くついたもんだ」
言葉とは裏腹に、そこに収められたものの価値は良く承知している。この程度の投資ならお釣が来ることも分かっている。
入り口に掲げられた看板は中央石炭開発公社。
「2体のエヴァンゲリオンに、ほぼ損傷のないダミープラグが1つか。
もたらすものは繁栄か、それともそれとも我らの滅亡か...」
そう言うと男はポケットにあったチューイングガムを取り出し、それを一枚口に含んだ。
「『使徒』とやらはネルフに頑張って貰えばいい。
我々の出番はそれからだな」
彼の情報網によって、世界の混乱は手に取るように分かっている。だからこそ自分の掌中にあるものの価値は高さもよく承知している。今回の使徒戦はその価値をいっそう高めてくれることもよく分かっている。
男は近場にあった手ごろな岩に腰を掛けると、遠くから近づいてくる小型機を見つめて呟いた。
「ようやく『フランケインシュタイン博士』の登場か」
ジョン・ゲイツは賓客を迎えるために岩山を降りる事にした。
「ようこそMSI秘密基地へダンチェッカー博士」
ゲイツはそう言って、先ほどから憮然としている神経質そうなやせぎすな男 クリストファーダンチェッカー に声を掛けた。
ダンチェッカーはちらりとゲイツを見ると、ふんと鼻を鳴らし在らぬ方を見た。その様子にいささかあきれた様子を見せたゲイツは、ため息一つ吐くと再び口を開いた。
「何かお気に召しませんでしか、ダンチェッカー博士」
その言葉にダンチェッカーはゲイツを睨み付けた。
「前置きはいい、早くエヴァンゲリオンとダミープラグを見せてもらいたいのだがな。
君の酔狂に付き合うつもりはないのだよ。ゲイツ博士」
ここにいるのは不本意だとばかり、ダンチェッカーはゲイツに言った。
「酔狂とは手厳しい。
基地というのは確かに洒落ですが、ここの存在を知るものは限られているんですよ。
ダンチェッカー博士」
ゲイツは両腕を大きく広げると、困ったもんだと言う表情を作った。
「前置きはいいと言ったろう」
ダンチェッカーのいらだちはますます募っていく。しかしゲイツは涼しい顔でそれを受け流した。
「物が物だけに、こちらもいろいろと準備が要るんですよ。
それにちゃんと隠しておかないと、いろいろと問題がありますからね」
ゲイツは時計を眺めながら、無駄だとは思いながらダンチェッカーをなだめるようにそう言った。
「ならば何時まで待たせるつもりだ」
ダンチェッカーのいらだちは臨海点を迎えようとしていた。
ダンチェッカーが焦れて居るのを楽しそうに見つめていたゲイツは、その目にいたずら小僧のような光りを一瞬見せた。そして、デスクにある情報端末に何かのコマンドを打ち込んだ。そして表示を確認すると、おもむろにドアの方へと歩いていき、ダンチェッカーが入ってきた入り口のドアのノブに手を掛けた。
「本当は他にも説明したい事があるんですけどね」
そう言いながらゲイツは『こっちへ来い』とばかりにダンチェッカーをドアの方に手招きした。
「これを御見せしないと納得していただけないようですからね」
その言葉と共にゲイツは扉を開け放った。
ダンチェッカーは、その入り口が自分の入ってきた場所である事は承知している。一瞬「何を」という顔をしたが、その向こうに広がるものを確認すると、さすがに息を飲んだ。
「何時の間にこんなものが」
見せ付けられたものに驚いたのか、手の込んだいたずらに驚いたのかは分からないが、ダンチェッカーはそれ以上言葉を続ける事ができなかった。
「これがMSIの心臓部です」
まるでいたずらが成功した子供のように、瞳を輝かせたゲイツの声が響いた。
ダンチェッカーの目の前には、LCLの海に浸かる2体の白い巨人がその姿を現わしていた。
「かなり悪趣味な歓迎の仕方だな」
空調の聞いた応接室に通され、薄いコーヒーをすすりながらダンチェッカーはゲイツに文句を言った。
「あんな大がかりのエレベーターを設置したのは、このためと言っても過言ではないのですけどね」
ゲイツはそう言って笑った。
「まあ、相手の毒気を抜くには効果覿面ですから」
ゲイツの言うとおりダンチェッカーの顔は大分毒気が抜かれていた。
「2体のエヴァンゲリオンに、ダミープラグのキーになる渚カヲルか。
ネルフに隠れてこれだけのものを持っているとはたいした物だ」
ゲイツの方はハーゲンダッツのアイスバーをかじり、にやにやしながらダンチェッカーの顔を見ていた。
「まだ言いたい事があるんでしょう」
アイスバーから口を話すと満足そうな表情を浮かべ、そう言ってダンチェッカーに続きを促した。
「他に何を隠している」
ダンチェッカーは勧められたペストリーを断り、ゲイツの顔を睨んだ。
「隠しているとは人聞きの悪い」
2本目のアイスバーの袋に手を掛け、ゲイツはダンチェッカーに文句を言った。
「最初に説明しようとしたんですけどね。聞いてくれなかったじゃないですか」
ゲイツの操作で80インチのプラズマディスプレーが壁から現れた。そこにIASの全体図が投影された。
「ご覧になれるように、このブロックでエヴァの修復を行っています。
そしてこのブロックにダミープラグの実験室が有ります。
電力供給システムは正副予備の3系統。
そしてすべてを統合する制御システムがこれです」
ゲイツはやや芝居かかった振りをして自慢のシステムを紹介した。
「複合型光コンピュータ、タイタンです。
単純演算能力ならMAGIタイプの10倍以上を示します」
ダンチェッカーは、もう一つのスーパーテクノロジーが導入されている事は驚いた。噂には聞いていたが、何もかもがあまりにも巨大すぎて導入できないとされていたコンピュータ。ここまで来るとシステムアップだけでも年単位の作業が必要だと言う事はコンピュータに素人のダンチェッカーでも承知していた。それがここではすでに運用されている。そのことをダンチェッカーは素直に賞賛した。
「す、すばらしい施設だな。タイタンが運用できているとは」
掛けられた費用は半端な物ではない。それを実感させられた。それ以上にゲイツが保有している技術に対してもある意味での畏れをダンチェッカーは感じた。
「実はタイタンの運用自体も商品なんですよ」
ゲイツはニコニコしながらそう言った。2本目のアイスバーもすでに無くなっている。
「実はこのシステムの運用自体に、博士の論文が役に立っているんですよ」
そう言って机の引き出しから一組のヘッドセットを取り出した。それにはバンダナのようなそれにはいくつかの電極が取り付けられていた。
「このタイタンはね、BIAC(生体相互作用コンピュータ)機能を取り込んだ第一号でもあるんです」
BIACの言葉にダンチェッカーは思わず席を立ちあがった。コンピュータのOS技術の一つとして、MAGIに使用されている『人格移植』という方法が、一つのエポックメーキングとされていた。ただ巨大なシステムを構成するのに単一の『人格』だけでいいのかも同時に疑問視されていた。BIACは、人間とコンピュータとの間のインタフェースのボトルネックを取り去る事により、『生きている』人間をシステムの一部に取り込む事を可能とした。これによりコンピュータは必要な『能力』を必要なときにそのシステムに取り込む事が可能ととなった。また一度取り込んだ能力は、自己の中で学習する事により、より高みに達することが出来るという特徴まで備えていた。ダンチェッカーは自分が発表した思考の電気的検出と、フィードバックに関する論文がこのような形で実用化されていようとは想像していなかった。ダンチェッカーは一種の畏敬の眼差しでゲイツを見た。そこに見つけたのは少年の様に瞳を輝かせたゲイツの姿だった。
ダンチェッカーは、子供が持っているおもちゃを自慢するような表情をしたゲイツに気づくと、あきらめたようにため息を一つ吐いた。
「降参だ、まだ何か隠しているだろう」
両手を挙げるようにしてダンチェッカーはゲイツへ言った。
「ネルフの知らないエヴァのありかですよ。博士」
会心の笑みとで言った方が良いのだろうか、ゲイツは満面に笑みを浮かべてそう言った。
ゲイツの持つ豊富な持ち駒に、ダンチェッカーは素直に降参の意を示した。
「わかった、それで私は何をすればいいのだ。ゲイツ博士」
「ジョンでいいですよ、ダンチェッカー博士」
ゲイツはニッコリと笑うと、右腕をダンチェッカーの方に差し出した。
「ならば、私もクリスでいい」
ダンチェッカーは、その手を握るとぶっきらぼうに言った。
「ではクリス、あなたにはエヴァの制御システムの解析をお願いしたい。
BIACの基礎理論を提唱したあなただ。
必ずやエヴァの制御を、チルドレンでないものに出来るようにしてくださるでしょう」
再び椅子に座るとゲイツはこう切り出した。
「そのためならタイタンをもう一式用意しますよ」
なるほどとダンチェッカーは思った。『この稀代ののセールスマン』と呼ばれた男の考えることは並みではないと。エヴァそのものもそうだが、それを制御する技術も含めて商品にしようとしているのだと。
確かにお膳立ては万全だ、
「だが問題がある」
ダンチェッカーはそう切り出した。
「つまりだ、我々にはエヴァを動かした経験がない」
ゲイツは、そのダンチェッカーの言葉も予想済みように笑って見せた。
「その問題もクリア出来てます。ちょいと先頃ドイツで拾いものをしましてね」
ゲイツはそう言うと、端末から一人の男のプロフィールを呼び出した。
「フランツ・オッペンハイマー。
ネルフドイツ技術部所属。
セカンドチルドレンの担当だった男です」
正面のディスプレーには灰色の瞳を持った金髪の青年が映し出されていた。
「ネルフにここの秘密が漏れることはないのか」
フランツの経歴にネルフドイツ支部の支部長との関わりを見つけ、ダンチェッカーはゲイツに問いただした。
「ほとんどないと言って良いですよ。
父親の方はこの前の騒動で死んでいるし、彼自身はネルフに対する思い入れはない。
何よりも日本人は嫌いな様だしね。」
狭量な人種差別主義者ですよとゲイツはバカにしたように鼻で笑った。
「それにいざとなれば」
そう言ってゲイツは引き金を引く真似をした。
「まあ直にネルフアメリカ支部の人材も獲得できる予定ですから」
この言葉を聞いて、ダンチェッカーは先頃UNが下した決定について得心がいった。
「成る程、アメリカ政府がネルフ支部を簡単に手放したのにはこんな裏があったのか」
ダンチェッカーはゲイツの顔をまじまじと見つめた。『こいつは稀代のセールスマンどころか、山師だな』それがダンチェッカーの正直な感想だった。
「まあ、彼らとしても、UNのひも付きの組織は要らなかったんですよ。
監視が煩わしいですからね」
ゲイツは暗に他のエヴァ所有者も同じだと臭わした。
「そしてもう一つ」
そう言ってゲイツは言葉を続けた。
「あなたがサードチルドレンの起動実験に立ち会う手はずも整っています」
ゲイツの段取りに、ダンチェッカーは二度目の降参の意を示した。
「ジョン、アンタの実力はよく分かった。
まずフランツとやらに会わせてくれないか、チルドレンの情報を知りたいんだ」
そう言って脱帽したとばかりに、ダンチェッカーは立ち上がった。
それにあわせるようにゲイツも立ち上がった。
「ありがとうクリス。君が居れば百人力だよ」
そう言って二人は固い握手を交わした。
非公式に行われた国連特別部会で、冬月は戦っていた。彼が優先しなくてはいけないのは、何よりも生き延びること。そしてチルドレンの身柄。今度こそはチェスのコマを動かすように、右から左にチルドレンを動かすわけには行かない。
今回冬月にとって幸運だったのは、使徒の来襲が有ったと言うことだった。そして最終的にセカンド・サードの両名で何とか撃退したことが、戦力の分散を防ぐ口実となったことだった。だがそれでも問題は有った。
修復中のエヴァを所有するアメリカ支部はもちろんのこと、残されたネルフ支部をどうするかという問題が、ネルフ指令としての冬月にのしかかった。現にエヴァを持たないイギリス、フランス支部が襲われていることから、エヴァがないからと言って、放置できる状況にはなかった。
これに対して解決策を提案したのは、意外にもアメリカ代表だった。その提案は「安全が確認されるまで、全ての技術を日本に集約する」と言うものだった。そしてこの提案は意外なことに満場一致を持って採択された。
これには逆に冬月が驚いた。多分にやっかい払いという要素も否定できないのだが、各国がネルフの持つテクノロジーを、一時的にしろ手放すことに同意するとは予想もつかないことだった。ともあれ、リツコの用意した最終案にほぼ近いこの提案を冬月は受け入れることにした。冬月にとって、足りない予算とスタッフを確保するいい方法でもあったからだ。
この条件下でアメリカ支部はもう一つ要求を出してきた。アメリカ支部の出してきた要求は、修復中のエヴァの起動実験のアメリカ支部での実施と、移転までの間のアメリカ支部のガード。そのための人材としてサードチルドレンの派遣であった。
さすがに冬月もこの要求を断る口実が思いつかなかった。何しろ万が一の使徒の攻撃に対して、単独で迎撃できる技量を持つのはただの二人であり、その内の一人は本部で加療中である。確かにアスカは迎撃に出たが、現在の体調で長旅や各種試験につきあえるとは思われない。そうなれば対応が可能なのは必然的にシンジ一人となる。
「本部に持っていく前に、使徒にやられたくはないでしょう」
会議場にアメリカ代表の言葉がもっともらしく響いた。
「はあ、アメリカですか」
冬月に呼び出され、アメリカ出張の話を聞かされた時の、シンジの答え。何とも間の抜けたような声が指令室に響く。
「そうだ、シンジ君。ネルフアメリカへ行って、5号機のロールアウトの手伝いとガードを頼む。
期間的には支部移転の準備を含めて3週間程度のものとなるだろう。
まあ、あれだけの組織の移転となると、普通なら1年掛かりになるんだが、
今回は事情が事情なだけに大急ぎの引っ越しになった」
冬月は着任早々申し訳ないとシンジに詫びた。
「まあ、仕方がないんでしょうけど...
ボク一人では外人の中でやっていく自信は有りませんよ」
シンジは自分の英語の成績を思い出した。悪いとは言えないが、とても異国に一人でいけるようなものではない。語学留学では決してないのだから。
「ああ、そのことなら...」
冬月はそう言うとインタフォンに二言、三言何か指示を出した。
「護衛兼、世話係。それから技術サポートが何人か同行することになる。
人選にシンジ君の個人的な希望はあるかい」
冬月の言葉に少し考えたシンジだったが『特に希望のない』事を伝えた。
冬月はシンジの言葉に頷いた。
「明日にはメンバーに紹介しよう。
それから三日後には出発する事になるから、必要なものはすぐに揃えておくように。
まあたいていの物は、資材の方に言っておけばすぐに揃うから、
手続きの仕方は秘書の朝霞君に聞いてくれたまえ」
そう言って入ってきた女性をシンジに紹介した。
「朝霞君だ。彼女も今回の派遣メンバーの一人で、主に通訳を含めシンジ君の身の回りの世話をしてくれる」
朝霞を紹介する冬月の姿は、シンジの目からは何か楽しんでいるようにも感じられた。
「朝霞ケイコです」
そう言って右手を差し出してきた女性に対するシンジの印象は『クール&ビューティ』。170近い身長、ショートの黒髪、鼻筋の通った顔つき、確かに美人なのだが、冷徹なキャリアウーマン然したタイプはシンジの苦手とするものだった。もっともシンジに女性が得意だった試しはないのだが。
「霧島シンジです。お世話になります」
なんとか保った平静さでシンジも右手を出し、握手をした。その時シンジは「力が強い」という項目を彼女の印象に付け加えた。
「悪いがすぐに準備に取り掛かってくれないか」
その冬月の言葉に二人は指令室を出た。資材部へ向かう廊下では二人の間に会話がなかった。シンジとしては何を話しかけて良いのか想像もつかなかった。ただ二人の足音だけが長い廊下に響いていた。
しかしその沈黙を破ったのは意外な物だった。
ふぅ〜
シンジは隣を歩くケイコがいきなり大きく溜め息を吐いたので、驚いてケイコの方を見た。そして、そこには先ほどまで見せていた姿とは違ったケイコの姿があった。
「あ、朝霞さん...」
ケイコの視線が自分に向けられていたことに気づいたシンジが、隣を歩いていたケイコにどうしたのかと聞いた。
「ふぅ〜」
ケイコはもう一度溜め息を吐くと言った。
「いいわねぇ〜」
シンジの頭にハテナマークが浮ぶ。
「あ、朝霞さん...どうしたんですか」
「あ、ごめんなさい。ちょっと浸っちゃったのよ」
先ほどまでとは打って変わって、ぺろりと舌を出す姿は、年齢が5歳は下がったような雰囲気となった。
「はぁ、浸っているんですか...」
何にと言うのがシンジには憚られた。
「冬月さんの部屋に居たときにくらべて人が変わったみたいですね」
その替わりシンジはケイコの印象を感じたままに言った。
「やっぱり分かる?でもあれも私の持っている顔の一つ。優秀な秘書の顔よ。
女はね、時に応じて色々な顔を使い分けるんだから」
ケイコはそう言って子供っぽい顔で笑った。
「でもね今は普段の私よ。シンジ君」
「そんなもんですかね」
アスカも色々な顔を使い分けているのだろうかと、ふとシンジはそう思った。
「でも、楽しそうですね」
シンジはケイコに向かってそう言った。
「そりゃあね、シンジ君と一緒に出張できるからね。
私たちずっと一緒に行動するのよ」
ケイコの瞳は、どこか遠くを見つめているようだった。
「日常の面倒は全部私が見るんだから...」
「はあ、よろしくお願いします。朝霞さん」
深く突っ込むのはやめようと、シンジは曖昧な返事を返した。その言葉が気に入らなかったのか、少し怒った様子を見せて、ケイコはシンジに講義した。
「う〜ん、他人行儀だな。
出張の間は寝食とまではいかないかもしれないけど、
まあ運命は共にするんだから名前で呼んでくれない」
少し頬を膨らませて抗議する姿は、どちらが年上か分からない。
「そ、そんなことを言ったって...」
「いい、お互いの信頼関係が必要なんだから。
まずは簡単なことから始めましょう」
訳の分からない理屈だともシンジは思ったが、ここは逆らわない方がいいと、言われたとおりケイコを名前で呼ぶことにした。
「ケ、ケイコ...さんですか」
ケイコの剣幕に押されるかたちで、シンジはそうケイコの名前を呼んだ。ケイコは一転笑顔を浮かべ、シンジの腕に自分の腕を絡ませた。
「よしよし、じゃあ資材に行って、必要なものをそろえましょうね。シンジ君」
腕に当たる豊かな胸の感触と鼻孔をくすぐる香水の香りに、シンジは頬を赤らめながら長い通路をケイコに引きずられていった。
資材部でのケイコは、再び優秀な秘書の顔となった。テキパキと必要な準備を手配して行くケイコの姿は、ある意味シンジに感慨を抱かせた。
『ミサトさんとは大違いだ』
ものの一時間も居ないうちに、必要と思われるものは揃ってしまった。シンジはその手際に感心していた。
「ずいぶんと荷物が多いんですね」
シンジはそう言うと、パッキングされた荷物のリストを眺めた。多いはずだ、下着類は日数分以上用意されている。
「まあね、安全のためかな。
みんなネルフの特製だからすり替えられても判別が利くし。
それにクリーニングに対しても用心しなければね」
結構気を使うのよとケイコはシンジに言った。
「でも、行き先はネルフなんでしょ」
ケイコの説明がふに落ちないシンジはそう聞き返した。
「身内を疑いたくはないんだけどね。
今のシンジ君の立場を考えれば、用心して用心しすぎということはないの。
だから向こうでは常時護衛がつくわ。
もちろん寝ている時も」
ケイコはさもすまなさそうな顔をシンジに向けた。
「はあ、寝ている時もですか」
「シンジ君が寝ている時には、保安諜報部から一人信用できる人が着きます」
ケイコは一瞬いたずらな笑みを浮かべると、シンジをからかうように言った。
「それとも私の方が良かった?」
「えっ」
シンジはケイコの言葉に顔を赤くした。
「そ、そんなことは考えていません」
その答えも少し上擦っていた。
ケイコはシンジの反応に満足したのか、楽しそうに言葉を続けた。
「本当は寝ている時も私が護衛しますって志願したんだけどね。
葛城一佐に反対されたわ」
なんて言ったと思う。ケイコの目はそう訴えていた。
「ミサトさんに何を言われたんですか」
ミサトのことだ、またとんでもないことを広めているんではないかと、シンジは不安になった。
「『向こうでは無事に済んでも、日本に帰ってきたら命がないわよ』ってね。
『私も命が惜しいし、遠慮します』って私が答えたら。
『命がなくなるのはシンジ君のほうよ』
そう言われたわ。
嫉妬深い、怖い彼女でも居るのかしら」
そう言ってケイコは楽しそうに笑った。
その言葉にシンジは軽い頭痛を覚えた。『一体ミサトさんったら何を広めているんだ』かつての保護者のおばさんぶりを嘆くしかなかった。
「アンタアメリカなんて行って、大丈夫なの」
出張の報告にアスカの病室を訪れたシンジに、アスカはそう言った。
「まあ見送りぐらいはしてあげるから、頑張って行ってらっしゃい。
アンタは人見知りが激しいし、未だにバカシンジなんだから、
せいぜい恥を掻かないようにしてきてね」
シンジは何か酷い言われようだなとも感じたが、あながちはずればかりとは言えないので、曖昧な笑みを浮かべることしか出来なかった。
「ほら、それがいけないのよ。
自分のことを笑って誤魔化そうなんて、そんなこと世界じゃあ通用しないわよ」
アスカはここぞとばかり、たたみかけるようにシンジに言った。
「そんなことでアタシに恥を掻かせるんじゃないわよ」
「どうして、ボクのことでアスカに恥を掻かせるんだい」
シンジは浮かんだ疑問を素直に口にした。
「あ、アンタがパイロットの代表で行くんだからね。
そのアンタがバカをすれば、パイロット全体の恥なのよ」
アスカは『バカ、鈍感』の言葉を飲み込んだ。少し慌てたそぶりを見せたアスカにシンジは微笑んだ。
「まあ、自分に出来る範囲で頑張るよ。
帰ってきたときにアスカに殺されたりしたら困るから」
そう言って、シンジはアスカの横に腰をかけた。
「まあ、しばらくはエースパイロットの座を貸しておいてあげるから、胸を張って行ってらっしゃい」
アスカは隣に座ったシンジの頭を軽く小突いてそう付け加えた。そして固まってしまった体をほぐすかのようにのびをしたあとシンジの方を見た。
「その間にアタシは鈍った体を鍛え直さないとね。
このままじゃアンタに襲われても抵抗できないから」
アスカはそう言ってケラケラと笑った。その言葉にシンジは少しいたずら心を起こし、アスカへと体を寄せた。
「じゃあ、今の内に」
そう言って、シンジはアスカにキスをしようと顔を近づけた。その瞬間、シンジの喉元にちくりとした感触が...
「あの、アスカさん」
シンジはその感触に固まり、冷や汗を垂らしてアスカを呼んだ。
「なんでしょう、霧島シンジさん」
薔薇の花が咲いたような笑顔を浮かべて、アスカは尋ね返した。
「ボクの喉元に有るものはなんでしょうか」
シンジの喉元に光る物体。
「果物ナイフですわ。お気に召しませんでした?」
「いや、何でそんなものが、こんな所にあるのかなぁと」
アスカはシンジの喉仏をつんつんとつついた。
「リンゴを剥いて差し上げようかと思いまして」
「は、はあ?」
「ムードもなにもない殿方にお灸を据えるためですわ」
アスカはおほほほほと笑った。
「あ、そ、そうですか」
そう言ってシンジは冷や汗を流しながら退散した。
アスカはそんなシンジがおかしかったのか、しばらくケラケラ笑っていたが、急にまじめな顔をすると、シンジの首にぶら下がるように、腕を廻してきた。
「無理しなくても良いから、絶対無事に帰ってきてね」
そういうと、シンジの唇に自分の唇を重ねた。
軽くふれあう二人の唇。
「約束するよ。必ずアスカの所に帰ってくる」
シンジはそう言いうとまだ用意があるからと病室を後にした。アスカはシンジの出ていった扉を瞬きもせずじっと見つめ、小さく呟いた。
「待ってるから」
そして人差し指で自分の唇をそっと触れた。「アスカの所へ」その言葉がうれしかった。
「待ってるから」
その言葉は、持ち主の心を現したかのように切なく病室の中に響いた。
to be continued.
トータスさんのメールアドレスはここ
NAG02410@nifty.ne.jp
中昭のコメント(感想として・・・)
トータスさんのルフラン第12話、投稿して頂きました。
>「霧島シンジです。お世話になります」
?? ああ! 養子にいったのでしたね。
>腕に当たる豊かな胸の感触と鼻孔をくすぐる香水の香りに、シンジは頬を赤らめながら長い通路をケイコに引きずられていった。
うーむ
誰かに見られたら命がなくなりそう
>「『向こうでは無事に済んでも、日本に帰ってきたら命がないわよ』ってね。
> 『私も命が惜しいし、遠慮します』って私が答えたら。
> 『命がなくなるのはシンジ君のほうよ』
> そう言われたわ。
> 嫉妬深い、怖い彼女でも居るのかしら」
アハハハ
この調子で護衛全員に触れ回ってたりして。
でも、随行員の事をアスカに伝えたら・・・・・
「全員男でしょうね?」
とか聞かれたとして・・・
シンジはどう答えるでしょうか。
>「なんでしょう、霧島シンジさん」
>薔薇の花が咲いたような笑顔を浮かべて、アスカは尋ね返した。
うーんアスカらしい。
>「待ってるから」
>その言葉は、持ち主の心を現したかのように切なく病室の中に響いた。
切なく?
寂しい・・・のかな
さて、動き出したアメリカ産業界・・・ちょっと違うか
エヴァを商品として見る男の登場。そして生きていたあの人。
巻き込まれるシンジは?
ますますヒートアップの次回へ
みなさんも、是非トータスさんに感想を書いて下さい。
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