一中野球部が発足して早一ヶ月。何とか部としても様になってきた。ボクも日頃のトレーニングの成果かそこそこ速い球を投げられるようになった。内外野の守備も見られる程度にはなっただろう。まあとにかく一中野球部も“野球部”としての体裁も整ってきたということだ。
そうなると他校と試合がしたくなるのも人情というもので、早速先生を通して二中との練習試合を組んで貰った。試合は次の日曜日、後5日。いよいよ試合が出来るのかと思うと、何故か胸の内がわくわくしてくる。
野球部の練習も試合を前に、だんだん実践的なものとなってきた。ボクもバッターを前にしてシートバッティングのピッチャーをして感覚を養うことにした。
一番バッターは田中イチロー君。彼は小柄だけれど足も速いし、野球もうまい。ただ、少し(かなり)おやじっぽい。ボクはカヲル君のサインに頷くと第1球を投げ込んだ。
「ボォールゥですぅ」
なぜか審判は2年生女子の竹内さんがしている。彼女は綺麗な黒髪をボブにした眼鏡っこ...美形と言うよりは可愛いと言った方が似合う子だ。コールのたびにふるふるとゆれる黒髪がチャーミングだ。そう言えばこの子もまだ家ではあったことはない。
小柄な田中君に対して球が浮いてしまっているようだ。どうも高めにいってしまう。ボクはカヲル君との練習を思い出すように、手首をコキコキと動かすと。カヲル君の次のサインを待った...と言っても全部ストレートだけど。
カヲル君とのサインも決まり(くどいようだけど全部ストレート)第2球を投げ込んだ。
球はパンッという小気味よい音を残し、カヲル君のミットへと吸い込まれた。インコース低め、狙い通りだ。
「スットライクゥですぅ〜」
カヲル君は特にリアクションもなく、球を返してくれる。なんか不気味だ。
結局ストレートしか投げないボクは特にサインを交わす必要もないのでテンポ良くカヲル君の構えたところに投げ込んでいく事になる。第3球めは外角低目より、球1個分外側にはずしたボール球。打ってくれれば儲け物というやつだ。
「ボォールゥですぅ」
田中君はぴくりとも反応しないでその球を見送った。いい目をしている。
ボクは第4球をカヲル君の構えたインコース高目に投げ込んだ。
「スットライクゥですぅ〜」
これでツエンドツー、次が決め球だ。カヲル君は少しタイミングを外すためにゆっくりと立ち上がるとボクの所へボールを持って来た。
「シンジ君、なかなかいい球が来ているよ」
カヲル君はそう言うとボクのグローブにボールをおいて、お尻をポンと叩いていった。おかしい、あっさりとしている。ボクはカヲル君の手がお尻に来た事で少し身構えたが、その予想に反し何も起きなかった。カヲル君はツーエンドツーと大きな声で言うと、マスクをして定位置についた。カヲル君は外角に1球はずしたボールより球一つ分内側に構えた。決め球だ...
田中君は僕の投げた球を平然と見送った。
「スットライクゥ〜バッタァアウトですぅ〜」
竹内さんが軽快にコールする。初めてバッター相手に投げて三振に討ち取った。いくら練習とはいえ、ボクはうれしかった。ピッチャーをやっていてよかったと思う瞬間だ。でもその瞬間カヲル君が抱き着いて来た...
「シンジく〜ん」
ゲシッ
トウジの蹴りがカヲル君を捕らえた。
「一球一球、うっとおしいやっちゃな〜
わいのシンジになにすんのや...」
聞こえない聞こえない...
カヲル君は何かぶつぶつといいながらポジションに着いた。こんなことでやって行けるのだろうか...ボクの胸の中に不安が沸き上がって来た。
「秋季大会では私は代打で出ました。しかし...」
先生、通して聞かないと分かりませんよ...
***
シートバッティングも9人目の打者がライトフライを打ち上げたところで終了。ふらふらと上がった打球は右田君のグラブに収まった。右田君は捕ったボールをすぐに返球...してこない...何かボールに話しかけている...聞いて見たい気もするがやめておこう深入りは危険だ。
「とりあえず終了や」
トウジのかけ声で全員がベンチへと集まってくる。結局打者9人に対してヒット2本、フォアボール1、牽制の練習もまずまず、ダブルプレーも出来た。初めてにしてはまあまあと言ったところだろうか。しかしカヲル君はやっぱりすごい。一度得川君が盗塁しようとしたとき、カヲル君の送球は抜く手も見せない早さでセカンドにストライクが投げられた。よけるまもなく投げられた球がボクの脇をかすめていくとき、何か赤いものが後押ししていたような気がしたが、それは忘れることにしよう。
「お疲れさま」
霧島さんがにっこりと笑ってタオルを渡してくれた...う〜ん、いい!
「あ、ありがとう霧島さん」
少し声が裏返っていたかもしれない。
「いやっ」
何か気に障ることをしてしまったのか、霧島さんの言葉にボクは慌てた。
「えっ、あっ、そのっ...」
「マナって呼んで」
霧島さんがボクの瞳をじっと見つめて言った。
「えっ、でも」
「そう呼んでくれないと、お弁当はお預けよ!」
へっ?お弁当...なんのことだろう、瞬間ボクの頭にハテナマークが浮かぶ。
「あっ、今のは忘れて...電波だから」
ボクもそのことについては深く追求しないことにした。いいや可愛いから。
「ウン分かったよ...マナ」
「シンジ...」
「マナ」
「シンジ...」
「マナ」
「シンジ...」
ボク達は見つめ合った。霧島さんの綺麗な瞳に吸い込まれていくような気がする。桜色の唇がだんだん大きくなってくる気も...ボクの目の前には霧島さんの顔しか映らない...いけないここは学校だよ。他の部員の目もあるし...でも、このまま落ちてしまいたい気もする...
その時他の部員達はと言うと、ボク達の二人の周りに車座になって暖かく見守ってくれていた。でも何か刺すような視線が...竹内さんが眼鏡を外している...うっ殺気...慌てて伊田くんが眼鏡をかけてくれた...たちどころに消えていく殺気。助かった!
ボク達の唇が触れ合いそうなところまで接近したとき何かが光った。光の方に振り向いたボクの目に映ったものは、カメラを抱えているケンスケの姿だった。ケンスケの眼鏡が光ってその表情が見えない。はっきり言って不気味だ。ケンスケはボクの顔を見ると口の端をゆがめニヤリと笑うと、地獄のそこから響いてくるような声で言った。
「このことは惣流に報告するからな」
トウジがいうにはボクの顔は瞬間に蒼くなったそうだ。確かにボクの耳にも血の気が引いていく音が聞こえた気がした。
「ケンスケ、ボク達は友達だろ」
震える声でボクはケンスケに言った。
「悪く思うな。俺だって命は惜しいんだ」
ケンスケはそう言うと夕暮れの闇の中に消えていった。ボクはただ呆然とその姿を見つめることしか出来なかった。
車座になってボク達を見ていた野球部員達も、見せ物が終わったと言うことで三々五々離れていった。霧島さんも邪魔が入って気分が削がれたのか、あっさりとボクのもとを離れていった。ただその時、
「今度は二人っきりで温泉に行こうね...混浴よ」
そう耳元でつぶやいてくれたけど。
ボクはグラウンドに崩れ落ちる用にしゃがみ込んでしまった。誰かボクのことを助けてよ...
その時レイは、トウジの蹴りが入ったカヲル君の手当をしていた。と言っても単に包帯でぐるぐる巻きにしているだけだけど。
「最後のバッターに立った友人は...」
先生そろそろ帰りましょう。
***
日曜日の二中との練習試合は見事なものだった。27対3けが人5...当然ボク達が3点だ..けが人は二中だけど。やはり世の中そんなに甘くはない。キャリアの差がそのまま点数に出たようだ。
けが人の内訳は、ピッチャー返しの報復をカヲル君がしっかりとしてくれたホームベース上での不可解な衝突事故...誰があんなところに赤い壁があると思うのだろう...4人に得川君のファーストでの暴走が1人...どうやら相手が好みだったようだ。可哀相に彼...トラウマになるだろう。
二中の顧問の先生が
「二度とお宅と試合はしない」
捨てぜりふを残して去っていったのが印象的だった。でも無駄だよ、市内予選で必ず顔を合わすからクスッ。
それにしてもトウジが霧島さんに変なことを言っていたな。二中のスパイだって...しかしトウジ...良く考えて見ろよ。5回までで20点取られたんだぞ、こんなチーム相手にスパイしてどうする。
「ワイのシンジを籠絡して、情報を相手に渡しとるに違いない!」
だからトウジ、その「ワイの」という表現は何とかならないのかい。誤解を招いて困るんだ。最近委員長のボクを見る目に殺気が籠もっているようで怖いんだ。彼女を敵に廻すとボクはアスカの脅威から身を守るすべがないんだ。
「あなたは死なないわ、だって私が護るもの」
レイ、そう言ってくれるのはうれしいんだけど、相手はあのアスカだよ。
「大丈夫、私が死んでも代わりがいるから」
その割に額を冷や汗が伝っているよ。
「霧島マナは碇シンジ君のために早起きをして制服を着てきました」
お願いだから霧島さん、脈絡のない話はやめて。
ボクは真剣にハレルヤコーラスを練習しようかと思った。
「第四話 彼女の事情」に続く
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中昭のコメント(感想として・・・)
トータスさんの『たっち』第3話頂きました。
うおおおおおー、とうとうにゅーきゃらがぁ。
イチロー、見逃し三振。うーん大活躍。ガンバレイチロー。
>「このことは惣流に報告するからな」
ラブコメの王道ですね。いいなぁ、アスカ出して欲しいなぁ。
しかし、まともなのはケンスケだけって所がおかしみを感じてしまふ。
けどデビュー戦は、もすこし書いて欲しかった気もしゅます。
特にファーストでの暴走。
トウジをめぐる三角関係も本格化しそう。
野球以外の見所が増えそうな本格派野球小説。次回は9萬HITです。
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