〜ル・フ・ラ・ン〜


第二十六話 偽りからの脱出
 
 
 
 
 
 
 

 ゲイツの冬月への面会の申請は、この余裕の無い情勢にも関わらず意外なほど簡単に許可された。それは日頃の根回しのせいか、それともダンチェッカーの名前が効いたのかは分からない。だがそれはゲイツにとってどうでも良い事であった。ゲイツは、冬月に直接コンタクトした際に『必ず約に立つ情報だ』と宣言し、それ以上はお互いのため直接向き合ってでしか話せないと告げた。そのため自分の方から第三新東京市に出向くとも。そして一刻を争う事だからと、第三新東京市の空港からネルフまでの空路を確保して欲しいと依頼をした。

 一方冬月は、サードチルドレン重傷の影響で国連対応に追われていたが、それでもゲイツの訪問にわざわざ時間を割くという行動に出た。このあたりはお互いの腹のさぐり合いというところもあったのだが、実のところ、ゲイツがネルフの実状を知っているのには及ばないが、冬月もまたゲイツの手の内をある程度は掴んではいた。もちろんそれは確たる証拠を掴んでいない以上想像の範囲を出ないものであるのだが、ここまでの積み重ねた情報でそれがはずれていないことを冬月は確信していた。そのゲイツがこの時期に来るということに、冬月はその訪問目的におおよその予想をつけていた。彼が秘匿しているエヴァンゲリオンの提供並びに施設のネルフへの開放、冬月はゲイツの訪問目的をそう睨み、極秘のうちに葛城ミサトに新たな作戦の立案を命じていた。

 お互い相手の思惑を読みながら、ゲイツと冬月の対面は実現したことになる。

「ようこそネルフへ…」

 ネルフが差し向けたVTOLから、ダンチェッカーに先だって降りてきたゲイツに、冬月はそう言って笑顔で右手を差し出した。

「この一歩が、人類にとって大きな一歩となる事を期待しますよ」

 少しおどけて、ゲイツは差し出された冬月の手を握った。すでに腹のさぐり合いは始まっているのだが、少なくともこの時だけは、この出会いが、行き詰まった現状を打破するきっかけになることを期待していた。ゲイツに続いて冬月はダンチェッカーと再会の握手を交わした後、二人を案内するため先に立って歩き出した。

「シンジの容体はどうですか?」

 ダンチェッカーは前を歩いている冬月に、シンジの容体を尋ねた。彼にとっては最も気になっている事の一つ。断片的に入ってくる情報では、容体の詳しい所までは分からないのだ。

「峠は超えたと言う所です。
 差し当たっての命の危機は乗り超えました。
 ただ目が醒めてくれるのかどうか?
 現時点での最大の問題はそれです」

 シンジの容体を説明する冬月の表情に、依然情勢は厳しいのだとダンチェッカーは理解した。

「シンジのガールフレンドはどうしています」
「……元気ですよ……
 使徒の襲撃に備えて待機しています」

 冬月の答えに一瞬間が開き、その顔がこわばったのを、ダンチェッカーは見逃さなかった。その事で、自分達が想像した事があながち外れていなかった事を彼は確信した。

「シンジには誰が付いているんですか?」
「彼の妹と、その友人です」

 ダンチェッカーの脳裏に、発令所で祈りを捧げる二人の乙女の姿が思い出された。彼にはその二人が、あああの二人かと思うのと同時に、なおさらセカンドチルドレンは辛い思いをしているだろうと思われた。

「ジョン、私は患者たちの様子を見てきたい。
 そっちはそっちで進めてくれないか?」
「クリス……いつから君はカウンセラーになったんだい?」
「子供たちのメンタルケアも大人の役目だと思うのだが?」

 大まじめな顔で答えを返すダンチェッカーに、ゲイツは苦笑を返した。

「分かっているよ、すまん、少し茶化しただけだ。
 ミスター冬月との話は私が進めておく。
 君は子供たちを頼む」
「了解した…」

 ゲイツと話がついたダンチェッカーはそのまま冬月の方に向き直った。そして霧島シンジ、惣流アスカラングレー、赤木リツコと面会したい旨を伝えた。

「シンジ君の友人であるあなたの面会を断るつもりは有りませんが。
 一つお聞かせ願いたい。
 その3名に会って、何をなさるつもりですか?」

 もちろん冬月には、これらの重要人物への面会を制限する権限が有った。だからといって、それを乱用するつもりなど無い。むしろこれからダンチェッカーがする事への確認と言った意味合いが大きかった。

「シンジと赤木博士は治療の相談ですよ。
 シンジのガールフレンドとはいろいろと話すことが有りましてね。
 責めているわけでは無いが、あなた達はもう少しあの子たちを年齢相応に見てあげないといけない。
 シンジの場合、ご両親が居るのでいいが、彼女は天涯孤独だ。
 しっかりしているようでも、心はまだ不安定で弱いものだよ」
「耳に痛い話ですな。
 確かに私たちは彼女がしっかりとしているのに甘えているのかもしれません。
 こんなことをいえた義理ではないのは分かっていますが、惣流君をお願いします」
「まあ微力ながら頑張ってみますよ……」

 往々にして忘れがちなのであるが、二人のチルドレンはまだ17なのである。並みの大人では到底想像も付かない経験をしてきたことで、変に大人びたところがあるのだが、逆にいびつな形で成長しているところもあった。残念ながらネルフは、彼らを普通の子供として、当たり前の感覚を身につけさせる事はしなかった。いや、できなかった。少なくともネルフという組織は子供の情緒を育てるのを目的とはしていないのだ。

 その点、3年の間ネルフを離れていたシンジはまだ良かった。しかし、7歳の時からネルフに縛り続けられたアスカに、大きな障害が出ていると言っていいだろう。

 ダンチェッカーの申し出に答える為、冬月は背後に控えていた秘書の一人に声を掛けた。

「朝霞君、ダンチェカー氏の面倒を見てくれんか……」

 自分に向かって微笑んだ顔を見て、ようやくダンチェッカーはその女性が誰であるかを理解した。
 
 



***






 自分で決めた事割り切ったこととは言え、シンジのことを考えないようにする事は、今のアスカにとって大きな心の負担となっていた。とは言え、シンジのことを考えると、何ものもさて置いて病院に駆けつけたくなってしまうのだ。その沸き上がる衝動を押さえることもまた非常に苦痛を伴う事なのであった。ある意味八方塞がりの状態に明日香は追い込まれていた。そしてどう転んでも苦しいのなら、自分の責任を全うするためシンジの事を考えないよう努力する道をアスカは選んだ。

 しかしそれにも問題は有った。何もしないでじっとしていると、どうしてもシンジの柔らかな笑みがを思い浮かべてしまうのだ。それは蜜のように甘く、そして煙のように小さな隙間からもアスカの心に忍び込んでくる。そうなってしまうと、アスカは沸き上がる衝動を抑えるため、悶々とした時間を過ごさなくてはならなくなるのだ。だからアスカはジムで体を痛めつけることを選んだ。体を動かして、そして何かに集中していれば、少なくともその時だけはシンジの事を忘れていられると言うのがその理由だ。しかし限界を超えて体を痛めつけるアスカの姿は、端から見ても痛々しい物でしかなかった。それに、その行動自体何の解決をアスカにもたらしていないのだ。わずかな時間だけ現実から目を背けさせてくれる。それが何の解決にもならないことをアスカは理解していた。

 そんなアスカを、加持は見守ることしかできなかった。しかし、如何に加持とは言え、この極限状態に於いてアスカに掛ける言葉を持ち得ていなかった。死を覚悟しているアスカに対し、いかなる慰めも役には立たない。気晴らしなどと言う事が、今のアスカに出来る筈もない。何しろ生命の危機を脱したとは言え、このままシンジが目覚めない可能性もまだ高い状態なのである。そんなアスカにアドバイスするには、今の加持はアスカに近すぎ、アスカは賢すぎた。

 そんなアスカの元をダンチェッカーが訪れたのは、心に反して体が悲鳴を上げたときの事であった。朝霞に連れられたダンチェッカーは、苦痛に喘ぎながらダンベルを持ち上げようとしているアスカを見つけ、大きな声で怒鳴ったのである。

「何をしている!」

 重苦しい雰囲気の中に有ったトレーニングルームの緊張が、ダンチェッカーのその一言で一気に高まった。

「…トレーニングよ…」

 その言葉にびくりと反応したアスカは、入り口に立っているダンチェッカーを見つけ驚いた顔を見せた。しかし次の瞬間には、決まり悪そうに顔を背けぼそりと小さな声でつぶやいた。

「それのどこがトレーニングだ。
 それに、こんな時に何をしているんだ!」

 何をしている?今のアスカに一番答えの出しにくい問いに、ただアスカは黙ってダンチェッカーから顔を背けたままだった。ダンチェッカーは、そんなアスカに大きな声でたたみ掛けた。

「何をこんなところで油を売っている!
 なぜシンジのところに居ない!」

 その言葉に、アスカは振り返るとダンチェッカーを睨み付けた。

「私は自分の出来る仕事をするの!
 わ、私はエヴァのパイロットよ……
 シンジが動けない今、私が戦わなくてはいけないの」
「そんな事は聞いていない!
 なぜこんなところで油を売っているのかと聞いているんだ!」
「だから私は、使徒と戦うために待機している……」
「これの何処が待機だというのだ!
 そんなに疲れ切る事のどこに意味がある。
 何故こんな大事なときに、シンジの側に居ない!」

 ダンチェッカーは、アスカ以上に鋭い視線でアスカを睨み返した。交錯する二人の視線、だが先に目を反らしたのはアスカの方だった。

「私は……シンジの側には居られない……」

 ダンチェッカーの視線に抗しきれなかった時点で、アスカを護る心の鎧は役に立たなくなっていた。驚くほど弱々しい声で、アスカはシンジを吐露した。

「何故そう思う……シンジは君にそう言ったのか?」
「私はエヴァのパイロットよ!
 あそこで、病院で……ずっとシンジの側にだけ居るわけには行かないのよ!
 こんな時に側に居られない女なんて……一緒に居る資格なんて無いわよ!」

 顔を上げずに弱々しく呟くアスカに、ダンチェッカーは容赦はなかった。

「嘘を付くんじゃない。
 そんな理由じゃないだろう。
 私もだませないような理由で、シンジをだませると思うのか?」
「嘘じゃない!嘘なんて吐いていない……」

 嘘と言い切られたことで、アスカはもう一度顔を上げてダンチェッカーを睨み付けようとした。しかし、ダンチェッカーの顔を見たとたん、アスカはそれを為すことが出来なかった。アスカの目の前には、意外なほど優しい顔をしたダンチェッカーが居た。

「何故、そう死に急ぐ……
 何かを護るために命を捨てる……そんな物は美徳じゃない。
 ドイツの時と言いそうだ……
 二度もシンジの為に君が死を選ぼうとしたと知ったら、シンジはどうなる。
 シンジを愛しているあの娘達はどうなる……」
「でも……あたしじゃ勝てない……
 それは分かっている……私は3年前よりも弱くなっている……」
「だからせめて止めるだけでもと考えているのか?
 無責任な話だ……」
「どうしてよ、どうしてそれが無責任な事なのよ…」

 ダンチェッカーは、それに答える前にアスカのオーバーウエアを手に取った。そしてそれを持ってアスカの横に行くと、それをアスカの身体に掛けた。

「長話で身体が冷えるといけないからな。
 それをきちんと羽織っておきなさい」

 そう言ってダンチェッカーは、トレーニングマシンにもたれ掛けた。

「なぜ無責任か……
 ならば逆に尋ねるが、本当にそんな事で使徒を止められるのか?」
「止められるわよ……絶対に」
「その保証はないはずだ。
 それは以前の戦いが証明している。
 確かに第壱拾六使徒は零号機の自爆で殲滅された。
 しかし第壱拾五使徒は、間近でのN2爆弾の爆発にも無傷で耐えている。
 本当にエヴァの爆発で止める事が出来るのか?
 もう一つ言えば新第参使徒はどうだった?
 あの使徒も9号機の爆発を耐えて居るぞ」
「どうしてそれを……」

 ダンチェッカーの言葉に、アスカは驚きで目を見張った。少なくとも一介の研究者が知っていいような話ではないのだ。そして先程は気付かなかった、ダンチェッカーの言葉に含まれた重要な意味にも気が付いた。

「どうしてドイツでの事まで知っているの…」

 ドイツでの9号機の自爆理由は、使徒殲滅の為と言うのが公式発表である。事の真相に付いては、MAGIにすら記録されていない。従ってアスカの自爆理由を知っているのは、ネルフの中でも冬月、ミサト、リツコ、加持の4人だけなのである。

 しかし、ダンチェッカーはそれを指摘してみせたのだ。しかもそれが当てずっぽうでない事は、本来彼の知り得ないはずの情報をアスカに話したことからも伺いしれた。明らかにネルフの内情を知りすぎているダンチェッカーに、案内役として着いてきた朝霞の体にも緊張が走った。

「フランツ・オッペンハイマーを知っているね。
 彼は一時期ゲイツの元に身を寄せていたんだ。
 しかし北米支部が使徒に飲み込まれた事件の時、彼はゲイツを裏切った。
 我々としては、使徒は君たちに倒してもらわなくてはならなかった。
 だがね、奴はそのじゃまをして、5号機が使徒に飲み込まれるきっかけを作ったんだ」
「待ってよ、フランツはドイツで死んでいるはずよ。
 あいつはあの時確かに支部にいたわ。
 なのに何でアメリカなんかに居るのよ。
 そんなことはあり得ないわ……」

 フランツが生存していると言う話に、さすがにアスカも色めき立った。元々あの親子を殺すために自爆までしたのだ。それなのに討ち漏らしていたとは考えたくもなかった。

「だが現実は違う……
 フランツは生き延び、ゲイツに自分を売り込んでアメリカに渡った。
 だが何を考えたのか、彼の計画を邪魔したんだ。
 そして組織を逃げ出したあげく、逃走中に強盗に遭っておだぶつだ」

 そう言うとダンチェッカーは指を頭に当てて、トリガを引き絞るまねをしてみせた。

「貴方たちが殺したんですか……」

 さすがに横で聞いていたケイコも、話に割り込んできた。話が話だけに、もはや傍観しているわけにはいかなくなっていた。

「君たちに疑われるのはしかたが無いと思っているよ。
 少なくとも私たちには身の潔白を証明する手段はないからね。
 だがネルフには私たちを裁く権利はないと思うが、どうかね?」

 ダンチェッカーはそう言ってアスカの顔を見た。お互いの身の安全に関わるきわどい話をしているにも関わらず、ダンチェッカーは穏やかな表情を浮かべていた。

「ドイツでのデータは、ジョンが握りつぶした。
 だからこの事を知っているのは、死んだフランツも含めると3人だ。
 フランツに私にジョン……もはや磁気のデータではどこにも残ってはいないよ。
 ただ忘れてはいけない……ドイツでは1000を超える人が亡くなられている」
「私にどうしろと言うんです……」

 アスカはダンチェッカーの真意を掴みかねていた。一体この男は自分をどうしたいのか?

「死というのはもっとも安易な手段だよ。
 何しろ死んでしまった時点で、後のことは放り出すことが出来る。
 誰も君を地獄まで追いかけていって、責めることも出来ない。
 誠に都合の良い方法だな……
 アスカは自分の責任を放棄したいのか?」
「そんなことは考えた事はないわ……
 私はパイロットとしての責任を果たそうと思っているだけ」
「それが自爆することなのかね?」
「そんなことは言っていない……」
「なら君はどうしてそんなことをしようとしているのかね。
 大きな破壊力が要るだけなら、ありったけのN2を撃ち込めばいい。
 一つ一つの威力は落ちるかも知れないが、結果的にはエヴァの爆発よりも大きな破壊力を得ることが出来る。
 その可能性を考えなかったのかね?」

 その可能性自体アスカが考えなかったわけではない。しかしそれにした所で、N2攻撃まで使徒を足留めする必要があり、自爆ほどではないが命の危険が有る事は確かだった。

「それからもう一つ、なぜ君はシンジの元に居ないんだ。
 シンジを忘れようと苦しんで、そんなにまで身体を痛め付けて。
 その行為のどこに意味が有るのだね」

 はっきりと口に出されても、アスカはそれに対する明確な答えを持っていなかった。ただ自分がそこに居てはいけない、決心が鈍る、それがアスカの中で大きな声を上げていた。

「そうやって心を閉ざす事が、エヴァの操縦に良くないのは分かっているだろう?」

 『心を閉ざしていてはエヴァは動かない』アスカは、その言葉を遠い昔に誰かに言われたような気がした。あれは一体いつのことだったのか、遠い懐かしい記憶の中にその言葉は埋没していた。

「シンジは私に教えてくれた。
 シンクロとは自分の心がエヴァと一つになり、拡大されていくような物だと。
 君はエヴァの心を感じているかね」
「エヴァに心……」

 ダンチェッカーに指摘されるまで、エヴァに心が有る事をアスカは忘れていた。量産機に誰の心が、どんな心が宿っているのかは分からないが、確かに弐号機にはアスカの母の心が宿っていた。

「君たちにはエヴァとシンクロする素質が有る。
 だが、素質だけでは何事にも限界はある。
 その壁をうち破る為には何かが必要なんだよ。
 シンジの言ったことがそれに当たるのかは分からない。
 だが君とシンジとの間に差がある以上、それを考えてみるのも良いかもしれん。
 まあそのことは一人になってゆっくりと考えてみればいいことだが…」

 『ところで』と言ってダンチェッカーは話題を変えた。

「君はシンジを愛しているのかね」

 不意打ちだったのだろう、その問いかけにアスカの顔は面白いように赤く染まった。その顔を見れば答えは明らかなのだが、アスカの口からは明確な言葉としてその答えは出てこなかった。

「えっ、ええっ、その……」

 アスカの狼狽を優しく見つめ、ダンチェッカーは言葉を続けた。

「シンジにその気持ちを伝えたのかな」

 これ以上ないというほど顔を赤くして、アスカは俯いてしまった。あまりにもわかりやすすぎる反応に、ダンチェッカーは少女の心を見た気持ちがした。

「伝えたいとは思わないのかな?
 シンジと一緒に生きていきたい。
 そう伝えなくて良いのかな?」
「でも、シンジは……」
「大切なのは君がどう思っているのかだよ。
 君はその気持ちをシンジに伝えたいかどうか?
 伝えたいんだろう?」

 自分の気持ちは伝えたい、しかしそれも生き残ってからの事である。だが自分の生き残れる可能性はきわめて低い、それなら自分の気持ちは封印しておこうとアスカは考えていた。

「でも……出来ない……私は……」

 アスカの返事にダンチェッカーは小さくため息を吐いた。一時ほどの思い詰めた雰囲気はなりを潜めたが、まだ心の中の本質的な所は変わっていない。死を望んではいないが、それに対するあきらめがまだ少女の心に有るのをダンチェッカーは感じ取っていた。

「なら質問を変えよう。
 君はシンジを助けたいか?」
「もちろんよ!
 そのためだったら何でもするわ」

 今度の問いにはアスカは、はっきりと答えることが出来た。その様子を満足そうに頷くと、ダンチェッカーは次なる質問をした。

「シンジを助ける方法が有ったとき、君はそれを他人……いや、他の少女に任せるかな?」
「いやっ!そんなの嫌!」

 ダンチェッカーの誘導により、図らずもアスカは本心をさらけ出してしまった。表面では諦めるつもりで居ても、心の奥底ではシンジを独占したいその気持ちを。それに気づいたアスカは、再び顔を赤くすると恥ずかしそうに俯いてしまった。

「そのためには、シンジに君の気持ちを伝える必要が有ると言ったら、君は協力してくれるかい?」

 ダンチェッカーはそうアスカに問い掛けた。その言葉の意味にアスカが気づき、アスカは光を湛えた瞳でダンチェッカーの顔を見つめた。

「でも、シンジは……」
「眠ったまま、意識が無い……そう言いたいんだろう?」

 アスカは黙ってその言葉に頷いた。気持ちを伝えると言っても、眠ったまま意識のない相手に伝えようが無いのである。

「君はBIACと言う言葉を聞いたことが有るかね?」
「いいえ……」
「人間の脳が機能するとき、内部に微弱ながら電流が流れる。
 その電流を読みとれば、脳の発する情報を読みとれるというのが元々の発想だ。
 そしてその発展として、外部からフィードバックを与えることで逆に情報を与えてやれる。
 それを大がかりにして、スーパーコンピュータと接続したのがBIACだよ。
 君たちがエヴァと行うシンクロを情緒的な物だとすると、BIACはもっと現実的な情報のやりとりを行う」
「でも、そんなシステムを聞いたことが有りません」
「聞いたことが無いのと、存在しないことは同義でないことは分かっているね。
 現に一般の人達にはエヴァも使徒も聞いたことが無いことだった。
 MAGIすらそうだ。
 でも、それは存在した」
「だからBIACも存在すると?」
「そう言うことだ」

 確かに素晴らしいシステムなのかも知れないが、それが今の問題とどう直結するのか。今のアスカにはそれが分からなかった。

「でも、そんなシステムが有ったとして、それが今の問題にどう関係するのですか?
 それにたとえ関係が有ったとしても、ここにはBIACは有りません。
 何の解決にもならないのではないでしょうか?」

 そのアスカの言葉に、ダンチェッカーはにやりと笑って見せた。アスカがBIACに興味を示すことが、まず彼にとっての第一歩に他ならなかった。

「まずBIACが何の役に立つかだが。
 2台のBIAC端末を遠距離に置いて、二人の被験者を同時に接続してみた。
 するとどうなったと思う?」
「相手と話が出来たとか……?」

 アスカはダンチェッカーの質問にそう答えた。脳の情報を読みとり、フィードバックする事が可能なら、そうすることも出来るのではないかと考えたのだ。

「大体の発想は合っている。
 確かに最終的には、話以上のコミュニケーションが実現できたのだが、初めは違った」
「どう違ったのですか?」
「被験者が精神障害を起こし掛けた」
「精神汚染……?」

 自分の口から出た言葉に、アスカはぶるっと震えた。それはかすかに残る、第壱拾六使徒との戦いが彼女に残した恐怖でもあった。

「君たちが精神汚染と呼んでいる現象に似ているかも知れないし、違うのかも知れない。
 この実験の場合、整理されない情報の波が相手に送られたのだよ。
 これがどちらか一方だけなら良かったのだが、それが同時に起こったため事がややこしくなった。
 生の情報の洪水は、被験者の頭に並々ならぬ混乱を引き起こし、それを相手にフィードバックした。
 瞬きするような時間の内に、それが繰り返されたのだよ。
 その情報は雪だるま式に膨れ上がり、二人の間でキャッチボールが繰り返された。
 当然そのたびに情報は膨れ上がっている。
 それに脳が耐えられなかったんだよ。
 幸い、過負荷に脳が耐えきれず彼らは意識を失ったので良かった。
 今はカウンセリングで問題なくなっているが、しばらくの間人格が混乱していたよ」

 確かに興味深い実験ではある。しかし、それが今のアスカに求められることとどう関わってくるのか。それをアスカは理解できなかった。

「実験自体、その反省を元に様々な安全策が取り入れられた。
 だから最初のように、人格を壊し掛けることはなくなったのだが、それでも小さな事故は起こった。
 酷い話だが、その事故の中で様々な発見があった。
 その中には、意識を失った相手を正常な方から干渉すると言う物もあったのだよ。
 二人とも眠った状態に居るとき、片方を起こすともう一方も目覚めるというのもあった。
 賢い君のことだ、この意味は分かるだろう?」
「シンジの目を覚ますことが出来る!」

 驚きに目を見開いて、アスカはダンチェッカーの顔を見つめた。ダンチェッカーは、生徒が正しい答えに辿り着いたのを満足するかのように、柔らかな笑みを浮かべてそれに答えた。

「事はそう簡単には行かないかも知れない。
 赤木博士との相談した結果も“有望”との事だ。
 しかし問題が無いわけではない。
 接続の一方はシンジで問題はない。
 しかしもう一方を誰にするのかだが、これがなかなか難しい。
 本人の意思と、それ相応の知識が必要となる。
 残念ながら、一人だけ心当たりがあったのだが、シンジに会いたくないと断られた」

 ダンチェッカーは、少し意地の悪い声でそう言うと、俯いてしまったアスカの頭を見つめた。

「意地悪しないで下さい……
 そんな大切な役目……他の人に任せることが出来るわけ無いじゃないですか」
「なら君はシンジと向かい合うことが出来るのかね?
 相手には生の感情が伝わってしまうのだよ。
 それが必ずしも、お互いにとって心地よいものとは限らない。
 それに目を覚ましたところで、状況が変わるとはかぎらん。
 何しろ、目を覚ましたからと言って、シンジは重傷を負っている。
 すぐに戦えるという物でもないのだからな」
「それは分かっています……
 でも、目を覚ましてくれるのなら……
 私はシンジと話し合います!
 そこでどんな辛い決断が有っても耐えて見せます」

 初めに較べてずいぶんと元気を取り戻したアスカを、ダンチェッカーはまるで自分の子供を見るような優しい瞳で見つめていた。その優しい視線に気づいたとき、アスカは優しい父と言う物をそこに見つけた気がした。

「ならばこんなところで燻っていないで、行くところがあるだろう?
 君は多くの人に心配を掛けて居るんだ。
 その謝罪をしなくてはいけないよ」

 その言葉に、アスカは素直に頷いた。そして先ほどまでのハードトレーニングが嘘のように、軽やかな足取りでトレーニングルームを飛び出していった。その目的地はシンジの治療室、心を偽る必要の無いアスカは、久しぶりと言って良い心の高揚を味わっていた。

「いろいろと聞きたいことも有るだろう……
 いつか話せる時が必ず来る。
 申し訳ないが、その時が来るまで見逃しては貰えないか?」

 音も立てずに後ろを取ったケイコに、アスカの後ろ姿を見送ったダンチェッカーはそう言った。自分たちがこれまでしてきたことは、明らかにネルフにとって不利益となることなのだ。たとえゲイツの根回しによって、それがUNで不問に付されたとしても、その罪自体は変わらないことだとダンチェッカーは覚悟していた。

「私は、博士が惣流さんを励ましたことしか知りませんわ。
 本当にありがとうございました……
 これは私だけではなく、ネルフ全員の気持ちを代弁したものですわ」
「なるほど……だが、礼を言われるにはまだ早い。
 私たちは生き残るための戦いの最中なんだよ。
 全ては、私たちが生き残ってから。
 そうしてくれないか?」

 ダンチェッカーはそう言うと、ケイコに背を向けたままアスカの出ていった出口へと歩き出した。その後ろ姿を、少し不満げな表情で見つめた後、ケイコは弾かれたようにダンチェッカーの後を追いかけた。そして、何事かと驚いているダンチェッカーを気にすることなく、その左手にすがりついた。

「おいおい、照れるじゃないか」
「お父さんって、感じがしましたよ」

 なるほど、父親の気持ちとはこんな物なのかと、甘えるように自分の左手にすがりついたケイコを見て、ダンチェッカーは思った。しかし、いくら年の差があるとは言え、“独身”の自分を“お父さん”は無いだろうと言う不満もまた彼は感じていた。

 むず痒いような気持ちを感じながら、ダンチェッカーはケイコに引きずられるようにして、ネルフの通路に消えていった。
 
 
 
 
 

続く
 


トータスさんのメールアドレスはここ
NAG02410@nifty.ne.jp



中昭のコメント(感想として・・・)

  トータスさんのルフラン第26話、投稿して頂きました。


  >彼が秘匿しているエヴァンゲリオンの提供並びに施設のネルフへの開放、冬月はゲイツの訪問目的をそう睨み、
  >極秘のうちに葛城ミサトに新たな作戦の立案を命じていた。
  うーむ、さすが伊達に枯れてませんな。冬月先生。

  >「何故、そう死に急ぐ……
  うーむ、見抜かれてる
  この状態で放って置いたNERVの面々も相変わらずな感じ。

  >あの使徒も9号機の爆発を耐えて居るぞ」
  強度が違うのね。

  >その可能性自体アスカが考えなかったわけではない。
  >しかしそれにした所で、N2攻撃まで使徒を足留めする必要があり、自爆ほどではないが命の危険が有る事は確かだった。
  N2で死んだら無駄死にですもんにゃ。

  >表面では諦めるつもりで居ても、心の奥底ではシンジを独占したいその気持ちを。
  >それに気づいたアスカは、再び顔を赤くすると恥ずかしそうに俯いてしまった。
  可愛い

  >なるほど、父親の気持ちとはこんな物なのかと、甘えるように自分の左手にすがりついたケイコを見て、ダンチェッカーは思った。
  なんか羨ましいですな。

  >しかし、いくら年の差があるとは言え、“独身”の自分を“お父さん”は無いだろうと言う不満もまた彼は感じていた。
  こくこく

  >むず痒いような気持ちを感じながら、ダンチェッカーはケイコに引きずられるようにして、ネルフの通路に消えていった。
  味がありますです

  着々と下準備は進みます。次は目覚めたシンジがどうなるか。

  次回もお楽しみです



  みなさん、是非トータスさんに感想を書いて下さい。
  メールアドレスをお持ちでない方は、掲示板に書いて下さい。


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