第十八話 集う者達
シンジは非常灯の赤い光の中で静かに目を閉じた。このまま黙っていたら、あと一時間弱で自分の命は終わってしまう。
「だけどここで終わるわけにはいかないんだ」
シンジはそう呟くと、再び目を開き各計器のチェックを始めた。まず自分にどれだけの時間が残されているか。そしてエヴァを再起動できるか。
「ロックの状態は変わらないか」
ディスプレーに映し出された文字に明らかに落胆して、シンジは残り時間のチェックをした。
「あと40分...」
シンジは再びコンソールに腰をかけると、目を閉じて神経を集中した。
「思い出せ、何か方法があるはずだ」
シンジはリツコから受けたレクチャーの一つ一つを思い出そうとした。その中に現状を打破する鍵があるはずだと。
パイロットに復帰した時、シンジはリツコに呼び出され、マンツーマンで指導を受けていた。彼の居ない2年の間で、テクノロジーそのものは進歩していた。それはシンクロ率の低いパイロットを使いこなすための苦肉の策でもあったのだが。
『量産機はね、各種のセーフティーを備えているのよ』
「確かリツコさんはそんなことを言っていたな」
『エヴァはね、大きすぎる力なの。
エヴァに潜在的恐怖を感じている首脳達も沢山いるわ。
だからいろいろな止め方が組み込まれているわ』
その時リツコはいたずらな笑みをシンジに向けていた。あなたにも前科はあったわねと。
『パイロットの反乱対策、エヴァを奪われた時の対策。
まあ、そう簡単にエヴァが動かせるわけはないから、盗られることはないと思うけどね。
チルドレンを保護するほうが重要ね』
それが冗談ではないことは、アメリカで紹介された人たちが示していた。
『ここを攻撃するとしたらエヴァを無効化しようと想定するでしょうね。
直接パイロットを押さえるとか、本部との間の通信を妨害するとか。
だからパイロットは複数人選出されているし、3重の通信方式が用意されている』
今の量産機は、使徒の居ない世界を基準に考えられていたのだから。戦うのは使徒ではなく、人を相手に。
『そしてシンジ君だけに教えるのだけど、隠しコマンドがあるの。
いざという時...無いことを願うのだけど。
MAGIの制御を強制的に切り離す方法がある...』
シンジは求める物を見つけた気がした。
『本当は、教えてはいけないことになっているんだけどね。
帰ってきてくれたあなたのために、そして世界から注目を集めているあなたに...
ごめんなさい、私達はあなたから平穏な日々を奪ってしまって...』
シンジはシートの後ろに回り、自爆用のコンソールを開いた。
『自爆シーケンスの手前で、システムを完全にリセットが出来るの。
この時、コマンドの優先権はパイロットに移るわ』
そのままレバーを引き、同時に指定されたボタンを押していく。タービンの軽い回転音と共に自爆へのカウントダウンが始まる。
『間違えないようにね。それに時間を掛けすぎないように...失敗したらドカンだから』
澱むことなくボタンが押され、引かれていたレバーが元に戻される。それに従って回転を始めていたタービンが停止した。
『リセットが上手くいったら10秒間全てのシステムが停止するから分かるわ』
その瞬間インテリアを照らしていた赤い光も消え、暗闇がプラグの中を包んだ。その中でシンジは10秒という時間が過ぎ去るのを待った。多分今までで一番長い10秒という時間を。
『リセットが完了すれば、コントロールはパイロットに戻るわ』
シンジは再びコンソールに戻ると、再起動したシステムに自閉モード移行への指示を出した。『これでしばらく時間が稼げる』シンジは安堵した。しかし、期待に反してシステムは何の応答も返さなかった。
さすがにこれにはシンジが慌てた。ディスプレーから「LOCKED」の表示が消えているのにも関わらず、システムが反応しないのだ。幸い息苦しくならないので、生命維持モードは動作しているようだ。だがこのままではバッテリーが尽きるのも時間の問題である。シンジは何か考え落としが無いかを必死に思い出そうとした。
「落ち着け、落ち着くんだ。
何か忘れていることがあるはずだ。
もう一度手順を思い出すんだ」
シンジは自分にそう言い聞かせると、リツコに説明された手順をもう一度頭の中に思い浮かべてみた。
しかし何度思い返してみても、新しい発見は何もなかった。プラグスーツで時間を確認してみると残りは後15分しかない。シンジは自分が焦り始めているのを自覚した。
「システムは確かに再起動しているんだ。
何か忘れていること、何か本部と違うところがあるはずだ。
考えろ、冷静に考えるんだ」
シンジは焦る気持ちを抑えるために、自分にそう言い聞かせた。まだ時間は十分にあるのだと。しかし、時計は非情にも時間を刻んでいく。そして時間を確認する行為自体が自分を追いつめていった。
そして運命の時間まで後5分と言うところで、急にインテリアを照らす照明が暗くなった。この明かりが完全に消えたとき、内蔵コンピュータを駆動する電源も切れる。そうなると2度と自律での再起動が出来なくなる。
「予定より早い!」
焦りと同時に息苦しさもシンジは感じていた。LCLの循環もいつの間にか停止している。
ここまでなのかと、シンジはシートに身を投げ出した。そして、このまま酸欠で窒息死するのと自分で命を絶つのとどちらが苦しいのか、そんなことを考え始めた自分に気づき、シンジは苦笑いを浮かべた。
「こんなことじゃ、アスカに叱られるな」
シンジはそう呟くと、アスカの顔を思い出した。怒った顔、泣いている顔、笑った顔、自分を見つめる顔...
「最初にあった頃は怒ってばかりいたな」
オーバーザレインボウの甲板で頬を叩かれたこと。
「間近で見たアスカの顔にどきどきしたっけ」
『さえないわね』
「多少はましになったのかな」
アスカのプラグスーツを着て出撃したこと。
「アスカったらドイツ語で考えろなんて無理を言うんだから...」
この時何かがシンジの頭に引っかかった。
「そう言えばあのときは起動に失敗したな...」
かすかに明るさを残す照明がまさに消えようとしたとき、シンジは一つの可能性にたどり着いた。
「Change language mode to Japanese!」
「自閉モードに移行!」
「エヴァンゲリオン5号機起動!」
矢継ぎ早にシンジは命令を発した。その命令を待っていたかのように5号機は息を吹き返し、インテリアを照らす照明が光を増した。今まで感じていた息苦しさが急激に解消していくのに、シンジはとりあえず生き長らえたことを実感していた。
「とりあえず命はつなげたか...」
シンジは大きく息を吐き出した。LCLの中ではその行為事態に何の意味も無い。ただ心は正直に体に気持ちを伝えていた。
解ってみれば他愛のないことである。だがその他愛も無い事が自分の命を奪おうとしていたことも事実であった。
「アスカには話せないな」
助かったのだからそれでいいと。『バカにされるかな』と言う思いも頭をかすめた。
「それにしても...これからどうするかだな」
シンジはモニタに映る限りの暗黒の世界を見つめてつぶやいた。ピンを打っても何も返ってこない。照明弾を放っても何も映し出されない。ここは自分の想像の外に有る世界なのだと今更ながらシンジは実感していた。
とりあえずの命の危険は去ったが、まだ助かったわけではない。シンジにとって2度目の世界ではあるが、前にどうしたなどと覚えているわけではなかった。
「とりあえずあがいてみよう...」
シンジはインダクションレバーを握る手に力を込めた。
赤木リツコは司令である冬月の急な呼び出しに、司令室への通路を急いでいた。リツコにとって時間は一分一秒たりとて惜しい。それを冬月も分かっているはずだ、それをおして自分を呼び出すのだからよほどのことだろう...リツコは何事かと思いながらも先を急いだ。
「はあ、ブラッドリー・クリフォードですか...」
司令室に入るなり聞かされた名前にリツコは面食らった。いや正確には向こうが協力を申し入れているという事実に驚いた。確かにリツコにとっては願ってもない分野のエキスパートである。しかし彼がどうしてこの出来事を耳にし、どうして自分の研究と結び付けたのかにふと関心が向いた。
そんなリツコの心の内が分かったのだろうか、冬月は少し肩をすくめてみせた。
「昔からそうだが、極秘情報に関する抜け道があるようだ」
何らかの形の内通があったと冬月の目は語っていた。
「国連からではないのですか」
「ああ、確かに形は国連を通っている。
しかしだ、この件の報告はまだ行っていない。
それに行動が迅速すぎる。
形骸化した彼らの仕事とはとても思えん」
確かにとリツコは思った。今まで政治的綱引きには熱心だったが、こんなことに国連が首を突っ込んできたことなど一度もない。足を引っ張られた覚えはあっても手伝ってもらった覚えはないのだ。やはり何か裏があるのでは無いか、と勘繰ってしまうのもしかたが無いだろう。
「何か交換条件とかがあるのでしょうか」
少なくともそれなら納得がいく。リツコの顔はそう物語っていた。
「残念ながら無いのだよ。
だから余計に胡散臭い」
本来交換条件など無いほうが言いのだが、これまでの経緯がある。『ただより高いものはない』それはこの世界では真理なのである。
「いずれにしても我々には選択の余地など無いのですね」
そうでなくても喉から手が出るほど欲しかった人材である。本来なら、こちらから頭を下げてでも頼んでいるはずだ。
「そういうことだ。
後から何が起こるか分からんが、とにかく今のままでは我々には後が無い。
この先さえあれば挽回の機会もある。
まず次へとつなげるべきだと私は考える」
冬月の言葉にリツコは肯いた。事はシンジだけで済むとは思えないのだ。
「それでブラッドリー・クリフォードはいつこちらに来るのでしょうか」
「何と明日の朝...いや、もう今朝か...到着するそうだ...
もう一人、神経生物学者のクリストファー・ダンチェッカー博士とともに」
リツコはその行動の素早さに驚くとともに、あげられた名前に何か引っ掛かるものを感じていた。
アスカの病室で夜を明かしたヒカリは、早朝に訪れた意外な人物に目を丸くした。
「レイコさん...」
レイコはヒカリに軽く会釈をすると病室へと入ってきた。そしてアスカの様子が昨日から変わらないことを聞くと、ヒカリにしばらく二人きりにして欲しいと頼んだ。
いつもと違うレイコの雰囲気にヒカリは戸惑った。おとなしい美少女、いつもやさしい微笑みを浮かべている印象しかない目の前の少女、その少女から発せられる怒りにも似た気迫に、ヒカリは気圧されるものを感じていた。
「お願いします」
その凛とした響きにヒカリはあらがうことが出来なかった。病室に残る二人に心引かれながらヒカリは病室を出た。そしてそこに知っている顔を見つけた。
「大和君...それにマナさん」
病室の外に二人が待っていたことにヒカリは確信した。彼女は何かするつもりだと。
「洞木さん、悪いがしばらくは中で起こることに目をつぶってくれないか」
ムサシはそう言うと誰も通さないとばかりに、病室の前に立ちはだかった。
「ごめんなさいヒカリさん。
でもアスカさんがこのままだったら私は許さない。
お兄ちゃんとのこと私は認めない。
・・・でも私はお兄ちゃんのことを信じてる。
お兄ちゃんの好きになった人がこのままで居るわけがない...
でも...今は心がくじけてしまっているのなら...
立ち直るのにきっかけが要るのなら...
私たちで背中を押してあげる...でもそれでもだめなのなら...」
マナの瞳に浮かんだ決意の色に、ヒカリも腹を括ることにした。彼女が飲み込んだ言葉もわかる。だからここは彼女達に託してみようと。
レイコはヒカリが出ていったのを見送ると深々と頭を下げた。そしてベッドでぼんやりと体を起こしているアスカの元へと歩みよった。そして大きく右手を振りかぶった。
ぱしん。心の痛くなる音を立て、アスカの体がベッドへと倒れこんだ。レイコは胸ぐらをつかみ、その体を引き起こすと焦点の合わない蒼い瞳を睨みつけた。
「いつまでそんなことをしているんですか」
反応の無いアスカにレイコはもう一度平手を飛ばした。
「シンジさんを殺さないで!」
シンジの名前をキーにして、アスカの視線が少しさまよう。レイコはそれに気付き、アスカの体を揺さぶった。
「シンジさんは要らないんですね」
「・・・シンジ・・・」
レイコはもう一度アスカの体を揺さぶった。
「シンジさんは戦っている。
それなのにあなたは何をしているんですか」
「・・・シンジが戦っている・・・?」
レイコはもう一度アスカの頬を張った。
「シンジさんが何をしていると思っているんですか。
それなのにあなたは...」
「・・・でもシンジは・・・」
レイコはアスカの体をぐいっと引き寄せた。そしてアスカの瞳を鼻が触れ合うくらいの距離でにらみ付けた。
「確認したわけではないでしょう。
だったらまだ可能性が有るはずです。
でも、アスカさんがしていることは、その可能性をなくすことです。
そのことを分かっているんですか!」
「・・・でも・・・」
「でもじゃない!
今アスカさんがしなくてはいけないのは、シンジさんを信じることでしょう。
もしそれが出来ないと言うのなら、できないと言うのなら...
あなたにシンジさんを渡さない。
どんなことをしてでも、あなたにだけはシンジさんは渡さない」
アスカは眼前のレイコの怒り、いや気迫に気圧されていた。いつも大人しそうに見えるこの子の何処にこんな激しいものが、これがこの子の本質なのか...それともシンジへの思いがそうさせているのか...アスカの心は泥沼の中から浮上していた。
そしてアスカは考えた。自分のシンジへの思いはこの子の足下にも及んでいないのかと。そんなはずはない。そんなことが有ってはいけない。3年の時を経てようやく見つけた本当の自分の心だ。自分のシンジを思う気持ちが偽物であるわけがない。ならばこそ譲るわけにはいかない。この子の気持ちが分かっていても...
「・・・ごめんなさい」
その思いがアスカに謝罪の言葉を吐かせた。
レイコはアスカの瞳を見つめなおした。先ほどから、その瞳が意思を持ったものに変わったのには気が付いていた。自分のしたことは無駄ではない。だからレイコは次に続くアスカの言葉を待った。
「あなたにシンジを渡すわけにはいかない」
『そう、それでいいの』
レイコはその言葉を飲み込んだ。そしてもう一度アスカを睨み付けた。
「口だけならなんとでも言えるわ。
こんなところで寝転がっている人に私が負けるはずがない」
それまで締め上げていたアスカをレイコはベッドへと突き飛ばした。
「出来るものならやってみなさいよ」
思いの外強い力で突き飛ばされたアスカは、ベッドへと倒れ込んだ。しかしすぐさま身を起こすと、レイコの顔をじっと見つめた。その瞳には怒りは無い...その優しさにレイコの気勢は削がれていた。
「もういいのよ、無理をしなくて...
いいのよ無理して悪役にならなくても...
レイコ、あなたの気持ちは受け取ったわ。
ごめんなさい、心配かけて」
ああ、やっぱりわかっているんだ...その思いにレイコの力がふっと抜けた。
「・・・アスカさん」
「お願いが有るんだけど...いい」
アスカはすっとベッドの脇に立ち上がり、レイコと向かい合った。
「なんですか...」
アスカは、そのまま自分より頭半分低いレイコの体を抱きしめた。突然のことに驚き、身を強ばらせたレイコだったが、優しく包むようなアスカの抱擁にすぐに力を抜いた。レイコの鼻孔を汗の匂いと共に甘い香りがくすぐった。同性に抱きしめられて感じる体の熱さにレイコはとまどっていた。
「ありがとう...それにごめんね。
あなたはシンジのことが大好きなのよね...多分私に負けないくらい。
でも...これだけは譲ることは出来ないの...アタシはシンジが好き。
シンジと共に生きたいの」
レイコの豊かな黒髪に顔を埋めるようにして、アスカはそう呟いた。
「いいんです...私のことなら...
だからアスカさん、シンジさんを助けて下さい。
今のシンジさんにはアスカさんの力が必要なんです」
「分かってるわ...」
アスカはレイコから体を離すと力強く頷いた。
「ヒカリ!」
アスカは大きな声でドアの外にいるだろう自分の親友に声を掛けた。ドアの向こうからは『何』と小さく聞こえてくる。
「悪いけどアタシの着替えを持ってきて。
このままじゃあみんなの前に出られないわ」
アスカは輝きを取り戻した顔でレイコを見た。
「アイツの心配はいらないわ。
多分アイツは一人ででも帰ってくる。
でもね見てるだけって癪じゃない。
だからアタシがアイツを穴の中から引きずり出してやるわ。
あなたの分の思いを込めてね。
それで二人で叱ってやりましょう。
私たちに心配をかけるんじゃないって」
レイコはアスカの言葉ににっこりと笑って頷いた。
「もう一人マナを加えて上げて下さい。
あの子も本当に心配していたんですから」
「そうね」
レイコの言葉に肯きながらアスカは、この子だって本当は辛いはずなのにと思った。多分昨日はこの子も泣いたのだろう。それでいて今日には私のところへ叱咤しにきている。多分ドアの外にはこの子の兄と、シンジの妹が待っているのだろう。アスカはシンジが得たものをうらやましく感じていた。結局ドイツに帰った自分は、こんな人たちに巡り会うことは出来なかった。
いけない、とアスカは思った。自分の人生はまだ始まったばかりだ。後悔ならいくらでもする機会がある。今は前を向いて進むときだと。今自分の周りにはシンジといっしょにこんな素敵な人たちがいるではないかと。
「アスカ...行くわよ」
レイコにも聞こえないよう、アスカは小さな声で自分の心を励ました。
アスカが目を覚ましたのと同じ時刻、早朝の第二新東京空港にその二人は居た。
「遠路はるばると来たのにお迎えもなしか」
閑散とした空港ロビーでクリフォードは呟いた。その声には『VIP待遇じゃないのか』と暗にダンチェッカーに対する非難の色が籠もっていた。
「仕方ないさ、我々が早すぎたのだよ。
彼らだって忙しいのだからね」
クリフォードの込めた皮肉もさらりと受け流し、ダンチェッカーはソファーに腰を掛けながら空港の車寄せを見た。そこに大型の車が滑り込んでくるのが見えた。
「ようやくお出迎えの到着だ。
・・・おやおや、VIP待遇というのもまんざら嘘ではなさそうだぞ。
司令じきじきのお出迎えだ」
「嘘じゃないって...お前な...
ところで隣にいる美人は誰だ」
ダンチェッカーは、クリフォードの目のつけどころに小さくため息をついた。
「大方秘書か何かだろう...
しかしすぐそこに目がいくか...」
「しかた無いだろう、こちらは毎日地中深く潜っているんだから。
女性研究員なんぞ、化粧気どころか色気すらない。
ひょっとしたらあいつらは、女であることを忘れているかもしれんのだぞ」
「それを、彼女達の前で言える勇気があればたいしたものだがな」
「馬鹿言え、そんなことを言ったらテムズ川に浮かぶことになる」
「大英博物館のミイラの隣じゃないのか...
まあいい、お見えだぞ」
ダンチェッカーはクリフォードを軽く肘でつつくと、向かってくる男女に向けて会釈をした。
「ブラッドリー・クリフォード氏とクリストファー・ダンチェッカー氏ですか。
私はネルフの司令をしている冬月です。
お会いできて光栄です」
クリフォードとダンチェッカーと固い握手をした冬月は傍らに立つ、リツコを彼らの前に引出た。
「こちらが技術部長をしている、赤木リツコです。
実際の技術的検討は彼女と行ってもらうことになります」
技術部長と紹介されたリツコの姿に、ダンチェッカーとクリフォードは軽く目を見張った。噂には聞いていたが、こんなに若いとは想像してはいなかった。
二人の様子に気付いたリツコは、少し苦笑いを浮かべながら二人と握手を交わした。
「お二方に比べると経験不足ですが、よろしくお願いします」
多分に皮肉を込めてリツコは二人に手をさし出した。
「・・・いや、そんなことはありませんよ。
あなたのお噂は常々耳に入ってきますから。
いや、何、実は今回新鮮な発見をしましてね。
うちの女性研究者が、常々主張していることに大きな嘘があることがわかりましたよ」
「お誉めの言葉と受け取ってもよろしい?」
「これ以上はディナーの時にでも」
いつもと違い冗舌なクリフォードを横目に、ダンチェッカーはリツコの様子に注意を払った。
こちらを探るような視線、そして疲れの出た目許...無理も無いかとダンチェッカーは思っていた。何しろサードチルドレンの件は、外部からの干渉があったのは明らかである。そして迅速すぎる我々の行動...疑われてもしかたの無い要素が満載である。それにも増してエースパイロットの危機である。彼女たちの心労は如何ほどのことだろうか。
ダンチェッカーは、冗舌に話すクリフォードに肘を入れると、直に移動することを提案した。時間はいくらあってもありすぎることはないのだからと。自分達に残された時間がどれだけあるのか分からない今は...
用意された車に乗り込むと、ダンチェッカーは向かい側に座ったリツコに向かってこれまでの経緯を話すことにした。すべてを話すわけではない、問題の無いところだけではあるが、そのことに嘘も言わない。
ダンチェッカーは北米支部でシンジと親交があり、ディナーの約束をしていたことを話した。そして目の前でシンジの乗った5号機が消えたことも。そしてその解決策を求める為、友人であるクリフォード博士に助力を求めたこと。
「納得がいかない顔をしておられますね」
ダンチェッカーはありありと警戒の色が浮かんだ瞳を覗き込んだ。
「ええ、この場合人の好意ほど信じられないものはありませんから」
なるほど、とダンチェッカーはにが笑いを浮かべた。確かにこの世界、無償の好意を期待できるほど甘くはないし、そんな幻想を抱けば手痛いしっぺ返しを食う。
「赤木博士のおっしゃりたい事はよく分かります。
一応私にもブラッドにも下心はあります。
ただそれが、あなたの満足いく回答になるかは分かりませんけどね」
「お聞かせいただけると幸いですわね」
挑むような目つきでリツコはダンチェッカーを見つめた。
「まずブラッドですが、彼の場合は分かりやすいでしょう。
彼の行っている研究を進めるのに、最も都合が良いと考えたからです。
そうでしょう。生きたサンプルが目の前に現れるのですから。
しかもパワーのあるコンピュータを使用する事が出来る。
彼の研究にとって、これほど有意義な事はない。
ブラッドは放っておいても飛びついていたと思いますよ」
うんうん、と横でクリフォードは肯いた。
「クリス、もう一つ付け加えてくれないか。
ここに来てもう一つ下心が加わった。
やはり世の中には男性と女性が要るのだよ」
ダンチェッカーはクリフォードの言葉を無視をした。
「それから私の下心。
これはなかなかご理解いただけないと思います。
私は使徒とやらに、彼と彼の彼女とのディナーを邪魔された。
私は友人とのディナーを大切にする質でね。
これはゆゆしき事態なのですよ。
それからもう一つ。
私は生物学者なのでね。
貴方たちに関わっていると、貴重な体験が出来る。
これもまた大きな理由ですよ」
ダンチェッカーの横でクリフォードは小さなため息を付いた。ある意味予想はしていたのだが、友人の行動力とその理由に半ばあきれているというのが正解だろう。リツコもまたそんな理由を出してくるダンチェッカーに半ばあきれていた。
「嘘ならもっとまともなものを吐きますよ」
そのダンチェッカーの言葉に、何か煙に巻かれている錯覚をリツコは感じていた。
「…後悔される事が起きませんように」
何を聞いても無駄でしょうね、リツコは追求をあきらめた。とにかく今は猫の手も借りたいのだ。
「人生は後悔の連続ですよ...それを恐れていては何も出来ません」
ニヤリとダンチェッカーは口の端を歪めた。それは決してリツコを嘲笑したものでなく、自分自身の在り方を笑ったものだった。
「ひとつ...これは手土産代わりなのですが、サードチルドレン、霧島シンジ君の安否。
現時点でのと言う断りがきはつきますが、確認できたと思います。
彼は無事...だと言う線が濃厚です。
これは観測データによって推測したものなので、権威であるあなたに確認いただきたい」
この言葉にはそれまで黙って観察を続けていた冬月も腰を浮かせた。リツコの顔にも『どうやって』と言う疑問がありありと現れていた。ダンチェッカーは、自分が投げた爆弾の効果に満足すると、かねてよりの打ちあわせの通り、説明をクリフォードへと振った。
「私の研究は高次空間論の構築にあります。
理論の構築の方は何とか形になりました。
現在証明のため、検証方法を構築しています。
その中でいろいろと興味深い現象が観測されているのですが、今回の件はその一つというわけです。
高次空間理論の関数より導かれる高次放射と言う現象があるのですが、これは物質の消滅が行われるときに放射されることが予測されています。
そしてすべての物質が安定でなく、常に消滅・生成が行われている。
これも予測されています。
ただ物質の消滅から生成される高次放射は、あまりにもそのレベルが小さいこと。
それに、検出方法...御存じの通り高次空間というものはわれわれには知覚することはできません。
ですからそこでの放射についても、新しい測定方法を探し出さなくてはならなかったわけです。
詳しい方法についての講釈は別の機会に譲るとして、その測定器に昨日...えっと時間の感覚がおかしくなっているのですが、まあそれくらいから急に大きなノイズが混じるようになったわけです。
ようやく測定器が完成し、これからデータ取りだと思っていた矢先のことです。
洒落にならない混乱がもたらされました」
わかりますよね、とクリフォードはリツコと冬月の顔を見た。そして二人が何も口を挟んでこないことを確認すると、自分の話を続けた。
「理論的に問題ない、そうなるとソフトに何か問題があることになる。
はっきりといって膨大なソースを、また見直すのかとうんざりしていた所にクリスが情報を持ってきたわけです。
双方のデータを検証したところ、見事に一致しました。
例の使徒とか呼ばれる敵性体とエヴァンゲリオン、彼らの活動とノイズの関連が。
その中で、エヴァンゲリオンが消えてから50分ほど経ってから、レベルの落ちていたノイズが再度上昇しました。
クリスが言うには、これがエヴァンゲリオンの活動と何らかの関係があるのだろうということです。
これ以上は推論に推論を重ねることになるので申し上げませんが、何かのお役には立つでしょう」
まあそんなところです、とクリフォードは話をまとめた。
その話にリツコはしばらく考え込んでいたが、確認するように口を開いた。
「そのノイズは現在も観測されているのですか」
「もちろんです。
ただもうノイズではなく、立派な観測データとなっていますがね」
丁度その時、鳴り出した携帯の音に、一同は虚を付かれたように驚いた。クリフォードは自分のポケットから携帯を取り出すと、ふた言三言何か確認を行った。
「何かデータに変化があったときは、私に連絡がくるようになっていたのですが...
観測データに新たなノイズが重畳されたということです。
これがどういうことを指しているのか私には判断しかねますが...」
クリフォードの言葉に思い当たるリツコは、本部へ電話をした。自分に報告なく、エヴァの起動試験が行われなかったと。そしてそれが無いことを確認すると、ミサトを呼び出した。そして新たな使徒出現の可能性が高いことを告げ、電話を切った。
「これで使徒の出現が確認されたら、今回の件を除いても欲しいですわね...その測定器」
太平洋上を第三新東京市へ向かう新第六使徒が発見されたのはこれより30分ほど後のことであった。
続く
トータスさんのメールアドレスはここ
NAG02410@nifty.ne.jp
中昭のコメント(感想として・・・)
トータスさんのルフラン第18話、投稿して頂きました。
アスカふっかちゅ(万歳)
シンジは自閉モードに入るし
先の明るさが見えてきたとですね。
使徒警報機・・・発展させれば、使徒の生まれ故郷を探知する事ができる……無理か
理論面のサポータは無事到着ですが、アメリカからの横車はないのかな…ちょっち不安
新第六使徒。
放っておけば上陸できないのではないかという噂もちらほら。
海上で補足するのもやや困難なような気もしますが。
次回はミサトの独壇場かしら
次回を楽しみにしてます。
みなさん、是非トータスさんに感想を書いて下さい。
メールアドレスをお持ちでない方は、掲示板に書いて下さい。