〜ル・フ・ラ・ン〜


第十五話 予感
 
 
 
 

「第二十一次起動試験開始」

中田アキヨシのその号令によって起動試験が開始された。いつもならシンジが映し出されているはずのスクリーンには、白のプラグスーツを着たアメリカ人の少年が映し出されていた。シンジの気分転換と北米支部の強い要望により、シンジが渡米して初めて候補生による起動試験が行われることになったためである。彼らはこれまで起動水準のシンクロ値を得ることは出来なかったが、3週間にわたる整備により完成度の増した機体ならば、候補生でも起動水準まで達するのではないかと言う期待があったのも確かだった。北米支部の関係者、本部から来たエンジニア、そしてシンジが激しく明滅する光の帯を真剣に見つめていた。

「シンクログラフ正常。絶対境界まであと10、9、8...
 だめです。シンクロ率7。エヴァンゲリオンの起動数値に達しません」

モニタには、褐色の髪をした長身の少年が頭を抱えている姿が映し出されていた。マイク・スペンサー、ネルフ北米支部によって選出されたパイロット候補生である。個人の経歴だけを取ってみれば、シンジでは足下にも及ばないすばらしい物だ。両親の揃った裕福な家庭で育ち、高度な教育とスポーツにおける数々の実績。いわゆる典型的なエリートとして育てられてきた物だった。そして明るく朗らかなその性格はアメリカのホームドラマに出てくる主人公の様でもあり、その点日本から来たメンバーにも受けは良かった。ただ思うとおりにならないと若干荒れる癖はあったが。

『やれやれ、また荒れるのかな』

マイクが苦しんでいる姿を見て、シンジは一人溜息を吐いた。なぜだかその少年は、シンジにだけは打ち解けようとはしなかった。それどころかシンジに対して突っかかってくるようなそぶりを何回も見せていた。明らかにシンジを好ましからざる物として認識し、エヴァにおいて、自分がシンジに対して遅れを取っている事実が我慢ならないようだった。

「マイク...大丈夫か」

マイクを心配したオペレータが、じっとして動かなくなった少年を心配し声を掛けた。しかし少年はその言葉に応えず、ただじっと唇を噛みしめていた。

『あの様子じゃあアドバイスなんて聞いてくれそうも無いな』

むろんシンジにしたところで、どうしたらエヴァとシンクロできるかなどと、的確なアドバイスが出来るわけでは無い。ただシンジの目から見ても今のマイクは無駄な力が入りすぎているように感じられていた。シンジには彼が自分の思い通りにならないエヴァに対して、いらだちながら乗っているのが感じられた。『もっと力を抜けばいいのに』それがシンジの偽らざる気持ちだった。

そんなシンジに隣に立っていた少女が声を掛けた。

「マイクは大丈夫?」

アスカに比べてより鮮やかな金色の髪、そして少し緑がかった蒼色の瞳。そしてシンジの基準ではやや太めの体をした少女。もっとも彼にとっての基準はアスカであり、レイであるのだから世間の水準では魅力的なスタイルをした美少女と言って良いだろう。メリィ・スミス、もう一人のパイロット候補生だった。こちらの少女はマイクとは異なり、積極的にシンジとの接触を持とうとした。何かに付けシンジの周りにまとわりつき、自分の女性を最大限に発揮して様々な情報を引き出そうと努力しているようにシンジには感じられた。

「あの程度なら問題ないよ。エヴァからの干渉を受けるレベルにまで達してないから」

この少女がマイクのことを心配していないことはシンジにも分かっていた。どちらかと言えば、後から乗る自分のための質問だった。そう言った意図が、随所にかいま見えるこの少女がシンジは苦手だった。彼にとっては、あからさまに敵意を向けてくるマイクの方が分かり易く安心できる相手だった。逆に女性を前面に出してシンジに絡んでくるメリィは、シンジにとって鬼門とも思えた。放っておけば、何時シンジのベッドに忍び込んでくるか分からない、と思わせる雰囲気を彼女は漂わせていた。そしてそれが必ずしも冗談ではない事をシンジは理解していた。メリィがシンジに対して好意を抱いているのならば、まだ話は簡単だった。しかしメリィの時折見せる態度からは、好意とは正反対の物をシンジは感じとっていた。そのことがシンジにメリィを苦手にさせる理由であった。

「次は私なんだけど、シンジはアドバイスをくれないの」

そう言ってシンジの腕を抱えるようにしてメリィは身を寄せてきた。頭一つシンジより背が低いメリィは、この動作がどんな効果をシンジに与えるのかを知っているように、胸の谷間に彼の腕を挟み込んだ。そんなメリィのあからさまな仕草に、シンジは心の中で溜息を吐いていた。

『ケイコさん、何とかして下さいよ』

何ともシンジらしいと言ってしまえばそれだけなのだが、シンジはメリィを突き放すことも出来ないで途方に暮れていた。かといってケイコから助けが入るはずもないので、シンジは溜息を一つ吐くと先輩としての注意点をいくつか挙げた。

「そうだね、まず最初に精神を落ち着けることだね。
 気負っていてもなんにも役に立たないから、なんにも考えないことかな。
 それから何でも受け入れるような気持ちでいること。
 わかりにくいかもしれないけどそれぐらいかな」

そう言った瞬間シンジは自分の頬に柔らかい感触を感じた。

メリィは飛びつくようにシンジの頬にキスをすると「じゃあ後でね」と言って走り去っていった。シンジはそんな彼女の態度に『困った物だ』という表情でメリィを見送るしかなかった。しかしその顔も、後ろを振り返った途端に凍り付いた。

目の前には、良いからかいのネタが出来たとニヤ付いているケイコの姿があったからだ。

「ははは、メリィって明るくていい子ですね」

その表情にシンジは、場違いな言葉とは知りながらなもそう口にするしかなかった。

「帰ってからの修羅場が楽しみだわ」

そのケイコの言葉に『事情は知っているくせに』とシンジは心の中で呟くことしか出来なかった。
 
 

                    ***
 
 

「起動レベルに達しないパイロットを引き取ったところで、役には立たないか」

ダンチェッカーは、目の前に映し出される3D表示を見ながら一人呟いた。

「候補二人とサードチルドレンでは明らかにパターンが異なっているな」ディスプレーにシンジの示す脳波パターンの3D表示を映し出すと、それを今試験をしているメリィと重ね合わせた。「同じシンクロ値でもずいぶんとパターンが異なる。内部配置はほとんど変わらないはずなのに...」

パイロットの様子をモニタするスクリーンではメリィが顔を歪めている。

「脳波分布の近い人間を捜し出す方が早いかもしれん」

ダンチェッカーはキーボードからそう報告書に書き込んだ。そして画面を消去すると実験を見守っているシンジの隣に立ち、シンジの顔をまじまじと見た。

シンジの方もダンチェッカーの視線に気づいたのか居心地悪そうに首を向け、軽く会釈した。

「えぇっとドクターダンチェッカー、ほわっつまたー・・・」

「クリスで良いよ、霧島シンジ君」

たどたどしい英語で話しかけたシンジに向かって、ダンチェッカーは意外にも流ちょうな日本語でそう答えた。

「え、あ、あの日本語が出来るんですか」

「商売柄ね、どうしても必要になったからな」

意外なシンジの反応に、ダンチェッカーは悪戯が成功した子供のような表情をして笑った。シンジはその笑顔で、気むずかしいと思っていたダンチェッカーが意外と好人物なのでは無いかと、自分の考えに修正を加えていた。

「はあ、そうですか」

「少し話をしたいんだが、いいかい」

ダンチェッカーは誰も座っていない椅子を指さし、シンジにそう言った。

「ええ、良いですよ」

シンジとダンチェッカーは実験が見渡せる場所に椅子を移動し、窓の向こうに見える5号機を眺めながら会話を始めた。

「単刀直入に聞くが、どうして君はシンクロできるのかね」

ダンチェッカーは何から話し出すべきかとふと頭を捻ったが、日本から来た少年と共通の話題があるわけでも無い。それに今日の天気のことを話すわけにもいかないため、結局単刀直入に本題を切り出すことにした。

「わかりません。理論的なことはボクの担当外ですから」

『以前はその理由があったが、今シンクロできる理由は分からない』シンジはその答えを飲み込んでダンチェッカーにそう答えた。

シンジが示した一瞬の反応に『何かあるな』とダンチェッカーは感じ取った。しかし、この少年が知っていることならすでにネルフ本部の技術者達が知っているだろうとも考えた。そして本部ですら適格者を3人(アスカを含めれば4人だが)、しかも新しくは一人しか選出で来ていないことを考えると、今では事情も異なってきているのだろうと考えていた。そこでダンチェッカーは少し質問の方向を変え、シンクロに対するイメージをシンジに対して求めた。

「そうか...それもそうだな。なら質問を変えよう。
 君にとってシンクロするとはどんなものなんだね」

シンジはその質問に少し頭を捻った。今まででそんなことを考えたことも無かった。確かにどんな感じなんだろうと。

「そうですね、エヴァの心みたいな物と一つになることでしょうか。
 自分の心が、エヴァを通して大きく広がっていく気がします」

「エヴァの心とかね」ダンチェッカーは初めて聞いたその言葉に驚いた。エヴァンゲリオンが生物であることはすでに分かっている。ならばそこに心に似たものが有っても不思議ではないことは理解できる。しかし本当にそんなものと心を通じることが出来るのかと。

しかしこの少年はそれを感じることが出来ると言っている。ならばエヴァの心とはどんな物なのだろうかとダンチェッカーは興味を覚えた。

「ボクの錯覚かもしれませんけどね。
 エヴァに乗ってシンクロすると、色々なものを感じることが出来ます。
 この前乗ったときには友人の心が流れ込んでくる気がしました。
 ここでは明確なものでは無いですけど、何か意思のようなものを感じます」

『成る程』とダンチェッカーは考えた。エヴァンゲリオンが生物であり、意思を持つのならそれを理解した者になら心を通わせることが可能だろう。そして精神波長が酷似しているのなら、それ以上の結びつきが可能である共。『砦』に帰ってから確認することが増えたな、とダンチェッカーは考えていた。

「エヴァとボクが両方から歩み寄っている...そんな感じかな。
 すみません、わかりにくいですね」

何も言わずに黙り込んでしまったダンチェッカーに、シンジは的外れなことを言ってしまったのか頭を掻いた。

「いや、ありがとう。お陰でおぼろげながらシンクロと言うもののイメージが掴めたよ」

そう言ってダンチェッカーは、油断無く彼らの方を見つめているケイコの方に一瞬視線を移した。そして「お礼と言ってはなんだが、夕食を招待したいのだがどうかね。もちろん君の美人の保護者も同伴でと言う条件が付くが」とシンジに誘いをかけた。

シンジはケイコの方を良いのかという風に視線を向けた。そしてケイコが頷くのを確認すると。「喜んでご馳走になります」と頭を下げた。

「まあ、そう緊張しないでくれ。
 君も一度会ったことがあるのだが、私の知人も君にたいそうな興味を持っているからね。
 まあ下心ありだと思って、遠慮なくやってくれたまえ。
 何しろ財布はそいつ持ちだ。
 私にとってもこんなおいしい話はないよ」

そう言って笑うダンチェッカーに、シンジは初めの頃に抱いていた『気むずかしい』と言う印象が間違っているのを感じていた。

その夜シンジは大勢の護衛を引き連れ、ゲイツを加えた4人でそこそこ高級なレストランでの食事を楽しんだ。
 
 

                    ***
 
 

アスカはネルフの黒服が運転する車で、本部へと向かっていた。日本に来て、シンジと再会して、そしてお互いの思いを確かめあった日から考えてきたこと。それがようやく昨夜自分の中で決着が付いた。後はそのための行動を起こすだけだと。今日の訪問は、上位上司であるミサトの力を借りるためだった。

「ちょうど良かった。アタシもアスカに話したいことがあったのよ」

アスカから訪問の話を聞いたとき、ミサトはそう言ってアスカに訪問の時間を指定した。

黒服の安全運転により、アスカは定刻通りミサトの執務室へたどり着くことが出来た。ミサトの部屋の扉を前に、何かこれから自分が切り出すことがとても恥ずかしく感じられ、一瞬ノックの手が止まったアスカだったが、『自分に素直になるんだ』と再度決意を新たすると部屋の扉を軽く叩いた。

「思ったより早かったわね」

アスカの訪問を待ち受けていたのか、ミサトはすぐさま扉を開くと、そう言ってアスカを自分の居室へ迎え入れた。導かれる間mミサトの部屋に入ったアスカは、部屋の中をぐるりと見渡すと、さも意外そうにその感想を述べた。

「へぇ〜、ミサトの部屋にしては片づいているじゃない」

アスカが驚くのも無理はない。彼女はシンジが出ていった後もミサトと同居を続けていて、ミサトの整理整頓に対する配慮が欠けていることを嫌と言うほど見せつけられていたのだから。

「アンタ何を期待してんのよ」

いきなりのアスカの言葉に、ミサトはそう言って不満を表情に現した。しかしすぐに表情を和らげると「まあ秘書の人が全部片づけてくれるんだけどね」と、ちろりと舌を出して言った。

アスカはミサトの言葉に大きく頷いた。

「それは適切な判断ね。
 そうしないと決裁書類なんて発酵しているかもしれないもんね」

アスカは大まじめな顔でそう言うと、ミサトの勧める椅子に座った。

「まあ認めたくは無いけど、そうかもしれないわね」

言い返すことの出来ない自分にミサトは少し顔をゆがめたが、すぐに気を取り直すとコーヒーサーバーから注いだコーヒーをアスカに手渡した。

「ありがとう」

そう言ってアスカはとそれを受け取ると、コーヒーに口を付けた。そしてさも意外そうな顔をして「これ、おいしいじゃない」と言った。

ミサトはアスカの賛辞をさも当然と言った顔で受け取った。

「親友がマニアだと、影響を受けるのよ。
 それにここでエビチュを飲むわけにいかないでしょ」

そしてそう言って笑うと、自分もアスカの向かいに腰を掛けた。そしてアスカに一冊のファイルを手渡すと自分の用件を切り出した。

「査問の件だけど、まず冬月指令が査問自体を回避できないか交渉しているわ。
 数少ないエヴァのパイロットの重要性を前面に出してね。
 確率はフィフティフィフティと言うところかしら。
 今を乗り切るだけでなく、将来に渡っても無罪放免としないと意味がないしね。
 これからも冬月指令には頑張って貰うわ。
 それとは別に、アスカに不利になる情報が無いかに着いても今洗っているところ。
 UN、ネルフ支部、民間も含めて漁っているけど、今のところ見つかっていないわ。
 どこから何が出てくるのか分からないから、今後も続けて行くけどね」

「今のところこれだけよ」と言ってミサトは自分の話題を締めくくった。

アスカはミサトに手渡された検索情報リストを黙って眺めていた。このリストの1ページ1ページがアスカへ向けられた好意なのだ。アスカは「ありがとう」をどれだけ言っても足りないと感じながら、その重みを噛みしめたいた。

しばらく部屋は沈黙に包まれた。ミサトも、アスカがみんなの思いを噛みしめるのにいいかと、黙って見つめていた。しかしミサトにも時間が無限にあるわけではない。心地よい沈黙をうち切り、アスカの話題に切り替えることにした。

「ところでアスカの相談って何?」

アスカは少しにじんでいた涙を拭うと、少しもじもじとして自分の用件をミサトに伝えた。

「ありがとうミサト。それで相談なんだけど...アタシも一高に編入できないかなぁ」

ミサトは信じられない物を見たような気がした。目の前ではあのアスカが、羞恥にスカートの裾を玩んでいる。ミサトは『あらあら可愛くなっちゃて』と心の中で呟きながらも「一高に編入するだけでいいの」とアスカにつっこみを入れた。

ミサトの言葉にアスカの顔は見る見るうちに赤くなっていく。その様子をミサトは満足そうに眺めていた。『あんまり苛めてもだめね』と、ミサトは立ち上がると、アスカの横に座り直した。そして「しんちゃんのクラスがいいんでしょ」とアスカの肩に手を置いてそう言った。

「えっ、あっ、そ、・・・・うん」

顔を真っ赤にし、自分の言葉に頷くアスカの姿はミサトにとって新鮮だった。その姿に、『ホントに可愛くなったわね』と感心しながらミサトは気になっていたことを口にした。

「でも、アスカが高校に通うってのは予想が外れたわね。
 シンジ君が原因だってのは分かるけどね。
 アスカのことだから大学院に行くか、リツコの所に行くもんだと思っていたわ。
 いつでも逢えるようにマンションも近くにしたんだし。
 どうして今更高校なんか行く気になったの」

ミサトの質問は、アスカにとって予想されていたことだった。それは自分自身しばらくの間思い悩んでいたことでも有り、ようやく自分に決着を付けた物でもあったからだ。アスカはミサトの瞳をまっすぐに見据えると、静かに語りだした。

「...この前、引っ越しの日にシンジから電話があったの。
 とっても嬉しかった。まさかかかって来るとも思わなかったし。
 でもね、電話が切れた後、急に寂しくなったの。
 シンジが居ないのがこんなに寂しいのかって。
 そう思ったらたまらなくなったの。
 今まで一緒に居なかった時間が...
 あのときアタシがもっと素直になっていたらって。
 だから少しでも沢山時間が欲しいの...
 シンジと一緒に居る時間がすぐにでも」

ミサトは、きらきらと輝く瞳で自分を見つめる彼女のことを綺麗だと思った。

「素直になれなかったことで、私は後悔したわ。
 シンジが出ていくのを見送ったときも、そしてドイツ支部でも。
 もう駄目だと思ったとき、自分の張っていた意地がとてもちっぽけに見えたの。
 だから素直になると決めたの。
 せっかくシンジとこうしてまた、巡り会えたのだから」

ミサトは、アスカの言葉を聞いて肩の荷が下りた気持ちがした。ここまで来るのに3年の月日が掛かったけれど、それも無駄では無かったのだと。

ミサトは可愛い妹の顔をじっと見つめた。その顔は優しく微笑んでいた。

「リツコが残念がるわね。
 まあアタシに任せておきなさい。
 月曜からでも通えるようにしてあげるから」

ミサトはそう言うとアスカの華奢な肩を抱きしめた。
 
 

                    ***
 
 

ピリリッと目覚しの音が一日の始まりを告げる。それは形こそ違え、どこの家庭でも似たようなものである。そして、閑静な住宅街の一角に位置するこぎれいなマンションの住人である少女にとってもそれは同じであった。少女は自己の存在を告げる目覚し時計の頭を叩いて黙らせると、シーツを跳ね除け上体を起こし小さく伸びをした。

普段ならまだ起き出さない時間、しかし今日は特別な日。彼女はまだ足りない睡眠時間のため、まだベッドにいたいと主張する体を叱咤し、シャワーを浴びにバスルームへ向かった。

「おっと、その前に...」

そう言って彼女は、キッチンにあるコーヒーメーカにきっちりと一人分の深入りのモカ豆を放り込むとスイッチを入れた。そしてあわただしくバスルームに駆け込んでいった。

彼女にしては短めのシャワータイムが終わるときには、コーヒーもドリップし終わっていた。彼女はパジャマのままキッチンに向かうと、何故か羽の付いたシルバーのトースターにパンをセットした。そして他のおかずを用意するため冷蔵庫から卵を二つ取り出した。フライパンをコンロにかけ、引いた油からほのかに煙が立つほど熱してから、卵を放り込んだ。手早く塩を振りかけ小さじ一杯の水を加えたところで目玉焼きは蒸し焼きにされた。その間、彼女は昨晩用意しておいた生野菜を取り出し、さっと水に通してからBBプレートに盛りつけ、出来合いのフレンチドレッシングをかけた。そして焼き上がった目玉焼きを同じ皿に乗せると、こちらもちょうど焼き上がったトーストを2枚を空いているところに押し込み、食卓へと運んだ。

出来立ての朝食を前に、まずはお風呂上がりの一杯とばかりコップになみなみとつがれた冷たい牛乳を一息で飲み干した。そして「いただきま〜す」と一人大きな声で言って彼女の朝食を始めた。

なんの変哲も無い朝食が、今日の彼女にはとてもおいしく感じられた。少し焦げた目玉焼きも、少し甘みの強いドレッシングの掛かった生野菜も、そして少しスライスの厚かったトーストもあっという間に、彼女の胃袋に収まった。最後にリツコに分けて貰ったコーヒーゆっくりと堪能した彼女は、ごちそうさまと言ってから部屋に戻り着替えを始めた。

部屋には、昨夜の内に準備しておいた着替えがクローゼットの中で外に出るのを待っていた。これは夕べの内にミサトから届けられた物だった。

「しっかし、日本の学校ってどうして制服を着せたがるのかしら」

彼女は、クローゼットから制服を取り出すとしげしげと眺めた。上は白、スカートは濃紺のセーラー服。紺色の襟に3本のラインが入り、同じく3本のストライプの入った2重構造のリボンがアクセントになっていた。それをパジャマの上から体にあてがうと、全身を見渡せる姿見の前で確度を変え自分にどう映るかを眺めてみた。

「悪くは無いわね」

昨夜から何度目かのその呟きを発した彼女の顔は喜びに輝いていた。『日本人は形から入る』かつての保護者が言った言葉がよく理解できた。

「シンジと同じ学校。同じクラス」

彼女はそう呟くと、パジャマを脱ぎ捨て着替えを始めた。気分一新のため下着も新しいもの...もとより、何も持たないまま日本に移送された彼女の持ち物はほとんどが新品だったが...に着替え、どういう構造になっているのかと少し悩みながらセーラー服を身に付けていった。

「ふむ、やっぱり元がいいと何を着ても似合うわね」

一人鏡の前でそう呟くと、リップを取り出し薄く唇にひいた。そして黒系のカチューシャを取り出すと自慢の髪の毛をそれで整えた。

「よし準備完了!」

一人そう気合いを入れると、同じく昨夜の内に準備してあった学生鞄を手に取り、勢い良く玄関を出ていった...
 
 

                    ***
 
 

まだ登校時間には早いため、道を歩いている生徒もまばらだった。そんな路上で数人の男女が、人待ち顔でたむろしていた。

「ほんまにあの女、ちゃんと来るんやろうな」

背の高い、体格のしっかりとした少年がしきりに時計を眺めながらそうぼやいた。

「大丈夫よ鈴原。アスカがそう言ったんだからちゃんと約束は守るわよ」

「そやけどな、委員長。あの惣流が一人で起きて出てくるっちゅうのがどうも信じられんのや」

「アスカさんって朝がだめなんですか」

この集団の中では小柄に見えるが、平均的日本人の体格からいけば背の高い方に属する少女がそうヒカリに尋ねた。

「霧島さん、アスカはねいか…霧島さんのお兄さんに甘えていたのよ。
 だから一人で起きられても起こしてくれるのを待っていた...キャッ」

そこまで言ったヒカリは、いきなり頭をコツンと叩かれたことで小さな悲鳴を上げた。そして振り向いた先にある親友の引きつった顔を見て、自分も同じように顔を引きつらせた。

「ははは、アスカ...オハヨウ」

「オハヨウじゃないわよ。一体何をシンジの妹に吹き込んでいるのよ」

ジロリとヒカリの顔を睨み付け、アスカはそう言った。

「じゃあ違うの」

「少なくともその時は違ったわよ」

ふんと胸を反らした友人の姿にヒカリはクスリと笑った。

「まあ、そう言うことにしておきましょ」

ヒカリはそう言うと、動こうとしなかったその集団のベクトルを学校へと向けた。

「しておかなくてもそうなんだ」

ヒカリ達はアスカの抗議を丁寧に黙殺した。

しばらく7人は決して遅くは無い速度で移動しながら、会話に花を咲かせていた。やはり話題となるのは、大学まで出ているアスカが日本の高校に通うことだった。

「でも、やっぱり不思議なんですけど」

マナはそう言うとアスカの顔を覗き込んだ。マナに比べるとアスカの背は頭半分ぐらい高い。そのためマナは少し見上げるような格好でアスカの顔を見た。

「アスカさんって大学を卒業されていらっしゃるんですよね」

すぐ横を歩きながら、ムサシとレイコはやけに丁寧なマナの言葉遣いに違和感を感じていた。

「この前までD論の研究をやっていたわ」

まあねとばかりにアスカはマナの質問に答えた。

「どうして今更高校に通おうと思ったんですか」

そう言うマナの顔が一瞬『ニタリ』と笑ったのをムサシとレイコは見逃さなかった。

『ホントにこういうネタが好きなんだから』

レイコは、長年つき合ってきた親友の変わらない趣味に、少し頭の痛い物を感じていた。

「そやそや、ワイも聞きたいな」

マナの言葉を受け、なんにも考えていないようにトウジが突っ込んだ。『鈴原のバカ...』その横でヒカリは頭を抱えるしかなかった。『遅刻するんじゃないかしら』とこれから起こる喧噪に少し頭を悩ませた。しかし、ヒカリの予想は大きく外れることとなった。

「シンジが居るからね」

分かり切ったことを聞かないで、とばかりにアスカはその問いにさらりと答えた。

「またそんなてれよって...へっ」

予想外に素直な答えに逆にトウジがあっけに取られていた。いやトウジだけでなく、アスカを良く知るケンスケもヒカリも言葉を失っていた。

「何よあんた達。何か問題でもあるわけ」

にっこりと笑った顔に少しすごみも加え、アスカは固まってしまった3人を睨み付けた。3人はただフルフルと首を振って否定するしかなかった...

「レイコ、大変ね」

マナは隣に立っていたレイコにこっそりと耳打ちをした。

「別に、私は、シンジさんが好き。それだけのこと。
 アスカさんが何を言ったからって変わらないわ」

マナはレイコのその答えに「はぁ、アンタも変わっているわね」と溜息を一つ吐いた。

レイコはマナの言葉に笑顔を一つ返した。そしてささやかな逆襲をした。

「変わっているのはマナも一緒でしょ。私が知らないとでも思っているの」

「レ、レイコ...何を言っているのよ」

レイコの逆襲にマナは顔を赤くした。そして「わ、私のどこが変わっているのよ」と。

あまりのマナの慌て振りにムサシが『どうしたんだ』とマナの顔を覗き込んだが、それがいけなかった。マナが「何を見ているのよ」とばかりにムサシの顔を張り飛ばしたのだ。その結果、ムサシの左の頬には今となっては珍しくなってしまった紅葉が、くっきりと描き出されることになった。

「お前なぁ、朝っぱらから人の顔に手形なんか付けるんじゃない。
 結構消えるのに時間が掛かるんだぞ」

普通なら怒りだしてしまいそうな状況なのだが、慣れているのかムサシは赤くなった頬をさすりながらマナに文句を言った。

「うるさいわね、ムサシにデリカシーが無いのがいけないのよ」

「お前のどこを振ればデリカシーと言う言葉が出て来るんだ」

「全身よ、見て分からないの」

ほらっと、マナは胸を反らした。

「見て分からないから聞いているんだ」

その姿にあきれたかのような表情をして、ムサシはそう言い返した。

「眼科にでも言った方がいいんじゃない。それとも精神科かしら」

「そっくりとその言葉をマナに返してやろう。
 マナ、お前にはデリカシーと言う言葉は似合わん」

完全に立ち止まって言い合いをしている二人に気づき、ヒカリは学校へ遅れるからと声を掛けた。

「「分かってる」」

奇しくもユニゾンして答えて来たことがおかしくて、ついヒカリは「あなた達がお似合いなのはよく分かったわ」と余計な一言を言ってしまった。

「「誰がこんな奴と」」

ムサシとマナはそう言ってぷいと顔を背けた。

「説得力と言うものを知っているかい」

ケンスケがぽつりと言った言葉に、居合わせた全員は一瞬顔を見合わせ盛大に吹き出した。

「相田、ナイスフォロー」

アスカもそう言ってお腹を抱えて笑いだした。平和な朝の平和な一時、それを絵に描いたように少年少女の笑い声が上がっていた。周りを歩く人たちの奇異な物を見る視線も気にしないで...

その時突然アスカの体に変調が襲った。

「つっ!」

アスカは一瞬感じた胸の痛みに、心臓のあたりを押さえて立ち止まった。楽しい気持ちも急に失せ、何故かぽっかりと胸の中に穴が空いてしまった気分がする。

「どうしたのアスカ、どこか痛いの」

胸を押さえ、急に立ち止まってしまったアスカにヒカリが心配して駆け寄ってきた。

「ううん、なんでもない。
 ちょっと胸に痛みが走った気がしただけ。
 多分笑いすぎたのよ」

アスカはなんだったんだろうといぶかしく思ったが、今は痛みを感じないので気のせいで済ませることにした。『ごめん』と聞こえたシンジの言葉も空耳なんだと。

「ヒカリぃ早く行こ!」

そう言ってアスカはヒカリを引きずるようにして学校へと向かった。新しい生活の始まる学校へ向かって...

何もない平穏な一日と思われたその日、アスカ達チルドレンが非常召集で呼び出されたのはその3時間後のことだった。しかし、その日、第三新東京市には非常事態宣言が発令されることは無かった...
 
 
 

to be continued.
 


トータスさんのメールアドレスはここ
NAG02410@nifty.ne.jp



中昭のコメント(感想として・・・)

  トータスさんのルフラン第15話、投稿して頂きました。

  >「ははは、メリィって明るくていい子ですね」
  >「帰ってからの修羅場が楽しみだわ」
  HAHAHAHA
  ちくられたおしまいですな。
  確かベットが一つしかなかったから、ソファで寝るしかないでしゅね(どっかで聞いたような話)

  >だから少しでも沢山時間が欲しいの...
  >シンジと一緒に居る時間がすぐにでも」
  ううう
  無茶苦茶可愛くなってしまって

  >アスカは一瞬感じた胸の痛みに、心臓のあたりを押さえて立ち止まった。
  >楽しい気持ちも急に失せ、何故かぽっかりと胸の中に穴が空いてしまった気分がする。
  ハラハラハラ


  さて、目指せハードSFを合言葉に次回は・・・・・どうなるんでしょ




  みなさんも、是非トータスさんに感想を書いて下さい。
  メールアドレスをお持ちでない方は、掲示板に書いて下さい。





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