第二十話 平穏な日常、忍び寄る影
大和家の朝は早い。その大きな理由は家長の大和ケンイチ、ムサシの朝練によるものである。剣の道をたしなむ二人は、一日も毎朝の鍛練を欠かすことはなかった。いかに前の晩にどんちゃん騒ぎをしようとでもある。いや、前の晩の飲酒が深ければなおのこと、早起きをして汗を流そうと努めている。さすがに道場の無いここでは実践さながらのけいこは出来ず、素振りと打ち込みで我慢をしていた。ところで彼らの流儀は示現流である。何が言いたいかというと、彼らの流儀には独特の掛け声があるのである。つまり朝っぱらから家の軒先でやられるとご近所だけでなく、家の中に居る女性にとってもかなり迷惑になる物と言うことである。その結果、女性陣からのやんわりとした、そして断りようのない抗議により大和親子は場所を公園に移して朝練をすることになっていた。
中央公園に場所を移したケンイチ、ムサシ親子はそこで先客に遭遇した。彼らのよく知ったその少年は中段に竹刀を構え、ただ静かに静止をしていた。その立ち姿にケンイチはため息を吐いた。
「全く惜しいな...」
「ああ...」
ケンイチの愚痴を、毎日のように聞かされていたムサシには、その意味がよく分かっていた。
「しかし、あんな物を見せられてはな...」
「全く...」
彼らの脳裏には前日の戦いが浮かんでいた。大人の思惑とは違うところで動いている、少女達の純粋な思いを...そしてそれに答えた少年の姿を。
「俺の目に間違いはなかったんだがなぁ」
「諦めるんだな。
レイコの好きにさせてやるのが一番いいさ」
「この際どさくさ紛れで既成事実というやつをだな」
「おやじ...」
「分かっている。そんなことじゃレイコは幸せになれない。
俺だってあの二人を引き裂くなんて寝覚めの悪いことはしたくない。
だがなぁ〜」
ひたすら『惜しいなぁ』と呟いているケンイチをムサシは引きずっていった。自分たちの稽古をするために。
ひとしきり打ち込みを続けた二人だったが、ムサシは自分の父親の打ち込みがいつもに比べて切れが無いのに気が付いた。『剣は人の心を映し出す』祖父の言葉にムサシは納得がいった。
「おやじ、本当は別の話があるんだろう」
木刀をおろし、ムサシは父親に何か迷いが有るのか尋ねた。
「ああ、やはり剣に出たか...
ムサシ...お前は気が付いていたか...昨夜のパーティー」
「なんのことだ...」
やっぱりなと言う顔をしてケンイチは続けた。
「戦自の方からも何人か混じっていたんだ」
「別に今の関係なら不思議じゃないだろう」
現在ネルフの要人警護には戦自も関わっている。昨夜のようなパーティーならその要員が居てもおかしくはない。
「要人警護の部隊じゃない。
ましてやテロ対策の部隊でもない。
さりげなく関係者面して混じっていたんだ」
任務でもなく混じっていた戦自隊員に、ムサシはきな臭い物を感じていた。
「ネルフとは和解していたんじゃないのか」
「公式的にはな」
ケンイチはそう言うとムサシを人気の少ないベンチへと誘った。
「上層部での手打ちは出来ている。
元々彼らはメンツだけが問題だったから簡単だった。
だがな、下の方はそう言うわけにはいかないんだ」
どういうことだというムサシにケンイチは言葉を続けた。
「直接現場に出ていた奴ら。
特に例の事件に関わった奴らにはネルフに対する反発が強い。
特にその対象はパイロットに向いている。
シンジ君とアスカさんにだ」
「逆恨みだろう、それは」
「確かに逆恨みだ。
それは彼ら自身にも分かっていることだ。
しかしな、心の底で汚泥の様にこびりついたものは、簡単には消せないんだよ。
特に赤い機体に乗っていたパイロットに対してはそれが強い。
いいか、これは理屈じゃないんだ」
ムサシはうんと肯いた。
「今はいい、何しろ共通の敵の姿が見えているからな。
しかしその敵がいなくなった時...
それまで押さえてきたものが姿を現す。
下は個人レベルの怨恨から、上は国家レベルの策謀までな」
「そんなにあるのか...」
「ああ、上の方はうまくやれと言ってくるよ。
シンジ君が、我々に極めて近い位置にいるのを喜んでいる奴等が居る。
しかもここに来てセカンドチルドレンまで手中にできる見通しがついた。
あの二人の関係は政治的にも注目されているんだ。
お気楽な奴らだ」
だがな、とケンイチは言葉を続けた。
「シンジ君の示した力は大きすぎた。
それは核やN2とは違った驚異をお偉方に与えたんだ。
核やN2は対抗して作る事が出来る。
しかしエヴァの力は操縦者に寄ってしまう。
持っているだけでは対抗できないんだ。
エヴァのパワーバランスは個人の技量によってしまう。
そう言った意味で、シンジ君は強すぎるんだ」
「パイロットが自分の言う事を聞いてくれればいい。
そうでなければ邪魔物以外の何者でもない。
ましてや自分に敵対するとなれば看過できない」
日本国政府の意見が揺れている事をケンイチは言っていた。
「後顧の憂いを絶つ事を考える奴が居てもおかしくない。
もともと無い物なら、今の関係が変わる事は無いのだからな。
しかもこれは日本だけの問題ではない。
いや諸外国にとってはもっと切実だろう。
何しろエヴァは日本にあり、4人のパイロットのうち3人は日本人だ。
表に裏に“その後”のことに熱心に動き回っている奴らが居る。
表ではエヴァのUN管理、兵力...この場合はパイロットと等価だな...兵力の分散。
裏ではパイロットから技術者の誘拐、暗殺までだ。
第三では、石を投げればどこかの諜報員に当たるぐらい紛れ込んでいるらしい。
あの技術を欲しいという奴はゴマンと居るんだ。
最も費用が掛り過ぎて普通の国では維持できんがな。
よっぽどN2で武装した方がコスト的には見合っている。
それでも...いや、それだからこそ他人に持たせるわけには行かない物なんだ」
冷静に考えれば、パワーバランスを崩すエヴァの存在は大きな驚異となり得るだろう。世の中ロボットアニメの様にはいくわけではない。そんなことぐらいムサシにも分かっていた。だからこそムサシは、父が何のために自分にこんな話をしたのかが気に掛かった。
「親父は俺に何を期待しているんだ。
シンジやアスカさんを日本に協力させろと言うのか」
ムサシの言葉に、ケンイチは首を横に振った。
「そんな事をしたら、余計な野心を持つ奴が現れる。
あれは人の手に余る物だ。
そして一つの国家の手にも余るんだ。
国が持つものじゃない」
「なら何を...」
「俺がお前とレイコに期待するのは、あの二人を見守ってやって欲しいと言う事だ。
一緒に居て、彼らを理解してあげて欲しい。
我々大人は見逃しがちだが、彼らはまだ17なんだ。
しかも幸せな子供時代とは言い難いものを過ごしてきた...」
二人の頭には、初めて出会った頃のシンジの姿が思い出されていた。すべてを怖れ、すべてに脅えていたあの頃の姿を。
「政治向きの話はいい、それは大人が苦労すれば良いだけだ。
そのため俺はネルフに来たし、司令もまた頑張っている。
だがな、それでも彼らには色々と辛い事が起るだろう。
その時には誰かが側に居てあげなくてはいけないんだ。
あの二人ならお互いを支え合う事が出来るだろう。
しかし、いやだからこそ彼らを見守ってやる人間が必要なんだ。
世間の風が彼らに冷たく吹くかもしれん。
そんなときには少しでも風を和らげてあげて欲しい。
分かるなムサシ、俺がお前に期待するのはそういうことだ」
ケンイチの言葉にムサシはニヤリと笑った。彼にとっては言うまでもない事だったのだろう。
「そんな事なら今まで通りの事だ。
俺は兄弟子や親友としてシンジを見てきた。
レイコの思いは少し違うがな。
あいつは友達として信頼できるやつだ。
それは俺が一番知っている」
だがな、とムサシは言葉を続けた。
「どうしておやじはそこまで二人に入れ込むんだ」
それはシンジが養子となったときから抱いていた疑問。あのころから父親は、何かとシンジのことを気遣っていた。
「あの二人...特にシンジ君が好きだからだ。
それで理由として不満か?」
何か語られない真実が有ることにムサシは気づいていた。いつかその時が来たら話してくれるだろう。ムサシはそのことで父親を追求することを止めた。少なくともそこに嘘はない。そしてその理由なら自分とも同じである。
「...いや、十分だ」
ムサシの言葉を合図に、二人は練習を切上げ、朝食の用意された我が家へと帰っていった。
***
霧島家と大和家、両家を合わせて一番朝が遅いのは霧島家の主人、霧島ユウイチである。大学の教授というのはある意味自由業であり、朝一の教授会、講義などがなければ決まった時間に大学に行く必要はない。従って両家の中では一番惰眠をむさぼることができるはずである。しかし彼はそうせずに、一つの楽しみのため早起きを心がけていた。彼の楽しみは、自分の家族と朝の食卓を囲む事である。従って彼は、昨夜の乱痴気騒ぎにも関わらず早々に起き出してきて、あくびをかみしめながら食卓で新聞など広げていた。
キッチンでは、彼の妻のミドリがくるくると忙しそうに走り回っている。その傍らに積み上げられた食器は、昨夜のなごりを残していた。いかに女手の手伝いがあったとしても、昨夜の片づけは大変だったのだ。今でこそその名残は積み上げられた大量の食器だけとなったが、しかし確実に昨夜のキッチンは戦場となっていた。
「大変だったろう...」
ユウイチは、弁当箱におかずを詰めているミドリに声を掛けた。先に起きた娘は日課のシャワーを浴びている。
「...でも楽しかった」
目の回るような忙しさは有ったけれど、それすら彼女には幸福のバロメータの様に思えた。何しろみんなが、自分の息子の無事を祝ってくれたのだ。
「確かに楽しかったな...」
ユウイチにとっても、鹿児島にいた頃とは比べ物にならないほど充実した毎日である。そして昨夜はその極みだった。
「でも少し寂しいですね...」
ぽつりと漏らしたミドリの言葉。その意味を、ユウイチもよく理解していた。彼らの息子は、もう親の庇護を必要としないほど逞しく成長していたのだ。
「仕方ない、それが親という物だ」
二人には、夜中に涙を流して震えていた息子の姿が今でも鮮明に思い出される。たった2年のことなのに、今ではずいぶんと遠いときのことのように感じられた。
「すてきなお嬢さんですね」
彼らは、シンジが魘されているときに口にしていた名前を覚えていた。その二人は、今や周囲からも恋人として認知される間柄となっていた。
「そうだな...」
ユウイチは妻に相づちを打ちながら、心の中では別のことを考えていた。いや、全く別というわけではない、自分の息子とそのガールフレンドのことである。
『二人はこのままどこへ行くのだろう...』
漠然と浮かんだのは、息子にとって幸せな未来とは言い難い物だった。ユウイチは軽く頭を振って、その考えを振り払おうとした。しかしどんなにしてみても、その考えは澱の様に彼の頭にこびりついて離れてはくれなかった。なぜだろう...ユウイチは心の澱を見つめ直してみた。
『冬月先生からよけいなことを聞いたからかな』
ユウイチの心の中には、すべてに絶望している二人の姿が見えていた。
彼はもう一度頭を振り、心に浮かんだ不吉な考えを振り切ろうと話題を切り変えた。
「マナのシャワー...長いんじゃないか...」
***
実のところアスカが、どういう選択をしたのかシンジは知らなかった。アスカが第一高校への編入を決心したのはつい最近の事であり、その登校初日に事件が起こったためである。昨夜のパーティでも、誰もシンジにその事実を告げなかった。まあその理由は簡単な事であるのだが...
『面白いから』
つまり全員が全員、シンジの驚く顔を見たかったのである。
そういう言う事で、シンジはアスカが同じクラスに編入してきていると言う事実を知らされていなかった。本人にどうしたのかと聞いたときも『ナイショ』の一言ととろけるような笑顔を向けられたせいもあって、それ以上の追求をシンジはする事が出来なかった。ただ、いたずらっこのように瞳を輝かせたアスカに、何か予感めいたものをシンジは感じていたのだが。
「おにいちゃん、レイコ達が迎えに来るから早く...」
兄を急かそうとしたマナの言葉は尻すぼみになっていった。朝練の後、シャワーを浴びてきたシンジの姿にマナは男を感じてしまったのだ。
「どうしたのマナ、前より早いみたいだけど...マナ?」
シンジは急に黙ってしまった妹の顔を覗き込んだ。その行為がますますマナの動揺を誘っていた。
「な、なんでも無いわよ。
いいから早く用意をしてきなさい。
レイコ達を待たせるわけにはいかないでしょ」
マナの剣幕に、わけの分からないままシンジは部屋へと追いやられていた。いざ制服に袖を通す段になって、シンジは自分が本来の居場所に収まったのを実感していた。
「帰ってきたんだ...ここに」
日常の中の非日常、非日常の中の日常。そう言えばいいのだろうか、非日常の中に居たシンジにとって、こうして何の変哲も無い生活を送れると言うのは非常に嬉しい事だった。
「お兄ちゃん、は・や・く」
急かすようなマナの声が、シンジを現実に引き戻す。シンジは少し笑みを浮かべながら制服に着替えてマナの待っている居間へと出ていった。
***
「お兄ちゃんったら、ぐずぐずしているんだから」
少し頬を膨らませながら、マナは着替えの済んだシンジを腕をとり玄関へと引っ張っていった。
「そんなに慌てなくたって、まだ時間が早いじゃないか」
シンジの抗議は、彼女にしっかりと黙殺されていた。マナは用意してあった学生鞄をとると、そのまま『いってきます』と声を掛け、シンジを連れて玄関を飛び出していった。
「シンジ遅いぞ」
「おはようございますシンジさん」
玄関を飛び出すと同時に掛けられる声、そこにはよく見知った顔が二人の出てくるのを待っていた。シンジに取って、それもまた心休まる日常の生活だった。
「おはようムサシ、レイコちゃん」
「レイコ、ムサシおはよう!」
レイコの姿を認めると、マナは持っていたシンジの手を放してムサシの横へと並んだ。前にムサシとマナ、そして後ろにシンジとレイコ。それが彼らが作ってきた関係、彼らの位置。にぎやかなムサシとマナ、そして静かなシンジとレイコ。それぞれを形作り、4人は学校への道を歩いていった。
***
「シンジ、もうええんか」
「おはようシンジ」
「おはようみんな」
高校まで後少しと言うところで落ち会う親しい顔。みんなでいることが嬉しくて、いつのまにか一緒に登校するようになった仲間達。これもまたシンジの愛した日常生活。たった1ヶ月の事なのに、何かとっても久しぶりのことのようにシンジには感じられた。お互いに話したいことは沢山ある。その為の時間もまた彼らには沢山ある。
「なんやシンジ、そんな神妙な顔をして」
妙にまじめな顔をしているシンジに、トウジが突っ込みを入れた。
「なんかこうしていると、帰ってきたんだなぁって感じがしてね」
つい昨日までの出来事が、とても遠い事のようにシンジには感じられた。そしてそれはトウジ達にも同じ事だった。自分達の非力を恨み、親友の安否を気遣った昨日までの自分達。しかしそれも思い出と言う言葉の中に消えていこうとしている。
「でもシンジには、まだ足りない物があるんじゃないのか?」
そう言って、にやりと笑ったケンスケ。シンジは彼の表情に何を言いたいのかを悟った。
「アスカのことかい。
そりゃあ、逢えないのは寂しいけどね。
でも僕にとっては、アスカが此処にいないことの方が日常だったからね。
別に足りないとか考えたことは無いよ。
アスカにはアスカの道が有るんだし。
それにアスカには、ネルフでも学校が終わってからでも会えるからね」
「ふ〜ん、シンジはそれで寂しくないのか?」
シンジはこの時気づくべきであったのだ。にやりと嫌な笑いを浮かべているのがケンスケだけでは無かったことに。いつの間にか彼らの視線はシンジの後ろに向けられていたのに彼は気づいていなかった。
「ああ、別に寂しいと思ったことは無いけど...どうしてだい。
な、なんだよ...みんな、何を笑っているんだよ。
本当だよ、寂しくなんか無いよ」
少し顔を赤くしているシンジに向かって、ケンスケは吹き出しそうになるのを堪えて言った。
「いや、シンジって本当に墓穴を掘るのがうまいなぁって感心していたんだよ。
今の言葉、回れ右をしてもう一回言えるか?」
「なんだよケンスケ...回れ右って...あ、あああぁ何で此処にアスカがぁ...」
振り向いたシンジの視界には、少し目をつり上げた彼の恋人の姿が映った。その姿は、どう解釈しても朝の出会いを喜んでいるようには思えないものだった。
「ふ〜ん、シンジは私が居なくても良いんだ...」
あわてている恋人の姿を見ながら、アスカは少し拗ねたように言った。
「それとも私が居ると都合が悪いんだ...」
此処から先のシンジのとった態度は、全員の予想の通りだった。彼らにとって、いつもより早い待ち合わせ時間を設定した甲斐があったのだ。何しろそのおかげで、朝からおもしろい見せ物を見ることが出来たのだから。彼らは、アスカに向かってぺこぺこと頭を下げるシンジの姿を、『してやったり』と言った顔で見つめていた。
***
「全くみんな、人が悪いんだから」
37回頭を下げたところでアスカから解放されたシンジは、周りでにやついて居る友人達に向かって不平を漏らした。『おもちゃじゃないんだから』と。しかしその抗議は全員に丁寧に無視され、さらには反撃を食らうこととなった。
「なあ、シンジ...俺達にとってお前は何だと思う?」
ぼそりと呟くムサシ。
「友達...だろ?」
自信なさげに答えるシンジに向かって、全員が口を揃えた。
「「「「「「おもちゃ!」」」」」」
はぁ〜と深いため息を吐いて、シンジは隣でニコニコとしているアスカの顔を見た。少なくともアスカからは『おもちゃ』の言葉は出ていなかった。しかし、シンジの訴えるような視線に気づいたアスカは、にっこりと微笑むとシンジにとどめを刺した。
「あたし?」
そうねぇとアスカは形のいい顎に人差し指を当て、少し首を傾けて考える振りをした。その仕草にシンジの不安はますます膨れ上がっていった。
「そうねぇ〜、かつての同居人、パイロット仲間、クラスメート、暇つぶし、、荷物持ち、、、
それから、それから...」
「恋人って言う選択肢はないの?」
シンジの言葉にアスカはぽんと手を叩いた。
「そうそう、それよ...それが有ったわね。
一番大事な関係よ、それを忘れていたわ。
心配しないでシンジ、あなたは私の大事な下僕だから」
がっくりとシンジの首が落ちる。さすがにアスカにまでからかわれたことで疲れが出たようだ。
「いいんだ、みんなして僕をおもちゃにするんだ。
ムサシやマナやレイコちゃん、トウジにケンスケ洞木さんまでなら我慢できるけど...
アスカまでそんなことを言うんだ...
えええぃぐれてやるぅ...ずぇーったいにぐれてやるんだぁ」
そう言って駆け出そうとしたシンジだったが、シンジが動くのよりも早く両脇を固められた。
「甘いなシンジ、お前の考えていることぐらい分からないでどうする」
右を固めたムサシの反対側でトウジはうんうんと頷いていた。
「そやそや、一ヶ月ぶりやからな。
そう簡単には解放せーへんで」
『放せ〜』と叫ぶシンジを引きずるようにして、全員は学校への道を歩いていく。無理矢理引きずられていったシンジだったが、いつの間にか一人ぶつぶつと呟くようになっていた。
「いいんだ、いいんだ...
僕はどうせ要らない子供なんだ。
今晩のディナーは独りで行ってやるんだ...」
自閉モードに突入したシンジに、危ないものを感じた二人は思わず抱えていた手を離した。それを見逃すことなく、シンジは学校への残された道を駆けだした...が、突然のことに前に現れた人影はシンジを避けることが出来なかった。
まともに衝突しなかったのは、シンジの反射神経を誉めるべきだろう。とっさのことによろめいた影を、シンジはしっかりと抱きかかえていた。
「え〜っと」
シンジは自分の腕の中で、頬を染めている黒髪の少女を見つめた。とっさのことに言葉が浮かんでこない。少女の方もまた、突然の出来事に固まっていた。
小さな顔に長い黒髪、メタルフレームの眼鏡がワンポイントアクセントとなった、シンジの目から見ても十分可愛いと思える少女。シンジは自分の体勢を思い出し、あわてて少女を抱えていた手を放した。
「ご、ごめん...」
「い、いえ...」
初々しいカップルのように赤くなって俯く二人、固まってしまった二人の魔法を説いたのは意外な一言だった。
「どうでも良いけどシンジ、人のガールフレンドを誘惑するなよな」
少女はその言葉に、ぱっと表情を輝かせた。
「ケンスケさん!」
「なんだケンスケさん...っって、えええっ!」
シンジの何度目かの叫び声が通学路に木霊した。
「失礼な奴だな...あんな大声を出すなんて」
お昼の弁当が終わった後、ケンスケはシンジを屋上に呼び出していた。
「ごめん、ケンスケ...突然だったし...その」
「その、なんだ。
俺に彼女が出来ることがおかしいか?」
「そうは言わないけど...ケンスケはその...」
「はっきりしない奴だな。
シンジが言いたいのは惣流のことだろう」
ケンスケの指摘にシンジはうんと頷いた。
「確かに俺は惣流のことが好きだ。
今もその気持ちは変わっていない。
だが、それとこれは別のことだ。
もっと好きな人が出来た...それだけのことだ。
お前だってレイコちゃんのことは好きだろう。
その上で惣流とつき合っている」
「いや、まだつき合っていると言うわけでは...」
「…そうか?俺達にはそうとしか見えないけど...
まあ、いいや。
とにかく俺にとって、一緒に居たいと思うのはマユミちゃんだと言うことだ」
きっぱりと言い切るケンスケに、シンジはケンスケの男らしさを感じた気がした。
「…なんでわざわざ僕にそんなことを?」
「他の奴らにはもう紹介してあるからな。
それにお前には知っておいて貰いたかったんだ。
…まあ、どうしてって言われると答えには苦しむがな」
ケンスケはそう言うと、屋上の入り口に向かって手招きをした。するとそれを待っていたように、一人の少女が入り口から現れた。
「ちゃんと紹介しておくよ。
山岸マユミさん...一年生だ。
こいつが碇...霧島シンジ。
悪友の一人だよ」
誇らしげにケンスケは自分の隣の少女を紹介した。シンジには微笑みあう二人が輝いているように見えていた。
「山岸です...初めまして」
「霧島です...こちらこそ」
何かこうして紹介されるのも不思議な物だ。シンジはそう考えながら目の前の少女の顔を見ていた。おとなしそうな子だけど、どこでケンスケと出会ったのだろうかとも。
「ケンスケ...良かったな」
当然さと、ケンスケは親指を立てた。
***
その出来事は突然に起こった。しかもそれは、ネルフ本部から遠く離れた場所でのことだった。この二つの点から、ネルフの対処が遅れたことを責めることは出来ないであろう。しかしその事件の影響は世界に大きな影を落としたのだ。
山脈一つの消失。
それは衛星軌道に現れた、たった一体の使徒によって引き起こされた。
突然現れた第壱拾使徒サハクイエルは、迎撃の時間を与えずその巨体を落下させた。その破壊力はとてつもなく、中国西部の山脈一つの形を変えてしまうほどの物だった。その被害は、短期的には落下の際に引き起こされた地震による周辺地域の被害。長期的には落下の際に捲きあがった粉塵による日照時間の減少、山脈消失による気候への影響。その他諸々の環境への影響が懸念されていた。
そして初のネルフ施設外への使徒の攻撃と言う事実は、人々に恐怖を与えるのには十分な出来事だった。
いつ自国が使徒の驚異に晒されるか分からない。その恐怖は各国にヒステリックな対応をとらせた。国連の場では使徒に対する対策の遅れが声高に叫ばれ、今回の被害をネルフの怠慢と指摘する声も強かった。そして3体のエヴァンゲリオン、4人の適格者。それを独占する日本に対しての不満の声も高まっていった。
第壱拾使徒の落とし物は、山脈消失以上の影響を世界に与えた。そして世界の混乱はチルドレン達にも大きな影響を及ぼすこととなった。
続く
トータスさんのメールアドレスはここ
NAG02410@nifty.ne.jp
中昭のコメント(感想として・・・)
トータスさんのルフラン第20話、投稿して頂きました。
帰ってきた日常の一こま
> でも僕にとっては、アスカが此処にいないことの方が日常だったからね。
> 別に足りないとか考えたことは無いよ。
あややや
しかし37回頭を下げた程度で許してしまうとは。人間ができたというか愛されてるというか・・・
>ユウイチの心の中には、すべてに絶望している二人の姿が見えていた。
ぐわっっつぱ
せっかくアスカの下僕に就任できたのに・・・
サハクイエル。巧い落ちかたでしね。
代案を出さない限りエヴァの分散配備って事になりそうですが。
強引に集中管理体制を維持しようとすれば風あたりは強くなるだろうし。
大人達の暗闘が激化しそうです。次回を楽しみにしてます。
みなさん、是非トータスさんに感想を書いて下さい。
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