第二十二話 異変
新第八使徒迎撃作戦自体の立案は簡単なことだった。要は前回と同じD型装備で火口に潜り、液体窒素を用いて使徒を攻撃すればいいのだ。数千度の熱の中、ATフィールドを中和された上でマイナスに冷やされればいかな使徒でもただでは済まない。そのこと自体、前の戦いで証明されていた。
もっとも今回の戦いは、あらかじめ武器として使用されることが分かっているため、噴出圧を高めたパイプが用意されることとなった。更に前回の反省から、エヴァを吊るすワイアに対しても予備ルートを設け、通常機体を支えているワイアが切断されても、予備を用いて牽引が可能となるように設計されていた。それに加えD型装備自身の重量を減らし、全バラストを放出すれば、マグマの浮力によって自動的に浮上するようにも考慮されていた。後は使徒によって7号機が引きずり込まれないように気を付ければいいのだ。このことに関しては、己の技量にアスカは楽観的に考えていた。アスカにとって唯一とも言える不満は、今回は温泉旅行が付いていないことだった。もっともシンジ抜きで行きたいかと言われれば、『否』と今のアスカなら答えていたが。
「あんた達はしっかり本部を守っていなさい!」
エヴァ運搬用のキャリアに乗り込む前、見送りに来ていたシンジとトウジに、アスカはそう檄を飛ばした。一度戦った相手とは言え、一番きつい役目を負っているのはアスカである。その重圧を吹き飛ばすかのように、アスカは元気良く振る舞った。
元気いっぱいに出ていくアスカを見送ったシンジとトウジの二人だったが、二人とも思いは別の所にあった。
「ケンスケ...はりきっとったな...」
「...ああ」
アスカが元気いっぱいなのはいつもの事なのである。しかし今回はそれ以上に、ケンスケの元気さが目立っていた。
「悪い事じゃ...無いんだけどね」
「そらま、そうやけどな」
何となく開いた間に、お互い同じなんだろうなぁと二人は心の中で考えていた。
「...トウジも洞木さんに何か言われたんだね」
「...も、ちゅうことはシンジも同類なんやな」
「...まあね、アスカにちょっと」
そう言ってお互いの顔を見合わせ、深いため息を吐いた。天下のエヴァのパイロットも、どうやら女性は苦手にしているようだった。
「まあ、僻まれるのよりはましっちゅうたらましなんやけどな」
トウジの言葉に、シンジはかつてケンスケが放っていたオーラに似たものを思い出していた。
「そりゃ...まあね」
でも、もうちょっと人目を気にして欲しいなとシンジは思わないでは居られなかった。
***
第八使徒の出現はすでに予想されていたことである。従って、前回に比べ発見が遅れたのにも関わらず、迎撃に関する準備はその遅れを取り戻してあまりある物であった。前回を上回る大型のクレーンが用意され、使徒とエヴァ、二体同時の負荷に対しても十分に対応可能となっていた。それは冷却用の冷媒にしても同じ事だった。何処からかき集めたのかと感心するほどの液体窒素が用意されたのだ。そのあまりの量は、火口近辺に居ても放出される冷気のせいで肌寒さを感じるほどであった。
アスカとケンスケ、二人のパイロットは、安全を考えて火口から離れた所に設置された作戦本部でミサトからブリーフィングを受けていた。彼らの前に設置された小型のスクリーンには、探査機から送られる使徒の映像がリアルタイムで表示されていた。アスカはその画像から違和感を感じ、小さく首をひねった。
「アスカ、どうしたの?」
その様子を見とがめたミサトは、アスカにその理由をただした。
「ちょっとね、前の時はこいつ...
あっという間に成長したじゃない。
それなのに今回はどうしてこんなに成長が遅いのかってね」
アスカの指摘に、『そう言えばそうね』とミサトも考え込んだ。しかし観測データからは前回との差異は見つけることは出来ない。『前はアスカが刺激したから早まっただけじゃないの?』と結論付け、そこでその話にけりを付けた。
「じゃあ、作戦の最終確認をするわね。
技術的細部はマヤに説明を頼むことにして、アスカは前と一緒。
武器は冷凍ノズルとプログナイフ。
相田くんは火口で待機。
いざとなったらあなたにも飛び込んで貰うわ」
決意を込めて頷くケンスケにミサトは満足そうな瞳を向けた。
「じゃあ、私から注意点を言います。
今回の武器は冷媒を使用していますが、状況に応じて7号機は使徒を抱え込んでくれても構いません。
そうすれば火口に配した重機でエヴァごとつり上げて地上に降ろします。
放水の準備もしてありますから、急冷却で使徒を凍らせることも可能です。
マグマ内で戦うリスクを考えると、本当は地上に引きずり出す方が良いのだけど。
そこはパイロットの判断に任せます。
そしてこれが重要なポイントになるんですが、冷媒に液体窒素を使用しています。
これは高熱に曝されると一瞬にして気化し、1000倍以上の体積に変化します。
ですからマグマ内に放出するときは、急激な体積変化による爆発に気を付けて下さい」
「なんか危ないわね...
他の冷媒を使えなかったの?」
マヤの説明に身の危険を感じたのか、アスカはそう言って切り返した。
「氷点下での流動性と、超高温下で最低でも液体状体を保てるような都合のいい冷媒は無いわ。
酸素とか水素とかじゃないだけましと思って。
それに大量に用意しようと思ったらこれが一番都合が良かったの。
分かるでしょ?」
「確かに適当な奴って無いわね...
まあいいわ!私に任せておきなさい。
武器の性質さえ分かっていれば使いこなして上げるから」
単なる冷水でもいいんじゃないか?そう言った疑問をアスカは心の中にしまい込むことにした。何しろすでに賽は投げられているのだ。
「それから視界の方だけど、結局超音波によるソナーしか解が無いわ。
MAGI経由でリアルタイムで映像化するわ。
だからすこ〜おし、分解能が悪いけど我慢してね」
「分かっているわよ。
いくらなんだってマグマの中で目が見えるとは思わないから。
でも相手の移動速度のせいで目標位置を間違えることはないの?」
「まさか溶岩の中を時速数百キロで移動することは無いでしょ?
だったら誤差なんてせいぜい数mよ。
近接戦闘中なら0だと思って差し支えないわ」
「了解、さっさと片づけて帰りましょう!
作戦開始は何時からなの?」
アスカの言葉にミサトはマヤをちらっと見た。
「...準備に後40分は...」
マヤのその答えに、ミサトは頷いた。
「1時間後、午前11時に作戦を開始します。
パイロットは20分前に所定の位置に着くこと。
いいわね!」
二人のパイロットは『はいっ』と元気のいい返事を残し、控え室へと戻っていった。
***
無駄に時間が開いてしまうとよけいな事が頭に浮かんでくるものである。それは慣れているアスカにしても同じことだった。まさか忙しく働いているスタッフの邪魔をするわけにはいかない。仕方なく、アスカは一人青い空をぼんやりと見つめることにした。
「.....」
「.....」
「.....」
よく晴れ渡った青空にいくつもの入道雲が浮かぶ、どう見てものんびりとした風景の下の非日常。一人住まいで時間をつぶすことに慣れたアスカだったが、戦闘前となるとまた別ものだった。データに何か見落としはないか、今度もまたうまくやれるだろうか。もしマグマのそこに引きずり込まれる事でもしたら...
考えないように気をつけても、思考はマイナス方向に引っ張られていく。
アスカは自分の気持ちがマイナス方向に流れていくのに気付き、頭を振ってその考えを振りほどこうとした。こういった時は楽しいことを考えておけばいいのだと。
日曜日のデートには何を着ていこうか。まずそれから考え始めることにした。よく考えてみると、長い時間二人っきりになるのは初めてではないだろうか。退院してからこのかた、何かと忙しくて二人の周りには必ず誰かが居るのだ。
もっとも遊園地にしたところで、ガードや周囲の目があることには変わりはない。しかしそんなものは無視をすればいい。二人っきり...その言葉にアスカは心が浮き立つのを感じていた。
『やっぱりこうじゃないと...』
『戦闘前には気分を高揚させなくちゃ』
それがうまくいったことに満足し、アスカは更に続きを考えることにした。
着ていくものは何にしようか?遊園地なのだから活動的な格好のほうがいいのは分かっている。でも、短めのスカートでシンジの目をひきつけたい。そんな気持ちもまたあった。
『でもミニだと、乗り物に制限がでるしなぁ』
シンジにサービスするのはいいけれど、やはり見ず知らずの人たちにするのはいやだな。だんだんとアスカの思考の方向がずれ始めている。もっとも本人はそのことに気付いていないが。
『やっぱり定番だけど観覧車かしら。
二人で夜景を見つめながら...
【アスカの瞳に映る町の明かりがきれいだね】
【でも、シンジの瞳には明かりが映ってないわ】
【僕の瞳に映るのは...アスカだけだよ】
【シンジ...】
【アスカ...】』
ファイルを抱き絞めて、一人芝居をしている光景というものは結構不気味なものがある。それはたとえ絶世の美少女がやっていたとしても同じである。誰も居ないからいいようなものの、アスカはいやんいやんをしながら、自分の決めたシチュエーションで一人芝居を続けていた。丁度今、シンジに肩を抱かれ、唇が重なったところまで芝居は到達していた。
『そしてシンジの手が私のスカートの中に入ってくるの。
【アスカ、僕はもう我慢できない】
なぁ〜んて。
でも私はそのシンジの手を拒むの。
【シンジ、あなたのことは好きよ。
でも、私たちはこんな事をする関係じゃないわ】
【僕はアスカを愛しているんだ。
たとえ世界中を敵にまわしても、アスカだけを僕は愛するよ】
シンジの言葉に二人は見つめあうの。
そして私は静かに肯くの。
でも、【こんなところじゃいやっ】って。
やっぱり初めてはそれなりの雰囲気のところじゃないとね』
完全に世界に浸りきっているアスカは、想像の中で二人がまだ観覧車に居ることを忘れているようだった。
しかし妄想とは、ふとした弾みで現実に戻った時、それはそれは空しいものである。それはこの少女にとっても同じ事であった。控え室の外をとおりかかった作業車の音にふと我に返った時、今まで自分のしていたことにアスカは赤面した。
「あ、あ、あたしったら...なにしているんだろう...」
この部屋を使用するのはアスカだけなのである。どこを探したところで誰も居るはず無いのだが、アスカはキョロキョロとあたりを見回した。そして今更ながらあたりに人がいないのを確認すると、ほっと胸をなで下ろした。
「...いやだ...ストレス...溜まっているのかしら」
『そう言えば最近キスもしていないな』
そのせいかしらと、アスカは出発の時の事を思い出していた。
『でもあのときは相田だって何にもなかったような顔をしていたわね』
『別に出撃するたびに、別れを惜しむ必要はないはずだからいいか』
『でもシンジったら二人っきりになる努力もしてくれないし』
『ひょっとしてどこかで浮気をしているんじゃないかしら...』
手に持っていたファイルが原型を留めなくなったのにも気づかず、アスカは一人の世界に没頭していた。
再び外を通りかかった台車の音で自分を取り戻したアスカは、ぶんぶんと頭を振って浮かんできた妄想をうち消した。そしてこのままいけない妄想に走ってしまわないように、もう一人のパイロットであるケンスケのところに行くことにした。
『どうせあいつも暇にしているだろうし...』
この辺の思いこみはアスカならではと言えるだろう。
***
「...そんな理由で俺の所に来たのか...」
“シクシク”そんな形容詞が似合いそうな顔で、ケンスケはアスカに言った。
「来ちゃ悪かった?」
「せめて声ぐらい掛けて欲しかったな...」
「あら、ちゃんと『入るわよ』って声を掛けたわよ」
一方のアスカは何か勝ち誇ったような顔をしている。アスカの訪問に関して、何かケンスケにとって都合の悪いことがあったのは確かなようだった。
「...中に入る前に掛けて欲しい...って意味なんだけど」
「はいはい、あんたも男なんだから済んでしまったことをいつまでも愚痴らないの。
いいじゃない、別にやましいことをしていたわけじゃないでしょ?」
そう言って美少女に顔を覗き込まれたら、『はい、そうです』なんて言えるはずがない。ましてや、一時期恋い焦がれた相手なのだ。
「そ、そりゃあそうだけど。
一応俺にも都合ってものがあるんだ」
「分かったわよ、次からは気を付けるようにするわよ。
で、やましい物じゃなかったらさっきから何を見ていたの?」
『しまった』と言うのがケンスケの気持ちだった。『やましい物ではない』と言ってしまった以上見せないわけにはいかない。何しろ相手は簡単に引き下がってくれるような玉ではないのだから。ケンスケは渋々自分の見ている物をアスカに差し出した。
『気づきませんように』
彼は心の中で手を合わせていたという。
「なんだ、山岸さんの写真じゃない...」
防湿処理をされた写真を手に、アスカは明らかな期待はずれと言う顔で裏表を眺めた。そしてすぐに興味をなくし、ケンスケに写真を返そうとした。しかし、ケンスケに向かって差し出された手は途中で止まった。
「なにほっとしてんのよ!」
迂闊にもケンスケは、写真が返ってくるときわずかながら安堵の表情を浮かべていたのだ。それをアスカが見逃すはずが無かった。
「...べ、別にほっとなんかしていないよ」
ケンスケの弁解も、すでに手遅れである。アスカはもう一度写真を手に、今度は穴が開くほど裏表の観察をした。そこには制服姿で微笑んでいるマユミが居るだけだ。何処にも細工のような物はない。ただ相田にしては珍しくパウチに失敗したようで、短い毛が中に入ってしまっているだけのことだ。二枚重なっているとか、メッセージとかが入っている訳じゃなさそうだ。
「別に変なところはなさそうね...」
ちらちらとケンスケの表情を伺いながら、アスカは探るように言葉を紡ぎだした。
「そう言えば、こんな所に“毛”が...」
その瞬間のわずかな動揺がケンスケに走った。アスカはその動揺を見逃すことは無かった。
「『ふぅ〜ん、毛が入って失敗したわね』って言おうかと思ったんだけど。
ここに何かポイントが有りそうね」
そう言ってアスカは毛の部分を集中的に観察を始めた。
「相田の髪の毛かと思ったんだけど...
焦るところを見ると山岸さんのね。
でも、こんなに短くて、少し縮れているのって...!」
なにかに思い当たったのだろう。アスカの顔がぱっと赤くなった。
「あ、い、だぁ〜」
「ま、まて、惣流。
誤解だ。きちんと説明するから大声を出すな」
いい加減観念したケンスケは、これ以上アスカに騒がれないように事情を説明することにした。放っておくと何を言われるのか分かった物ではない。
「いいか、これはお守りなんだ。
戦争に行く男に、無事帰ってこれますようにと女性が陰毛をお守りに渡すんだ。
“必ず自分の所に帰ってこい”そう言う願いを込めて。
だからこれは変な意味なんてこれっぽっちも無いんだ」
「なら、なんで隠すのよ」
疑わしそうな話だ。そう言った目をアスカは向けた。
「だって、物が物だけに恥ずかしいじゃないか。
それにマユミのだぜ、人に見せられるわけ無いじゃないか」
『そりゃあ、自分で考えてみても恥ずかしいわね』アスカはそのケンスケの説明に納得がいった。でも恥ずかしい物であることには変わりはないのだ。それにあそこの毛をどんなシチュエーションで貰ったのかも興味がある。
「で、山岸さんに...その...もらって相田が作ったの?」
「いや、マユミがくれたんだ。
お守りだって言ってね」
『からかわれるだろうなぁ』半分あきらめがケンスケの頭の中に有った。しかし、アスカの反応はケンスケの予想と違っていた。
「嬉しかった...?」
しおらしく聞くアスカに、一瞬何を聞かれたのかケンスケは理解できなかった。しかし、アスカの言葉の意味を理解すると、ケンスケはしっかりと頷いた。
「ああ、ものすごく嬉しかった。
こんなマイナーなお守り、普通は知らないよな。
それをマユミは俺のために調べて作ってくれたんだ。
惣流だって恥ずかしいだろ、自分の毛をそのシンジにあげるのは。
それをマユミがしてくれたんだぜ。
その気持ちを考えたら嬉しくないわけがないだろ」
そう言い切るケンスケが、アスカはとてもまぶしく見えた。いや、ケンスケだけじゃなく、そのケンスケを想うマユミのこともまた素敵に感じられた。そして自分はどうだろうかとアスカは見つめ直してみた。ただ待っていることしか出来ないマユミと自分の立場は違う。それは分かっているのだが、それでも自分はそこまでシンジの身を心配していただろうか。それは相手に対する信頼とは違った世界にあることだ。ケンスケとマユミの二人を見て、アスカはそう考えさせられた。
「良い子ね、山岸さんって...」
「ああ、マユミは俺には過ぎた子だよ。
だから俺も頑張って居るんだ。
マユミをがっかりさせないようにな」
『いい男になったな』
アスカはケンスケを見てそう思った。そしてそのケンスケを磨いたのはマユミなのだ。
ならシンジはどうなのだろうか。アスカはそのことを思い返した。
間違いなくシンジも“いい男”である。しかし、自分と再会したときには、すでにシンジは今のシンジだった。シンジを磨いた女性が居るとしたら、それはマナでありレイコなのだろう。自分は何もしていない。アスカはそれが恥ずかしくなった。結局自分は求めるだけで、何も相手に与えていないのだと。
しかしそこで終わらないのがアスカの良いところだろう。自分もシンジもこれが限界ではないはずだ。だったら自分の力でシンジをもっといい男にすればいいのだ。そのためにはまず自分の気持ちをはっきり伝えよう。瞬時にアスカは考えを切り替えた。
「ありがとう、相田。
いろいろと参考になったわ」
「惣流に感謝されるとは思っていなかったよ。
でも、役に立てたのなら嬉しいよ」
屈託のない笑顔、ケンスケはアスカの言葉を嬉しそうに聞いた。
「...時間ね。
お陰で良い時間の過ごし方が出来たわ」
「俺もだよ...ゆっくり惣流と話すことが出来るとは思っていなかった」
「生き残りましょうね...絶対」
「ああ、お互い待っている人が居るからな」
がっちりと握手をすると、二人は戦いの場へ向かう扉を開け放った。
***
二度目ともなると拒否反応も薄れ、アスカはすんなりとD型装備をしたエヴァに乗り込んでいった。それは彼女がそれだけ大人になったと言うことも表している。
「アスカ、早いところ終わらせましょ。
温泉よりも、会いたい人が居るでしょ?」
「もちろんよ。
言わなくちゃいけないことも有るんだから」
出撃前のミサトとの軽口も気負い無くこなし、使徒の居る火口へと運ばれていく。アスカの心は、使徒との戦いよりも重要なことで占められていた。
『まず、自分の気持ちをはっきりと伝える』
これまでに何度もキスをした。何度もいい雰囲気で過ごしたこともある。それでもきちんと口に出して自分の気持ちを伝えたことはない。言葉という形にすることが大切なのだ。その決意を秘めて、アスカはこれから降りていくマグマの海を見つめた。だからこんなところで負けるわけには行かないのだ。どんなことをしても、勝って生き残ってやる。
その決意を込め、アスカはインダクションレバーを握りしめた。
だるまのような格好で降りていく7号機を、ケンスケは8号機の中から見つめていた。その瞳にはマグマの中まで覗き込もうかという眼光が宿っていた。
「ふぅ〜」
7号機がマグマの中に消えていくのを確認して、ケンスケは溜めていた空気を吐き出した。もっともLCLの中では、そのこと自体に意味があるわけではない。本当に気分の問題だけなのだが、緊張感からケンスケは息を止めてその光景を見守っていた。7号機からは無事沈降を始めたとの連絡が入り、すべては順調である。後は使徒の出現予定地まで潜っていき、そこで羽化直前の使徒を仕留めればいいのだ。羽化を始める前なら戦いは前よりは容易だろう。ケンスケは少し緊張がほぐれるのを感じていた。
それでもケンスケは7号機が潜っていった火口を見つめることを止めなかった。別に何が見えるわけでもない、真っ赤に灼熱したマグマと、その上を漂うガスが見えるだけである。その熱気は、巻き上げられたガスとともに、ケンスケの乗る8号機の所まで届いてくる。火口に潜らなくても伝わってくる熱気に、出来ればこのまま待機で終わって欲しい。ケンスケはそう願わないでは居られなかった。
「何か今日はガスが多いわね...」
モニタを切り替えながら、ミサトは火口の様子にそう呟いた。下には灼熱したマグマがあるのだから、水やその他いろいろな物が落ち込めばそれがガスとなって辺りを漂う。しかも先ほど7号機が進入したばかりである。火口周りの空気が濁るのも仕方のないことなのだ。
それでも何かが頭に引っかかる。何故8号機の周りが特にガスが濃く見えるのだろうか?
しかし、ミサトの思考は7号機が戦闘予想地域に近づいたという報告で現実に引き戻された。先に沈降させたソナーは確実に使徒の接近を捉えている。戦いが始まるまで、後1分も無いのだ。
「アスカ、聞こえる?
後一分で接触するわよ。
目標は未だ幼体のまま、羽化の兆候無し。
目を覚ます前に仕留めるわよ。
いい?」
「準備OK手抜かりはないわ」
そう言ってアスカはミサトにウインクをした。すべてが初めてのことだった前回とは違い、今回は心にもゆとりがある。それを慢心にしていないアスカを見て、ミサトは戦う前に勝利を確信していた。
「後10秒、そろそろソナーの範囲よ!」
ミサトの言葉を待つことなく、アスカの7号機のディスプレーに羽化前の使徒の姿が映し出される。卵のような物に包まれた胎児のすがた。これを目を覚まさせることなく殲滅する。
7号機はプログナイフと冷却チューブを握りしめた。
「...4,3,2,1...」
スピーカーからはミサトのカウントダウンの声が響く。その声に合わせてアスカは7号機にプログナイフを振りかぶらせた。
「...0!」
その合図に合わせて7号機は使徒を包む卵の殻のようなものにしがみついた。そしてプログナイフでそれを切り裂くと、冷却バルブを胎児の格好をした使徒に押し込んだ。
「冷却液、圧力最大にして!」
アスカの指示とともに、火口の外のポンプ車が一斉にエンジンの回転をあげる。白い煙がたなびくタンクから、液体窒素をどんどんマグマの中へと押し込んでいった。
突然眠りを妨げられ、使徒の幼精は急速に成長を始めた。しかし、アスカはしっかりと7号機でその体を押さえ込み、冷却液をその体に押し込んだ。使徒の体からは漏れ出た冷却液が瞬時に気体に変わり、ぼこぼこと泡となって上昇していく。
アスカは手のひらが白くなるほどインダクションレバーを握りしめ、暴れる使徒と冷却パイプを押さえつけた。体勢自体、今度の方が遙かに有利である。成長しかけた使徒の爪から逃れ、7号機は冷却パイプを使徒に押し込み続けた。
短いようで長い時間、長いようで短い時間。7号機と使徒の戦いはようやく終局を迎えた。
冷却液をかけられ続けた使徒は、急速な冷却による熱ストレスに耐えきれずその体が崩れだした。砂の城が崩れるようなと言う喩えのように、7号機の腕の中から使徒の体がこぼれ落ちていった。ネルフの側は7号機を含め、何ら損傷はない。これ以上ないという完勝である。使徒の姿が7号機のモニタから完全に消え失せたとき、仮設された指揮所の中で全員から安堵の息が漏れた。そして次の瞬間、完全な勝利を祝う歓声が上がる。そこにいた全員に安堵と、喜びの表情が浮かぶ。後は7号機を引き上げ、撤収するだけとなった。
「お疲れ、アスカ...すぐに引き上げるからもう少し我慢していてね」
「分かってるわよ。
でももうちょっとだけ調整温度を下げて貰えると嬉しいわ。
私はミサトと違ってダイエットの必要は無いんだから」
耐えられない温度ではないのだが、使徒殲滅が終わったことで冷却材の心配も要らない。だからもっと温度を下げて欲しいと言うのがアスカの希望だった。
「あら、あたしだってダイエットしていないわよ。
だってその必要も無いんだから。
それに私には少なくとも証人が居るわ。
加持っていうね。
アスカの事はしんちゃんに聞けば良いのかな?」
使徒を倒した気楽さから、分かっていてもミサトも軽口を叩いてしまう。
「何バカいってんのよ。
そんな物は水着になれば一発でしょ!
今度勝負してあげるから待ってなさいよ」
「へいへい、首を洗って待ってるわ」
お互い気心の知れ合った仲。周囲に対する多少の遠慮は必要なのだが、そこはそれ。この二人に意見できるような命知らずはここには居なかった。
しかし『好事魔多し』と言う言葉がある。
まさしくこの場合がそれに当たるだろう。
異変に最初に気づいたのは相田ケンスケだった。
しかし彼にとっての不幸は、その異変が自分自身に訪れたと言うことだった。
初めは頭の中に何かちりちりとした物を感じた。それは緊張から来る物だと、ケンスケはそう思っていた。しかし、時間とともにその違和感は増大し、終いには頭の中でオーケストラが演奏するようなノイズをまき散らしだしたのだ。
「何だよ、これ...」
その不快さに、ケンスケは思わずそう呟いた。
しかしケンスケからの通信は、これを最後にぷっつりと途絶えることとなった。
突然の異常事態に、臨時の指揮所は緊張に包まれた。しかし一体何が起こっているのか、正確に把握できた者は誰もいなかった。彼らは、目の前で不気味に佇む8号機をただ見ていることしかできなかったのである。
続く
トータスさんのメールアドレスはここ
NAG02410@nifty.ne.jp
中昭のコメント(感想として・・・)
トータスさんのルフラン第22話、投稿して頂きました。
>新第八使徒迎撃作戦自体の立案は簡単なことだった。要は前回と同じD型装備で火口に潜り、液体窒素を用いて使徒を攻撃すればいいのだ。
今回は捕獲なしですか。
>アスカにとって唯一とも言える不満は、今回は温泉旅行が付いていないことだった。
>もっともシンジ抜きで行きたいかと言われれば、『否』と今のアスカなら答えていたが。
どうせ混浴じゃないのに…
家族風呂って手もあるか
> マグマ内で戦うリスクを考えると、本当は地上に引きずり出す方が良いのだけど。
> そこはパイロットの判断に任せます。
うっ、アバウト。
> そしてこれが重要なポイントになるんですが、冷媒に液体窒素を使用しています。
> これは高熱に曝されると一瞬にして気化し、1000倍以上の体積に変化します。
> ですからマグマ内に放出するときは、急激な体積変化による爆発に気を付けて下さい」
うっ、更にアバウト。
気を付けろったって爆発の盾にできるようなものはないだろうし、素早く動くのも無理だし。
>『やっぱり定番だけど観覧車かしら。
>ものの、アスカはいやんいやんをしながら、自分の決めたシチュエーションで一人芝居を続けていた。
>丁度今、シンジに肩を抱かれ、唇が重なったところまで芝居は到達していた。
うーむ可愛い。
頬を染めて唇をちょっとすぼめて……
>『そしてシンジの手が私のスカートの中に入ってくるの。
> 【アスカ、僕はもう我慢できない】
おおおお
>『そう言えば最近キスもしていないな』
>『でもシンジったら二人っきりになる努力もしてくれないし』
>『ひょっとしてどこかで浮気をしているんじゃないかしら...』
妄想が暴走中ですね
ミサトあたりがビデオにとっといてくれたら面白いんですけど
> でも、こんなに短くて、少し縮れているのって...!」
>なにかに思い当たったのだろう。アスカの顔がぱっと赤くなった。
マユミちゃんもすっごく思い切った事を…
ケンスケ幸せです。
アスカとシンジの関係ももう一歩進みそうですね。
>しかしケンスケからの通信は、これを最後にぷっつりと途絶えることとなった。
やっぱり七難八苦に遭うケンスケ
成長の遅い理由(単なる囮だったのかしら)。その他諸々の謎が次回は証されるのでしょうか。
マユミの想いは届くのか
次回が楽しみ
みなさん、是非トータスさんに感想を書いて下さい。
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