第四話 Broken heart
ジオフロントを見渡せるラウンジでリツコとミサトはコーヒーを飲んでいた。リツコの顔には連日の激務を物語る強い疲労の色が浮かんでいた。ミサトの方はアスカと一緒に回収されたシンジを見つけた時の狂ったような高揚感は醒め、収容後いつまで経っても意識を取り戻さないシンジに焦りの色を見せるようになっていた。
「リツコ、シンジ君の具合はどうなの」
「相変わらずよ。肉体的には各種反応があるんだけど、精神的にはさっぱり。まるで魂が抜けてしまっているみたい」
「直る見込みはないの」
「さっぱりよ。原因だってまったく分からないんだから...ただ...」
「ただ、なによ」
「初号機がわざわざ返してくれたんだから、きっと何かの方法でもとに戻るんだと思うんだけど..その何かが分からないのよ」
「さしあたって危険はないの」
「生命維持には支障は出てないわ。それが救いといえば救いね」
「気長に待つしかないのか...でもよかった帰ってきてくれて」
「まだまだこれからよ。あの娘たちのためにも何としてもシンジ君を取り戻さないとね」
そういって二人は毎日かかさずシンジの病室を訪れる二人の少女を思い浮かべた。
「アスカがあれだけ一所懸命というのも驚きだけど、レイが毎日通って付き添っているって言うのも驚きね」
「ミサトは顔を出さなくていいの?」
「ちょっちね、あの雰囲気の中入っていくのは勇気がいるから」
「確かに言えるわね」
「それにしても、しんちゃんも隅に置けないわね。いつの間にあ〜んな関係になったのかしら」
「あら、あなた保護者でしょ、気がつかなかったの?」
「ぜーんぜん。シンジ君が取り込まれる前なんて、むしろ二人...
ううん、アスカがぴりぴりしていてもう駄目かなって思うぐらいだったんだから」
「そう、じゃあ雨降って地固まるってやつかしら」
「そうね。しかし、しんちゃんも大変よね」
「何が?」
「だってアスカとレイよ、あの二人に同時に迫られてごらん。しんちゃん耐えられるかしら」
「そういいながら楽しんでない?」
「ちょとね」
二人は顔を見合わせて笑いあった。しかしその心の中では待っている人たちのためにも早くシンジに意識を取り戻してほしいと願っていた。
病室はさながら乙女の戦場だった。静と動、対極にいる二人の美少女にとって、シンジが意識を取り戻すことだけが唯一の関心であり、二人は一日のほとんどの時間をそのために費やした。時には面会時間を過ぎても残ろうとする二人に音を上げた看護婦がミサトに助けを求めるほどであった。二人にとってシンジが全てでありシンジが目を覚ましたとき自分がその場にいないことを恐れているかのようだった。二人の間で言葉が交わされる事はなかったが、一つの目的を共有した二人には奇妙な連帯感が芽生えていたのも確かだった。
その日もいつもの通り朝から二人はシンジの病室に来ていた。いつもと違うのはアスカの方からレイに話しかけようとした事だった。
「ファースト...」
「...なに?」
アスカはレイがシンジの事をどう思っているか、聞いてみたかった。これだけ毎日シンジの看護に来ているのだから、当然シンジに対する強い想いがあるはずだ。シンジが壱拾二使徒に飲み込まれたときもそうだった、レイはシンジの事になると感情を表す。アスカはレイの口からシンジをどう想っているか聞いてみたかった。
「あなた...」
アスカがレイに問いただそうとしたとき、突然非常警報が木霊した。
「非常警報...私行くから」
レイは一言言うと急いで病室を出ていった。シンジは必ず自分が護る。強い意志をのぞかせていた。
「私も行くわよ...って」
そういって、アスカはレイの後を追って病室を出ていこうとして、ドアのところで立ち止まりシンジに向かって言った。
「まっててシンジ!すぐに戻ってくるから。私..私たちが必ず護るから」
そういってケージへ向かって走っていった。
発令所のスクリーンに映し出された物体は芦ノ湖の上空に浮かぶ巨大な輪であった。よく観察するとその輪は2本の線が絡み合った構造をしており、ゆっくりと回転していた。
「目標パターン青からオレンジに周期的に変化しています」
「どういうこと、使徒ではないの」
「エヴァの状況は?」
「零号機すでに地上で待機しています。弐号機は現在パイロットエントリー中、300秒で出撃できます」
「レイ..早いわね」
「いずれにしても、これが固定形態ではなさそうね」
「レイ、すぐにアスカを出すからしばらく様子を見ていて」
「いえっ、来るわ」
レイがそういったとたん、2本の輪からできたいた目標は一本の太いひもの状態となり、その一方の端が零号機に向かって延びてきた。
「目標パターン青に固定、零号機迎撃間に合いません!」
ひも状の使徒は零号機の張ったATフィールドをものともせずに零号機の腹部に突き刺さり融合を始めた。零号機の表面に現れた葉脈のような浸食の跡は、パイロットのレイにも現れていた。
「使徒、零号機を浸食中、すでに生体部品の5%と融合しています」
「まずいわ、すぐにアスカを出して」
「アスカ、聞こえる?射出と同時にATフィールド全開でレイを援護して」
「分かったわミサト、すぐに出して」
アスカは射出されると同時にATフィールドを張った。その途端、零号機を侵食していた使徒のもう一方の端が弐号機に反応したかのようにぴくりと震え、弐号機の方へと伸びていった。パレットライフルで使徒を牽制しようとしていたアスカはかろうじて使徒の攻撃に反応して身をかわすことが出来た。しかし、連続して襲ってくる使徒に対して逃げるのが精いっぱいの状況だった。弐号機が使徒の攻撃をかわしている間にも零号機への使徒の侵食は続いていた。根のように体に浮かび上がった侵食のあとはさらに広がり、レイは意識を保つのが難しくなって来るのを感じるとともに、別の誰かの意識が流れ込んでくるのを感じた。
『だれ』
『私は私、綾波レイ、綾波レイと呼ばれるもの』
『心が痛いでしょ』
『違う、これは寂しい、悲しいという気持ち。』
『ねえ、私と一つにならない...』
『いやっ、私は私、あなたじゃないもの』
『そう、でも、もう遅いの...』
使徒からの攻撃はますます厳しくなり、弐号機はかわすことも困難になってきた。何度目かの使徒の攻撃をかわしたとき弐号機は崩れた瓦礫に躓き、アスカの注意が一瞬だけ使徒の攻撃からそれた。その一瞬を逃さず使徒は弐号機の腹部を捕らえ浸食を開始した。腹部を襲った激痛にアスカの意識が瞬間飛ばされた。
『あんた誰よ』
『私はアスカ、あなたの中の惣流・アスカ』
『私は私よ、あなたじゃないわ』
『ねえ、私と一つにならない...』
『あなた、寂しいんでしょ...』
「惣流さん...惣流さん...」
アスカは自分の意識に語りかけてくるものと対峙していたが、モニタから聞こえてくる声で意識を取り戻すことに成功した。
「ファースト...」
「惣流さん...大丈夫...?」
「見ての通りよ、あんまり大丈夫じゃないわね。あんたこそどうなのよ」
「私も同じよ...」
「そう、お互いどじを踏んだわね」
「そうね...」
そういっている間にも使徒にどんどん浸食されているのが感じられた。もう時間がない...このままでは二人とも助からない...その思いで、たった一つ浮かんだ方法をアスカは実行する気になった。私たち一方の命で使徒が倒せる。シンジが守れるのなら安いもんだと。でも、死ぬのは一人でいい。
「このままじゃ、二人ともお陀仏ね...
だから一つ提案があるの...
多分これが最後の手段だと思う...」
ファー...レイ、いい?
このまま二人で使徒を反対方向に引っ張り、どちらかの機体から使徒を引き剥がす。
多分二人掛かりなら引き離せると思うから」
「それでどうするの...?」
「使徒を引き離せなかった方が、ATフィールドを反転して使徒を押え込む
...そして」
一瞬の沈黙
「自爆して使徒を殲滅」
「多分これしか方法はないと思う...」
「そう...分かったわ...弐号機から使徒を引き抜いて私が自爆するわ」
アスカは突然のレイの申し出に息を飲んだ!
「レイ!なにを言っているの。
条件はイーブンよ。
せーので引っ張ってぬけなかった方が自爆...恨みっこなしでいいでしょ」
「だめよ、碇君にはあなたが必要よ...だから私が...」
「何言ってるの...あなただってシンジの側に居たいんでしょ...
ずっと一緒に看病していたんだからあなたの気持ちぐらい分かるわ。
それに今だってあなたの気持ちが流れ込んでくるのよ...
死にたくないんでしょ!
シンジの側に居たいんでしょ!
なんかいいなさいよ..レイ!」
レイはアスカの剣幕にしばらく黙っていたが何かを決断したように静かに答えた。
「分かったわ惣流さん...同じ条件でひっぱりましょ」
アスカはレイが微笑んだ気がした。
「レイ、最後に一つお願いがあるんだけど...」
「何?」
「私のことアスカって呼んでくれる?」
レイは一瞬アスカが何を言っているのかわからなかった。そしてその真意を理解するとぎこちなく微笑んでアスカに呼びかけた。
「分かったわアスカさん...」
「ア・ス・カ よ..さんなんてつけないで」
「アスカ...」
「ありがとう、でも皮肉なもんね、こうやってレイと話せるのがお別れの時だなんて」
「...そうね」
通信機から二人を止めようとするミサトの怒鳴り声が響いていた。しかし今の二人の耳には届かなかった。二人は同時にエヴァを立ち上がらせると身構えた。
「じゃあ、いくわよ...Gehen!」
アスカの合図でいっせいに零号機、弐号機は使徒を抱えたまま反対方向に走り出した。使徒の長さがその限界まで引き伸ばされたとき変化が起きた。零号機が自分の方に使徒を引き寄せ始めたのだ。それに気づいたアスカが声を上げた。
「何やってるのよレイ。話が違うでしょ」
「いいのよ、これで...アスカさん碇君をお願い...」
エヴァ2体の力に抗しきれず、使徒は弐号機の腹部から引き抜かれた。そのタイミングを見計らって零号機がATフィールドを反転させ使徒を押え込みにかかった。レイは弐号機から使徒が引き離されるのを確認するとシートを降り、背後にあるコンソールを操作した。自爆シーケンスがタービンの音を響かせ起動した。アスカの悲鳴を含んだ怒鳴り声も何故か遠いところから響いてくるようだった。
「碇君...」
白い光に包まれていく中、レイはシンジの微笑んだ顔が見えた気がした。
零号機の爆発は周りの建物を巻き込み、第三新東京市の姿を大きく変えた。爆発の収まった後には瓦礫の中に佇む弐号機の他に何も形をとどめた物はなかった。使徒は...消滅した。
「ずるいわよ...レイ...」
零号機の爆発は発令所にいた全員から言葉を奪った。彼らはただ惚けたようにスクリーンを見つめていた。その中で一番早く自分を取り戻したのはミサトだった。
「青葉君、状況は?」
青葉ははじかれたようにディスプレーを覗き込み状況を報告した。
「は、はい...目標は完全に消滅...」
「エヴァは?」
「弐号機は健在。零号機は...反応有りません」
「零号機、エントリープラグの射出は?」
「いえ...射出の記録は有りません」
ミサトは俯き小さく「そう」と言うと、顔を上げ大きな声を出して指示を出した。
「弐号機の回収急いで。それから生存者の救助を大至急...」
「もし、いたらだけど...」
ミサトはリツコの言葉にはっとして振り向き、怒りを込めたまなざしでリツコを睨んだ。だがリツコはミサトと顔を合わせようとしなかった。
「急いで...」
ミサトはそう言葉を残すと発令所を出てケージへと向かった。
アスカは回収された後、すぐにシンジの病室へと向かった。ミサトからは自宅で休むように言われたが、とても一人では耐えられそうになかった。たとえ何の反応もしてくれないシンジであっても、今のアスカには涙を受け止めてくれる人が必要だった。
アスカは眠ったように動かないシンジの顔を見つめて、つぶやくように語り掛けた。
「お願いシンジ、目を覚まして...」
「レイが...レイが...」
「私あの子を守ってあげられなかった...」
「これがエースパイロットなんてお笑いよね...」
「だめなの...もう耐えられないの...」
「私の周りからみんないなくなっていくのに...」
「お願いシンジ...目を覚まして...」
遅れて病室に着いたミサトはアスカの泣き声を聞いた。鳴咽をあげてしゃくり上げるように泣いているアスカに声をかけることができなかった。アスカの悲しみが胸を貫く...自分は非力だ。結局最後には子供たちに全てを押しつけている。ミサトはこんな時に何もできない自分が恨めしかった。
『加持君...あんたどこにいるのよ。私じゃアスカを支えられないよ...』
そのときミサトの携帯に呼び出しがかかった。ミサトは病室を出ると受信のボタンを押した。伝えられた事実は驚くべきものであった。
ミサトは携帯のスイッチを切ると勢いよく病室の中に飛び込んでいった。アスカはミサトの方には何の関心も示さなかった。
「アスカ!、レイが..レイが生きてるの...
無事収容されたって...リツコから...」
アスカはミサトの言っていることが理解できなかった。使徒をも消し去る爆発を起こした零号機にいたレイが無事であるわけがない。ATフィールドごと使徒を取り込み爆発したのだ。レイを護る物はエントリープラグしかないはずだ。なのにどうして....アスカには信じられなかった。
ミサトは動こうともしないアスカにしびれをきらし、レイが収容された外科病棟までアスカを引きずっていった。そこには頭に包帯を巻き、片腕を包帯でつりあげてはいたが、両足でちゃんとたっているレイがいた。アスカは一瞬信じられない物を見たような顔をしたが、すぐに気を取り直し、レイに語りかけた。
「レイ...無事だったの...」
レイは自分が声をかけられたのに気がついたのかゆっくりとアスカの方に振り向いた。
「あなた、誰?」
「誰って、アスカよ...忘れたの...
ありがとう助けてくれて...」
「そう、あなたを助けたの...」
アスカは怪訝な顔をしてレイをのぞき込んだ。
「そう、あなたは私を助けたの...忘れたの?」
「ううん、知らないの...たぶん私は3人目だと思うから...」
そう言うとレイは再び窓の方へ視線を向けた。アスカはまだ何か聞きたそうっだたが、「今日はここまでにしておいて」というリツコの言葉に従って渋々とマンションに帰っていった。
綾波レイは自分のアパートに戻るとベッドに腰を下ろした。そして、巻かれていた包帯を静かにほどき始めた。包帯の下からは傷一つない素肌が現れた。レイはほどいた包帯を無造作にベッドの脇に捨てると、部屋の中を見渡した。その殺風景な部屋に不似合いなチェストの上にはビーカーと、ひびの入っためがねがあったがもはやレイはそれに目を留めることはなかった。
「私は誰?」
誰にも答えてもらえない問いを小さくつぶやき、レイはベッドに突っ伏し、眠りに落ちていった。
トータスさんのメールアドレスはここ
tortoise@kw.NetLaputa.or.jp
中昭のコメント(感想として・・・)
今回出番のなかったレイちゃんは・・・(前回のコメントより)
うーむ「涙」。
ようやく仲間を得たアスカは、無くしてしまいました。
ひとりぼっちのアスカと3人目のレイ
ますます楽しくなりそうな予感。
失意のアスカをどうか救って下さい。
みなさんも、是非トータスさんに感想を書いて下さい。
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