〜ル・フ・ラ・ン〜


 第十三話 渦中
 
 
 

夜明け前の冷気も、地下数百メートルに納められたその施設までは忍び込むことはない。そこには、ネルフを凌ぐほどの施設を個人の手で作り上げた男の城が有った。その一角に設けられた10人程度を収容する会議室に、夜明け前だというのに6人の男が集まっていた。男達は一様にディスプレーに映し出された映像を凝視している。そこに映し出された映像は男達の度肝を抜くのに十分だった。第三新東京市に襲来した使徒とエヴァンゲリオン、その戦いが映し出されていた。これまでは極秘とされ、決してネルフ関係者外には公開されなかった映像が、何故かここには存在した。

「サードチルドレンは日本を発ったようだ」

ゲイツは受話器を置くと、会議室にいるメンバーに向かってそう告げた。その言葉と同時にディスプレーに映し出された映像が切り替わった。そこには誰が撮影したのか、日本を発つ霧島シンジの姿が見送りの者達と共に映し出されていた。

「横にいるのはセカンドチルドレンです」

口付けを交わしている若い恋人たちの姿を背景に、感情を押し殺したフランツの説明が会議室に響く。ネルフの情報にもっとも通じたものとして、フランツが一連の事態の説明を担当していた。

「この二人がオリジナルのチルドレンなのか」

ダンチェッカーが手にしたファイルを眺めながら質問した。

「そうです。使徒戦役の生き残りです。
 サードインパクト後に登録されたチルドレンとは、資質において一線を画しています」

「ふうむと」ダンチェッカーは、チルドレンのシンクロ率を示した資料をめくった。そこに示された数値は確かに、この二人が非常に高いシンクロ率を有することを示していた。資料にはファーストからシクスス、それから未登録では有るが、アメリカでパイロット候補として訓練中の訓練生のデータまで示されていた。

「今回の使徒再来に関するデータは」ダンチェッカーはフランツに続きを促した。

「ご覧のとおりです」

フランツのその言葉を合図に、背後のディスプレーに第三、第四、第五使徒との戦闘の様子に切り替えられた。

「話には聞いていたが、この様な生物が存在するとはな」ダンチェッカーは、かつて赤木リツコによって作成された、第四使徒の分析データを眺めながら感心したように呟いた。「本当に神は存在するのかもしれんな」

「今後襲来の予測される使徒のデータは、後ほどご覧頂きます。
 まず、今回の戦闘においての特徴的な点を説明いたします」

フランツはダンチェッカーのつぶやきを無視するかのように、ディスプレーの表示を切り替え話を進めた。そこには第四使徒に相対するエヴァンゲリオン8号機の姿が映し出され、再起動から殲滅までの時間にして数分の出来事が繰り返し表示されていた。

フランツはポインターでパイロットのシンクロ率を示すグラフを示した。データはパーソナルパターン『Kensuke Aida』と映し出していた。

「今回の戦闘で特筆すべき点は3つ上げられるでしょう。
 まず第一はパーソナルパターンの壁がパイロットによって破られた点。
 これは第四使徒戦でのサードチルドレンのデータが、それを示しています。
 これまではパーソナルパターンの不整合は、致命的と言われてきました。
 確かに今回の戦闘でも問題は観察されました」

スクリーンには神経接続が、次々と解除されていく様が映し出された。

「しかしサードチルドレンは、自力でそれを克服しました」

フランツはそこで言葉を切り、自分の発言が全員に浸透するのを待った。

「パーソナルパターン不整合の場合に起こる不具合内容は」

ダンチェッカーが計ったように質問をしてきた。

「過去のデータによると、パイロットには精神汚染…
 簡単に言えば各種の精神的な障害の原因になると言われています。
 また軽ければ頭痛、嘔吐等の症状を示します。
 そしてエヴァンゲリオン本体に関して言えば暴走の原因ともなり得ます」

ダンチェッカーから質問が出ないことを確認すると、にフランツは画像を切り替えた。スクリーンには第五使徒とエヴァンゲリオン7号機、8号機の姿が映し出されていた。

「次に第五使徒戦にて、サードチルドレンの示した瞬間シンクロ率です」

画面には時間と共に変化するシンクロ率が、グラフとして映し出されている。

「ご覧のように、最後の攻撃の瞬間、シンクロ率が10%向上しています。
 ただでさえ高いシンクロ率を示していることを考えると、この瞬間の伸びは脅威とも言えます。
 この後加えられた攻撃も含め非常に興味深い現象です。
 何らかの精神のコントロールがポイントかと考えられます」

「火事場の馬鹿力という奴か」

ダンチェッカーとは別の男 −やせぎすな男− がそう口を開いた。

「確かに状況的には追いつめられた物であるのは確かですが。
 この後の攻撃からも判るように、これはサードチルドレン自身のコントロールです。
 火事場の馬鹿力と違って、制御可能かつ再現可能な物です」

フランツはポインタを8号機のシンクロデータへと移動させた。そして新たなウインドウを開き、ドイツでの実験結果と重ね合わせた。

「最後がセカンドチルドレンのデータです。
 ご覧のように、ドイツで試験を行っていたときにくらべて、12%シンクロ率が向上しています。
 戦闘状態での集中と言うことも考えられますが、過去の実験ではこれほどの差異が観測されたことは有りません。
 別の理由と考えることが合理的かと思います」

「ネルフ本部の運用が良かっただけ、と言うことはないのか」

先ほどの男が再び口を開いた。

「その可能性は否定できません。
 ただドイツ支部において、長期間に渡って様々なテストを行ってきました。
 今回本部が使用したパーソナルデータも過去使用した実績があります。
 しかもその後で、より高いシンクロ率を示すパターンに調整されています。
 それを考慮に入れると、単に運用が原因とは考えにくいのも確かです」

成る程とその男は頷いた。

「シンクロパターン及びパイロットの脳波の詳細データはないのか」

今度はダンチェッカーがフランツに質問をした。

「残念ながら実戦においては、そこまでのデータどりはなされていません。
 またあったとしてもおそらく博士のご期待にそえるものではないでしょう。
 脳波パターンの分析、及び各種心理的圧力に対する変化のデータは今後の課題と言えます」

フランツはそう言って自分の説明を締めくくった。

フランツの説明が終わったことで座がばらけた。

「セカンドではなくサードが来たのは好都合と言うべきかな」
「確かにな。サードチルドレンは興味深い対象とも言える」

その男はサードチルドレンの経歴を眺めながらそう言った。

「これで使徒の襲来でもあれば貴重なデータが取れるのですが」
「そこまで望む訳にはいくまい。彼らをコントロールできる訳ではないからな」

フランツの作成したレポートを眺めていたダンチェッカーは、顔を上げるとおもむろに口を開いた。

「タイタンから行うMAGIのコントロールは、万全なのか」

フィリップスと名乗る男がその質問に答えた。

「はい、その結果が今お見せした映像です。
 これはMAGIアメリカ支部の、上級幹部のみが閲覧可能なデータを持ってきたものです。
 MAGIはタイタンからの制御を自分の判断と錯覚して実行します。
 従って、記録上タイタンの痕跡を見つけることは出来ません」

実績を自慢するでもなく、淡々と事実だけが説明された。

「ネルフ本部への進入は」

ダンチェッカーが質問を続けた。

「まだその時期にない。
 アメリカ支部の場合、協力者が居たので、容易に制御下に置くことが出来た。
 しかしネルフ本部はそうはいかん。
 今の時点で我々の存在を彼らに知られるわけにはいかん。
 ネルフ本部へ御邪魔するのは、使徒とやらの脅威が去った後ということになる」

ゲイツがフィリップスに代わってそれに答えた。

「サンタクルズには」

「クリスと私が行くことにするよ」とゲイツがダンチェッカーに告げた。「まあ私は見学だけどね」と。

そこでゲイツは参加者全員の顔を見渡し、会議の締めを行った。

「これから私とクリスはサンタクルズへ出発する。
 諸君には申し訳ないが、遠隔からのサポートをお願いする」

一同はゲイツの言葉に頷いた。これからわずかな間で、エヴァンゲリオンの操縦に関する謎を解明しなくてはならない。ネルフの目を盗みながら行う作業は困難を伴うが、それだけにまた彼らにやりがいを与えたのも確かだった。

ゲイツとダンチェッカーが退出した後も、彼らの議論は尽きることはなかった。
 
 
 

***
 
 
 

シンジの旅立ちは安全面の配慮から、戦自の新厚木の基地からとなった。警備上の制限から見送りに出られる関係者も大きな制限を受けた。家族、ネルフ関係者等々限られた者にしか許可されず、見送りには特別に申請が必要だった。

レイコが自分とムサシの分の申請書を書き込んでいるときに、マナが茶々を入れた。

「許婚者とその兄って言うことにしたら♪」

このマナの一言は、資格の欄へ書き込もうとしていたレイコと横にいたシンジを凍り付かせた。すぐさま我に返ったシンジの「恐ろしいことを言わないでよ」という情けない抗議によって未遂に終わったが、その後も「既成事実を作るのも手よ」とマナはレイコを誘惑し続けた。結局は、副指令補佐として着任した大和特佐の家族と言う、マナにとっては面白くもなんともない結果へと落ち着くこととなったのだが。

シンジの出発には、何人かの政治家も立場を売り込もうと出席を希望していた。しかし、報道関係者の出席がないこと。出席が議員本人に制限されたことで、メリットがないと判断したのか結局一人も参加することはなかった。

その結果、シンジは自分を利用しようとする政治的な思惑から逃れることが出来た。そしてシンジの周りは必然的にネルフの関係者で占められることとなった。

シンジにとっては、厳めしいセレモニーから逃れられることはありがたかった。しかし顔を出した早々、いきなり加持に「すまん」と謝られたことが気にかかっていた。

「いきなりどうしたんだろう」

そのシンジの疑問は、その後に現れたやけにテンションの高いミサトの姿を見ることで氷解した。

「やばい」

そう感じたシンジは、「君子危うきに近寄らず」とばかりに戦術的撤退を試みたが、向こうの方が一枚上手で、なすすべもなくミサトの手に落ちることとなった。

冬月やシンジの両親が周りにいる間は、ミサトも押さえていたのか、比較的平穏無事に時間が過ぎていった。しかし同行者の紹介が終わりグループがばらけたあたりから、ミサトの本性が現れていった。ミサトはにたりと笑うと、シンジの『ずい』と立ちふさがった。そしてシンジの背中を叩きながら「まあ、しんちゃん、向こうでもしっかりやってらっしゃい」と宣った。

確かにアスカの復帰も近いし、他にも2人のパイロットが居るのだから。動くかどうか判らないアメリカ支部に行くことに比べたら、本部にいる方が安全とも言える。だからミサトが「こっちのことは気にするな」と言うのもある意味で正論である。

しかしその時シンジは、ミサトの瞳がいたずらっ子のそれであることに気付いていた。そして『ついに来た』かと己の身にこれから起こる不幸に震撼していた。シンジは儚い望みとは知りながらも藁にもすがる思いで「み、ミサトさん...酔ってないですよね」と牽制の言葉を口にした。しかしその瞬間のミサトの表情に、シンジは自分の希望がはかなくも潰えたことを知った。

にへら、と評したら良いような笑みを浮かべたミサトは、どんと胸を叩くとシンジへと詰め寄った。

「当たり前でしょ...これが酔っている顔に見える?」そう見えるから聞いているんですというシンジの心の声を無視するように、ミサトは言葉を続けた「それよりしんちゃん...アスカとはどうなってるの」と。

『やはり来たか』『よりにもよってこんな時にする質問か』と、シンジはミサトの言葉に目眩を感じていた。

「どうなってるのって、いつも覗いているんでしょう」

こんな時に言わなくても良いでしょうと、恨みがましい目でシンジはミサトを見つめた。しかし、ミサトはそんなシンジを無視するように言葉を続けた。

「そりゃあ、まあそうだけどね。こういうことは本人の口から言わせるのがいいんじゃない」

そう言う問題か、とシンジは心の中で突っ込んだ。何よりも『いつも覗いている』ことを素直に肯定されたことも頭が痛い。多分何を言ってもこんなミサトは止められないだろう…これなら使徒の方がよっぽどましだとシンジは頭を悩ませていた。

「本当にミサトさん酔ってません?」

「しつこいわねぇ。酔ってないわよ。
 いつもと一緒で朝のエビチュを5本飲んだ所までは覚えているわよ」

「覚えているって...」

「それよりもアスカとのことをきりきりと吐けぃ」

こりゃダメだとばかりにシンジ早々に白旗を揚げ、助けを求めようと周りを見た。しかしシンジと目があった者は、『触らぬ神にたたりなし』とばかりに視線を逸らすか、『葛城さんの言うとおり、どうなっているの』といった好奇心に輝いた目でシンジを見つめていた。

ならばと視線を冬月の方に転じると、冬月はシンジの父親と昔話に話を咲かせているし、その横では朝霞はシンジの母親に、『息子を頼む』と頭を下げられているところだった。どちらの関心もシンジからは離れていた。

「こりゃだめだ」

シンジは天を仰いだ。もう一方の当事者のアスカは、ヒカリやマナやレイコと一緒になって何かを話し込んでいた。時々4人がシンジに向かって意味ありげな視線を向けるところを見ると、主な話題はシンジであることは容易に想像できた。

トウジ達の方へ逃げ込もうかとそちらへ目を転じると、トウジ、ケンスケ、ムサシの3人から『こっちへ来るな』とばかりの視線を向けられるとともに、『しっしっ』とまるで犬でも追い払うような真似までされた。

『もう、どうにでもして』

まさしくそれが今のシンジの心境だった。

ミサトの手によって、シンジはアスカとかわした口付けの回数まで報告させられていた。
 
 
 

***
 
 
 

「そりゃあ、センセの緊張を解こうと思ったミサトさんの思いやりやがな」

さんざんっぱらおもちゃにされた後に、解放されたシンジをトウジはそう言って慰めた。しかしトウジが本気で慰めていないことぐらいはシンジにもすぐ判った。トウジの目がしっかりと笑っていたからだ。

「これから8時間も飛行機に乗っていくんだよ。
 ここでいくら緊張を解いたって意味がないと思うけど」

なんで助け船を出してくれないんだと、恨みがましい目でシンジは3人を見つめた。3人は3人で、シンジのそんな視線をさらりと受け流すと、ニタリと笑い、今度は自分たちの番だとばかりシンジの追求を始めた。

「まあ幸せ者はこういう事になる運命なんだよ」ケンスケはそう言ってシンジの袖を引くと「ところで、本当のところはどうなんだ。おまえ達」にやりと口を歪め、ケンスケは軽いジャブを放った。

「け、ケンスケまで...」またかと、シンジはこめかみのあたりを押さえた。

「俺達はミサトさんと違って、モニタで覗いたりしていないからな。
 その辺を良く考えて説明してくれ」

「そやそや」

「あのなケンスケ、トウジ...」

『自分のことは棚に上げないでよ』そう突っ込みたいシンジだったが、藪をつつくだけで終わりそうもないので、その言葉を飲み込んだ。

「俺が知っているのは、家に帰るのもそこそこに、足繁くネルフに通っていることだけだ」

「おい、ムサシ...」

「そらおかしいで、今のネルフはそないにテストはやっとらんからな」

「トウジまで...」

「そうだな、ここはシンジ君に何しにネルフに行っているのか教えて貰わなければな」

「ケンスケ...白々しいよ。それ」

「「「うるさい、とっとと吐けぃ」」」

ユニゾンする3人の声、その瞬間パコンといういい音が4人の頭からあがった。アスカ、ヒカリ、マナ、レイコがそれぞれ後ろから4人の頭を叩いていた。

「なんや委員長、痛いやないか」

トウジからあがったその抗議の声も、アスカのギロリと音の聞こえてきそうな一睨みで押さえ込まれた。

「な〜に、バカ言ってんのよ三バカ+1」そう言ってアスカはさも軽蔑したとの視線を4人に向けた。

「「さ、三バカ」」
「ぷ、プラス1」

トウジ、ケンスケ、ムサシが自分たちの言われようにショックを受けたように呟いた。

「酷いよマナ。どうしてボクまで叩かれなくちゃいけないの」

一方シンジは、後ろでファイルをぶんぶんと振り回しているマナに抗議していた。

「アスカさんを放っておいてバカ話しているからよ」『えい』とばかりにマナはファイルを振り下ろすふりをした。そして「さっさと二人っきりになっていらっしゃい」とシンジに命令した。

「したくてしている訳じゃ...」

「言い訳はいいから、とっととアスカさんの所へ行きなさい」

「は、はいっ」

マナの剣幕と、こっちへ来いと言うアスカの迫力にシンジは抗することが出来なかった。そのままシンジはアスカに引きずられるように集団から離れていった。

「尻に敷かれるタイプだな」

ぽつりとケンスケが述べた感想...何故か全員を納得させる物があった。

「しんちゃん、アスカ...どこに行っても護衛がついているからね。
 どうせ二人っきりになれないんだから、人目を気にしないでそこでしちゃいなさい」

目敏く二人を見つけたミサトは、そう言って二人をからかった。その時ばかりは、いつも殺風景な基地を明るい笑い声が包んでいた。
 
 
 

***
 
 
 

『それにしても』

シンジは窓の外に広がる暗闇を見ながら思った。

『いつの間にあんなに仲良くなったんだろう』

アスカが、マナやレイコと楽しそうに話している姿が目に浮かんだ。シンジにはその姿がとても新鮮に映った。以前一緒に居た頃の孤高を保つアスカの姿からは想像もつかない姿。アスカも変わったのだと、シンジは実感した。

『アスカ...』

ふと口に出てしまうその名前。離れて居た頃に感じた切なさ、やるせなさはもう感じない。その名前は今ではシンジに安らぎを与える。

『すっかり元気になったな...』

シンジは再会したときのアスカの姿を思い出した。あの時はベッドの中で苦悶の表情を浮かべていた。その表情はシンジに、苦い過去を思い出させた。『二度とアスカを苦しませない』その思いに自分はあの家を出たはずだったのに、自分のしたことはなんだったのかとシンジは悩んだ。

今こうして笑顔を取り戻したアスカを見て、シンジは自分の求めていた物が何であったのかを再認識した。

『あの笑顔を守りたい』

気づいてみれば簡単なことだった。そしてそのためだったら何でも出来る、して見せる。シンジは静かに決意していた。

ふと気がつくと、シンジは固く右手を握りしめていた。そんな自分が急に恥ずかしくなり、シンジは視線を再び窓の外へと向けた。

『もうすぐアスカも退院できるんだ』

シンジはアスカの退院が近いことを思い出した。無理は出来ないが、日常生活には支障がない。すぐにでも退院できるほどだとシンジはミサトから聞かされていた。『やっぱり愛しい人に看病して貰うと直りが早いわね』とのからかいの言葉も一緒だったが。

「そう言えば退院後のこと、教えてくれなかったな」

退院してからのアスカの身の振り方については、シンジがいくら聞いても、『秘密』の一言でアスカはシンジに話そうとしなかった。

『大学を卒業しているんだから、今更高校ってこともないよな。
 だったらネルフでリツコさんの所に行くのかな。
 それにどこに住むのだろう。
 アスカ...家事が出来るようになったのかな…』

そこまで考えて、まあ良いかとシンジは考えることを止めた。彼自身、アスカに驚かされることにはなれている。そしてそれを喜んでいることを自覚していた。だから今度も彼女がどんな選択をしたかは、帰ってきたときの楽しみにすれば良いと、そう頭の中で整理をつけた。

「1ヶ月か…」小さく呟かれたその言葉は、隣に座っていた朝霞の耳に届いた。

「眠れないんですか」シンジの言葉を聞き留めた朝霞は、小さな声でそう言った。

「ごめんなさい、起こしちゃいましたか」

シンジの問いに朝霞は首を振った。「私も起きていましたから」と。

「ちょっと、いろいろ考えていたんです。
 これまでのこと、これからのこと…」

シンジは視線を朝霞から前方に移し、そう言った。

「宜しかったら少しお話でもしましょうか」ケイコはシンジの顔を覗き込むようにしてそう言った。

「いいんですか、ケイコさん。疲れているんじゃないですか」

「いいんですよ、私も眠れなかったから」ケイコはそう言うと小さく舌を出して笑った。

「でも、着いた早々に歓迎のレセプションが在りますから。
 その時ぐらいは目を覚ましていてくださいね」

「レセプションって何をするんですか」シンジの顔は初めて聞いたというそれだった。

「合衆国大統領の挨拶とか、ネルフ北米支部支部長の挨拶とか。
 記念撮影とか...」

「に、日本ではなかったんですけど...そう言ったの」

出席者の物々しさにシンジはげんなりという顔をした。ここに来てアスカの言った『パイロットの代表』と言う言葉が実感できた。

「日本はね、本部の権限が強いから。
 いやでしょ、シンジ君はそう言うの」

ケイコの目は、シンジのためを思ってそうしたと物語っている。

「そうですね。そう言った堅苦しいのはちょっと」

「冬月指令が掛け合ってくれたわ。でもアメリカまでは権限が届かないの。だから我慢してね。それに彼らだって会ってみたいのよ『世界を救うチルドレン』にと」ケイコは言葉を続けた。

「そうですか...」

こんなのが乗り込んだら、失望させないかとシンジはふと思った。そして望まれるパイロット像は何かと考えるに至り、そこでアスカの姿を思い浮かべてしまう自分に苦笑してしまった。

「まあ、すぐに実戦体勢に入ることを理由に、早めに切り上げるようにしてあげるからちょっとだけ我慢してね」

「お願いします」これも務めかと、シンジはそう思ってケイコに頭を下げた。

そこで会話がとぎれ、ただジェットの音だけが室内に響いていた。ファーストクラスの室内にはシンジとケイコの二人の乗客しかいない。飲み物もすべてバーカウンターに用意されている。スチュワーデス達も席を外していた。ケイコは席を立つと、シンジと自分のために飲み物を用意した。そしてそれをシンジに手渡して「素敵なご家族ですね」と再び言葉をかけた。

シンジは、出がけにケイコに向かって『ご迷惑をおかけします』と何度も頭を下げている母の姿を思い出した。

その母の姿はシンジの胸に暖かい物を呼び起こした。シンジは両手でオレンジジュースの入ったコップを持つと、視線はまっすぐ前方に向けて、自分の想いをケイコに話した。

「ボクが今ここにいるのも、父さんや母さん、マナやムサシ、レイコちゃんのお陰なんです」

少し意外だという感じでケイコが反応をした。

「あら、アスカさんのためじゃなかったの」

ケイコからアスカの名前が出たことに『やっぱりそう見られているのかなと』シンジは苦笑した。

「確かにアスカはここに帰ってきた大きな理由ですけどね。
 でもボクは家族の助け無しでは、あの頃から何も変われなかったと思います。
 結局いやなことから逃げ出して。そしてもっと辛くなって…また逃げて。
 多分、それを繰り返していたんじゃないかと思います」

ケイコは3年前のことを思い出した。自分自身は配属されたばかりで、人づての話でしか知らないが...それでも先輩から良く聞かされた「5人の悲しい少年少女」の話を。

「ごめんなさい」

ケイコは自分の知らない内にシンジに謝っていた。逆にそれがシンジを慌てさせた。

「そんな...謝らないで下さい。
 アレは...そう、仕方が無かったことなんですから。
 みんな精一杯で、みんなに余裕が無くて。
 誰もどうしようも無かったことなんですから」

『そう、みんな踊らせれていただけなんだ。運命といういたずらなゲームに』今となってはそう割り切るしかないとシンジは考えていた。

「でもすべてが終わった後、私たちはシンジ君を見捨てたわ」

「ボクは見捨てられたとは思っていませんよ。
 もしネルフがボクを見捨てていたら、今頃ボクはどこかで実験材料になっていますよ。
 それにボクを引き受けてくれる、新しい両親を捜してくれた...」

「・・・知ってたの」ケイコはシンジのその言葉に目を見開いた。

「いえ、教えてくれたんです...父さんと母さんが。
 父さんと母さんは笑いながら言いましたよ。
 『ネルフと戦自の両方から別々に照会があった』ってね。
 『一体どんなすごい子だろうと思って見に行ったら、情けなく震えている子供だった』って。
 勘違いしないで下さい。ボクは両親に感謝して居るんですから。
 父さんと母さんはマナに接するのと変わらない態度でボクに接してくれた。
 怒られたことも、叩かれたこともあります。
 一緒に泣いてくれたこともあります。
 怖くて眠れないボクを一晩中抱きしめてくれたこともあります。
 ボクの欲しかった物をくれたんです」

シンジはそう言ってケイコに向かって微笑んだ。

「でもね、最近母さんが失敗したって言うんですよ」シンジは楽しそうに言葉を続けた。「マナのお婿さんにしておけば良かったって。出会ったときは中学生だったのにね」

ケイコは自分のことをそう言って話せるシンジの姿に呪縛の解かれる感覚を覚えた。それはネルフに関わった者すべてが抱えている罪悪感からの解放だった。

何か安心したようなケイコに向かってシンジは微笑んだ。

「寝ておかないとダメですね」

シンジはそう言って静かに瞳を閉じた。
 
 
 

***
 
 
 

シンジのアメリカ到着は、日本とは違った一種異様な雰囲気に包まれた。暗殺やテロと言った危険を避けるため、日本と同じように、歓迎式典への参加者は身元の保証されるごく一部の階層に限られることになった。ただ日本とは違い政治式典の色合いが濃く、そこでは長々とした挨拶が繰り返されていた。

シンジにとっては居心地の悪い世界が目の前で展開されることとなった。

まともに会話の出来ないシンジをフォローするように、朝霞ケイコはシンジの傍らを一時も離れることなく、次々と現れる訪問者とシンジの間を取り持った。にこやかな笑顔を浮かべ、握手で応対するシンジだったが、ケイコの目からはかなりの疲労が見て取れていた。

しかしシンジは「この辺で切り上げましょうか」と言うケイコの言葉に、「せっかく来てくれる人が居るんですから」と、自分の元へ訪れる人が途絶えるまで頑張ろうとしていた。

その結果シンジは笑顔を顔に張り付かせ、「nice to meet you」を延々と繰り返すことになった。

ゲイツもダンチェッカーもシンジと挨拶をした一人だった。彼らの目的は、自分たちに福音をもたらすであろうサードチルドレンに挨拶をしておくことと、いわゆる品定めをすることだった。特にゲイツは自分の勘を総動員して目の前にいるシンジを見極めようとした。単なるモルモットとして利用するのか、それ以上の利用価値が有るのか。味方に引き入れるのか、排除の対象とするのか…エトセトラ、エトセトラ。

ゲイツはシンジの観察を終え、ダンチェッカーの元に戻ると開口一番「興味深い」と感想を漏らした。

「『興味深い』という点には同意できるが、多分ジョンとは違う意味だろうね」そう言ったダンチェッカーの言葉にゲイツは頷いた。「クリスと私では立場が違うからね。いずれにしても、違った立場の我々の興味を惹いた訳だから、彼もなかなか希有な存在なんだろうね」ゲイツの瞳は新しいおもちゃを見つけた子供のように輝いていた。

ダンチェッカーは子供のように喜んでいるゲイツから、シンジの前に次々と訪れる人波に視線を転じた。勢揃いした『政財界の大物』『高名な学者達』。この中の何人が、この東洋から来た少年の労をねぎらうつもりが有るのだろうかと彼は考えていた。全員が全員、にこやかに笑ってサードチルドレンと握手をしている。しかしダンチェッカーは彼らの瞳に宿る鋭いものを見逃さなかった。「彼らも同じか」ダンチェッカーはそう静かに呟いた。ここに集まった者はすべて、この少年が自分に取ってどういう利益をもたらすか見極めようと考えているのだと。確かに出がけに見せられた映像は、単独の兵器としてのエヴァンゲリオンの存在を際だたせていた。拮抗した勢力の中にエヴァンゲリオンを投入すれば、アッという間に帰趨は決してしまうだろう。それだけの威力を持った兵器であることは間違いない。彼らにとってはのどから手が出るほど欲しい技術だろう。しかしそれが自分の手に入らないとしたらどうだろうか。

ダンチェッカーは自分の考えに小さく身震いをした。

彼らが自分のビジネスのために、人を殺すことに躊躇しないことは有名である。数々の血塗られた歴史がそれを物語っている。この少年の存在が、彼らにとって仇をなす者になるのなら、彼らは引き金を引くことに躊躇わないことをダンチェッカーは知っていた。エヴァンゲリオンが破壊できないのなら、動かなくしてしまえば良いのだから…その後の起こる混乱は、彼らにとってむしろ好ましいことでもある。

『もしかしたら自分の研究は、この少年を助けることになるのかもしれない』ダンチェッカーはふとそんなことを考えた。チルドレンじゃなくてもエヴァンゲリオンを動かせる。そうなれば、年端もいかぬ子供を戦わせるよりも、経験を積んだ戦士を戦わせた方が効率がいいのは明らかだ。そうなれば彼らチルドレンの存在意義はなくなってくる。それが結果的にこの少年の命を救うことになるのかもしれない。

『都合のいいように解釈している』そう言われればそうかもしれないが、ダンチェッカーはとりあえず自分の頭に浮かんだその考えに満足した。とりあえず目の前に居る少年の価値を下げてやることで、薄汚い裏の世界からの干渉をそらせてあげることが出来るかもしれない。それが自己満足であることもまたダンチェッカーは承知していた。だがそれでもいいではないかと...

『私は口実を求めているのか』ダンチェッカーはそう一人自嘲した。

「明日から起動試験を起動試験を始めるそうだ」ゲイツがどうするつもりだとダンチェッカーに声を掛けてきた。「早速取りかかるのか」と。

ダンチェッカーは、ゲイツの言葉で、とりとめもなく行っていたその考えから復帰した。そして両手を軽く広げると「まずはお手並みを拝見しましょう」と観測データをモニタするだけにして、実験その物への干渉は後日にすることをゲイツに告げた。

「まずはそうしておくか」そう語るゲイツの背後を、ネルフの護衛に囲まれたサードチルドレンが退場していった。その姿を認めたゲイツとダンチェッカーは、次への対応のため彼らのオフィスへと向かった。

翌日行われたシンクロテストで、シンジは調整不足の残る機体ながら61%という高い数値をマークした。

『使徒』、『人』シンジを取り巻く環境はこうして大きく動き出した。
 

つづく
 


トータスさんのメールアドレスはここ
NAG02410@nifty.ne.jp



中昭のコメント(感想として・・・)

  トータスさんのルフラン第13話、投稿して頂きました。

  >「そりゃあ、まあそうだけどね。こういうことは本人の口から言わせるのがいいんじゃない」
  うーむ、いっそのこと開き直ってのろけてしまえば、ミサトも馬鹿馬鹿しくなって・・・・・・
  無理かな
  >ミサトの手によって、シンジはアスカとかわした口付けの回数まで報告させられていた。
  いいなぁ。隣に真っ赤な顔をしたアスカがいたらもっとごろごろです。

  >ボクの欲しかった物をくれたんです」
  なんだかじーんと来てしまいました。


  日本のほのぼのが嘘のようなアメリカでのレセプション。
  ケイコさんがいるとはいえ孤立無援なシンジ。
  どうなっちゃうんでしょうか。




  みなさんも、是非トータスさんに感想を書いて下さい。
  メールアドレスをお持ちでない方は、掲示板に書いて下さい。






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